第5話 引っ越し初日の夜②【未来8歳/沙織20歳】
新しい家での、初めてのお風呂。
ささっと脱衣所で服を脱いで、隣を見る。
沙織さんがブラウスを脱いでいるところだった。
「さきにはいるねっ」
なんかドキドキして、沙織さんが脱ぎ終わるのも待たずに中にはいる。
白い湯気が目の前いっぱいになる。
湯船に洗面器を入れて、お湯をすくう。
お母さんが準備してくれていたお風呂のかげんは、ちょうどいいくらいだった。
お湯をかけて、ふぅっと息を吐いて。
「未来ちゃん、はいるよ」
びくっとする。
扉が開く感じがして、背中側から外の空気がはいってくる。
「う、うんっ」
沙織さんの気配。
どきどき。
ふりむく。
「…きれい」
好きな人の、はだか。
真っ白な肌。腰のあたりまで伸びた長い漆黒の髪。
胸のふくらみは控えめで、ここだけはお母さんの方が大きかった。
…その中心で、淡いピンク色の、突起が少し上を向いていて。
「なぁに?じろじろってみて」
「な、なんでもなーいっ」
沙織さんが笑って、私がびくっとして。
それから、2人で洗いっこをして、ごしごしってして、いつもより念入りに綺麗にして、泡だらけになって、お湯で泡をおとして。
「はぁ…気持ちいい」
「うん…とけるねー」
2人で浴槽につかって、ほっこりとする。
そんなに大きくない浴槽なので、2人で入ると身体が密着してしまう。
私は沙織さんに抱きかかえられるような体制になり、首を少しうしろに傾けると、そこにはちょうど先ほどみた沙織さんの胸があった。
「やわらかーい」
「もうっ」
と言いながら、沙織さんは私の肩の上から手を伸ばし、ゆっくりと抱きかかえてくれた。
お湯が暖かくて、沙織さんが暖かくて、私はもう溶けてしまいそうだった。
「お母さんと入るより気持ちいいね」
「いつもは姉さんと一緒にはいってるの?」
「うん。最近はお父さんは一緒に入ってくれないの」
「そうなんだ」
「そうなんです」
姉さんと一緒かー…と、ぽつりと沙織さんがつぶやいた。
「沙織さんも、お母さんと一緒にお風呂に入っていたの?」
「え…うん。子供の頃はね」
沙織さんが、ぎゅーって抱きしめてくれた。
沙織さんの心臓が、とくんとくんって動いている。
「でも、私も、もう8歳だから、ちゃんと一人でもはいれるんだよ」
「そうなんだ。えらいね」
「お母さんとお父さんも、時々一緒に入ってるよ」
「…そう、なんだ…」
私を抱きしめる力が、少し強くなった。
ちょっと、いたい。
けど、そのぶん沙織さんにくっつけるから…いたくても、嬉しいかもしれない。
いいなぁ、と、聞こえた気がした。
たぶん、気がしただけ。
私は首をかたむけて、頭の上の沙織さんをみて、笑った。
「100数えてもいい?」
「…うん、一緒に温まろうね」
「いーち」
「にー」
「さーん…」
ぽかぽか。
お風呂からあがると、お父さんがうとうとしていたのが見えた。
私たちが買ってきた追加のビールが、もう無くなっている。
けっこうなペースで飲んだみたい…気持ちよさそうな顔をしている。
その頬を楽しそうにつついていたお母さんが私と沙織さんをみて、にやっと笑った。
「あんたたちもつついてみる?楽しいよ」
「…別にいい」
いつものことなんだけど、いつも何をやっているんだろうか、お母さんは。
「なか、いいみたいね」
私と一緒にお風呂上りだった沙織さんが、そんなお母さんたちをみて、少し小さい声で、そう言った。
「べつにー。普通よ、ふつう」
お父さんの頬をつんつんとしながら、お母さんが笑う。
「沙織、ほら、横に座って。あんたの頬もつついてあげるから」
「なにいってるのよ、姉さん…」
そう言いながら、沙織さん、ちょこんと母さんの横に座った。
なぜか頬を膨らませて、ちらっと私を見る。
私はとてとてっと歩いて、沙織さんのとなりに座る。
お父さんの隣に、お母さん。
お母さんの隣に、沙織さん。
沙織さんの隣に、私。
4人で並んで、お父さんだけが眠っていて、テレビの音がしていて。
「ほーれほれ」
宣言通り、お母さんが沙織さんの頬をつついていた。
「…やめてよ…」
と言いながら、沙織さんは抵抗していない。
お母さんにつつかれるまま、じーっと前を見ている。
横顔が綺麗。
素敵。
その頬が、少し紅潮しているのは、たぶんさっきまでお風呂に入っていたから。
「むー」
なんか胸がもやっとして、沙織さん越しにお母さんを見て、お母さんがにやっと笑って、「未来も一緒につついちゃおー」と言って。
私も、沙織さんのほっぺたに指を押し付ける。
ぎゅーっ。
柔らかい。
お風呂上がりですべすべする。
もっとくっつきたいな。
うん、くっつこう。
身体を、沙織さんに、ぎゅーっと押し付ける。
「私もー」
なぜかお母さんも私をまねて、沙織さんにどーんと身体をぶつけてくる…いやいやお母さん、私、そこまでしていないから。
2人に挟まれて、沙織さんは顔を真っ赤にしたまま受け入れていて、その間、お父さんは放っておかれて。
テレビの音と、私たちの笑い声と、窓の外の風の音と。
引っ越し初日の夜は、こんな感じで。
後年、この夜を思い出すたびに。
私は、泣きそうになる。
あの夜の私たちは、たしかに、幸せだった。
幸せ、だったんだ。
湯船に手をつけてお湯を掬いあげたら、指と指の間からお湯が流れ落ちるように。
幸せをすくいあげたら、幸せも流れ落ちていくなんて。
考えもしなかった。
初めての夜。
となりから伝わってきた沙織さんの心臓の音を。
私は、ずっと、ずっと。
いつまでも。
覚えていた。