第40話 【閑話休題⑤】白鷺葵と凛の場合
物心ついたころから、女の子と女の子の話が好きだった。
私の初恋はクラスのやんちゃな男の子だったから、私自身が女の子を好きなわけじゃない、とは思う。
ただたんに、可愛い女の子が、可愛い女の子と仲良くしている光景を見るのが好きだったし、妄想するのが好きだっただけだ。
小学生に入ってからも、女の子同士の話をずっと考えていた。
小説を書き始めたのはいつ頃だったかな。
たぶん、小学生高学年になったころだったと思う。
その頃には、私のこんな性癖は、ちょっと普通じゃないんだと自覚するようにはなっていた。
だから、他の人には言わないで、自分だけの世界に閉じ込めていた。
書いて、書いて、書いて、書いて。
好きなものだけをかいて、妄想して、吐き出して、形にして、世界にして。
誰かに見てもらいたい、と思うこともあったけど、自分の頭の中を見られるのは怖かった。
なじられるのが怖かった。
認められないのが、拒絶されるのが、変な目で見られるのが怖かった。
だから、ずっと隠していた。
隠しながら、それでも書き続けるのだけはやめれなかった。
私の世界は狭くて、その代わりに深くて、気が付いたら底なしの沼に頭の上まで入り込んで落ち込んで抜けれなくなっていた。
苦しいのに、気持ちいい。
私は、誰かにすくってもらいたかった。
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私と葵は、お母さんのお腹にいた時は、一人の人間だったらしい。
それが、生まれる時には二人になっていた。
私がはじめて意識した他人は葵で、葵がはじめて意識した他人は私だったんだと思う。
同じ顔が目の前にあって、同じような行動をしていた。
自分が目の前にいるのは当たり前のことで、それを不思議だとも思っていなかった。
先に歩き始めたのは私、だったらしい。
それを見て、それを真似して、葵も歩き始めた。
先に言葉を発したのも私、だったらしい。
私が喋って、それを真似して、葵もしゃべり始めた。
何をするにしても最初が私で、次が葵。
いつもほんの半歩だけ、私の後ろを歩いてくる葵。
初恋も私が先で、すぐあとに葵も同じ子を好きになった。
幼稚園の、同じ組の、やんちゃな男の子。
最初は私と一緒に遊んでくれたのに、気が付いたら、いつの間にか、その子は葵とばかり遊ぶようになっていた。
小さい頃の私はそれが悔しくて、哀しくて、寂しくて。
同じ顔の葵に、文句をいったような気がする。
その時、葵は不思議な顔をして、本当に不思議な顔をして。
私たちは同じなのに、なんでそんなこと言うの?って。
私の中では、私と葵だったけど。
葵の中では、私は葵だったらしい。
葵は空っぽだった。
からっぽの葵は、私を見て、私の真似をして、私のようにふるまって、自分の中身を満たしていた。
私が2人いる。
じゃぁ私はいったい何なんだろう。
私は葵にお願いをした。
「私じゃなくなって」
それから私は髪型を変え、ふるまいを変え、たたずまいを変え。
変わったのは私だったかな?葵の方だったかな?
とにかく、ある時を境にして、葵は活発になり、私はおしとやかになった。
そういう風に、分担した。
活発になった葵はクラスの人気者になっていき、おしとやかな私はクラスの中でも埋没していった。
同じ顔なのに、中身は同じなのに。
人は、外側だけで中身まで判断してくるものなのだと、私は悟っていった。
私はたくさん本を読んで、葵もたくさん本を読んでいった。
でも、だんだんと、私たちは枝分かれしていった。
私は読んだ本を本棚にちゃんときちんと几帳面に収めるようになり、葵は読んだ本をそのまま床の上に置きっぱなしにするようになった。
私は黒髪をストレートにしていて、葵は短く切って活動的になっていた。
外では明るい葵だけど、家に帰ったら大人しくなった。
正確にいえば、元に戻る。
何もなかった、からっぽの葵に。
…本当は、もうからっぽじゃないのかもしれない。葵の中に、葵が出来上がっていたのかもしれない。
そこのところは分からなかったけど、葵が、私を大事にしてくれているのは分かっていた。
それだけで、私は満足だった。
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中学一年になって、私はいじめられた。
きっかけはささいなことだったように思う。
あの頃のことは思い出したくない。人は思い出したくないことは、都合よく記憶のかなたに忘却することができるみたいだ。
葵は不思議そうだった。
葵はいじめられていなかった。
葵はクラスの人気者だった。
同じ顔なのに。
同じ人間なのに。
不公平だ、とも思ったけど、これでいいんだ、とも思った。
私の世界は本の中にだけあって、その世界の中では私は自由だったからだ。
私は閉じこもって、壁を作って、自分を守って。
葵が何を考えているかだなんて、もうわかなくなっていた。
だけど、本当は、自分で自分を騙していただけなんだな、と思う。
私は耐えられなくなっていたんだろうな、と思う。
私は葵に、「助けて」とお願いした。
葵は私に、「分かった」と言って。
その次の日、葵は制服をズタズタにして帰ってきて。
それから私へのいじめはなくなって。
それで私たちは学校にはいられなくなった。
葵が何をしてきたのかは、怖くて聞けなかった。
でも、葵が私のために何かをしてくれたのだけは分かっていた。
もう私は葵じゃないけど。
もう葵は私じゃないけど。
お互いがお互いを、大事に思っていたのだけは間違いないと思う。
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人を好きになる、という気持ちは分からない。
小さいころ、やんちゃなあの子を好きになったのは、たぶん本心だったとは思うけど。
その子を葵にとられてからは、人を好きになるのはやめようと思っていた。
人を好きになったとしても、どうせ葵にとられてしまうのだから。
転校してからも同じような日が続くんだろうな、と思っていた。
代り映えはしないだろうけど、それでも穏やかに進んでいく毎日が続くんだろうな、と思っていた。
まさか転校先で、光に出会うなんて、思ってもいなかったんだ。
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女の子が女の子を好きになる話が好き。
そんな話を妄想するのが好き。
でも、自分が女の子を好きになるだなんて、思ってもいなかった。
いつから好きになってしまったのだろう。
気が付いたら、その子に会うために学校に行くようになってしまっていた。
あの子と部室で語り合う、他愛もない時間だけが、私の中でのすべてになっていた。
ポニーテールで、同じ作家が好きな、私の好きな子。
私の好きな子が好きな相手は、私じゃなかった。
仲良くなっていくうちに、いろんな話をしていくうちに、あの子が恋をしていることが分かった。
好きな人の話をしている時、あの子は、本当に幸せそうな顔をしていた。
そんな顔を見ていたら、私ももっともっとその子を好きになるし。
好きになればなるほど、心が痛かった。
私を好きになってほしい。
私のことを、欲しがってほしい。
私と一緒に、ずっと笑いあって、話をしてほしい。
「告白しようと思っているの」
あの日、あの子がそんなことを言っているのを聞いてしまった。
告白…告白。
あの子は可愛いから、あの子は素敵だから、あの子はキラキラ輝いているから。
あの子が告白して、あの子を断る人がいるはずなんてない。
あの子が他の子のものになる。
あの子が私から離れていく。
(いやだ)
(いや)
(いや)
そんなの、嫌だ。
わがままかもしれない、わがままだと思う。
身勝手かもしれない、身勝手だと思う。
それでも、あともう少しだけ、あとちょっとだけ、あの子とこんなぬるま湯の中につかるような暖かくて心地のいい世界に浸っていたい。
だから私は葵になんとかしてほしいと頼んで。
葵も私のために、わかった、といってくれた。
世界が手に入らないなら。
もう世界なんて壊しちゃってもいいや、って思った。
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拍手の中で、世界は壊れた。
喝采の中で、世界は壊れた。
そのきっかけを作ったのは、間違いなく私だった。
「いつから好きだったの?」
「なんかすごいもの見ちゃった」
「幸せになってね!」
クラスメイトに囲まれて質問責めにあっている葵をみつめる。
葵はにこにこ笑いながら答えているけど…その本当の心を知っているのは私だけだった。
葵は私の為に演じてくれている。
私の願いをきいて、私のためだけに。
喧騒の中、教室から飛び出していく美月さんの姿がみえた。
私が壊してしまった。
力なく笑っている、颯真くんの姿が見えた。颯真くんが…葵のことを…好きなわけが…本当は…ない…
なのに颯真くんは笑っている。
私が壊してしまった。
葵は嬉しそうに颯真くんと手を組んでいる。にこやかに笑って、笑って、笑って。
私が壊してしまった。
怖くて、私の大好きなあの子が見れない。
こんなにめちゃくちゃにして、こんなに駄目にして、こんなにひどいことをして。
私はもう、あの子の友達ですらいれなくなるかもしれない。
ううん。
たぶんそうなるだろう。
私は、私で、私の世界まで壊してしまった。
いったい、私は。
なにをしているんだろう。
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凛を見る。
凛が泣いている。
凛を泣かせてしまった。
凛は、私のことを、からっぽだと思っている。
私のことを都合よく利用して、そしていつも自己嫌悪に陥っていて。
そんな凛のことが…私は、好き。
私は空っぽなんかじゃない。
私は、凛のおかげで、凛のことを思うだけで、満たされているんだよ。
凛が泣いている。
凛を泣かせてしまった。
いや。
駄目。
凛が泣くのは駄目。
私がしたいのは、凛を幸せにしてあげたいだけなのに。
また、失敗しちゃった。
私が凛の為に何かをしたら、いつも絶対に、凛が傷ついてしまうんだ。
どうしよう。
どうすればいい?
誰か…
凛を、助けて。




