第30話 同類、ですね。【未来10歳/沙織22歳】
チャイムの音が聞こえる。
放課後、生徒たちに帰宅を促すチャイムの音。
幾人もの生徒たちが、私の横を通り過ぎていく。
私はその子たちにそっと手を振りながら…隣を歩いている結城先生をゆっくりと見つめた。
「なにを、言っているんですか?」
「なにをって…」
結城先生は少し首をかしげる。ふぁさっと、その金髪が揺れる。6月の夕陽はまだ明るく、その夕陽を背にした結城先生は一段と…そう、一段と、魅力的にうつった。
「聞こえませんでした?」
「聞こえましたけど…」
「言葉通りの意味ですよ」
また、結城先生が顔を近づけてきた。いい香りがただよってくる。心を惑わすような、そんな香りが。
「水瀬先生…女の人、好きでしょう?」
「な…」
なにを、言っているのか。
そんな、突然、根の葉もないことを…いや、なくはない、のか。
でも。
「答える必要を感じません」
「あはっ」
視線を逸らしながら私がそう答えると、結城先生は手を口元にあて、ちょっと驚いたような表情を浮かべる。そしてそのまま、いたずらっぽく笑った。
「ごめんなさいね。別に、変な気持ちで言ったわけじゃなかったんですよ」
そのまま、私と歩調を合わせて、隣を歩いていく。私は駅に向かっているのだけど、結城先生は電車通勤だっただろうか?いつも電車でみることはないから、違うような気がする。
「私の住んでいるマンション、このそばなんです」
まるで私の心を読んだかのように、結城先生がそう語り掛けてくる。そうか。たまたま、方向が同じだっただけか。なら、この変な会話ももうすぐ終わるという事か。
「結城先生は一人暮らしされているのですか?」
なんとなく、聞いてみる。
別に深く知りたかったわけではない。ただ、会話の間をもたそうとしただけだった。こちらが会話の主導権を握っていなければ、また、さっきみたいに変な質問をされてしまうかもしれなかったから。
「違いますよ」
そういうと、結城先生は目の前のマンションにむかって駆け出していった。白いスーツが体のラインを際立たせている。
このマンションが、結城先生の住んでいるマンションなのだろうか?
たぶん、そうなんだろう。
結城先生はふりかえり、笑った。
「ここで、大好きな人と、一緒に住んでいます」
頬を赤らめる。
目を細める。
形のいい口を、開く。
「姉と一緒に」
(水瀬先生と私、同類なのかな、って)
先ほどの、結城先生の言葉が頭の中を駆け巡る。
同類…同類って、言っていた。
私と、同じ?
(女の人、好きでしょう?)
(私もなんですよ)
(好きなんです…女の人が)
「私…姉を、愛しているんです」
そう言うと、結城先生はにこりと手をふって、マンションの中へと消えていった。
一人残された私は呆然として…その場に立ち尽くしていた。
■■■■■
困惑した頭のままで電車に乗り、困惑した頭のままで自宅に戻り、困惑した頭のままで準備をして自宅を出た。
外はすっかり暗くなっていて、私の足音だけがこつん、こつんと響き渡っている。
私の家から未来ちゃんの家までは近い。歩いてすぐにたどり着く。
田舎道を歩きながら、先ほどの結城先生の言葉を思い返す。
(姉を、愛しているんです)
そう言っていた。
姉を。
愛しているって。
(同類)
同類だった。同類であって、そして、同類ではなかった。
結城先生は…愛する人を手に入れていて。
私は…愛する人を失っている。
あの人は、私の中に、何を感じ取ったのだろう。
教師として高校に赴任してからまだ2か月しかたっていない。その間に、私の家族の話なんてほとんどしていないのに…
私の中のなにかが、漏れ出していたのだろうか。
そんなことを思っていたら、もう未来ちゃんの家の前にまでついていた。
さすがに、家が近いだけはある。
未来ちゃんの家の玄関には、淡いミントグリーンの傘が立てかけられていた。6月の今は、雨もよく降る。今日は降っていないけど、もしものために置いてあるのかな、それとも、以前ふった時においてそのまま忘れていたのかな、などとぼんやり考えながら、玄関のチャイムを押した。
中から足音がする。
未来ちゃんの足音ではない。未来ちゃんなら、元気よくぱたぱたっとした足音でかけてくるからだ。
玄関の扉があき、出てきたのは、男の人だった。
姉さんの…旦那さん。
部屋着をきたままで、穏やかな笑みを浮かべている。
「いつも有難うございます、沙織さん」
「とんでもないです…私がやりたくてやっているだけですから」
それに、姉さんとの約束ですから、と心の中で思う。
私は促されて玄関の中に入り、履いていた靴を脱いでそろえて置いた。
家の中は静かで、しんと空気が張り詰めていた。
リビングのテーブルにはベビーグッズが並んでいる。
音の出るおもちゃ、小さな靴下、それに消毒液や、替えのオムツ。
見てみると、ベビーベッドの中でつむぎちゃんがすやすやと寝ていて、それに寄り添うように、未来ちゃんがベビーベッドの傍で気持ちよさそうに寝ていた。
未来ちゃんには冷えないように薄い毛布がかけられていて、旦那さんの愛情を感じ取ることができた。
「可愛い」
「先ほど、やっと寝まして…疲れたのか、未来も一緒に寝てしまいました」
そう言いながら、旦那さんは頭をかいている。
「恥ずかしながら、私じゃうまく寝かしつけることができなくて…未来の方がよっぽどうまいんですよ」
「そんなこと…」
ありませんよ、と言おうとして、いや、そうでもあるかな、とも思った。
旦那さんがつむぎちゃんをあやそうとして、逆に泣きだされて途方にくれている姿を何度も見ている。
真面目で、一生懸命だけど、どこか抜けていて不器用な人だった。
(だから)
ちゃきちゃきしていた姉さんと相性がよかったのかな、と思って、少し胸が痛くなる。
旦那さんが立ち上がって、カップにお茶を注いでくれた。
「よろしければ、どうぞ」
「有難うございます」
暖かい香りがする。少し、気持ちが落ち着いてきた。
「あらためまして、本当に、助かっているんです。有難うございます」
旦那さんはそう言うと、頭をさげてくる。
いえいえ、そんなことしないでくださいと、あわてて静止する。
「あなたがいてくれると、未来もすごく喜ぶんです」
旦那さんはテーブルの向かい側にすわって、そう語り掛けてきた。
言いながら、優しい瞳で寝ている未来ちゃんの方をみている。
「私も、未来ちゃん大好きですから」
この言葉は本当だ。
私も、未来ちゃんと一緒にいると、心がほわっと暖かくなる。
いつもまっすぐな行為を向けてくれて、その瞳を見ているだけで、何とも言えない気持ちになる。
「母親を失くして…悲しいはずなのに、逆に、自分がつむぎちゃんの母親になるんだって、いつも言っているんです」
姉になるんじゃなくって、母親なの?と、ちょっとおかしくなる。
母親。母親か。
未来ちゃんがつむぎちゃんの母親になるなら、その未来ちゃんの母親には、私がなってあげないといけない。
(未来のこと、お願いね)
姉さんの言葉が、私を縛り付けている。違う。私の思いだ。この思いは、私だけの想い…のはずなんだ。
「あれは…未来のことを、すごく大事にしていました…愛していました」
旦那さんがそういう。
あれ…とは、姉さんのことだ。あれ、という言い方に、やっぱり少し、心が動揺する。
「紬希のことも、生まれる前から愛していました」
旦那さんは目を閉じる。
少しの間、沈黙が流れる。
私は手にしていたカップを置いた。お茶が半分くらい残っているそのコップは、テーブルにあたると、こつん、という音がした。
「それに…」
旦那さんが、目を開ける。
私の方を、じっと見つめてくる。
優しさと、怖れと、確信と、いろいろなものが詰まっている、何とも言えない、深い瞳。
「沙織さん、あなたのことも」
あれは、愛していました。
旦那さんの口から零れる言葉。
姉さんが、私を。
愛して。
私は旦那さんを見つめる。
汗が頬をつたう。
この人は。
どこまで。
(知っているのだろう)
(知っていたのだろう)
優しい瞳。
不器用な人。
でも。
その中に、決して譲れない、なにかを見出すことができる。
私は目を閉じる。
そして、思う。
姉さんのことを。
私の初恋の人のことを。
私が恋焦がれて、焦がれて、欲しくてほしくて、そして手に入れることができなかった人のことを。
目の前にいる人に…とられた人のことを。
「私も」
目を開ける。
はっきりと、まっすぐに、旦那さんを見つめる。
「姉を、愛していました」
家族として。
異性として。
旦那さんは私を見て。少し、申し訳なさそうな顔をして。
目を閉じて。目を開けて。
いろいろ言葉を選んでいるのが分かって。
困っているのが分かって。
そんな旦那さんを見ているだけで、少し、おかしくなって。
やがて。
なんとか言葉をみつけたのか、旦那さんは笑っていった。
「…私たち…同類ですね」
あは。
あははははは。
また言われた。
どう返事するか迷った私は、結局返事をすることなく、ただ、笑ってこたえただけだった。
■■■■■
「あーーーーー!!沙織さんだーーー!」
起きた未来ちゃんは私を見ると、とるものもとりあえず、まっさきに飛びついてきた。
ぎゅーっと抱きしめられて、
「おかえり!沙織さん!」
というと、私の胸に顔をうずめてくる。
「ただいま、未来ちゃん」
と言葉を返しながら、私の家はここじゃないんだけど、いいのかな?と思いつつ、嬉しそうな未来ちゃんを見ていると、まぁいいか、という気持ちになる。
「沙織さんと一緒にいると…安心する…」
私の胸のなかで、未来ちゃんはそう言葉をもらす。
「つむぎちゃん…可愛いのに…私、いいお姉ちゃんになりたいのに…つむぎちゃん何もいう事聞いてくれないし、夜泣きで全然寝れないし、うんちするし…オムツかえないといけないし…」
未来ちゃんの顔は見えない。私は未来ちゃんの頭をぽんぽんと叩きながら、「未来ちゃんはえらいよ」とできるだけ優しく言葉をかける。
「ときどき、なんでこんなことしてるんだろ、って思っちゃうことあるの…駄目だね…わたし、お姉ちゃん失格だね」
「そんなことないよ」
「ほんとに?」
「ほんとに」
「わたし、お姉ちゃんになれてる?」
「なれてるよ」
未来ちゃんが欲しがっている言葉を考える。考えて、考えて、特に思い浮かばなかったので、ただ思ったことを伝えた。
「未来ちゃん、つむぎちゃんのこと、好き?」
「…すき」
「いう事聞かなくても?」
「きかなくても」
「泣いても?」
「ないても」
「可愛い?」
「…とってもかわいい」
「お姉ちゃんってね」
ぽんぽんと、頭をたたく。
目を閉じて、言う。
「ずーっと、お姉ちゃんなんだよ。大事な大事なお姉ちゃん。妹にとってね、お姉ちゃんって、死ぬまでずっと、お姉ちゃんなんだ」
私の姉さんも…最後まで、姉さんだった。
…とうとう恋人にはなれなかった。
「沙織さん」
「なぁに?」
「けっこんして」
「あははっ」
まったく。
まったく、この子は、もう。
まったく!
可愛いなぁ。
変わらない未来ちゃんの愛情に、私の心がふっと震える。
(未来のこと、お願いね)
姉さんの言葉が思い浮かぶ。
うん。
まかせて、姉さん。
私は、これからも、ずっとずっと、この子のことを、守るからね。
お母さんになるからね。
私は返事の代わりに、笑って未来ちゃんの髪を撫でた。
優しく、やさしく、心をこめて。
私のこの指先が。
どうか、静かに愛を伝えてくれますように。




