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恋してしまった、それだけのこと  作者: 雄樹
第四章 【未来13歳/沙織25歳】
44/72

第44話 過去と、今と、これから【未来13歳/沙織25歳】

 朝の空気が透き通っていた。

 私は窓を開けて、外を見る。うっすらと白い霧が海辺の街を包み込んでいた。

 空を見る。

 霧で包まれた空は、まるで夜に泣きつかれてしまっていたかのような乳白色で、耳が痛くなるほど静寂だった。


 窓を閉めると、テーブルの上を見る。

 そこに置かれているティーカップの中のコーヒーからはまるで窓の外の霧のような湯気が立ち上っていた。

 私はその温度を確かめるようにカップの縁を指でなぞった。陶器のカップは熱をぬるく伝えてきて、私の肌に静かにしみ込んでいく。


「…好き」


 になってしまった。

 私は、恋に堕ちてしまっていた。

 姪っ子の…未来ちゃんの顔が浮かんでくる。

 あのまっすぐな瞳。

 嘘が一つも混ざっていない、私に向けられる純粋な好意。

 その気持ちが痛いほど眩しくて、私は逃げ場を失ってしまっていた。


(…認めなくちゃ…)


 12歳も年下の姪っ子に、私は、恋をしていると。

 恋をしているからこそ。

 好きになってしまったからこそ。


 姉さんの顔が思い浮かぶ。

 かつて、私が愛した人。今でもずっと…愛している人。


(未来のこと、お願いね)


 姉さんの言葉を忘れることは出来ない。

 私は、自分の中にある恋心を自覚して、それでなお、その恋心に蓋をしようとしている。


 コーヒーを飲む。

 喉の奥が熱くなり、そのまま体の中へと広がっている。

 私の身体が熱いのはコーヒーのせいで…恋心のせいではないと、自分で自分に言い聞かせた。




■■■■■



 日常はルーティーンのように続いていく。

 私は電車にのり、職場に向かう。

 私の心の中がいくら揺れているとしても、世間には何も関係もなく、世界にも何も関係はなく、電車は揺れて、空は晴れて太陽は顔を出している。


 高校の高校の門の傍で、結城先生の後姿が見えた。

 その金色の髪の毛が、朝陽に照らされて輝いている。


(幸せ、そうだな)


 ふと、思ってしまう。

 この人は…好きな人と結ばれて、好きな人と一緒に暮らしている。私と似ている境遇のはずなのに、私と違う人生を送っている。そう思うと、抱いてはいけない感情が鎌首をもたげてくるのが分かる。

 押しとどめようとしても、かまわず昇ってくるその感情の名前は、嫉妬。


「おはようございます、結城先生」

「おはようございます、水瀬先生」


 社交辞令のような挨拶をかわして、追い抜いていこうとする。

 隣を通ると、いい匂いがした。香水の匂い…好きな人と一緒の香水を使っているのかな、匂いを共有しているのかな、と思ってしまう。


「水瀬先生?」


 結城先生が、怪訝そうな顔を向けてくる。

 その綺麗な顔にある眉がまがり、じっと私を見つめてくる。


「デート、どうでした?」


 当然のように質問されて、当然のように私の心はざわめいた。

 伝えるべきか、伝えないべきか。

 結城先生には仕事を手伝ってもらって、そのおかげで未来ちゃんの文化祭に間に合うことができたのだけど。

 その後おこったことを考えると、どうしても私の口から積極的に伝えていこうとは思えないのだった。

 そうして、しばらく悩んでいると、


「…告白でもされました?」


 いきなり、確信をつかれた。

 この人、どうしてわかるんだろう?


「あの…その…」

「顔に出ていますよ?」


 本当に、水瀬先生は分かりやすいんだから、と笑われる。


「…されました」


 降参。

 素直に答える。


「よかったですね」


 結城先生はそれだけ言うと、そのまますたすたと先に歩いていこうとする。意外だった。もっと根掘り葉掘り聞かれるかな、と思ったのに。

 そんな結城先生の距離感のとりかたに少し安心する。

 安心した私は…ついつい、一歩踏み込んでしまった。自ら。


「…結果、聞かないんですか?」

「だって」


 水瀬先生、困っていそうでしたから、と、結城先生は言う。そのまま続けて、本当、分かりやすいんですから、とまた笑われた。


「…笑わないでください…私、真剣なんですから」

「ごめんなさい。でもちょっとおかしくて」


 そう言うと結城先生は私に顔を近づけてきた。香水の匂いが強くなる。そして他の人に聞こえないように、そっと耳打ちをされた。


「立ち話でする話題でもないみたいですし、お昼休みに外の喫茶店にもいきません?そこでたっぷり、相談にのってあげますから」


 もちろん水瀬先生のおごりですよ?といって、結城先生は笑った。




■■■■■



「高校の近くにこんな雰囲気のいい喫茶店があったんですね」

「穴場でしょう?実は私のお気に入りなんです」


 おちついた感じの喫茶店の中には水槽があり、そこに鯉が泳いでいるのがみえる。店は年代を感じさせるつくりで、店のマスターの想いを店の節々から感じ取ることができた。


 私と結城先生は奥の座席に座ると、まずは手書きで書かれたメニュー表を開く。


「アイスコーヒー2つ」


 いろいろなメニューがあったけれど、吟味した結果、結局無難なものに落ち着いてしまった。


「…さて」


 届いてコーヒーに口をつけた後、結城先生は私に目をむけると、口を開いた。


「告白されて、それで、どうされたんです?」


 単刀直入にきいてくる。

 結城先生は…私が、本当は聞かれたい、と思っている質問をわざわざ選んで言ってくれたような気がする。このまま誰にも相談することなく、自分の中だけで考えていたら私はどうにかなってしまいそうだったから、私はこの差し出された手をしっかりと握り返すことにした。


「好き、と言われました。そして、私も好き、と返した後…」


 私は続きを言い淀み、コーヒーを手に取り、一口のんで、そして、


「付き合うことはできない、と断りました」

「ふぅん…」


 結城先生はコーヒーの入ったグラスを手にしたまま、じっと私を見つめてくる。幸先生は美人だ。少なくとも、私が今まで出会った人々の中でもトップクラスの美人だ。そんな美人の結城先生が、やがてその形のいい唇を開いた。


「好きなのに?」

「…好きなのに、です」

「どうして受け入れてあげないんです?」

「それは…」


 12歳の年の差が…女同士という関係が…叔母と姪という現実が…と、いろいろな理由が頭の中をめぐりまわったけれど、そのすべてが本当の理由でありつつ、そのすべてが本当の理由ではないと感じてもいた。

 もやもやとして、ぐちゃぐちゃとして、何かもうわけが分からなくなって、そして曇った私の脳みそが何とかして答えを絞り出した。


「…怖いんです」


 それが、本音だった。

 この恋を受け入れてしまうと、何かが壊れてしまう。

 それが怖くて、私は動き出すことができない。

 未来ちゃんはあんなにはっきりとまっすぐに生きているのに…それに対して…私は、卑怯だな、とどうしても思ってしまう。


「私が姉さんに手をだされたのは、私が中学生の時でした」


 え。

 いま。

 なんて?


「ひどいですよね…今でも覚えています。私が中学生の時のクリスマスの時、姉さんは私のファーストキスを奪った後、そのまま…その先まで、奪っていったんですよ?」

「…」

「しかも告白されてからとかじゃなくって、衝動的に身体だけ先に関係を結んじゃったんです」

「…」

「それだけじゃなくって、姉さん、私に手をだしたくせに、それから3年間も、ずっと私をほおりっぱなしだったんですよ?ひどい姉ですよね?」

「それは…なんていうか…」


 いや、なんと答えればいいのだろう。

 あまりにも予想外の言葉を受けた時、人は思考停止をしてしまうのかもしれない。今の私が、まさにそれだった。


「えーっと…」


 でも、今、結城先生、お姉さんと付き合っておられるんですよね…たしか…


「はい」


 そう言うと、結城先生は愛おしそうに自らの薬指にはめられている指輪に手を触れた。


「だから、3年後、私から告白したんです。私は、結城美麗は、結城綾奈を、お姉ちゃんを、実の姉を心の底から、愛してるって」

「…」


 結城先生は、私に何を伝えようとしているのだろう。自らの恋の話?私が怖がっていることなんて、自分がした経験と比べたら微々たるものだってことかな?

 たしかに、そうなのかもしれないのかな。

 私の悩みなんて、結城先生に比べたら…


「水瀬先生」

「はいっ」

「もしも、水瀬先生が想いを受け入れるのが怖いと思っておられるなら…」


 そんなこと、気にしないで、心のままに受け入れるべきです、愛は全てに優先されるべきです。その先に、私みたいな幸せが待っていますから。

 と。

 言われると思った。

 けれど、結城先生の出した答えは。


「いまは、断ってもいいと思います」


 私が思っていたのとは、真逆の言葉だった。


「でも、結城先生たちの場合は…」


 うまくいったんでしょう?と聞くと、結城先生は少し悲しそうな表情を浮かべた。それは遥か遠くをみているようで、遠い過去を懐かしんでいるかのような憂いを秘めた表情だった。


「私たちは…失うものが多すぎました」

「え…」

「あの頃の私たちは…純愛だったと思います。もう一度同じ状況になったとしても、私はたぶん、同じような禁断の決意をすると思います。もう一度、じゃないですね、それがたとえ100回だろうが、1000回だろうが、私は何度だって同じ答えを出します。姉さんを選びます…けど」


 同じ回数だけ、姉さんの夢を壊してしまう。


「水瀬先生が怖がっておられるのは、自分が傷つきたくないからじゃないですよね…相手の人を…姪っ子ちゃんのことを思ってのことですよね?」

「そんなことは…」


 ありません。

 私、自分が大事なだけなんです。

 私はそう答えたけど、結城先生は穏やかに笑っていった。


「水瀬先生、本当、分かりやすいんですから」


 いくら自分を騙そうとしても、中から本音が漏れていますよ。


「姪っ子さんのことが、本当に、大事なんですね」

「…」

「優しい表情されてますもの」

「…私…」


 姪っ子のことが。

 12歳も歳の離れたこのことを。


「好きになってしまいました」

「…うん」

「恋してしまいました」

「…うん」

「こんな気持ち…いけないことですよね」

「…それは」


 分かりません。

 分かりませんけど。


「気持ちを抑えることなんて出来ないってことは、私、知ってますよ」


 だって私、そんな気持ちの経験者ですから、と結城先生はいった。


「だから、いま、怖いなら、付き合うのを断ってもいいじゃないですか。好きになったら絶対に付き合わなければならないわけでもないですもの。それで終わる恋なら…それでも、別に悪いことでもないし、嘘でもないと思います」


 でも。

 相手を大事に想って、離れても忘れられずに、その恋が残っているなら。

 結城先生は、もう一度、指輪に触れる。


「恋は追いかけて追いついてきますから」




■■■■■



 結城先生にいわれたからでもなく。

 いや、言われたからかもしれないけど。

 それでも、最後に選んだのは私自身なのだから、これは私の選択で。

 私が、大事にしなければいけないことで。


 私は、未来ちゃんのことが、好き。

 これは今の気持ち。


 私は、いま、未来ちゃんと付き合うことはできない。

 これも、今の気持ち。


 思ったことを伝えて。

 泣かれて、泣いて。

 それでも、時間だけは過ぎていく。


 時間は止まらない。

 私たちはその時間という列車の中に乗り込んだまま、未来へと運ばれていく。


 



 1年が経ち。

 未来ちゃんは14歳になり、私は26歳になった。


 中学3年生になった未来ちゃんはポニーテールをやめてストレートに伸ばし、また少し、大人に近づいてきた。


 登校する未来ちゃんのその後姿をみていると、私は、胸がときめくのを感じた。


 1年たっても、恋心は消えなかった。

 1年付き合っていなくても、恋心は少しも消えなかった。

 1年経過した今…私の中の恋心は、私にまとわりつく鎖を焼き尽くしそうになっていた。




「…未来ちゃん…好きよ」


 通り過ぎていくその背中にむかって、そっとつぶやく。



 新しい1年が始まる。

 私たちの関係を…決定的に変えることになる。


 そんな、夢のような1年が。

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