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恋してしまった、それだけのこと  作者: 雄樹
第五章 【未来14歳/沙織26歳】
55/85

第55話 沙織さんの高校の文化祭①【未来14歳/沙織26歳】

 朝目を覚まして、私はずっと胸が高鳴っているのを感じていた。

 部屋のカーテンから零れてはいってくる朝の陽光が、いつもより少し柔らかく感じられる。


(今日、久々に、沙織さんに会える…)


 嬉しくて、どきどきする。

 今日は沙織さんの勤めている高校の文化祭。

 私は数日前から何回も見返しているパンフレットを手に取った。そこには、「進学を考えている中学生の見学歓迎」と書いてある。


(来年は…私もこの高校にいくんだ)


 そうすれば、毎日沙織さんとも会える。

 私は制服に着替えると襟を整えて、鏡に向かって深呼吸をひとつした。

 変なところはないか、髪は乱れていないか、ちゃんと可愛くできているか、せっかく沙織さんに会えるのだから、一番いい私を見てもらいたい。念入りにチェックをしてから、バッグを肩にかけた。


(進学のための下見…ただの下見なんだから)

(リラックス、リラックス)


 そう自分で自分に言い聞かせているあたり、もう色々怪しいかもしれない。

 理由なんてなんでもいい。

 ただ、沙織さんに会いたい。それだけだった。


 夏休みが終わって9月になって、沙織さんとはほとんど会うことができずに、もう10月になってしまった。

 電車でいけば30分の距離なのに、この距離が遠く感じる。

 スマホを見る。

 私の画像フォルダは、沙織さんの写真で一杯だ。画面の中の笑顔をみているだけでも嬉しいのだけど、やっぱり、直接会いたい。


(沙織さんの…匂いを感じたい)


 胸が高鳴る。

 もう十分我慢した。

 今日はもう、我慢しなくてもいいんだ。


「あー、ねーちゃー。たのしそうー」


 そんな私の様子をみて、つむぎがトコトコと歩いて私の足にしがみついてきた。


「つむぎもいくー」

「駄目だよー」

「なんでー」

「つむぎは今日も保育園でしょう?」


 茜先生に会いに行かなくちゃいけないでしょう?お姉ちゃんはね、高校の下見にいくんだから。


「でもねーちゃ、おしゃれしてるー」

「ち、違うよっ」

「くちべにー」

「これは…これは日焼けどめだからっ」


 唇に塗る日焼け止めってなんだろう?

 可愛い妹に見抜かれるあたり、私は嘘をつくというか、ごまかすことすら苦手なのだろう。

 ごめんね、つむぎ、と言って、つむぎをお父さんに押し付けると、私は走って家を出た。


 ポケットの中には、昨夜こっそりと焼いたクッキーの包みを入れている。可愛いピンク色の袋でラッピングしているから、沙織さん、喜んでくれるかな。

 今日、文化祭に行くとは伝えているんだけど、クッキーを持っていくとはいっていないので、ちょっとしたサプライズのつもりだった。


 もう夏は過ぎ去っていて、季節はすっかり秋になっていた。

 空気は少し乾いていて、頬にあたる風が少し冷たい。


(沙織さん…)


 私は、大好きな人の名前を…私の彼女の名前を繰り返しおもいながら、走っていった。



■■■■■



「さすが、高校の文化祭は違うなぁ」


 そう言って目を輝かせていたのは、颯真だった。

 その隣には美月が立っていて、ちらちらと手をつなぎたそうにしているのが分かった。


(私たちのことなんて気にせずに手をつなげばいいのに)


 とは思うけど、基本的に内気な美月は人前で手をつなぐことなんてできないんだろうな。


「屋台すっごく出てるね。凛、いっしょにカレー食べよう!」

「…一人で行きなさいよ、葵。私はこれから、未来と一緒に文芸部の出し物見に行くんだから」

「えー。いじわる」


 きょろきょろあたりを見回している葵をていよくあしらうと、制服姿の凛は私に向かって笑った。


「未来、行きましょう」

「うん、そうだね…葵も一緒に来る?」

「私が凛と一緒に行くんだから、未来ちゃんもついてきていいよ」


 あはは、と力なく笑う。

 今日、高校の文化祭にきたのは5人。私と、颯真と美月、それに葵と凛の5人だ。

 私たち5人は全員、この高校を志望していた…颯真だけはサッカーの特待生としてもう内定しているから、受験をするのは実質4人だけ。


(私と凛は、成績だけなら大丈夫だろうけど…)


 葵はギリギリだった…凛とふたごなので、頭の良さは同じくらいのはずなのに、どうして成績に差がついてしまっているのだろう。けれど、葵ならなんだかんだで絶対に凛についてくるだろうという確信はある。

 問題なのは美月で。

 美術のセンスは学園一…どころか、県内でも類をみないほどすごいのに、それに反比例するかのように、成績は下から数えた方が早かった。


(颯真と離れたくない)


 と相談を何回も受けている。放課後、できるだけ一緒に勉強をしているのだけど、結果はあまり芳しいものではなかった。


(だからこそ)


 今日の文化祭めぐりには、心中おだやかでないものがあるのかもしれない。もう高校が内定している颯真に対して、一緒に別の高校に行こうとお願いするわけにもいかないし、かといって自分が入れるとも限らない。距離が離れ離れになると、心まで離れてしまうかもしれない。


(私だって…距離が離れるのは…怖いもん)


 美月の心配の心が、私には痛いほどわかる。一緒にいる時間が短くなればなるほど、想いはつのり、心配は大きくなる。


「美月と颯真、屋台回ってていいよ。私は凛と葵と一緒に、文芸部の展示みてくるから」


 そう言って、手をふる。

 私たちが離れたあと、2人は手をつなぐことだろう。

 がんばれ、美月、と思う。そして頑張るぞ、私。



■■■■■



 校舎の3階の奥が、高校の文芸部の部室だった。

 階段をのぼり、廊下を曲がると、壁にポスターが貼ってある。


『古今東西吸血鬼伝説』


 ポスターにはそう書かれている。イラストとしてたくさんの吸血鬼が描かれているのだけど、そのどれもこれもが個性的で…一言でいえば、下手くそだった。


(変わらないなぁ、神見羅先輩は)


 中学時代の神見羅先輩を思い出して、くすっと笑ってしまう。私の1年年上の神見羅先輩は、私と凛が文芸部に入ったときの、唯一の先輩だった。

 いつも部室で寝ていて、呼んでいる本はたいてい吸血鬼関連のものばかりだったものだ。


(私、吸血鬼だから)


 が口癖で、「だから昼間は寝ているの」と言いながら部室で布団にくるまって寝ていて、凛に蹴られているのが日常風景だった。懐かしい。


 文芸部の部室の扉をあけると、紙の匂いとインクの香りが混じった、懐かしい空気が流れてきた。

 机の上には部誌や詩のプリントが並んでいて、壁には手書きの短編がいくつか貼られていた。

 そしてそのすべてが吸血鬼関連のものであり、神見羅先輩のかわらぬこだわりが伝わってくる。


「いらっしゃいませー。いいものありますよー」


 明るいというか、抜けてるというか、とても懐かしい…とはいっても1年ぶりくらいなのだけど…神見羅先輩の声が私たちを出迎えてくれた。


「って、あれ。未来ちゃんと凛じゃない」


 キラキラと輝いている銀髪は腰あたりまで伸びていて、その白皙の肌は太陽をまったく浴びていないかのように艶やかで、まごうことなき、あの頃のままの神見羅先輩だった。

 一年ぶりのなつかしさに、胸が少し締め付けられる。


「お久しぶりです、神見羅先輩」

「いやー、なつかしいなー。まるで1年近く会っていないような気がするよ」

「実際、1年近く会っていないんですよ。もう頭が腐ってしまわれたのですか?」

「凛は相変わらず厳しいねぇ」

「神見羅先輩も相変わらずあいかわらずですね」


 凛が間に入ってくる。言葉遣いはひどいけれど、その実、内心はよろこんでいるのが分かる。なんだかんだで、私たちはいい親友になってきているのだ。


 ちなみに葵はといえば、もう興味を失ったのか、一人で回ってくるといって先に教室を出て行ってしまっていた。


「しかしまぁ、中学の時の後輩がもう受験生だとか、時の流れが早すぎて泣けてくるね」

「ふふふ…そうですね。私もびっくりしています」


 先輩、中学の時から本当に変わっていない…ちょっとびっくりするくらい変わっていない。見た目も昔から大人びていたけど…あれからまったく変わっていないような気もする。まるで年をとっていない?みたいな。まさかね。


「今日は下見?この高校、楽しいよ。どれだけ寝ていても注意されないし」

「じゃぁ私が注意してあげますね」

「凛は怖いなぁ」

「先輩がダメダメなだけです」


 そう言いながら、凛は展示してある冊子を手に取った。


「吸血鬼関連の話ばかりですね…先輩、こっち方面でも相変わらずですね」

「まぁね。私、吸血鬼だから」

「はいはい、それで他の部員の方の作品はどれなんです?」

「え?ないよ?」

「無いって…?」

「当り前じゃん。この部活、部員は私一人しかいないんだから」


 そういうと、神見羅先輩はニヤっと笑う。それは悪戯な小悪魔のような笑顔だった。


「…一人だけって」

「この部活、私が作ったんだ」


 だから、部員は私ひとりだけ。

 来年、未来と凛が入ってきたら、3人になるよ。


「昔と同じだね。楽しみだ」

「それは…」


 なんというか、行動力があるというか、後輩想い?というか。

 まぁ、たぶん、自分が眠れる居場所を作りたかっただけなのかな、と思うけど。


「中学の時と違うといえば…顧問が最高ということくらいかな」

「顧問…」

「そう、水瀬先生」


 神見羅先輩はそう言うと、まっすぐ私を見つめた。凛ではなく、私。

 まるで、何もかも知っているかのように。


「綺麗で、優しくて、素敵な顧問だよ」

「…知ってます」


 世界で一番、私が知っています。

 先輩の口から沙織さんの名前を聞くのは…嬉しくもあり、どこかくすぐったくもあり、そして少し…胸がチクりとする。


「優しいけど、ちょっと抜けているところもあるんだよ。この間なんか、必要なプリント全部逆にコピーしてたりさ。でもまぁ、そんなところも可愛いんだけどね」


 先輩が笑いながら沙織さんの話をする。それは…私の知らない沙織さんの一面だ。こころがちょっと疼く。やっぱり、離れていると…駄目だ。私の知らないところで、私の沙織さんがいるのは…嫌だ。


 先輩と私と凛の3人で、それからいろいろ話をした。

 それはまるで去年の部室の中の光景のようで、中学と高校、離れている時間がつながったような錯覚に陥ってしまう。


「…来年、入っておいでよ。私はここで、待っているからさ」

「はい。先輩、有難うございます」

「寝すぎて留年して同学年にならなければいいですね」


 文芸部の教室を出る時、神見羅先輩は笑って手を振ってくれた。

 話をしている間、顧問の沙織さんは顔を出してはくれなかった。少し残念だったけど…でも、会うなら二人きりで会いたいし、なんて思ってしまう。

 私はポケットの中にしのばせている、ピンク色の包装で包んだクッキーをつかんだ。早く渡したい…喜んでもらいたい。


(沙織さんは、私だけのものなんだから)


 廊下を歩きながら、胸の奥でつぶやいた。


(沙織さん…会いたい)


 いま、この高校のどこかに、沙織さんがいる。

 同じ空気を吸っている。

 私の知らない沙織さんが…いる。


 いや。

 いやだ。


 沙織さんは…私の…私だけの。


 彼女、なんだもん。

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