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恋してしまった、それだけのこと  作者: 雄樹
第四章 【未来13歳/沙織25歳】
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第42話 沙織【未来13歳/沙織25歳】

 私の初恋の人が選んだ相手は私ではなくて。

 選ばれなかった初恋が終わるのかといえば、そんなことはなく。

 私は、姉さんのことがずっと好きで。

 

 私は、姉さんを愛していた。


 姉さんが死んでも、私の初恋は死ななかった。

 心の中に残り火のようにずっと残っていて、私を内側から温めてくれていて。

 私は一生、この残火とともに生きて、そして死んでいくんだ、と思っていた。


 光が。

 木漏れ日のような、光が差し込んでくるまでは。



■■■■■



 7月7日。七夕の朝。

 出勤前の私のスマホが光っていた。

 メッセージが来ている。見る前から、誰が送ってきてくれたのか予想がついて、実際に見てみたら、やっぱり思っていた相手からだった。


『沙織さん、おはよう!いよいよ文化祭当日だよ。沙織さんは午前中お仕事だよね?待ってるから、午後からたくさんデートしようね!』


 思わず、頬がゆるんでしまう。

 可愛い文面。私のことを、昔からずっと思ってくれている子。


 星野未来。12歳離れた、私の姪っ子。

 …私の初恋の人の、子供。

 ちっちゃかったあの子も、今はもう中学二年生。だんだんと大きくなってきて…見た目は大人に近づいてきているけど、中身はまだまだ昔から変わっていないな、と思う。


(見た目は…)


 うん。可愛くなってきている。姉さんの子供なのだから当たり前といえば当たり前なんだけど。今は…そう、ただ可愛いというよりも、子供から大人に変わるちょうど過渡期にしか見れない可愛らしさというか、端的にいえば、女、になりかけている可愛らしさだ。


(胸も…)


 膨らんできたし、と思ってしまい、ぶんぶんと頭をふる。何を考えているの、私。可愛い姪っ子の胸なんて想像してしまうなんて、変態じゃないの。

 一息ついて、おちついてから、メッセージに返信する。


『お仕事終わらせたら急いで向かうね。たぶんお昼少し回ったくらいになると思う』


 送信完了。

 ふぅと息をついて、スマホの画面を暗くする。そこに映った私の顔は…少し紅潮していた。




■■■■■



 私の仕事は教師で、私の職場は高校だ。

 期末試験が近いので、今日はその準備をしている。問題を作成したり、名簿の整理をしたり、やらなければならないことは山積みだった。


「未来ちゃんの文化祭、間に合うかなぁ」


 書類をまとめながらそう漏らした時、隣の席に座っていた結城先生が声をかけてきた。


「あら?水瀬先生、今日は何か用事あるんです?」

「ええ、結城先生。ちょっと姪っ子から文化祭に誘われていまして」

「へぇー。姪っ子ちゃんとデートですか♪いいですね」

「で、デートって…」


 デート、なのか。

 でも、未来ちゃんはデートって言っていたから、やっぱりデートなのかなぁ。


「あれ?本当に図星です?」

「図星もなにも…」


 相手は姪っ子ですよ?と答える。

 結城先生はきょとんとして、私に聞き返してきた。


「それ、何か問題あります?」

「問題でしょう…女同士だし、血がつながっているし、何より12歳も歳が離れているんですよ?」

「だから、そこに…」


 何の問題があるんです?と、結城先生は真顔で返してくる。


「水瀬先生、私のこと、知っているでしょう?」


 そうだった。

 結城先生と同僚になって、もう3年になる。この3年間の中で、結城先生の事情をいろいろと教えてもらっていた。

 結城先生は一人暮らしではなく、恋人と同棲している…その恋人は女の人で、さらに実のお姉さんだということだった。


「そういえば、そうでしたね…結城先生、お姉さんと同棲されていましたもんね」

「同棲、じゃないですよ?」


 結城先生は笑っていった。

 

「結婚、してるんです」

「え…」

「もちろん、法律上は女同士で姉妹同士だから結婚はできませんけど…でも、私と姉さんの中では結婚しているんです」


 そいうと、結城先生は左手につけられている指輪を見せてくる。


「…幸せ、そうですね」

「はい。幸せです」


 だからその姪っ子ちゃんも、本気で水瀬先生のことが好きなんだったら、年の差とか性別とか関係ないんじゃないですか?だったら、受け入れる受け入れないは別にして、ちゃんと向き合ってあげた方がいいんじゃないですか?と、結城先生が言葉を続けてくる。


「そんなものですかねぇ」

「さぁ、どうでしょうかねぇ」


 そして自分で言いながら、自分で適当にはぐらかしてくる。いったいどっちなのよ、とついつい問い詰めたくなるというものだ。


「どちらにせよ、水瀬先生、なら今日は仕事している場合じゃないですよ。早く姪っ子ちゃんのところにいってあげないと」

「え…」

「水瀬先生の今日の仕事は私が代わりにやっておきますから、水瀬先生はその姪っ子ちゃんに早くいけるよって連絡いれてあげておいてください」


 そう言うと、結城先生は私の机の上においてあった書類を自分の机へと移動させる。そのままにっこりと笑って、「さぁ、早く」と促してくるので、私はスマホを取り出すと未来ちゃんにメッセージを入れた。


『思ったより早く終わったから、もしかしたら、未来ちゃんのジュリエット姿、見れるかも?』


 送信した後、これでよかったのかな、と思い、ついつい大きなため息をついてしまった。


「水瀬先生、その姪っ子ちゃんのこと、大好きなんですね?」

「なんです、いきなり」

「だって」


 結城先生は、笑った。


「スマホ眺めていた時、水瀬先生、自分では気づいていなかったかもしれませんけど、なんか嬉しそうでしたよ?」



■■■■■



「間に合…わなかったかな…」


 急いで文化祭が行われている未来ちゃんの中学校に到着したのは、正午前だった。ギリギリ未来ちゃんの劇に間に合うかな、と思っていたのだけど、見通しは甘かったようだった。

 閉められていた扉をそっと開けて教室に入った時は、もう劇の最終盤だった。


 ジュリエットが倒れていて、ロミオが服毒自殺しようとしていて…


 なんか、いきなり従者が出てきて、告白されてる。


(あれ?この物語、ロミオとジュリエットだったよね?)


 そう思いながら見ていると、


『私はジュリエットじゃない。私は従者でもない。私は、何者でもない』

『私は…白鷺葵。ただの、白鷺葵です』

『佐藤颯真くん…あなたのことが、好きです』

『私と…付き合ってください』

『…はい』


 なんか告白が成功して、会場は大盛り上がりになっていた。


「…最近の中学生はすごいわね…」


 そんなことを思いながら、私は教室の後ろ側で舞台をみていた。未来ちゃんどこかな?ジュリエットだから死んでいるところか。

 喧騒と狂騒の中、私はいま全員の視線の中心にいる告白されたカップルなんかより、私の大事な姪っ子ちゃんの姿だけをさがした。


「あ…いた」


 見つける。

 ジュリエット姿の未来ちゃん。


(未来ちゃん?」


 顔が真っ青だ。

 いつもの明るい、元気でまっすぐな未来ちゃんじゃない。狼狽して、おろおろとしていて、唇が震えていて、見るからに普通の状態じゃない。

 そんな未来ちゃんを誰もみていない。

 みんな、成立したカップルばかりみている。

 未来ちゃんの顔を見る。

 泣きそうな顔。


 あ。

 私の胸が、痛い。

 未来ちゃんにそんな顔、させたくない。


 気が付いたら私は走っていた。


「未来ちゃんっ」


 思わず、声を出す。

 気が付いたら走っていた。

 人ごみをかきわけ、未来ちゃんの傍にいく。


「大丈夫?」

「沙織さん…」


 瞳が潤んでいる。

 怖かったのかな、心配だったのかな。

 胸がしめつけられる。

 

「ごめんね…思わず…」

「ううん。有難う、沙織さん」


 どんな言葉をかければいいのか分からなかった。教室内はすごい盛り上がりで、ある種独特の熱気に満ち溢れている。


「すごい劇だったね…私、最後しか見れてないけど…」

「違うの」

「違う?」

「うん、違うの」


 未来ちゃんが私を見つめてくる。

 何を想っているんだろう?何を考えているんだろう?

 分からないけど…でも、なんとかしてあげたい。


「あの…あの、ね」


 未来ちゃんが混乱している。

 目がきょろきょろしている。

 汗が滝のように流れている。

 未来ちゃんの心臓の音まで聞こえてきそうだった。

 辛そうだった。

 助けてあげたい。

 私は、思う。


「未来ちゃんっ」


 そっと、頬に手をのばす。

 未来ちゃんの頬は暖かい。

 その体温を感じる。

 私は一呼吸おいて、ゆっくりと、語り掛けた。


「何がどうなっているのか、私には分からないけど…」


 まっすぐに、未来ちゃんを見つめる。

 未来ちゃんの瞳。

 その瞳の中に、私が映りこんでいるのが見える。


「未来ちゃん…わたしね」


 何を伝えればいいんだろう。

 どういえば、未来ちゃんを落ち着かせることができるんだろう。

 いつもまっすぐ私を見つめてくれる未来ちゃん。

 どんな時も、どんな場所でも、ずっと、変わらず、私だけを見つめてくれる未来ちゃん。

 あ。

 そうか。

 いつの間にか。

 

 私も、見つめ返していたんだ。

 未来ちゃんの瞳の中に私を見つけて、そして、私の心の中にも未来ちゃんが入り込んでいるのを見つけてしまった。

 

「未来ちゃんが、好きよ」


 今まで、思ってもいなかった言葉が自然に出てきた。

 好き…好き?

 私、未来ちゃんのことが…好き、なの?


「…え!?」


 未来ちゃんが目を丸くしている。

 あ、違う。

 ごまかさなくちゃ。

 未来ちゃんを好きなんじゃなくって、未来ちゃんの行動が好きなんだって言い換えなくちゃ…でないと…伝えちゃいけないことが、伝わってしまう。


「未来ちゃんの、まっすぐなところが好き」


 間違いじゃない。

 いつもまっすぐ突き進む、そんな未来ちゃんが…いいんだ。

 私は息を吸って、ゆっくりと、口を開いた。


「いま、何が起こっているかは分からないけど…」


 そう言うと、そっと未来ちゃんの胸に手をあてる。ドキドキしている。これだけドキドキしているなら…私の胸も高鳴っていることが気づかれることはないだろう。


「いま、何をすべきなのかは分かるわ」


 私は、笑った。


「未来ちゃん、あなたが今、この胸の中で思っていることをやりなさい。失敗したっていい。後で後悔してもいい。でも、胸の中に残しただけの想いは…けっして誰にも届かないわ」


 そう言いながら、自分をかえりみる。

 胸の中に残しただけの想い…それを一番残しているのは、くすぶらせているのは、ほかならぬ私自身だ。

 姉さん…

 好き…大好き…愛している。

 ちゃんと伝えればよかった。はっきりと伝えればよかった。

 この想いを全部伝える前に、姉さんは逝ってしまった。

 私の心に残った残照は消えることなく、ずっと私の心をじくじくといぶしかんでいる。

 だから。

 未来ちゃんだけには。

 この想いを…してほしくない。


「私はここで待っているから、ね」


 私には待つことしかできないけど。

 傷つき、疲れ、それでも前を向いていくこの姪っ子に。

 私の…大事な子の。

 帰ってこれる場所に、なってあげたかった。


「うん…うんっ」


 未来ちゃんは立ち上がり、私を見て、笑っていった。


「私、ちょっと出てくるから…だから、帰ってきたら、その後…デート、しようね!」


 デート。

 デート。

 うん。そうだ。

 私は今日、この子とデートするために、ここに来たんだ。

 私も微笑み返して、答えた。


「いってらっしゃい」



■■■■■



 夜。

 七夕の、夜。

 私は空を見ていた。

 星が瞬いている。

 その星の野の向こう側に、私の未来があるのかもしれない。


 その未来が、走ってきた。

 星野未来。

 私の姪っ子。


「未来ちゃん」


 声をかける。

 乳白色に染められた淡い光の下、私の姪っ子が、大事な人が、息を切らしながらやってきた。


「沙織さん、おそくなって、ごめんね」

「大丈夫だよ」


 この子を心配させるわけにはいかないな。

 私は少し、ふざけて、「閉店時間まで、未来ちゃんのクラスの喫茶店にいたし」と言って笑う。


「売り上げの半分くらいは私が出したかもしれないよ?」

「まさかー」

「もうお腹たぷたぷ」


 実際に未来ちゃんを待つ間、ずっと未来ちゃんのクラスの喫茶店にいたのだから、この言葉は嘘ではない。私がそう言って笑っていると、未来ちゃんがまるで小学校の頃のように、飛びついて手にしがみついてきた。


「未来ちゃん?」

「えへへー」


 夜道を歩く。

 空を見る。

 天の川が広がっている。


「晴れてよかったね」

「彦星と織姫、これなら会えるかな?」

「さぁ、どうかなー」


 私も未来ちゃんの手を握り返す。2人で夜空を見ながら歩いていく。

 足音だけが、静かな夜に広がっていく。


「未来ちゃん、晴れ晴れとした顔しているよ?」


 あの劇の終盤、死にそうだった未来ちゃんの姿はそこになかった。

 今は全てを解決したかのような、まるで春風のような、さわやかな表情になっていた。


「そうかな?」

「やりたいこと、できた?」

「うん…沙織さんのおかげで…」


 と言いながら、未来ちゃんは言葉を止めた。

 少し、時間がとまる。

 風が吹く。

 未来ちゃんのポニーテールが揺れる。


「あのね、沙織さん」

「なぁに?」

「私ね…」


 足を止めて。

 月明りの下。

 織姫と彦星が見ている下で。

 私は…告白された。


「沙織さん、好きです。付き合ってください」


 今まで何回も口にされてきた言葉。

 今まで何回も心の中に押しとどめた言葉。


 いつもはぐらかした返事。

 いつもかわした返事。


 叔母と姪。

 女と女。

 12歳の、年の差。


 月明り。

 乳白色の明かり。


 可愛い未来ちゃん。

 私の大事な姪っ子で。

 私が愛した姉さんの子で。

 子供から大人に向かっている最中の子で。


 いつの間にか。

 

 私の心に入り込んできた子。


 私はゆっくりと、本当にゆっくりと未来ちゃんを見て。


「私も、未来ちゃんのこと…好きよ」


 と。

 私も今まで気づかないふりをしてきた、心の底の扉を開けた。





 その時。


(未来のこと、お願いね)


 姉さんの最後の言葉が頭の中を駆け巡った。

 

 私は…私は…

 姉さんが…好きで…


 だから…

 苦しい。


 この気持ちは…本物なの?


 私は、目を閉じる。

 




 私の目には、ミルキーウェイはもう見えない。

 

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