第49話 修学旅行、からの【未来14歳/沙織26歳】
先日から降り続いていた雨も今朝はやんで、ようやく陽の光を感じることができるようになっていた。
私は通学路の途中に咲いていた紫陽花にそっと触れてみた。
濡れている。
(晴れてよかったなぁ)
指先で雨の残りの感触を感じながら、私はそう思った。
なんといっても、今日から一泊二日の修学旅行なのだから。
大きく背伸びをして、空を見上げる。
雨雲は遠くに去っていて、6月の空は綺麗に晴れ渡っていた。
いつもより大きな鞄を背負ったまま、学校にむけて歩いていく。
集合した後、私たちは、広島へと向かうのだ。
(沙織さんにおみやげ買っていかないと♪)
大好きな人のことを思うだけで、心の中は今日の空よりも青く澄んで晴れ渡っていくのだった。
■■■■■
「未来ちゃん、おはよう」
「おはよう、美月」
「未来、おはよう」
「凛、おはよう」
学校につくともうみんな揃っていた。
やはりクラスの雰囲気はいつもと違ってがやがやとしている。みんな大きな荷物をもっていて、浮かれた表情をしながら笑いあっている。
「未来ちゃんの荷物はそれだけ?」
「これでもけっこう入れてるんだけどね」
美月の問いに鞄を軽く持ち上げる。修学旅行は一泊二日、そこまで長い旅行ではないけど、とりあえず着替えくらいは入れている。
あとは愛用の万年筆と、ノートを数冊。
旅行先で感じたことを書き留めていこうと思っていた。
「凛は…」
と思って凛を見てみると、いつも通りの通学鞄を持っていた。
「え…それだけ…着替えは?」
「私は、ね」
凛は教室の真ん中で中心になって談笑している葵の方に視線を向ける。一際大きなバッグが机の下に投げてあった。
「着替えもなにもかも、葵がまとめてもっているの」
「…あいかわらず」
過保護だね、と素直に想って、少しおかしくなって笑ってしまった。
みんなの服装はいつもの制服のままなので、見た目だけでは今から修学旅行に行くだなんて思えない。
「それで美月」
そっと、語り掛ける。
「修学旅行先で、颯真と…どこかに行くの?」
「み、未来ちゃんっ」
顔を真っ赤にした美月は、一人だけ顔に秋が訪れたかのようだった。紅葉みたいに可愛い美月をもう少しからかってみる。
「広島で自由時間があるよね…その時、いちゃいちゃするんだ」
「いちゃいちゃって…」
「キスするの?」
話に割り込んでくる凛。なぜか凛はよく美月に絡んでくる…1年前いろいろあったというのに、ううん、いろいろあったからこそ、今のこんな関係が出来上がったのかもしれない。
「し、しないよ…」
「しないんだ?絶対に?約束する?」
「…でも、されたら仕方ないよね?」
「誘ってるんだ…えっちー」
楽しそうな2人を見ていると、私も楽しくなってくる。楽しくなって、そして、思う。
(いいなぁ)
恋人同士で旅行かぁ。いいなぁ。
私と沙織さんはまだ恋人同士じゃないけど、でも、沙織さんと恋人になって旅行する光景を想像してみるだけで、たまらなく心がふわふわしてくる。
旅行、行きたいな。
■■■■■
広島までの道中の新幹線では、私の隣に美月が座り、前の席には凛と葵が座っていた。
窓の外をみると、風景がすごい勢いで後ろへと消え去っていっている。
颯真たち男子組は前の席の方にかたまっていて、にぎやかな笑い声が車内中にこだましている。
「颯真たち、楽しそうだね」
「…うん」
美月が頷く。嬉しそうでもあり、少し寂しそうでもあった。
(隣同士で座りたかったのかな)
ごめんね、美月、と心の中で謝ってしまう。いや、別に謝ることではないんだろうけど。
基本的に大人しい性格の凛は前の席でたぶん本でも読んでいるのだろうか、とても静かなのだけど、葵は席からひょっこり顔を出してあちらこちらに話しかけている。
車内のこのざわついた感じは、私は嫌いではない。むしろ、ちょっとわくわくしていた。
(たくさん写真とって、たくさん沙織さんに送っちゃおう)
そう思って、窓の外の風景をスマホで写真におさめる。
そのまま、沙織さんに送る。
(あ)
すぐに既読がついた。嬉しい。
『いま、広島に向かっています。楽しんできます』
メッセージを送る。すぐに返事が返ってきた。
『楽しんできてね。無理はしないでね』
『沙織さんに沢山おみやげ買っていきますから、期待していてくださいね!』
『うん。楽しみにしている』
沙織さん、今休憩中なのかな?
そう思って時計を見てみる。まだ午前中。ちょうど1時限目と2時限目の間なのかもしれない。スーツ姿で授業している沙織さん、綺麗だろうな…と想像しているだけで、にやにやしてしまう。
『…綺麗な風景だね』
『今は新幹線の中ですけど、広島についたらもっとたくさん送りますね』
『未来ちゃん』
『はい!なんですか、沙織さん』
『風景もいいけど…未来ちゃんの写真が欲しいな』
どくん。
胸が高鳴るのが分かった。
沙織さんが、私の写真、欲しいって。嬉しい。嬉しい。嬉しい!
「美月、お願い、ちょっと私のスマホ持って!」
隣の美月に声をかけて、有無を言わさずスマホを渡す。美月は少し驚いた顔をして目を白黒させていたけど、すぐに私の意をくんでスマホを受け取り、レンズを私に向けてくる。
「美月、できるだけ可愛く撮ってね!」
「未来ちゃんはいつも可愛いよ」
そういうと、美月はシャッターをおして、スマホを私に戻してくれた。
「ありがとう!」
そして撮られた写真を見てみる。我ながら、満面の笑みだ。両手でピースしている。安直だったかな…もっと可愛いポーズとればよかったかな…
そんなこと想いつつ、沙織さんに送る。
すぐに既読がついて、そして。
『♡』
スタンプがかえってきた。
沙織さんから、ハートが…ハート、あ、だめ、やばい。
嬉しくて死にそう。
この日。
私は広島中を観光して、そして行く先々で風景を写真にとって、そしてその風景と一緒に私も自撮りをして。
何枚も何枚も沙織さんに送って。
そしてたくさんの沙織さんからの♡を手に入れることができたのだった。
■■■■■
夜。
私は自宅のマンションに戻ると、部屋の電気をつけた。
女の一人暮らしの部屋は、少し寂しく、もの悲しい気持ちになる。
私は着ていたスーツを脱いで壁にかけると、スマホを取り出す。
今日は広島からたくさんの写真が届いていた。
そしてその殆どに、可愛い姪っ子の姿がついてきている。
「可愛いなぁ」
そう思って、私はベッドの上に飛びこんだ。
ぽふんと音がして、私の身体が柔らかいベッドに沈み込む。
そのまま横になって、送られてきた写真をもう一度見返した。
広島駅で、クラスの友人たちと一緒に記念撮影をしている未来ちゃん。
市内電車にのって、そっとピースをしている未来ちゃん。
原爆ドームの写真には未来ちゃんは映っていなかった。
平和公園の中を歩いている未来ちゃん。
本通りにはいって、人ごみに紛れている未来ちゃん。
アイスクリームを舐めている未来ちゃん。
寝顔の未来ちゃん。
どれもこれも、いとおしい。
(中学の同級生たちもたくさん映っているけど)
(やっぱり未来ちゃんが飛びぬけて可愛いなぁ)
12歳も年下の姪っ子の写真を見てニヤニヤしている26歳の社会人、それが私だった。
でも、仕方がない。
好きな人の、写真なのだから。
見ているだけで、心がほわぁっと暖かくなる。
まるで暖炉の前に座っているみたいな気持ち。
目を閉じると、ぱちぱち音を鳴らしながら燃えている薪の姿が見えるような気がする。
(好き、だなぁ)
と思ってしまう。
そんなこと想ってはいけないのだろうけど、姪っ子のことを好きになるだなんてとんでもないことなのだろうけど、心が動いてしまうのだから仕方がない。
ベッドの上でそんなことを考えていた時、スマホに通知が入ってきた。
『沙織さん、今、何されてますか?』
未来ちゃんからだ。
時計を見る。もう午後の20時。修学旅行先で食事を終えて、今は部屋でゆっくりしている頃なのかな、と思った。
『帰宅してベッドに横になっていますよ』
『お仕事お疲れ様です』
『未来ちゃんこそ、修学旅行楽しんでる?』
『はい、楽しいです…沙織さんがいてくれたら、もっと楽しいのに』
その言葉に、胸が高鳴ってしまうのが分かる。おさまれ、おさまれ。
『沙織さん』
『なぁに?』
『たくさん写真送っちゃって、ごめんなさい』
『いいのよ。私がお願いしたんだから。私が未来ちゃんの写真、見たかったんだから』
『…沙織さん』
『なぁに?』
『…私も、沙織さんの写真、欲しいです』
一瞬、息が止まる。
私の…写真?
スマホを見る。とどいた写真を眺める。そこに映っているのは、キラキラ輝いている中学生の女の子の写真。どこをどう切り取ったとしても、その眩しさを隠し通すことは出来ない。
(それに比べて)
私なんて…26歳の、仕事終わりで疲れたただの教師だし…
そう自分を卑下する。
あんなにキラキラ輝いている未来ちゃんと比べられたら恥ずかしくて隠れたくなる。
頭では分かっているのに。
なのに。
パシャリ。
ベッドに横たわったまま、私は、自分で自分の写真を撮った。
右手でスマホを持って、左手で…少しだけ、ほんの少しだけ…下着の線が見えるように、わざとブラウスを緩めた。
(私、何考えてるの)
(ばか。ばか)
(へんたい)
なんて恥ずかしい26歳独身女性なのだろう。
穴があったら入りたい。穴彫らなきゃ。ほら、ほら。
送信。
送ってしまった。
送ってすぐに、後悔する。
(何してるの)
(何してるの、私)
(12歳も下の姪っ子に、何送ってるの)
(ばか、ばか、ばかっ)
後悔してももう遅い。
一度送ってしまったメッセージは取り消すことができない。
既読。
既読がついた。
ドキドキしながら返事をまつ。
返事はなかなか来なかった。
時計の音だけが聞こえてくる。
秒針の音が、かち、かち、かち、と。
どれだけ時間がたっただろう。後悔の海に沈み込んで恥ずかしくて死にたくなって縮こまっている26歳独身駄目女教師が手にしていたスマホが、ぼんやりと光った。
『…沙織さん、電話してもいい?』
心臓が止まるかと思った。
もしかしたら、一瞬くらい止まっていたかもしれない。
きょろきょろと周囲を見渡す。もちろん、自室に誰もいるわけがなかった。別に悪いことをしているわけじゃないのだから、誰かに見られたとしてもいいはずなんだけど…
そう思いながら、ブラウスを元に戻す。
たまたま、たまたまずれていただけだから…暑かったから、仕方なく、無意識にしただけだから。
『どうぞ』
返信したと同時に、スマホの着信音がなった。表示されている名前は、もちろん未来ちゃん。
私はそっとスワイプして、私と未来ちゃんがつながる。
「…もしもし」
「沙織さん…」
「はい、私が沙織ですよ」
「あの…」
「うん…」
「沙織さん…」
「うん」
「なんか、こう、頭がぼうっとして、なんていうか」
「修学旅行、楽しい?」
「楽しいです!」
「よかった」
「…でも、今が一番楽しい…沙織さんとつながっている今が、一番楽しくて…嬉しい…」
未来ちゃんの声が震えている。
未来ちゃんの後ろから、クラスメイトたちの楽しそうな声が漏れ聞こえてくる。
「いま、ホテル?」
「はい、さっきまで夕食食べてて、それでいま、自由時間中なんです」
「そんな大事な時間に、私なんかと電話していていいの?」
「沙織さんがいいんです」
「…」
「沙織さんとつながりたいんです」
「…」
「好きです…大好きです…沙織さん、好き。好き。好き。大好き…」
「…嬉しい」
あ。
いま、私、なんて言った?
有難う、って答えるつもりだったのに。
どうして?
「…沙織さん」
「あ、あのね」
慌てて話題を逸らそうとする。
「修学旅行、楽しそうだね。私が中学生の頃なんて、もう12年も前だから…私もずいぶん、おばさんになっちゃったな…」
「沙織さんは綺麗です」
「…」
「沙織さんより素敵な人なんて、他に絶対にいません…っ」
逃れようとしても、逃げようとしても、この子は逃してくれない。
まっすぐに、嘘偽りなく、心のなかをそのままはっきり伝えてくる。
若い、からじゃない。
この子は、こんな子なんだ。
昔からずっと、そうだった。
この子は純粋で…透き通った水晶のような子で。
私の心を溶かしてくれた子で。
「…会いたいな」
どっちの言葉だっただろう。
未来ちゃんの言葉?
私から出た言葉?
どちらの言葉だったのかは分からない。
どちらの言葉であったとしても、関係はない。
私たちは、2人とも。
「…うん、会いたい」
会いたいと、思ってしまったのだから。
「…未来ちゃん」
「はい、沙織さん」
「来月…7月の終わりに…」
「…」
「うちの街で、花火大会あるんだけど…」
私、何を言おうとしているの。
駄目、駄目。
止なきゃ。
がんばれ、私の理性。
「そこで…みんなで、そう、お父さんとつむぎちゃんも読んで、みんなで花火大会に行かない?」
よし、よく頑張ったぞ、私の理性。
「2人きりがいいです」
「…え」
「沙織さんと、2人きりがいいです」
「…」
「沙織さんと、デートしたいです」
「それは…」
「沙織さんは、私とデートするの、嫌ですか?」
「…いや、じゃ、ない」
負けるな、私の理性。
「…私…未来ちゃんと…」
「デート…」
「したい…」
どうやら私の理性は部屋の片隅にぽーんと投げられたみたいで。
残った私の本音が、心情を吐露してしまっていた。
「やったぁ!約束ですよ、沙織さん!」
「…ええ」
約束。
スマホの向こう側で笑っている未来ちゃんの笑顔が、見えないのにはっきりと見えた。
かくして。
来月。
私は未来ちゃんと、花火デートをすることになったのだった。




