第17話 【閑話休題③】美月の夜
あの日から、私の中で世界の形が少し変わったような気がする。
颯真と、未来ちゃんと、私の3人で泣いた放課後。あの日見上げた茜色の空の色を、私はたぶん一生忘れないと思う。
私はただ、泣いて、2人の手を握って、そしてまた泣いて。
泣き疲れて声も出なくなって、真っ赤に目を晴らしながら帰宅していた。
(好きって、なんなのかな)
いろあろ考えたけど、分からない。分からないことが、好きってことなのかもしれない。
(颯真の気持ちと、未来ちゃんの気持ち )
どんな形であれ、2人の気持ちには、一応の着地点が見えたのだろう。
(…なら、私の気持ちは…)
2人だけが前に進んだのか。
それとも、私だけが後ろに下がったのか。
分からないけど、見えるのは2人の背中だけなんだということは、分かった。
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次の日の空は抜けるように青く澄み渡っていて、風が優しく吹いてきていた。
教室の窓の外は、白い雲がゆっくりと伸びている。
梅雨は、もう終わったのかもしれない。
そんな教室の中で、颯真と未来ちゃんはいつも通り、楽しそうに笑っている。
内心はわからない。
内心は見えないから。
でも、2人の中で、何かは変わったのだと分かった。
私も2人に合わせて笑って…そして、心の奥で、少しだけ取り残されていた。
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放課後の美術室。
絵の具の匂いで満ちたその場所に、私は座っていた。
(絵を、描こう)
そう思い、今日は2人に先に帰ってもらって、1人だけで学校に残ることにした。
私は、なにかモヤモヤしたことがある時は、絵筆を持ってそのモヤモヤを消すようにしている。
美術室のカーテンがふわりと揺れて、光が机の上を泳いでいく。
未来ちゃんを描いていたスケッチブックが、その光に照らされた。
(これ、いつ描いた絵だったかな?)
鉛筆で何度も描き直した頬の線を見ながら、記憶をめぐる。
(あの日だ)
颯真と一緒に、未来ちゃんの家に行った日に描いた絵だ。
あの日、この絵を描いている時、颯真から褒められたことを思い出す。
(「…へぇ…なんか…かっこいいな…」)
あの時、颯真は私に向かって、そう言ってくれた。
かっこいい、か。
(今の私は…)
かっこよくないよね。
そう思いながら、絵筆を手に取って、スケッチブックに描いた未来の絵の上に塗っていく。
あの日の続きをしていく。
スケッチブックの中で、未来が笑っていた。
(未来は、まっすぐで、透明で、ほんとうに太陽みたいな、私の親友)
私はいつも、その太陽に照らされて、暖められていた。
手を動かす。
色を乗せる。
未来ちゃんを、私の中の太陽を、完成させていく。
私は太陽を描こうとした時はいつも、途中で筆を止めてしまうまっていた。
どんなに頑張って描いたとしても、本物の太陽にはかなわないから。
本物の輝きを前にしたら、まがいものの私がつくるものなんて、その光に焼き尽くされてしまうはずだから。
だから、見てるだけでいいって思っていた。
(でも、今日は)
最後まで、描こう。
私の中の思いを、形にしよう。
たとえそれがどんな出来栄えになったとしても…それこそが、私の中の太陽なのだから。
どれだけの時間が経ったのだろうか。
私の手も、顔も、絵の具まみれになっていた。
私は一心不乱に手を動かして、もてる思いの全てをキャンパスに埋めていた。
輝く未来の周りに色をたくさん乗せていたら、色が混ざり合い、真っ黒になっていた。
( 光なら、色を全部混ぜると透明になるんだけどな )
現実は、そうはいかないみたいだ。
(颯真は、未来ちゃんのことが好き)
(未来ちゃんは、水瀬先生のことが好き)
絵を見る。
輝く未来ちゃんの周りを取り巻く、黒。
(そして私は…颯真のことが、好き)
この黒色は、私の中にある感情だ。
大事な親友にまとわりつく、黒い感情だ。
その感情の名前を、私は知っている。
(嫉妬)
答えは単純で。
私の好きな人が、私を好きじゃないから。
だから、私の好きな人の心をとっちゃった子に対して、私は嫉妬してるんだ。
その感情を消すことは出来ない。
どんなに嫌な感情でも、それは私の中から出てきたとので、私が生み出したもので、それも含めて、私なんだから。
(だから、消さずに)
絵筆を動かす。
何度も何度も、動かす。
心を、キャンパスに塗り込める。
(受け入れて…飲み込んで)
その上で、乗り越えていこう。
「颯真、好きだよ」
口に出す。
誰もいない美術室の中で、この言葉を聞いているのは私だけだ。
私は、私に向かって喋ってるんだ。
「未来ちゃん、大好きだよ」
ここにはいない、大事な親友に向かって語りかける。
「未来ちゃんは私の大切な親友で…そして」
にこっと、笑う。
「ライバル、なんだからね」
親友で、ライバル。
この2つが同じ存在であっても、別にいいでしょう?
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夜。
家のベランダに出て、洗濯物の下から空を見上げる。
お母さんはまだ帰ってこない。
アパートの隣の部屋からテレビの音が聞こえる。
風がぬるくて、まるで誰かのため息みたいだった。
下を見たら、水たまりができていた。
その中に、月が映っていた。
波がたって、揺れて、形が変わっても、ちゃんと光っていた。
(颯真の「好き」にも)
(未来ちゃんの「好き」にも)
(私の中の「好き」は、決して負けていないはずだから)
答えは出ない。
そもそも、答えなんてないのかもしれない。
でも、胸が痛くても、それは悪いことじゃない気がした。
「…好き」
私は、少しだけ笑った。
明日、学校で、未来ちゃんと颯真と、一緒に笑おう。
大好きな2人と、一緒にいよう。
ちゃんと笑える自分でいよう。
今は、それだけで十分だ。
窓の外で、風鈴が鳴った。
遠くで、子どもたちの笑い声が聞こえた。
空を見つめる。
月が出ていた。
大きな、綺麗な月。
美しい、月。
美月。
私の名前と同じ美しい月から溢れる光が、私を柔らかく包んでいた。