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恋してしまった、それだけのこと  作者: 雄樹
第五章 【未来14歳/沙織26歳】
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第48話 ラブレター【未来14歳/沙織26歳】

 出勤前に郵便受けの中に入っていた小さな白い封筒を手に取り、差出人の名前を見た時、私の心臓は止まるかと思った。


(星野未来)


 指先が震える。あの子からの手紙。

 いま封を切ろうかどうか悩む。目を閉じて、いろいろ考える。浮かんでくるのは、桜吹雪の下で見たあの子の笑顔だった。

 この手紙の中には、あの子の気持ちが詰まっている。一度開けてしまったら、それを読んでしまったら、私はもう戻れないかもしれない。


(未来ちゃん…)


 私の姪っ子で、私が愛した姉の子供で、私がいま、好きな女の子。

 喉の奥がからからする。

 読みたい…知りたい。あの子の気持ちを知りたい。だからこそ、私はその白い封筒の封を開けることなく、鞄の中にそっとしまい込んだ。


「仕事、行かなくちゃ」


 気持ちは全部その手紙の中身に向けられているにもかかわらず、自分を騙すかのようにそう呟くと、私はマンションを出る。

 春の陽射しは暖かく、世界が白く見える。



■■■■■



「水瀬先生、朝からなんか、気もそぞろって感じですね」


 職員室。

 隣の席の結城先生は私を見ると、口元にペンをあててそう尋ねてきた。


「そう、でしょうか」


 と答えながら、そうなんだろうな、と頭の中では思っていた。

 今日の授業の準備をしながらも、私の関心は全て足元に置いている鞄の中にある一通の白い手紙へと向けられている。


「今年から私も担任を持ちましたし、頑張らないといけないな、と」

「そうですね…頑張らないといけませんね…いろいろと、ね」


 そう言うと、結城先生はくすりと笑った。

 結城先生には何が見えているのだろうか…私の心の中をそっと覗かれているような気がしてしまう。

 ははは、は、と乾いた笑いで場をとりつくろうとした時、ふと、結城先生の首筋に目がいった。

 正確には、その白皙の肌についた痕。


「…結城先生、それ…」

「ん?」


 私の指摘に、結城先生は首をかしげる。そして私の視線の先が自らの首筋にあると分かって、にやっと妖艶な表情を浮かべた。

 顔を近づけて、そっと、私にだけ聞こえるように伝えてくる。


「…昨夜の姉さん、激しかったんです」

「なっ…っ」


 なにを、と言いかけて、そうか、と納得してしまう。

 つまり、結城先生と、お姉さんが、昨夜、いろいろと、アレを、ソレで、あれした、と。


「うふふ。水瀬先生、顔が真っ赤ですよ」

「し、仕方ないじゃないですか」


 目のやり場にこまってしまい、机の上の資料をとんとんとそろえる。

 結城先生は机に肘をあてて、少しけだるそうに私に向かって小声で言う。


「好きな人とつながっているとき、蕩ける様に気持ちがいいのに…水瀬先生はそうじゃないんです?」

「私は…別に…」


 そういう経験、ないですし…

 言いながら、少し恥ずかしくなる。

 26歳にもなって、まったく経験がないなんて…と思いながら、頭をぶんぶん振る。人は人、自分は自分、別にいいじゃない…いいよね、たぶん。

 自分で慰めることくらいは…あるし。


(未来ちゃん)


 12歳も年下の姪っ子ちゃんのことを、ふいに思い出す。

 思い出して、思い出しちゃいけないと思って、頬を叩いた。痛い。頬が赤くなる。

 あの子を、そういう対象で見ちゃ駄目だ。考えてもいけない。

 私は大人なんだから、まだまだ子供のあの子を正しく導いてあげる責任があるのだ。


 ふぅ、とため息をついて、私は職員室にかけられた時計を見つめた。

 もうすぐ授業が始まる。

 気持ちを切り替えて頑張らないと。


(未来ちゃんの首筋…綺麗だったな)


 先日の桜の木の下の未来ちゃんを思い出してしまう。桜吹雪の下で笑いながら舞っていたあの子の笑顔。流れる髪の毛。まっすぐな瞳。服の隙間から見える白い肌…


(だから、駄目だって)


 もう一度頬を叩く。

 思ったより大きい音がして、職員室にいる先生方の注目を浴びてしまい、別になんでもないんですよ、と言い訳をする。

 隣の席の結城先生は面白がって笑っている。

 もう、そもそも貴女のせいなんですからね。



■■■■■



 なんとか授業を乗り切り、放課後になる。

 私は授業中も鞄の中に入れている未来ちゃんからの手紙のことが気になって仕方がなかった。

 仕事をちゃんとしないといけないという責任感と、未来ちゃんの気持ちを知りたいという個人的願望とがせめぎあい、戦い、ちょっとだけ仕事の責任感が勝っていた。


(あとは支度をして帰るだけね)


 そう思い、教室を出ようとした時に。


「先生」


 呼び止められる。

 私に声をかけてきたのは、長い銀髪をたなびかせた女生徒だった。

 神見羅由良かみらゆらさん。

 今年入ったばかりの新入生で、私が担任しているクラスの子。

 整った顔立ちもだけど、何よりその銀髪がクラスの中でも一際目立っている。目立っているといえばその成績も目立っていて、今年の首席合格でもあった。


 毎年、首席合格者が入学の挨拶をするというのがこの学校の伝統なので、本来なら今年の挨拶をするのは神見羅さんのはずだったのだが、実際に壇上に登ったのは別の人間だった。

 理由は単純で、入学式に神見羅さんは寝坊して遅刻してきたから。


(うちのクラス一の問題児)


 その問題児である神見羅さんはなぜか私になついてくれていて、ちょくちょくこうして私に話しかけてくれる。


「なに?神見羅さん」

「この前の話、考えてくれました?」

「この前の話…ああ、あの話ね」


 少し考えて、思い出した。

 神見羅さんが新しく作る部活の顧問になってもらいたい、という話だった。


「神見羅さんが作りたいのは…文芸倶楽部だったっけ?」

「そうです…ちゃんと覚えていてくれたんですね」

「一応、ね。けど神見羅さん、わざわざ自分で部活つくらなくったって、同じような部活は他にあるじゃない?そこに入ればいいんじゃないの?」

「…それじゃ駄目なんです」


 そう言うと、神見羅さんは目を伏せた。表情が見えなくなる。何か深い理由でもあるのだろうか。


「人がたくさんいる既存の部活にはいったら、さぼって寝れないじゃないですか」


 びっくりするくらいくだらない理由だった。

 私はため息をついて、神見羅さんをたしなめる。


「そんな理由で許可できるわけないでしょう」

「駄目ですか?」

「むしろどこにいいところがあると思っていたの?」

「私だけじゃなく、先生にもメリットがある話なんですけどね」

「私に?」

「先生に」


 神見羅さんはまるでいたずらっ子のように、にやっと口角をあげて、私を見つめていった。


「たぶん来年、私の後輩が入部してきますよ」

「後輩?」

「星野未来と、白鷺凛」

「…っ」


 言葉を失う。

 未来ちゃんの名前が出てきたのに驚いたというのもあるのだけど、それ以上に、神見羅さんが、どうして…


(知っているの)


 と思ったからだ。

 背筋に冷たいものが走った。


「別に深い理由も何もないですよ。私はただ、自分がゆっくり眠れる場を作りたいだけです♪」


 神見羅さんは笑う。私よりずっと年下の彼女が、なぜか、私よりずっとずっと年上であるかのように錯覚してしまう。

 それは魅力的な提案で、なにより私が魅力的、と思ってしまった時点でもう抗うことができなかったのかもしれなくて、神見羅さんは最初からそれを知っていたのかもしれない。


 私は鞄の中にいれている白い封筒のことを思い出した。

 その封筒を書いてくれた女の子のことを思い出した。

 そして、もう、私は自分で自分の気持ちに嘘はつけないんだな、という事実を思い出した。


 かくして私は。

 メフィストフェレスと契約したファウストのように、神見羅さんの申し出を受けることにしたのだった。


 止まれ…美しい。




■■■■■



 夜。自宅。机の前。

 私は部屋の電気もつけずに、スーツ姿のままで椅子に座り、しばらくぼぅっとしていた。


 電気はつけていなくても、窓から月明りが差し込んできているので部屋の中は白く照らされている。


 今日のことを思い返す。

 いろいろと、恥ずかしい一日だった。

 私は大人のはずなのに、大人にふさわしい行動をとることができていなかったような気がする。


 結城先生に嫉妬して。

 神見羅さんに踊らされて。


(私、駄目な26歳だよね)


 少しだけ、自己嫌悪。

 私はまだ、大人になりきれていないのだろう。未来ちゃんは大人になろうと必死になって頑張っているのに、その未来ちゃんが目指している私が実は大人になりきれていないなんて、悲劇すぎて笑えない。


 鞄から、白い封筒を取り出す。

 裏を見る。星野未来、と書いているのがみえる。


(ラブレター、だよね)


 見る前から分かっていた。

 見る前から、未来ちゃんの気持ちが伝わってきていた。

 見る前から、見てしまったら、もう後戻りできなくなるだろうと分かっていた。


(ラブレター)


 想いを形にする手段。

 離れていても、心を伝えることができる方法。

 心が、気持ちが、そこには詰まっている。


 私は、自分の机の引き出しを開けた。

 その奥にある、隠していたものを取り出す。

 少しふるぼけた、一通の封筒。

 10年以上昔に封じ込めた、私の心。


 姉さんに向けて書いた、ラブレター。


 月明りの下で、2つのラブレターが私の机の上に置かれていた。


「…姉さん」


 思う。

 私の初恋の人。欲しくて欲しくて、たまらなかった人。

 私は実の姉に恋焦がれていて、関係を超えたいと思っていた。

 気持ちを、心を伝えたくて。

 でも、伝えてしまったら関係が壊れてしまうと思って、怖くて。

 書いたラブレターは差し出されることなく。

 出そう、出そう、渡そう、伝えよう。

 何度も何度も決心して、何度も何度も怖気づいて。


 いま、ここに置いてあるのは伝わることがなかった私の心の残照で。


「…未来ちゃん…」


 白い封筒を見る。

 未来ちゃんの心が、未来ちゃんの気持ちが、ここにある。

 場所は離れているのに、私の元に届いている。

 私は、窓の外を見上げた。

 白い月がみえる。


「未来ちゃんも、いま」


 この月を、眺めているのかな。

 なぜかそれが分かり、なぜか心が伝わった。

 離れていても、同じ月を見ている。


「…未来ちゃん」


 私は白い手紙を手にとり、封を破り、中身を取り出す。

 白い便箋が2枚。

 淡い桜色のインクで、少し不揃いな文字が並んでいる。


 指先が紙をなぞるたび、私の心が少しずつ熱を取り戻していく。

 淡々とした文字の並びなのに、そのひとつひとつに未来ちゃんの心が混じっているようで…まるで、未来ちゃんがすぐそばにいて、話しかけてくれているみたいだった。


 未来ちゃんの呼吸の音まで聞こえる気がする。


「…馬鹿ね」


 そう呟いた声は、自分のものとは思えないほど震えていた。

 馬鹿ね…本当に、馬鹿。

 私の、馬鹿。


 心を伝えるのって、どうしてこんなに暖かいものなんだろう。

 心を感じるのって、どうしてこんなに幸せなことなんだろう。


 未来ちゃんの心臓が目の前にあるみたいで、鼓動が聞こえてくるみたいで、それは本当は私自身の心臓の鼓動で、混じりあって境目が分からなくなってくる。


 彼女は伝えて。

 私は伝えなかった。


 未来ちゃんの手紙はいま私の手元にあって、未来ちゃんの心もいま私の手元にあって。

 私が姉さんにむけた手紙はいまも私の机の中にあって、それを知らないまま姉さんは逝ってしまった。


 馬鹿。


 私の、馬鹿。




 私は立ち上がると、姉さんに向けて書いた…10年以上前の、私の手紙を手に取った。

 月明りを浴びたその手紙を見て、私は笑う。

 この手紙を書いていた時の自分を思い出す。

 まだ若く、未熟で、でもまっすぐで。

 ひたすらに、姉さんを愛していた自分の姿を。


「姉さん、愛してる」


 たぶん、この気持ちは消えない。

 私は死ぬまで、姉さんのことを忘れることはない。

 けれど。


 私は手に力を入れる。

 紙が破れる音がする。


 少しずつ、少しずつ。

 私は10年以上ずっとしまい込んでいた思い出と共に、私の手紙を破っていった。


 届かなかった想いは…届けなかった想いは、ちぎれて床に舞っていく。

 

 想いは消えない。

 私はずっと、姉さんを愛している。


 でも、その上で。

 それを知った上で。


「姉さん」


 私は私の手紙をすべて破り捨てた後、机の上に残っていた白い封筒を手に取った。


「好きな人が、できました」


 私はそう告白すると、封筒を抱きしめた。

 そっと、姉さんが。


 肩をたたいてくれたような気が、した。

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