第38話 お願いがあるの【未来13歳/沙織25歳】
朝、誰もいない教室。
いつもより1時間早く家を出た私は、いつもより1時間早く学校についていた。
自分の席に鞄を置くと、椅子をひいて座る。そしてそのまま天井を見つめた。まっすぐに伸びている天井の線を愛でなぞる。この行動に意味なんてない。ただ、時間をつぶしているだけだ。
(それにしても)
昨夜のことを思い出す。沙織さんに、デートを申し込んだときのことを。あの時、沙織さん、一瞬何を言われたか分からずに、口を開けたままぽかんとしていた。
(そんな、気の抜けた表情の沙織さんも、好き)
思い出すだけで、頬がゆるんでしまう。いけないなぁ、私、沙織さんのことになると、何をとっても何をみても、全部全肯定してしまっている…でも、仕方ないよね、好きで好きで、たまらないんだもん。
(で、デート?)
(うん、デート!)
(私なんかより、一緒に回るお友達がいるでしょう?)
(沙織さんがいいの…私、沙織さんと、一緒にデートしたいの)
なんとかいなそうとしてくる沙織さんに対して、なんとか了承を得ようと頑張った私。少々強引だったかな…でも、いいんだ、強引でも。
関係を変えようとしてるんだもん…壁を乗り越えるためには、少しくらい無茶しなければいけない時だって、あるよね。
結局、最後は沙織さんが折れてくれた。少し困った顔をしていたけど、仕方なくといった感じだったけど、それでも、私とデートすることを了承してくれた。
(あとは)
頬がゆるむ。沙織さんとデートできるのだと考えただけで、もう頬どころか、背骨まで溶けてしまいそうだった。
(せっかくつかんだこのチャンス…絶対に…絶対にものにしなくちゃ)
天井をみながら、椅子にもっと背をかける。椅子はぎぃって悲鳴をあげるけど、気にしない。私は、文化祭の日、沙織さんとデートして、そこで。
(告白、するんだ)
「ごめんね、遅くなっちゃって」
教室の扉が開いて、私が今朝、こんなに早く登校する理由をつくった子が息を切らせながら入ってきた。
可愛いツインテールが揺れている。肩で息をしているその子は、私の親友、美月だった。
「ううん、気にしないで」
私も、いま来たばかりだから、と答えて椅子を元に戻す。
急いで走ってきた美月の顔は汗がだらだらと流れていた。
「風邪ひくよ」
そう言って、ハンカチを渡す。美月は「ありがとう」とお礼を言ってハンカチを受け取ると汗を拭いて、ようやく息を整えて、私の席の隣に座る。
「あのね」
美月は私の目をまっすぐに見つめたまま、口を開く。いつも優しい美月だけど、時々、触れられないほど真剣になるときがある。
それは、絵を描いている時であったり、大事なものを守ろうとしている時であったり…とにかく、美月にとって、譲れない何かをしている時であり、それが今だった。
「未来ちゃんに…お願いがあるの」
「うん」
美月は深呼吸した後、息をととのえ、私を見つめる。
「私…告白しようと思うんだ」
「誰に?」
「もう、怒るよ、未来ちゃん」
「ごめんごめん」
ようやくか、とも思うし、ついに来たか、とも思う。
相反する二つの感情が混ざり合って、私の心の中に渦を巻いていく。
「文化祭の後、颯真に、告白する」
「…うん」
「告白したら、親友のままではいられないかもしれないけど」
成功したとしても、失敗したとしても。
行動を起こせば、関係性は変わる。
「でも…今のままずっと続くのは、嫌なの」
美月はそう言うと、私の手を握ってきた。
「未来ちゃん、応援、してくれる?」
握られる手が熱い。その温度が、美月の心の中の温度だった。小学校の時、颯真は、私に告白をしてきて、私はそれを受け入れることは出来なかった。その時も、今と変わらず、私の心の中には沙織さんしかいなかったからだ。
その時のことを、美月は知っている。
当然、今も覚えていると思う。
だから、自分が告白しようとするとき、美月はあえて私に先に相談にきたのだと思う。
昔から、私の親友は。まっすぐで、不器用で、そして…輝いている。
「当り前だよ」
私はこたえる。
素直な気持ちだった。この子を、応援したい。私の大事な親友を、応援したい。たとえそのことで私たち三人の関係が永遠に変わることになるとしても、今の関係が永遠に続くことに比べたら何倍もマシだった。
「…ありがとう、未来ちゃん」
「ううん。ありがとうは私の方だよ」
こんな私と親友でいてくれて、ありがとうね。
そう思いながら、口では別のことを言っていた。
「それにしても、美月はやっぱり、私の親友だね」
「どうして?」
「だって、私もだもん」
「…?」
「私もね、文化祭の後、告白しようと思ってるの」
大好きな、人に。
関係が変わるのは怖いけど、でもそれでも、関係を変えたいと思える人に。
「…ふふっ」
「私たち、似てるね」
私たち二人は手をとりあって、笑って、「2人で告白しようね」と言いあった。そう言っている時に。
「…おはよう」
いつのまにか扉が開いていて、いつの間にか凛がそこに立っていた。あまりにも静かに入ってきたので、近くに来るまでまったく気が付かなかった。
そういえば、いつも凛は早くに登校していたな、と思いだした。
(さっきの私たちの会話、聞かれていたかな?)
と思ったけど。
「2人して、何はなしていたの?」
と首をかしげながら聞かれてきたので、よかった、聞かれてはいなかったみたい、と安心して、美月と目を合わせた後、笑いあった。
「なんでもないよー」
6月終わりの朝日が、やわらかく部屋に差し込んできて、私たち3人を照らしていた。
■■■■■
放課後。
私はいつも通り文芸倶楽部の部室の扉の前にいた。
鍵をあけようとしたら、鍵はもうすでに開いていた。
凛が先に来ているのかな、とも思ったけど、凛はいつも少しどこかによった後(たぶんお花摘みをした後)に部室に来るから、たいていの場合は私の方が先に来ることになる。
(ということは)
私は勢いよく扉をあけると、
「先輩!お久しぶりです!」
と大きな声をあげて部室の中に入った。
部室の中には…饅頭がいた。
いや違う。
正確には、まんまると丸まった毛布が部室の片隅にころがっていた。
そしてその毛布が、もぞもぞと動く。
中から、銀髪の女生徒が顔を出してきた。肌が白い。ちょっと病的なほどに真っ白。長い銀髪に白い肌だから、見た目からして日本人離れしているその人は、私と凛以外の文芸倶楽部員である、3年の神見羅先輩だった。
「先輩がいるなんて珍しいですね」
「私だって一応、文芸倶楽部員だからね」
ほとんど幽霊部員だけど、と神見羅先輩はぼそっとつぶやいた。
「文芸倶楽部として文化祭の出し物の準備をしないといけないだろう?3人しかいないこの弱小倶楽部だ。ちゃんとしなかったら部が廃止されてしまうかもしれないし、もしもそうなったら…」
「申し訳が立たない、ですか?」
「うんにゃ。私の寝場所がなくなってしまう」
まったく、私たちはいい先輩を持てて幸せですよ、と軽く嫌味を言ってみたら、「はは、そんなに褒めないでくれ。褒められるほどの先輩じゃないから」と普通に返された。いい性格してる、本当に。
そんなやりとりをしていたら。
「…あ、先輩、いたんですか」
と、冷たい声と共に凛がやってきた。
どうやら、無事にお花摘みは終わったらしい。
「お前は相変わらず冷たいなぁ」
「先輩が適当すぎるからです」
「星野を見ている時は優しそうな顔してるのになぁ」
「な…っ」
凛は顔を真っ赤にして神見羅先輩を睨みつける。
先輩は「ごめんごめん」と言いながら、再び布団の中にもぐりこんでいった。
「あれ?先輩、文化祭の出し物を手伝ってくれるんじゃなかったんですか?」
「私は監督ー」
試合も見ずに、いったい何を監督する気なのか。
「それに、私がいないで2人っきりのほうが、白鷺も嬉しいだろ?」
「げし」
返事の代わりに凛は遠慮なく毛布を足蹴にした。
教室でのあのおとなしい凛はどこにいるのか…そう思うと、ついつい笑ってしまった。
「何笑ってるの、未来?」
「いやー。ごめんね、凛」
私は頭をかきながら、笑ってこたえる。
「凛のそういうところ、クラスにみんなに見せたら、クラスのみんなが凛を見る目も変わってくるだろうな、って思って」
「別にどうでもいいわよ」
…未来がいてくれるなら、と、凛が私に聞こえるか聞こえないかの小さな声でぼそっとつぶやいた。
「さ、あんな先輩はおいといて、早く文芸倶楽部の出し物をやっちゃいましょう」
「出し物っていっても、私たちは模造紙に研究発表を描きこむだけだけどね」
そう、文芸倶楽部の文化祭の発表といえば、模造紙6枚にわたる作家の紹介であった。
去年はシェリダン・レ・ファニュについての研究だった。有名な「吸血鬼カーミラ」の作者であり、この発表を企画、制作したのは今ここで丸まっている役立たず…おほん、神見羅先輩だった。
本人曰く、「私と名前が似てるから」という、とんでもない理由であったのだが、それが意外に面白い発表だったのだからこの先輩は分からない。
「それで今年は…」
「私たち2人がやるのだから」
「もちろん」
スティーブン・キングについての発表だった。
モダンホラーを切り開いた偉人であり、私の大好きな作家であり、それに何より、私と凛が仲良くなるきっかけになった作家なのだから、他に選択肢があるわけがない。
「どの作品をメインでとりあげようか?」
「そうね、やっぱり…」
凛と2人で話をするのは楽しい。
凛も、私と話をしていて楽しんでくれているのが分かる。
本当、教室での凛とはまったく違う。にこにこしていて、楽しそうで、いつも笑っていて。
(みんなの前で、この笑顔だしたら…モテるだろうになぁ)
またそう思って、でも口に出したらまた嫌がられるかとも思って、結局、口に出さずにじーっと凛を見つめた。
私の視線に気づいた凛は。
「…っ」
頬を赤らめて、目を逸らした。
「せーしゅんだねぇ」
毛布の中から声がして、凛は近くにおいてあった京極夏彦の「絡新婦の理」の文庫本(1408ページ)を遠慮なしに投げつけた。
「ぐぇ」
と声がして、私と凛は目を合わせて笑った。
二つの笑い声が、部室の中を彩っていた。
■■■■■
夜。
暗い部屋。
電気もつけずに、部屋の半分に散らばった本がうっすらと浮かび上がっている。
私は、部屋の片隅をじっと見ていた。
じっと。
じっくり。
何も無かったはずの壁が、動いた。
それは壁ではなかった。
私の半分だった。
「葵」
見えなくても分かる。
生まれる前、私たちは一つだったのだから。
「凛」
声がする。
私と…まったく、「同じ」声。
私と葵はふたごだけど、教室でしゃべっている声は似ているようで違う。だから葵の声を私と間違える人はいないし、その逆もまたしかりだった。
でもそれは、あえてそうしているだけだ。
正確にいえば…葵が、わざと声を変えているだけだ。
でも今は部屋に2人きり。
なんの気兼ねもなく、なんの制約もなく、葵は素の葵になる。
からっぽの、葵に。
「葵に、相談があるの」
「知ってる」
「私ね…好きな人が…できたかもしれないの」
「知ってる」
「この気持ちが本物なのか偽物なのかは分からないけど、けど、もやもやして仕方ないの」
「知ってる」
「だから…」
告白なんて、聞きたくない。
告白なんて、させたくない。
聞こえていないわけなかったでしょう?
聞こえていたに決まっているでしょう?
「葵」
「なぁに」
「お願いがあるの」
「…知ってる」
暗闇の中、私は、口を開いた。
「なんとか…して」
「分かった」
いつもみたいに。
いつもどおりに。
暗闇の中、私は部屋にかけられている服を見た。
葵の制服。
前の学校で着ていた制服。
ズタズタに、切り裂かれた制服。
そして、また。
闇が私たちを包んで溶けていく。




