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恋してしまった、それだけのこと  作者: 雄樹
第三章 【未来10歳/沙織22歳】
30/85

第30話 同類、ですね。【未来10歳/沙織22歳】

 チャイムの音が聞こえる。

 放課後、生徒たちに帰宅を促すチャイムの音。

 幾人もの生徒たちが、私の横を通り過ぎていく。

 私はその子たちにそっと手を振りながら…隣を歩いている結城先生をゆっくりと見つめた。


「なにを、言っているんですか?」

「なにをって…」


 結城先生は少し首をかしげる。ふぁさっと、その金髪が揺れる。6月の夕陽はまだ明るく、その夕陽を背にした結城先生は一段と…そう、一段と、魅力的にうつった。


「聞こえませんでした?」

「聞こえましたけど…」

「言葉通りの意味ですよ」


 また、結城先生が顔を近づけてきた。いい香りがただよってくる。心を惑わすような、そんな香りが。


「水瀬先生…女の人、好きでしょう?」

「な…」


 なにを、言っているのか。

 そんな、突然、根の葉もないことを…いや、なくはない、のか。

 でも。


「答える必要を感じません」

「あはっ」


 視線を逸らしながら私がそう答えると、結城先生は手を口元にあて、ちょっと驚いたような表情を浮かべる。そしてそのまま、いたずらっぽく笑った。


「ごめんなさいね。別に、変な気持ちで言ったわけじゃなかったんですよ」


 そのまま、私と歩調を合わせて、隣を歩いていく。私は駅に向かっているのだけど、結城先生は電車通勤だっただろうか?いつも電車でみることはないから、違うような気がする。


「私の住んでいるマンション、このそばなんです」


 まるで私の心を読んだかのように、結城先生がそう語り掛けてくる。そうか。たまたま、方向が同じだっただけか。なら、この変な会話ももうすぐ終わるという事か。


「結城先生は一人暮らしされているのですか?」


 なんとなく、聞いてみる。

 別に深く知りたかったわけではない。ただ、会話の間をもたそうとしただけだった。こちらが会話の主導権を握っていなければ、また、さっきみたいに変な質問をされてしまうかもしれなかったから。


「違いますよ」


 そういうと、結城先生は目の前のマンションにむかって駆け出していった。白いスーツが体のラインを際立たせている。

 このマンションが、結城先生の住んでいるマンションなのだろうか?

 たぶん、そうなんだろう。

 結城先生はふりかえり、笑った。


「ここで、大好きな人と、一緒に住んでいます」


 頬を赤らめる。

 目を細める。

 形のいい口を、開く。


「姉と一緒に」


(水瀬先生と私、同類なのかな、って)


 先ほどの、結城先生の言葉が頭の中を駆け巡る。

 同類…同類って、言っていた。

 私と、同じ?


(女の人、好きでしょう?)

(私もなんですよ)

(好きなんです…女の人が)


「私…姉を、愛しているんです」


 そう言うと、結城先生はにこりと手をふって、マンションの中へと消えていった。


 一人残された私は呆然として…その場に立ち尽くしていた。



■■■■■


 困惑した頭のままで電車に乗り、困惑した頭のままで自宅に戻り、困惑した頭のままで準備をして自宅を出た。


 外はすっかり暗くなっていて、私の足音だけがこつん、こつんと響き渡っている。


 私の家から未来ちゃんの家までは近い。歩いてすぐにたどり着く。

 田舎道を歩きながら、先ほどの結城先生の言葉を思い返す。


(姉を、愛しているんです)


 そう言っていた。

 姉を。

 愛しているって。


(同類)


 同類だった。同類であって、そして、同類ではなかった。

 結城先生は…愛する人を手に入れていて。

 私は…愛する人を失っている。


 あの人は、私の中に、何を感じ取ったのだろう。

 教師として高校に赴任してからまだ2か月しかたっていない。その間に、私の家族の話なんてほとんどしていないのに…


 私の中のなにかが、漏れ出していたのだろうか。


 そんなことを思っていたら、もう未来ちゃんの家の前にまでついていた。

 さすがに、家が近いだけはある。

 未来ちゃんの家の玄関には、淡いミントグリーンの傘が立てかけられていた。6月の今は、雨もよく降る。今日は降っていないけど、もしものために置いてあるのかな、それとも、以前ふった時においてそのまま忘れていたのかな、などとぼんやり考えながら、玄関のチャイムを押した。


 中から足音がする。

 未来ちゃんの足音ではない。未来ちゃんなら、元気よくぱたぱたっとした足音でかけてくるからだ。

 玄関の扉があき、出てきたのは、男の人だった。

 姉さんの…旦那さん。

 部屋着をきたままで、穏やかな笑みを浮かべている。


「いつも有難うございます、沙織さん」

「とんでもないです…私がやりたくてやっているだけですから」


 それに、姉さんとの約束ですから、と心の中で思う。

 私は促されて玄関の中に入り、履いていた靴を脱いでそろえて置いた。


 家の中は静かで、しんと空気が張り詰めていた。


 リビングのテーブルにはベビーグッズが並んでいる。

 音の出るおもちゃ、小さな靴下、それに消毒液や、替えのオムツ。

 見てみると、ベビーベッドの中でつむぎちゃんがすやすやと寝ていて、それに寄り添うように、未来ちゃんがベビーベッドの傍で気持ちよさそうに寝ていた。

 未来ちゃんには冷えないように薄い毛布がかけられていて、旦那さんの愛情を感じ取ることができた。


「可愛い」

「先ほど、やっと寝まして…疲れたのか、未来も一緒に寝てしまいました」


 そう言いながら、旦那さんは頭をかいている。


「恥ずかしながら、私じゃうまく寝かしつけることができなくて…未来の方がよっぽどうまいんですよ」

「そんなこと…」


 ありませんよ、と言おうとして、いや、そうでもあるかな、とも思った。

 旦那さんがつむぎちゃんをあやそうとして、逆に泣きだされて途方にくれている姿を何度も見ている。

 真面目で、一生懸命だけど、どこか抜けていて不器用な人だった。


(だから)


 ちゃきちゃきしていた姉さんと相性がよかったのかな、と思って、少し胸が痛くなる。


 旦那さんが立ち上がって、カップにお茶を注いでくれた。


「よろしければ、どうぞ」

「有難うございます」


 暖かい香りがする。少し、気持ちが落ち着いてきた。


「あらためまして、本当に、助かっているんです。有難うございます」


 旦那さんはそう言うと、頭をさげてくる。

 いえいえ、そんなことしないでくださいと、あわてて静止する。


「あなたがいてくれると、未来もすごく喜ぶんです」


 旦那さんはテーブルの向かい側にすわって、そう語り掛けてきた。

 言いながら、優しい瞳で寝ている未来ちゃんの方をみている。


「私も、未来ちゃん大好きですから」


 この言葉は本当だ。

 私も、未来ちゃんと一緒にいると、心がほわっと暖かくなる。

 いつもまっすぐな行為を向けてくれて、その瞳を見ているだけで、何とも言えない気持ちになる。


「母親を失くして…悲しいはずなのに、逆に、自分がつむぎちゃんの母親になるんだって、いつも言っているんです」


 姉になるんじゃなくって、母親なの?と、ちょっとおかしくなる。

 母親。母親か。


 未来ちゃんがつむぎちゃんの母親になるなら、その未来ちゃんの母親には、私がなってあげないといけない。


(未来のこと、お願いね)


 姉さんの言葉が、私を縛り付けている。違う。私の思いだ。この思いは、私だけの想い…のはずなんだ。


「あれは…未来のことを、すごく大事にしていました…愛していました」


 旦那さんがそういう。

 あれ…とは、姉さんのことだ。あれ、という言い方に、やっぱり少し、心が動揺する。


紬希つむぎのことも、生まれる前から愛していました」


 旦那さんは目を閉じる。

 少しの間、沈黙が流れる。

 私は手にしていたカップを置いた。お茶が半分くらい残っているそのコップは、テーブルにあたると、こつん、という音がした。


「それに…」


 旦那さんが、目を開ける。

 私の方を、じっと見つめてくる。

 優しさと、怖れと、確信と、いろいろなものが詰まっている、何とも言えない、深い瞳。


「沙織さん、あなたのことも」


 あれは、愛していました。

 旦那さんの口から零れる言葉。

 姉さんが、私を。


 愛して。


 私は旦那さんを見つめる。

 汗が頬をつたう。


 この人は。

 どこまで。


(知っているのだろう)

(知っていたのだろう)


 優しい瞳。

 不器用な人。

 でも。

 その中に、決して譲れない、なにかを見出すことができる。


 私は目を閉じる。

 そして、思う。

 姉さんのことを。

 私の初恋の人のことを。

 私が恋焦がれて、焦がれて、欲しくてほしくて、そして手に入れることができなかった人のことを。


 目の前にいる人に…とられた人のことを。


「私も」


 目を開ける。

 はっきりと、まっすぐに、旦那さんを見つめる。


「姉を、愛していました」


 家族として。

 異性として。


 旦那さんは私を見て。少し、申し訳なさそうな顔をして。

 目を閉じて。目を開けて。

 いろいろ言葉を選んでいるのが分かって。

 困っているのが分かって。

 そんな旦那さんを見ているだけで、少し、おかしくなって。


 やがて。

 なんとか言葉をみつけたのか、旦那さんは笑っていった。


「…私たち…同類ですね」


 あは。


 あははははは。


 また言われた。


 どう返事するか迷った私は、結局返事をすることなく、ただ、笑ってこたえただけだった。



■■■■■



「あーーーーー!!沙織さんだーーー!」


 起きた未来ちゃんは私を見ると、とるものもとりあえず、まっさきに飛びついてきた。

 ぎゅーっと抱きしめられて、


「おかえり!沙織さん!」


 というと、私の胸に顔をうずめてくる。


「ただいま、未来ちゃん」


 と言葉を返しながら、私の家はここじゃないんだけど、いいのかな?と思いつつ、嬉しそうな未来ちゃんを見ていると、まぁいいか、という気持ちになる。


「沙織さんと一緒にいると…安心する…」


 私の胸のなかで、未来ちゃんはそう言葉をもらす。


「つむぎちゃん…可愛いのに…私、いいお姉ちゃんになりたいのに…つむぎちゃん何もいう事聞いてくれないし、夜泣きで全然寝れないし、うんちするし…オムツかえないといけないし…」


 未来ちゃんの顔は見えない。私は未来ちゃんの頭をぽんぽんと叩きながら、「未来ちゃんはえらいよ」とできるだけ優しく言葉をかける。


「ときどき、なんでこんなことしてるんだろ、って思っちゃうことあるの…駄目だね…わたし、お姉ちゃん失格だね」

「そんなことないよ」

「ほんとに?」

「ほんとに」

「わたし、お姉ちゃんになれてる?」

「なれてるよ」


 未来ちゃんが欲しがっている言葉を考える。考えて、考えて、特に思い浮かばなかったので、ただ思ったことを伝えた。


「未来ちゃん、つむぎちゃんのこと、好き?」

「…すき」

「いう事聞かなくても?」

「きかなくても」

「泣いても?」

「ないても」

「可愛い?」

「…とってもかわいい」

「お姉ちゃんってね」


 ぽんぽんと、頭をたたく。

 目を閉じて、言う。


「ずーっと、お姉ちゃんなんだよ。大事な大事なお姉ちゃん。妹にとってね、お姉ちゃんって、死ぬまでずっと、お姉ちゃんなんだ」


 私の姉さんも…最後まで、姉さんだった。

 …とうとう恋人にはなれなかった。


「沙織さん」

「なぁに?」

「けっこんして」

「あははっ」


 まったく。

 まったく、この子は、もう。

 まったく!


 可愛いなぁ。


 変わらない未来ちゃんの愛情に、私の心がふっと震える。


(未来のこと、お願いね)


 姉さんの言葉が思い浮かぶ。

 うん。

 まかせて、姉さん。

 私は、これからも、ずっとずっと、この子のことを、守るからね。


 お母さんになるからね。


 私は返事の代わりに、笑って未来ちゃんの髪を撫でた。

 優しく、やさしく、心をこめて。


 私のこの指先が。

 どうか、静かに愛を伝えてくれますように。

 

 


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