第41話 告白2。【未来13歳/沙織25歳】
劇が終わり、クラスは騒然としている。
騒然というより、狂騒となっている。
中心にいるのはもちろん、颯真と葵で、いきなりの告白にみんなが興味津々となって様々な質問をなげかけている。
「いつから好きだったの?」
「なんかすごいもの見ちゃった」
「幸せになってね!」
葵が笑っているのが見える。
颯真は…顔は笑っているけど、目が笑っていない。
颯真が本当に葵のことを好きなのなら、私が何かを口出すことなんてない。そもそも、私にそんな資格なんてない。
私は颯真の想いに応えられていないんだから。
(けど)
これは違う。
これは絶対に間違っている。
颯真は全力で間違った方に向かっている。
親友を、舐めるな。
颯真の元に向かおうとした時、音がした。
振り返る。
美月が、教室から飛び出していた。
どうしよう。
どうすればいい。
音がうるさい。周りがうるさい。狂騒がうるさい。
私は…私は。
「未来ちゃんっ」
どんなに音に包まれていても、私がけっして聞き逃すことのない声が届く。私の心を、まっすぐに貫いてくれる声。私の…大好きな人の、声。
「大丈夫?」
「沙織さん…」
輝いて見えた。
本当に、輝いて見えた。
キラキラした光の粒子が沙織さんの周りに舞って見えた。
劇が終わり、教室に電気がつけられたから。
劇が終わり、窓が開け放たれ、太陽の光が中にはいってきたから。
違う。
大好きな人をみたから、その人は光に包まれていたんだ。
「ごめんね…思わず…」
「ううん。有難う、沙織さん」
本当に、ありがとう。
崩れそうになった私を掬いあげてくれて。
「すごい劇だったね…私、最後しか見れてないけど…」
「違うの」
「違う?」
「うん、違うの」
沙織さんの匂いがする。
私を安心させてくれる匂い。
私の、大好きな匂い。
「あの…あの、ね」
私も混乱していた。
颯真を見る。美月の飛び出した扉を見る。教室を見る。喧騒を見る。
どうすればいいんだろう。
何をすればいいんだろう。
そもそも、私に何かできるんだろうか?
私なんかに…
「未来ちゃんっ」
頬に手が触れられる。
沙織さんの手。
沙織さんに包まれる気がした。
「何がどうなっているのか、私には分からないけど…」
沙織さんが、まっすぐに私を見つめてきた。
深いその黒い瞳の中に、私が映りこんでいるのが見える。私が、沙織さんの中に。
「未来ちゃん…わたしね」
真剣な瞳。大好きな人の瞳。
「未来ちゃんが、好きよ」
「…え!?」
思いもしない言葉に、一瞬、脳がバグを起こす。
なに、え?なに、いま、沙織さんが、私のこと、好きって、いってくれた?
「未来ちゃんの、まっすぐなところが好き」
そっちか…ううん、がっかりするところじゃない。私の中の一部分でも好きっていってもらえたことは、むしろ大きな前進だし。
「いま、何が起こっているかは分からないけど…」
沙織さんはそう言うと、そっと、私の胸に手を当ててくれた。私の胸に、沙織さんの綺麗な手が…胸が高鳴るのを抑えることができない。やばい。もうこれだけで私はどうにかなってしまいそうだ。
「いま、何をすべきなのかは分かるわ」
沙織さんが、笑う。
「未来ちゃん、あなたが今、この胸の中で思っていることをやりなさい。失敗したっていい。後で後悔しれもいい。でも、胸の中に残しただけの想いは…けっして誰にも届かないわ」
少し、哀しそうな顔をする。胸に残しただけの想い…それが、何を言っているのか、誰のことを言っているのか、今の私には…分かるようになっていたから。
「私はここで待っているから、ね」
「うん…うんっ」
私は立ち上がり、沙織さんを見て、大好きな人を見て、いった。
「私、ちょっと出てくるから…だから、帰ってきたら、その後」
デート、しようね!
沙織さんはほほ笑んで「いってらっしゃい」と言ってくれた。
人ごみをかきわけ、教室の外へ出る扉へと向かう。
途中で、凛を見る。
凛の頬が濡れているのがわかる。
私は息を飲んで、凛を指さす。
「凛!」
「…」
「後から話があるから…待ってなさいっ!」
凛の顔は不安そうに青ざめている。唇がわなわなと震えている。その顔は…私の言葉のせいじゃないと思う。凛は、自らの行動のせいで、自らを不安にしているんだと、なぜかわかった。
だから私がかけるべき言葉は。
「あんたが何をしたかは分からないけど、でもね、凛は私の友達なんだから…大事な大事な友達なんだから…だから、待ってなさい!」
凛は私を見て。
震えが少し止まっていて。
そして。
私はジュリエットの衣装のままで、教室を飛び出した。
■■■■■
目立ってる。
私、超目立ってる。
きらびやかなドレスに身を包み、全速力で校内を走り回る。
途中で人にぶつかるたびに、「ごめんなさいっ」と謝る。
美月はどこにいるのだろう。
親友なんだから…考えろ。
美月なら…私の大好きな美月なら…
こういう時、つらい時、誰にも見られたくない時、どこにいく?
そんなの、決まっている。
別棟。
部室。
もちろん、私の所属している文芸倶楽部の部室じゃない。
美術部の、部室。
「美月!」
中に人がいるのを確認もせず、でも中に美月がいることだけは確信して、私は美術部の扉を勢いよく開けた。
埃が舞い、人影が目に入る。
部屋の片隅にうずくまっているツインテールの女の子。
私の親友、美月だった。
「未来ちゃん…」
「やっぱりここにいた」
ドレスのすそを引きずりながら私は美月の傍に近づいた。美術室の中にはいろんな絵が飾ってある。そこかしこに絵具がおいてあり、少しつんとした匂いが鼻腔に突き刺さる。
「来ないで」
「いや」
「私泣いてるのよ」
「知ってる」
「泣き顔なんてみられたくないじゃない」
「だーめ」
私は美月の隣に座って、顔をみないようにして、そっと肩に手を回した。美月の暖かさが私に伝わってくる。たぶん、私の体温も美月に伝わっていることだろう。
「颯真と葵ちゃん…キスしてた」
「してたねぇ」
「私、今日、颯真に告白するつもりだったのに…」
「すればいいじゃん」
「できるわけないよっ」
普段大人しい美月が声を荒げる。
「…そんなの…できるわけないよ」
「どうして?」
「だって、颯真、葵ちゃんの告白を受けて…」
「舞台の上でね」
「あれ、本気だったよ」
「本気かどうかなんて分からないよ」
どこまでいっても、他人のことなんて完全に理解することはできない。自分の心だって完全には分からないのだから。
「美月、颯真のこと、嫌いになったの?」
「…嫌いになれるなら、こんなに苦しくない」
「じゃぁ、好き?」
「…大好き」
「伝えないの?」
「伝えたいよ…」
伝えたいに、決まっているじゃない…
美月の涙が床におちて、染みをつくっていく。
「私ね、美月と颯真に、すっごく救われているんだ」
「未来ちゃん?」
「だって、私なんか、女のくせに、女が好きなんだよ?」
「未来ちゃん!?」
「しかもその好きな相手は血のつながった叔母で、私はただの姪っ子で、年の差だって12もあるんだよ?」
「…」
「でもね、好き。大好きなの。もうこの気持ちはとめられない…ううん、昔からずっと、止まることなんてなかった」
私は床に指を伸ばして、先ほどおちた美月の涙を伸ばす。
「普通じゃないよね。変だよね…あ、そうだ、一番最初に変だって言ったの、美月と颯真の2人だよ?」
「小学生の頃じゃない…」
「正直、いまだって、そう思ってるでしょ?」
「…思ってる」
「私、変だよね?」
「…うん」
「私、普通じゃないよね?」
「…うん」
「じゃぁ、美月、私のこと、嫌い?」
「好き」
「私も、美月のこと大好き。親友として、好き」
「…」
「颯真のことだって、大好き。親友として、だけどね」
だって仕方ないじゃない。もう、心は決まっているんだもの。
本当はこんなあいまいな関係がずっと続けばいいのにな、と思わないことはないけど、けど、私たち二人は決めたよね。
「…この関係を、変えたい」
美月は笑った。
「未来ちゃん、わがままだね」
「ごめんね、こんな親友で」
「ううん。未来ちゃんがいてくれてよかった」
そう言うと、美月は私の手をもって、立ち上がった。
震えている。やっぱり怖いんだと思う。当たり前だよね。だから私も、美月の手をぎゅっと力一杯握りしめた。
美月は私を見て、笑って、いった。
「…私、あきらめる」
「!?」
「あきらめることを、あきらめるっ」
少し開けられていた美術室の窓から風が吹き込んでくる。
外からは文化祭の楽しそうな声が聞こえてくる。
そんな中、私たち二人は手を取り合ったまま、向き合って笑いあっていた。
■■■■■
誰も使うことがない、視聴覚準備室。
普段は閑散としているだけのその場所に、私たち5人はいた。
私、颯真、美月、葵、凛。
それぞれみんな、何ともいえない表情をしている。
私と美月は手を握って立っていて、前に座っているのが颯真と葵。二人の間には微妙な距離が開いていて、それがそのまま、この二人の心の距離なのかな、とも思った。
そして壁端に所在なさそうに立っているのが凛で、5人の中で一番、不安そうな顔をしている。
「…まずは、凛」
私はゆっくりと凛を見つめる。凛は視線を逸らす。
「今日のことは…全部…凛が始めたの?」
「私は…」
「違うよっ」
口をはさんできたのは葵だった。
「凛が悪いわけじゃない。私が全部独断でやったんだ」
「…葵、いいのよ」
凛が葵に視線を向ける。それは少し諦めがついたような…さっぱりとした表情に感じられた。
「私の考えで、私が望んで、私がお願いしたことよ」
「…なんで」
そんなこと、したの、と聞く。
「未来が好きだから」
凛は、まっすぐに私を見つめてきた。
黒髪に、白い肌。
いつもの凛。部室で私と笑いあって語り合っている凛。
そんな凛が見せる、初めての表情。
真剣で、まっすぐで、そして…諦めが混ざっている。
「ごめんね、凛」
私は答える。
「私、好きな人がいるの…だから、凛の気持ちには答えられない」
「…知っていたよ」
知っていたけど、結果は分かっていたけど、分かっていたから見たくなかったけど、でも今は、もう見るしかなくなった…直視するしか、なくなっていた。
「…もう、友達とも思ってくれない?」
「凛の馬鹿」
「…え?」
それはむしろ、私の方の台詞だった。
「私が凛の気持ちに応えられなかったら、凛は私の友達でいてくれないの?」
「いや」
ずっと、ずっと、友達でいたい。
未来は…私の、はじめての、友達なんだから。
凛はそう言って、やっと、少しだけ救われたような表情を浮かべてくれた。
裏も表も。表も裏も。
全部見せ合って、これからまた、新しい関係を…つくっていこう。
「私は颯真のこと、ちゃんと好きだよー」
葵が口をはさんでくる。そして颯真と腕を組む。
私が何かを言おうとして口を開けた時。
「葵、もういいよ」
凛が葵に向かっていった。
「もう…いいから」
「いいの?」
「うん」
「…じゃぁ」
葵は颯真から手を離し、立ち上がり、そして頭を下げた。
「ごめんなさい。実は演技でした」
「…それも、知っていたよ」
分かっていて乗ったのは俺だから、と、颯真は言った。
座ったまま、息を吐いて、ずっと息を吐いて、その間、誰も口をはさむものはいなかった。
ごめんね、と言って葵はそのまま歩いて凛の隣に立つ。
「それで、颯真」
「分かってるだろ?」
「そうかもしれないけど、でもちゃんと、聞かせて…聞かなければ分からないことだってあるんだから」
「…未来」
「なぁに?」
「俺と葵が…付き合うって言った時…お前…どう思った?」
「…本気?って思った」
「それ以外は?」
「…」
「悔しいな、いやだな、やめて、とかは?」
「…少しはあったかも、しれない」
けど、それは、親友としてだよ、と私はあわてて言う。
颯真は寂しそうに私を見つめて。
「そうだよな」
とだけつぶやいた。
私にはかける言葉が見つからなかったし、言葉をかけるべきではないんだろうな、とも思った。
「あのね、颯真」
だから、私のかわりに声をあげたのは…美月だった。
颯真はゆっくりと、美月をみあげる。
その目は寂しそうで…けれど、優しいものだった。
「颯真がね、昔からずっと、ずーっと未来ちゃんのこと好きだったのは知ってるよ。けどね、けどね」
美月は、まっすぐに颯真を見つめている。
「それよりずっと前から、颯真が未来ちゃんに会う前から、ずっとずっとずっとずーっと前から、私の方が…私の方が、颯真のこと、大好きだったんだから」
そう言って、手を伸ばす。
差し出しだ指先が震えている。
「好きです。付き合ってください」
沈黙。
長いながい、沈黙。
永遠に続きそうなその沈黙は、けれど永遠に続くことは無くて。
「俺、いま、完全に失恋したばかりだぜ」
「…だからチャンスだと思いました」
「美月、お前、そんな性格のやつだったか?」
「実は悪い子なんです」
「友達からなんて言ったら?」
「なぐります」
「クラスのみんなに、なんていえばいいんだよ」
学園一の人気者が、劇で告白して付き合って、その日のうちに別れて別の女と付き合ったなんて…体裁が悪すぎる。
「美月のこと、まだ、恋人には見れないんだよ」
親友の期間が長すぎたから、と、颯真が言う。
美月は…今日一番…悪そうな笑顔を浮かべた。
「まだってことは、チャンスはあるってことよね?」
「それは…まぁ」
「なら…それでいいよ」
恋人未満でも、友達以上に思ってくれるなら。
今までと少しでも違う関係を考えてくれるなら。
それなら…私は…それから頑張れるから。
差し出された手は握り返されることはなかったけど、その指先だけを、ちょっと、優しく触られていた。
小さな、小さな始まり。
これが、颯真と美月との、新しい始まり。
■■■■■
結局、文化祭デートは出来なかった。
私たちはずっといろんな話をしていて。
ずっとずっと、たくさん話をして。
気が付いたら外は暗くなっていて。
文化祭は終わっていた。
後片付けは翌日に行うということだったので、その日はこれで終わりになる。
凛は葵と一緒に帰り、去り際に凛が「ごめんね」とまた謝ってきたので、「今度部室でジュースおごってね」と返しておいた。
美月は、颯真と一緒に帰った。
ぎこちない2人の背中を見る。
小学校から、ずっと一緒だった親友。
これからどうなるんだろうか、と思いつつ、どうにでもなるか、とも思った。
そして私は一人になった。
凛も美月も颯真も、本当は誘ってくれたのだけど、私はそのすべてを断っていた。
だって。
私はこれから…デートなんだから。
「未来ちゃん」
声がする。
月明りの下、乳白色にそめられた淡い光の下、私の大好きな人がそこに立っていた。
「沙織さん、おそくなって、ごめんね」
「大丈夫だよ」
閉店時間まで、未来ちゃんのクラスの喫茶店にいたし、と沙織さんは笑った。
「売り上げの半分くらいは私が出したかもしれないよ?」
「まさかー」
「もうお腹たぷたぷ」
沙織さんは笑う。その笑顔が本当に素敵で、私は我慢できなくなって、小学校の頃のように飛びついて手にしがみついてしまった。
「未来ちゃん?」
「えへへー」
夜道を歩く。
空を見る。
天の川が広がっている。
「晴れてよかったね」
「彦星と織姫、これなら会えるかな?」
「さぁ、どうかなー」
沙織さんも手を握り返してくれて、2人で夜空を見ながら歩いていく。
足音だけが、静かな夜に広がっていく。
「未来ちゃん、晴れ晴れとした顔しているよ?」
「そうかな?」
「やりたいこと、できた?」
「うん…沙織さんのおかげで…」
と言いながら、言葉を止める。
やりたいこと。
まだ。
残っていることがある。
「あのね、沙織さん」
「なぁに?」
「私ね…」
足を止めて。
月明りの下。
織姫と彦星が見ている下で。
私は…告白する。
「沙織さん、好きです。付き合ってください」
今まで何回も口にしてきた言葉。
今まで何回も心の中に思っていた言葉。
いつもはぐらかされる返事。
いつもかわされる返事。
叔母と姪。
女と女。
12歳の、年の差。
月明り。
乳白色の明かり。
綺麗な沙織さん。
沙織さんはゆっくりと、本当にゆっくりと私を見ると。
「私も、未来ちゃんのこと…好きよ」
と。
言ってくれて。
私の頭上に、ミルキーウェイが降ってきたような気がした。
 




