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恋してしまった、それだけのこと  作者: 雄樹
第五章 【未来14歳/沙織26歳】
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第46話 綺麗な桜の木の下に【未来14歳/沙織26歳】

 四月の風は柔らかくて、身体だけでなく心まで暖めてくれる。

 部室の窓の外に見える桜はもう八分咲きになっていて、花びらの隙間から零れ落ちてくる光は地面に花模様を描いているかのようだった。


 私はぼぅっとして、そんな光景を眺めていた。

 沙織さんが引っ越しをしてから、会える機会がめっきり減ってしまい、寂しくて仕方がない。


(会いたいな)


 と思ってスマホに手を伸ばすけど、しばらく考えたあと、首をふってスマホを置く。迷惑をかけるわけにはいかない…今は沙織さんもすごく忙しい時期のはずだから、少しでも負担になりたくない。


(けど)


 頭では分かっていても、心はそうはいかなかった。もう一度スマホを手に取って、画面をつける。

 私のスマホの待ち受け画面は沙織さんの写真。

 家族みんなでとった写真から、沙織さんの部分だけを切り取って拡大したものだった。


(こんど、もっといい写真を撮りたいな…)


 そんなことを思う。

 どんな沙織さんも最高に綺麗で美しくてドキドキさせられるのだけど、それはそれとして、やはりちゃんとした写真を手に入れたいと思うことは仕方のないことだろう。

 さぁ、どうやって写真を撮ろうかな…と思考を巡らせていた時、


「星野、何かいい意見はあるか?」


 突然名前を呼ばれて、現実に戻された。

 いまは、私の所属している文芸倶楽部の会議中だった。

 去年がはじまった時は3人しかいなかったこの弱小倶楽部だったのが、新入部員もたくさん入ってくれて、今は10人ほどになっていた。

 …ちなみに、凛に言わせると、その新入部員の半分くらいは私目当てで入部してきたらしい。


(まったく、動機が不純よね)


 そう言いながらぶりぶり怒っていた凛なのだけど、その凛の中にも十分不純な動機があることを知っているということは黙っておいた。言ったら怒るし。


「意見ですか?」

「おい、まさか寝ていたんじゃないだろうな」

「まさかー…あはは」


 顧問の先生から詰問されて、適当にごまかす。寝てはいませんでした。別のこと考えていただけで。正直に話すことだけが必ずしも美徳ではない…とは思う。たまには優しい嘘というのも必要なのだ。


「まぁ、特に意見がないなら、今年の文芸倶楽部の観桜取材会の行先は、隣町の桜公園で決まり、ということでいいか」


 やれやれといった風に顧問の先生が言う。その後もいろいろと話を続けていたけど、私の耳にその言葉は入ってこなかった。


(隣町の…桜公園)


 うちの文芸倶楽部の観桜取材会というのは、桜を見ながら詩を書くという、まさに文芸倶楽部の名にふさわしい活動なのだけど、今の私にとっては、もうそれ以上の意味に書き換えられていた。


 隣町。

 沙織さんが引っ越した街。

 沙織さんが…いる街。


 胸の中が熱くなる。

 会えなくても、沙織さんの近くにいけるというだけで、なんかもう、これって運命っていうやつじゃないかな、なんて思ったりする。


「…未来?」


 隣で心配そうに凛が見てくるけど、もう、私の頭の中は沙織さんで一杯だった。

 たぶん、私の頭の中に桜が咲いてしまったのだろう。

 遅咲きの、桜が、満開に。



■■■■■



 観桜取材会当日。

 私たち文芸倶楽部員10名は、電車に30分揺られて、隣町にきていた。

 この街にはもう潮風は届かなくて、都会…とまではいかないけど、私たちが住んでいる田舎町とは目に入る風景から匂いからが何もかも違っていた。


「はぐれるなよー」


 顧問の先生の言葉に適当に返事をした後、部員はみんな、好き勝手に公園の中に散らばっていった。


 私はといえば、いつもどおり凛と一緒に回っていた。

 去年、いろいろなことをしでかしてくれたこの私の友人は、出会ってから1年以上がすぎた今でも変わらず…ううん、もっともっと大切な友人になっていた。


 私は時々、凛の書いた小説を読ませてもらうのが日課になっていた。凛が書くものはその全部がいわゆる「百合」小説で、女の子と女の子が愛し合う物語ばかりだった。


 私は凛の書く物語が好きで、感想を伝えた時に凛が嬉しそうな顔をしてくれるのが嬉しかった。

 …時々、えっちな百合小説も借りていた…その際は恥ずかしくて感想はいえないんだけど、「…また、貸して…」と続きを催促することは忘れていなかった。

 ちなみに、この言葉を聞いた時の凛が一番楽しそうな顔をするのだった。


 公園内のいろいろなところをみて、詩をつくって、取材会はつつがなく進行していた。

 特に大きなイベントが起こるわけでもなく、夕方にはほぼ全てのやることも終わり、あとは帰るだけになっていた。


 帰りの集合場所にみんな集まっていく。

 私も足を向けていたのだけど…吹いてきた風が、桜を散らしているのを見て、気が変わった。


「ごめんなさい、私、父から買い物の用事を頼まれていますので、ここで失礼します」


 そう、顧問の先生に告げる。


「未来が残るなら、私も…」


 といって凛が残ろうとするのをみて、「ごめんね」と、目くばせをする。それを見た凛はしばらく黙っていたけど、やがて、やれやれと首をふって、「また明日、学校でね」と言ってくれる。


(ごめんね、凛)


 わがままを言ってしまって。

 みんなが去った後、私は公園の奥へと一人で歩いていった。

 夕暮れが静かに落ちてくる。

 桜の間からこぼれてくる花びらが、まるで降りしきる雪のようで、私の頬をかすめていく。


(雪に似ているから、桜吹雪っていうんだろうな)


 そんなことを思いながら、頬についた桜の花びらを手に取ってみる。

 雪と違って、寒くない。

 やはり桜は桜であって、雪ではないようだ。


 息を吸う。


(沙織さんのいる街の匂い)


 沙織さんの匂いがするわけもないのに、なぜかいつも吸っている空気よりも美味しいような気がするのは、私が恋に盲目になっているからかもしれない。

 駄目だな、私は。

 そんなことを思わないこともないけど、それからもっと駄目なことをするのだから、もう救いようがない。


 私はポケットからスマホを取り出す。


(沙織さん)


 待ち受けにいてくれている沙織さんの写真をみて、心が桜色に染まっていく。

 そしてそのまま、スマホを桜の木にむけて、シャッターを押す。

 パシャリ、と音がして、桜の光景が画面の中で切り取られて保存される。


 私はしばらく躊躇した後、その写真を添付して…沙織さんにメッセージを送った。


『いま、沙織さんのいる街で、桜を見ています』


 心臓がはねる。

 送ってしまった。

 会いたい、なんて言えない。

 会いたい、なんて言っていいわけがない。

 でも、ただ、「沙織さんの近くにいる」ということだけを伝えたかった。


 私は、沙織さんの傍にいるよ。

 傍に、いたいよ。


 風が吹いて。

 地面におちた桜の花びらが一斉に舞い上がった。それはまるで、足の下から春が渦を巻いてたちのぼってくるかのようで。

 息をとめてその光景をみていた時、スマホが光った。


(既読、ついた)


 沙織さんと、つながった。

 今は仕事中かな?それとも、もうあのマンションに帰っているかな?

 沙織さんのことを思うだけで、心が暖かくなる。


 一歩、あるく。

 花びらの絨毯の上に私の足跡が残っていく。

 私という存在を、沙織さんの住むこの街に刻み付けていこう。


 スマホがまた光った。


『夜は冷えるから、気を付けてね』


 絵文字もスタンプもつかっていない、かんたんな返事。

 でもそれが沙織さんの実直な性格を表しているかのようで、じんわりと心に優しさがしみわたってくる。


「大好き~、好き好き、大好きさ~♪」


 作詞作曲編曲私の、沙織さん好き好きソングを即興でつくりながら、私は暗くなりかけている公園を散歩していた。

 せっかくだから、夜桜も写真で撮っておこう。


 天気予報によれば明日は雨がふるとのことだったので、こんなに綺麗な桜を見れるのは今年で今日が最後かもしれない。


(どうせなら、一番綺麗な桜を撮りたいな)


 そう思って、公園内をうろうろとする。けっこう長い時間歩いていた。もうすっかり夜の帳が幕をおろしていて、ぽつ、ぽつっと電灯に灯がともりはじめている。

 人工的な光に照らされる桜たちは、ある種の幻想的な雰囲気に包まれている。


「うん、この木が一番大きくて…一番綺麗」


 それはちょうど公園の中心に立つ桜の木だった。

 周囲の桜と比べて、頭一つかふたつぶん大きい。

 孤独で孤高で、素敵な桜の木だった。


「綺麗な桜の木の下には死体が埋まっている、というけど…」


 これだけ大きな木の下には、どんな死体が埋まっているんだろう?クジラかな?昔、このあたりは海の底だったというし、クジラが埋まっていたとしても不思議じゃないかな?


 そんなことを思っていたら。

 桜の木の向こう側から、淡く揺れる髪がみえた。

 街灯の光を受けて、星が瞬いているかのようにキラキラ輝いている。

 私が見間違えるはずがない。


 世界で一番愛しい、世界で一番素敵なひと。


「沙織さん?」

「もう…心配させないで」


 夜桜の下、沙織さんは部屋着のままで立っていた。

 急いでマンションを飛び出してきたのだろう…額と首筋から汗が流れ落ちているのがみえる。


「どうして、ここに?」

「どうしてって…」


 そう言いながら、沙織さんが近づいてくる。

 風がふっと吹いて、桜の花びらがまるで光の帯のように舞い散っていく。

 思わず目を細めてしまい、再び目を開けた時には、私は沙織さんに包まれていた。


「私のいる街で桜を見ていますなんて、そんなの…」


 私に会いたいって、いっているようなものじゃないの。

 

(あ)

(沙織さんの、匂いだ…)

(私の好きな、沙織さんの匂い…甘い…安心する…)


「会いたいなんて、言ってないもん」

「へーそうなんだ」


 沙織さんが、意地悪そうに笑う。


「未来ちゃんは、私に会いたくなかったんだ」

「そんなこと…っ」


 ありません。

 あるはずがありません。

 会いたいです。

 ずっとずっと、会いたいです。

 ずーーっと、我慢していました。


 私は返事することなく、ぎゅっと沙織さんに抱き着いた。

 沙織さんは桜の花びらを指先で払いながら、少し困ったように笑った。


「この桜の木はね…姉さんが好きだった木なんだ」

「え…」

「大きいでしょう?あの人、なんでも大きいのが大好きな人だったから」


 そう言うと、くすっと笑う。


『沙織、すごく大きい桜の木だね。知ってる?綺麗な桜の木の下には、死体が埋まっているらしいよ?』


 なんてことを言っていたのよ、と、沙織さんが言う。

 沙織さんのお姉さん。

 私のお母さん。

 沙織さんの口から語られるお母さんの姿は、若々しくて、はつらつとしていて、そして、少しもの悲しさも含んでいた。


『こんな大い桜なら、何が埋まっていても不思議じゃないわねー。クジラでも埋まっているんじゃない?』


 クジラって…もうっ

 そう言いながら、沙織さんは遠くを見つめている。

 その瞳は悲しそうで…寂しそうで…どこかに行ってしまいそうで。


「私、ここにいるからっ」


 思わず、沙織さんの首に手を回して、ちょっと強引に私に振り向かせてしまった。

 驚いた顔で私を見つめる沙織さん。

 まるで…魂が少しだけ、桜の木の下に埋まっている何かに捕まれていたような、ひきずりこまれそうだったような、なんか、変な感じの沙織さん。


「私を見てっ」


 私だけを見て…お母さんを…見ないで。

 

 風がふわりと吹いて、桜がまた散る。

 花びらが私たちふたりの肩に、髪に、落ちてくる。

 沙織さんはそれをそっと払いながら、静かに私を見つめてきた。


「夜道は、危ないから」

「…うん」

「一緒に、帰ろうね」

「……うん」

「…未来ちゃん」

「…はい」

「……………来年も、また、一緒に夜桜を見ようね」


 優しい声。

 一瞬で私を溶かしてしまう声。

 この声を聞いてしまったら、もう、何でも許してしまいそうになる。


 月の光に照らされた桜は、もうすぐ散り始める。

 桜が散った後は、何が残るのだろう。

 行き場のないクジラの心だけが残るのだろうか。


「…もだよ」

「?」

「私も、だよ」


 沙織さんは先に一歩あるいて、そして、振り向いた。

 桜吹雪の中。

 白い街灯の光に包まれて。


「私も、会いたかったの…未来ちゃんに」


 だから、同罪、ね。


 その笑顔があまりに綺麗で。

 本当に綺麗で。

 私は思わず…シャッターを押してしまった。


 この一瞬を、永遠に閉じ込めたくて。




■■■■■



「…未来、何をみているの?」


 翌日、教室。

 私は昨日のことを凛にあやまって、機嫌を直してもらうためにチョコレートまでプレゼントしていた。

 それでようやく機嫌のなおった凛が問いかけてきたのが、その言葉だった。


「別に…スマホの待ち受け画面、みているだけだよ」

「ふーん、変な未来」


 凛はチョコを食べながら、机の上にノートを広げている。

 教室は少しざわついていて。

 颯真と美月はまだ登校してきていない。

 今日も一緒に登校してくるのかな…仲いいな、と思う。

 クラスの中心で葵が笑っていて、その周りに人が集まっている。

 ホームルームが始まるまでもう少し。

 朝のこの時間だけ、もう少しゆっくりしておこう。


 そう思いながら、私はもう一度、スマホを見つめる。

 待ち受け画面。


 そこに映っているのは。


 桜吹雪の中でほほ笑んでいる、私が世界で一番大好きな人。


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