第2話 結婚できないの?【未来8歳/沙織20歳】
「け…っこん?」
沙織さんが目を丸くして、私を見つめ返してくれている。
綺麗だな、素敵だな、独り占めしたいな、と、そんなことを思う。
私は沙織さんの手を握りしめたまま、もう一度、はっきりと、その吸い込まれそうな瞳を見ながら言葉を繰り返した。
「うん。けっこん、してっ」
本気だった。
こんなに本気になったのは、生まれて初めてだとはっきり言えるくらい、本気だった。まぁ、私、まだ8年しか生きていないんだけど。
ううん。
時間なんて関係ない。
もし、今の私が80歳のおばあちゃんだったとしても、重ねた人生すべてをかけて、同じような言葉を紡いでいたと思う。
好き。
その言葉だけが、私の頭の中をいっぱいに埋め尽くしていた。
「えーっと…未来、ちゃん…」
「あははははははは」
困惑する沙織さんを覆い隠すように、お母さんの高笑いが響き渡った。
「未来~、いきなり何言っているの」
「世界3番目の人はちょっと黙っていて」
お母さんの順位を順当に下げてながら、私は沙織さんを見上げた。
手はぎゅっと握りしめたまま。
沙織さんの身体の中を流れる血のリズムが、触れた手のひらから直接私に伝わってくる。
とくん、とくん、とくん。
私の心も、とくん、とくん、とくん。
同じリズム。
私と沙織さんがつながっている気がしてくる。
いい匂いがした。
潮風と、沙織さんの匂い。
なんか、この匂いをかいでいるだけで、身体の奥底がむずむずしてくるような、変な感じがする。
初めて会ったのに、もう、大好き。
好き、っていう言葉を形にすると、今目の前に立っている黒髪の素敵なお姉さんになるのだと思う。
「…」
沙織さんが私を見つめている。
その瞳の中に、小さく私が映っているのが見える。
沙織さんの瞳の中に、私がいる。
なんか、嬉しい。
「あのね」
沙織さんが口を開いた。
少し困惑したような表情のまま、それでも、茶化すことなく、まっすぐ私に。
「気持ちは嬉しいけど、未来ちゃんと私、結婚はできないの」
「どうして!?」
握りしめていた手を、もっと強く、引き寄せる。
私は見上げて、沙織さんは少しかがむような姿勢になり。
「未来ちゃん、いま、何歳?」
「8歳」
「その年じゃ結婚できないの」
「どうして?」
「日本の法律でそう決まっているの」
「じゃぁ、海外にいこっ」
「そうきたか~」
沙織さんは少し困ったような顔をして、はにかむように笑った。
わぁ。そんな顔も素敵。好き。
大笑いをしているお母さんを体よく無視すると、私は沙織さんの手を放し…今度は抱き着いた。
お父さんとお母さんが時々ハグしているみたいにしたかったのだけど、私と沙織さんは身長差がありすぎるから、思った位置で抱き着くことはできなかった。
ただ、足にしがみついただけのような形になる。
「それに、私、未来ちゃんのことまだよく知らないし」
「星野未来、8歳です!好きな食べ物は卵焼き。嫌いな食べ物はピーマン。運動は得意です。かけっこはいつも1番でした!お父さんもお母さんも大好きです。お母さんはちょっと意地悪なところもあるけど、それでも世界で2番目に好きです!1番好きなのは沙織さんです!」
自己紹介してみる。
俺、3番なのか…と、後ろでお父さんが少し寂しそうな顔をしているのが分かった。それにしても、私も、お母さんも、何かにつけて順位つけるの好きだな…やっぱり、血がつながっているんだな、と思う。
「ありがとうね」
沙織さんは優しくそういうと、そっと、私の頭の上に手を置いてくれた。
言葉以上に、優しい手だった。
「でもね、未来ちゃん、やっぱり私は未来ちゃんと結婚は出来ないの」
「がいこくいけないの?」
「パスポートは持っているんだけどね…そうじゃなくって、あのね」
沙織さんはしゃがんで、目線を私に合わせてくれる。
吸い込まれそうな、真剣な瞳。
私を、ちゃんとまっすぐ見てくれる。
「私も、未来ちゃんも、女の子だから」
「女の子同士じゃ結婚できないの?」
「…うん、そうなの」
沙織さんは目を閉じた。
まつげ長いな…綺麗だな、と思う。
「それに…」
血が、つながっているし。
と、かすかに唇が動いて、聞こえるかどうか分からないくらいの、小さいちいさい声で、沙織さんが言った。
唇が揺れている。震えている。
私に言ってくれているようでもあり…自分に言い聞かせているようでもあった。
血がつながっているから、女同士だから、年の差があるから、結婚は、できない。
いくら好きでも。
どんなに好きでも。
手に入らない。
手に入れては、いけない。
沙織さんのかすかな声が、聞こえたような気がした…なぜか、触れてはいけないような、気がした。
「はいはい、未来もわがまま言わないの。沙織も困っているでしょ?」
お母さんに首根っこをつかまれる。
私は猫じゃない。
じたばたと抵抗をしたけど、抵抗むなしく、私はひょいと抱えあげられてしまい、そのまま「あらよっと」と、お父さんに手渡されてしまった。
「けっこんー!」
「結婚の前に、まずは引っ越しを片付けないといけないでしょ?」
そういうと、お母さんは腰に手をあてて沙織さんの方に向き直った。
「ごめんね、沙織。いつもはこんなわがままいう子じゃないんだけどね。あなたのこと、よっぽど気に入ったみたい」
「ううん。いいよ。大丈夫。未来ちゃん、可愛い子だね」
「わたし可愛い!?やったー!」
「はい、黙って黙って。あなた、未来を先に家の中に放り込んじゃってて」
「やーだー」
お父さんの手の中でじたばた暴れるけど、さすがにお父さんを振りほどくことは出来なかったので、仕方なく、私は借りてきた猫のようにおとなしくなることにした。
「…ちゃんと伝えられて、えらいよ」
「ん?何かいった、沙織?」
「なんでもないよ、姉さん」
私とお父さんの後ろから、お母さんと沙織さんが新しい家へと向かって歩いてついてきているのが分かった。
…わたしには、無理だったから。
声は聞こえなかったけど、なぜか、沙織さんが、そう言ったような気がした。
なぜか、伝わってきたような気がした。
気のせいかな。
気のせいだよね。
うん。
気のせい。
山の中の田舎から、海沿いの田舎へと引っ越してきて、私の、新しい生活が始まる。
いやだな、とはもう思わない。
思えない。
沙織さんに、会えたから。
好き。
結婚できなくても…女の子同士でも、血がつながっていても、それでも、好きでいることをやめることなんて、できないよね。
結婚できなくても、女の子同士でも、血がつながっていても、それでも、好きでいることをやめることなんて、できない。
そう思っているのは。
そう思っていたのは。
私だけじゃなかったのだと私が知るのは。
もうちょっとだけ、先の話。