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恋してしまった、それだけのこと  作者: 雄樹
第五章 【未来14歳/沙織26歳】
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第53話 夏の終わりと保育園【未来14歳/沙織26歳】

 夏休みもそろそろ終盤にさしかかり、外から聞こえてくる蝉の声も少しずつ減ってきたような気がする。

 まるで、蝉たちも夏の終わりを惜しんでいるかのようだった。


 私は部屋で横になりながら、ぼぅっと物思いに更けていた。

 考えているのは、もちろん、沙織さんのことだった。


(今年、海に行けなかったな)


 沙織さんの彼女になって始めての夏だから、一度くらいは海でデートしたかった。


(沙織さんの水着姿…見たかった)


 想像してしまう。沙織さんに一番似合うのはどんな水着だろう?ワンピースタイプも、ビキニも、どちらも似合うと思う…妄想するだけで、ドキドキしてくる。

 服の上からでも分かる沙織さんの身体のラインを思い出し、それが水着姿になんてなってしまったら…もう、たまらない。


(比べて、私は)


 胸に手をあてる。前よりは大きくなったとは思う…けど、沙織さんの隣に立ったとしたら、その差は歴然だろう。私が恥ずかしい分にはかまわないのだけど、沙織さんに失望されるのはいやだなぁ、と思ってしまう。


(はやく大人になりたいな)


 そして、沙織さんと…

 顔を真っ赤にする。

 えっちなことを、考えてしまった。頭をぶんぶんふる。今日は暑いなぁ。まだまだ夏は終わらないみたいだ。

 そんな風にバタバタしていたら、スマホのアラームがなった。


「もうこんな時間か」


 私はそういうと、ぱっと椅子から飛び降りて、大きく背中を伸ばした。


「つむぎ、ちゃんと大人しく待っているかな」


 もう夕方だ。今日はお父さんが出張で夜までいないので、つむぎの保育園の迎えを頼まれていたのだった。

 リビングに行って冷蔵庫をあけて、中に入っていた麦茶を一口飲んで身体を潤すと、私は夏の外へと歩き始めた。




■■■■■



 保育園の中庭は、沈みかけた夕陽に染まっていた。

 真夏を過ぎて、少しずつ陽も短くなり始めている。砂場もブランコも金色に輝いていて、潮風とともに木の葉の影がゆらゆらと動いていた。

 大きく息を吸う。

 私の住んでいる街は、山と海の間にある町で、海にほど近い場所に建っているこの保育園の空気にも潮の香りが混じっている。


(つむぎ、大人しく待っているかな…)


 大人しいわけないか、と思って笑ってしまう。いつも元気なつむぎは、いつも私を明るい気分にさせてくれるのだ。


 玄関をのぞき、残っている人たちを見る。

 先生が何人か園内でせわしなく動いているのがみえる。


「あ、未来ちゃん」


 その中の一人が私をみて、声をかけてきてくれた。

 柔らかい声。

 つむぎをみてくれている茜先生だった。


「茜先生、いつも有難うございます」

「こちらこそ、お迎えありがとうね。つむぎちゃん、もうすぐ支度できるからね」


 茜先生はいつものように、穏やかにほほ笑んでくれた。

 薄いピンクの服を着ている茜先生は、年のころはちょうどお父さんと同じくらい。すごい美人…というわけではないけど、ほがらかで明るくて、一緒にいて癒される人だった。


(お母さんとは、ずいぶん違うなぁ)


 ふと、そんなことを想ってしまった。

 お母さんが亡くなってから、もう4年もたつ。お母さんはつむぎを生むのと同時に亡くなったから、つむぎももう4歳になるのか…早いなぁ。

 お母さんもいつも笑っている人だったけど、茜先生みたいに穏やかに笑うんじゃなくって、むしろいつもケラケラと明るく笑っている人だった。笑いながら軽口をたたいて、それでいて、私をたくさん愛してくれていた。


(つむぎは、そんなお母さん、見たことなんだよね)


 少し、寂しくなる。

 つむぎにはお母さんがいない…だから私は、つむぎのお母さん代わりになると決意したんだった。


「これ、ここでいい?」


 そんなことを考えていたら、低い声に現実に戻されてしまった。

 見てみると、茜先生の後ろにひとりの男の子が立っていた。

 背が高い。身体ががっしりとしている。

 髪は金髪に染めていて、耳にはピアスが何個もついている。

 黒いTシャツにジーンズ姿のその男の子は、保育園という場には似つかわしくないように感じられて、すこし後ずさりしてしまう。


「ありがとね。そこに置いておいて」

「おーいっす」


 男の子は抱えていた大きな荷物を床におろすと、ずしん、と音がした。どれだけ重いものを持っていたのだろう?さすが男の子、力持ちなんだなぁ。

 私がじっと見ているのに気付いたその男の子が、私を見て口を開いた。


「なんすか?俺になにかついてます?」

「あ、その、そういうわけじゃなくて…」

「もう、玲央、未来ちゃん怖がっているでしょ。それでなくても、あんた見た目は怖いんだから」


 くだけた口調で茜先生はそういうと、玲央、と呼んだ男の子のお尻をバンと叩いた。普段大人しい先生なのに、いつもとのギャップに少し驚く。


「あ、紹介するね。この子、うちの息子なの」

「…息子さん、ですか?」

「そう。藤原玲央。こんな図体だけど、まだ中学3年なのよ。未来ちゃんと同い年ね」

「そう、なんですか」


 まじまじと見つめる。大きい。私のクラスにこんなに大きい男の子なんていない。こんなに大きい子だったら見逃すはずないから、通っている中学は別のところなんだろうな。


「今日は手伝いに来てくれていてね…夏休みだからって家でゴロゴロしているくらいなら、保育園のいろいろな力仕事を手伝ってもらおうと思って今日は呼んでいたのよ」

「私も夏休み家でゴロゴロしているだけでしたから、耳が痛いですね…」


 といって、苦笑する。

 そんな私を見て、その男の子…玲央くんは静かに頭をさげて口を開いた。


「どうも」


 声は低いけど、落ち着いている。

 目を合わせると、見た目から受ける印象とは意外なほど、優しい色をしていた。


 私はあわてて頭をさげた。


「星野未来です。つむぎの姉です」

「…知ってます。母さんからよく名前を聞くので」

「ええ!?」


 思わず変な声が出てしまう。

 そんな私を見て、茜先生が「ふふっ」っと笑った。


「だって、つむぎちゃん、いつもいつも、大好きなお姉ちゃんの話ばかりしているから」

「そうなんですか…」

「そうなんですよ」


 恥ずかしくて、頬が熱くなるのを感じた。


「つむぎちゃん、ねーちゃがすごいの!ねーちゃは優しいの!って、いっつも嬉しそうに言ってくれてるのよ」

「えへへ…」


 照れる。

 茜先生が笑ってくれて、そして、玲央くんも少し笑った。

 その笑い方は不思議と柔らかくて。

 見た目の怖さが一瞬で払拭される。例えるなら…いかつい虎が、猫に変わったみたいなように?

 怖くない人なのかな、と思って、声をかける。


「お母さんのこと手伝われるなんて、優しいんですね」

「別にそんなことはないんですけど」


 頭をぽりぽりとかきながら、玲央くんは茜先生の方を見つめた。


「母さん、親父を失くしてからずっと一人で俺を育ててくれてるんで、できることくらはしたいな、って」


(そうなんだ)


 茜先生、シングルマザーだったんだ。知らなかった。いつも笑顔で出迎えてくれてるのに、裏で苦労されていたんだな…そんなこと、表に全然出ていなかった。


「あーーー!!!ねーちゃーーー!」


 廊下の向こう側から、つむぎの明るい声が聞こえてきた。

 聞こえただけでなく、その声はどんどん大きくなってきた。


「ねーちゃーーーー!」


 近づいてくる。

 走ってくる。

 ランドセルよりも大きなリュックを背負ったまま、私の可愛い妹は全力で私に向かって走ってきていた。


「つむぎちゃん、廊下を走ったら駄目でしょ?」

「はーい、あかねせんせい!」


 そう言いながら、もちろん、つむぎは走ることをやめない。

 トップスピードのまま、私に飛びついてくる。


「げふっ」

「あはははははははは」


 肺から空気が全部出たかと思った。

 抱き着いたまま笑い転げているつむぎの頭をぽんと叩く。


「こらー、つむぎー!」

「ねーちゃがぶったー」

「悪い子にはお仕置きだぞー!ほらー」


 こちょこちょとくすぐる。

 つむぎは笑い転げる。


 そんな私たちを見て、茜先生は笑いながら手を振ってくれた。


「未来ちゃん、ありがとうね。つむぎちゃん、またね」

「はい。ありがとうございました」

「あかねせんせい、またねー!」


 私はぺこりと一礼をして、つむぎは全身でぶんぶんと手を振っていた。




 保育園の門を出る時、振り返ると、夕陽の中で茜先生と玲央くんが並んで立っていた。頭二つ分、玲央くんの方が背が高い。伸びる影の長さは、さらにその差を大きく感じさせる。


(あ)


 玲央くんは、無言で茜先生の荷物を持ってあげていた。

 それは当たり前の、普段の行動みたいで。


 金色の光がふたりを包んでいて、その光景が、なぜか胸の奥に残った。




■■■■■



 家に帰ると、玄関の灯りはもうついていた。

 靴を脱ぎながら、リビングの方に声をかける。


「ただいまー」

「ただーまー!」

「未来、紬希つむぎ、おかえり」


 お父さんの声がする。

 暖かい、いつものお父さんの声。


「夕食の準備はできているよ」


 お味噌汁の美味しそうな匂いがここまで漂ってきている。お腹が鳴りそう、と思ったら、隣でつむぎのお腹の方が先になったので、思わず2人で笑いあってしまった。


 テーブルの上にはご飯とみそ汁、そして野菜炒めが並んでいた。


「お父さんがつくる夕飯って、だいたいいつも野菜炒めだよね」

「お父さんの得意料理なんだ」

「ひとつしかできないものを得意料理なんて言わないよ?」

「つむぎ、とーさんのいためやさい、だいすきー」

「紬希は可愛いなぁ」


 おいおい可愛い妹よ、あんまりお父さんを甘やかすんじゃないぞ?

 調子にのって、一週間連続野菜炒めになるぞ?


 なんだかんだ言いながら、3人で同じ食卓に座る。

 我が家の食卓は大きいので、半分くらいしか使っていない。端に座っていたお母さんの姿も、もう4年前から無くなってしまっていたから。


「いただきます」

「どうぞめしあがれ」


 手を合わせる。

 そして、壁に飾られたお母さんの写真にも声をかける。


「いただきます」


(ほらほら、残さず食べろよー。でないと私みたいないい女にはなれないぞー)


 生前、お母さんが笑いながら言っていた言葉を思い出して、つい、笑ってしまう。


「紬希、保育園はどうだった?」

「たのしかったー!」


 口元にご飯粒をつけながらつむぎが笑った。

 そのご飯粒をとってあげると、私もお父さんの方を見た。


「茜先生も元気そうだったよ」

「そうか…いつも紬希が迷惑かけているだろうに…」

「めーわく?」

「可愛いって、ことだよ」


 そう言って、笑う。


「あ、そういえば、今日、茜先生の息子さんにもあったよ」

「玲央くんがいたのかい?」

「あれ?お父さん、玲央くんのこと知っているの?」

「ああ、ちょっと、な」


 そういうと、お父さんは少し頬をかいた。

 普段つむぎを迎えに行くのはお父さんだから、その時、会ったことがあるのかな?


「それで、どうだった?」

「どうだったって?」

「いや、玲央くん見た印象」

「印象、かー」


 お父さん自慢の野菜炒めを頬張る。うん。くやしいけど美味しい。

 別れ際、茜先生の荷物をもってあげていた玲央くんの姿を思い出す。


「見た目は怖そうだけど、優しい人そうだね」

「そうか…そうか」


 なぜかお父さんは嬉しそうで、


「案外、いい子なんだよ」


 と言って笑った。




■■■■■



 夜。

 部屋のベッドに横になりながら、私はスマホを手に取った。

 画面の灯りが暗い部屋を淡く照らしている。


(…沙織さん成分が足りない)


 今日一日、沙織さんと会話していない。

 水を失った砂漠のように、私の心は沙織さんという潤いを求めていた。


 スマホを動かし、トークの履歴を確認する。

 美月から、凛から、颯真から、クラスメイトのみんなから、いろんなトークは届いているけど、私の心を潤してくれるのは一人だけだった。


(沙織さん)


 指先が、自然にその名前に触れてしまう。


(沙織さん)


 会いたいな。触れたいな。

 そう思っていたら。


 スマホが光って、メッセージが届いた。


『未来、起きてる?』


 私の彼女からのメッセージ。


『もちろん、起きてます!今ちょうど、沙織さんにメッセージ送ろうかと思っていました』

『うふふ。二人とも、おんなじこと考えていたのね』

『だって…恋人同士、ですもん』


 えへへ。

 恋人同士って、送っちゃった。


『じゃぁ未来、いま、私がなに考えているか当ててみて』

『いまですか?』

『うん。恋人同士だから、分かるでしょ?』

『沙織さんのいじわるー』


 なんてことを考えながら、ベッドでごろごろする。

 こんな時間が最高に幸せだ。

 沙織さんがかんがえていること。

 私がかんがえていたこと。


 窓の外から、もう小さくなった蝉の声が入り込んできた。

 最後の蝉の声。

 夏が、終わる。


 あ。


 そうだ。


 私は、顔を真っ赤にしながら、スマホに指をあてた。

 ゆっくりと、いま想っていることを、送信する。


『…沙織さんの水着姿、見たかったです』


 送って、一呼吸。

 蝉の声、少し。

 しばらくして。


『あたり』

『どう、かな?』


 というメッセージと共に、写真が添付されてきた。


「あhじゃあhまえmhjlwmk」


 私は声にならない声をあげる。

 

 目に入ったのは、部屋で水着姿になっている、沙織さんの写真。



 えっち!

 えっちーーーー!


 幸せすぎて、溶けちゃいそうだった。

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