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恋してしまった、それだけのこと  作者: 雄樹
エピローグ【未来18歳/沙織30歳】
118/118

それから…【未来18歳/沙織30歳】

■星野未来と水瀬沙織の場合■


「未来ー。早く起きないと大学遅れるわよ」

「うーん…沙織さん…あと5分だけ…あと5分だけ眠らせてください…」

「だーめ。昨日だってそう言いながら、結局遅刻しそうになっていたじゃない」

「大学生は遅刻してもいいんですよぉ…」

「教師として、そんな発言は許せません」


 まだ隣に暖かさの残っている布団に手をあてて、私は朝の惰眠をむさぼっていた。マンションの窓から入ってくる陽射しは暑くて、もう夏が近いんだな、と実感してしまう。


「ほら、起きなさい」


 沙織さんはそういうと、布団をばっとめくりあげた。

 一糸まとわぬ姿になっている私を見て、とたんに沙織さんは顔を真っ赤にする。


「早く起きて、服を着なさい」

「ん…沙織さん、着させてー」

「わがまま言わないの」


 そう言いながらも、私の着替えを持ってきてくれる沙織さん。結局優しいんだから、と思い、ますます惚れてしまう。


「沙織さん、好きー」

「毎日毎日好きって言っていたら、だんだん言葉が軽くなってくる気がするわね…」


 ベッドの中で伸ばした私の手を、沙織さんはぎゅっと握りしめた。このまま、私を立たそうと思っているのだろう。その意図が分かって、ちょっと悪戯心が湧き上がってしまう。


「えいっ」


 沙織さんの手を引っ張って、逆にベッドに招き入れてしまう。


「もう、未来っ!」

「あと5分だけ、眠らなくていいから、沙織さんに抱き着かせてくださいー」

「駄目よ。私もう出勤するんだから。スーツに皺がついちゃうでしょ?」

「じゃぁ、脱ぎましょ?」

「だーめ」


 あくまで抵抗する沙織さん。スーツ姿の沙織さん、相変わらず凛々しくて綺麗だなぁ…。朝のこんなひと時が、私はたまらなく好きだ。いくら初夏とはいえ、布団をかぶらず裸のままでいるのはやっぱり少し寒かったので、暖をもとめて沙織さん湯たんぽを抱きしめてしまう。


「だから未来、離して」

「もう…昨夜は沙織さんの方こそ離してくれなかったくせにー」

「…」


 沙織さんは熟れたリンゴみたいに顔を真っ赤にすると、私の額にちょこんとデコピンをした。


「いたーい」

「調子に乗らないの」


 沙織さんはたちあがり、スカートについた皺を伸ばしていた。

 その後姿を見ていると、心の奥がじんわりと暖かくなってくる。


「先に行ってくるから、鍵はかけておいて。未来も…10分だけ寝たら、ちゃんと着替えて大学に行くのよ」


 5分おまけしてくれる。好き。


「はーい」

「未来、今夜は何食べたい?」

「沙織さん」

「もう…っ」


 私の他に、よ、と沙織さんは口を膨らませた。沙織さんを食べさせてくれるのは沙織さんの中でも確定事項で、それ以外に、ということなのだろう。


「沙織さん、今夜遅くなるの?」

「会議があるかもしれないから、ちょっと遅くなるかもしれないわね」

「じゃぁ、私の方が先に帰っていると思うから、私の方で何か作っておくね」

「そう?ありがとう、未来」

「いえいえ、どういたしまして」


 住むところも提供してもらっているのに、ご飯まで準備してもらうなんて心苦しい…以前、バイトして出すから、って言ったのに、学生の本分は勉強よ、と、まるで教師のような口調で拒否されたことがるのだった。というか、沙織さんは教師だった。


「沙織さん」

「今度はなに?」

「愛してる」

「…私も」


 そういうと沙織さんはくるっと身をひるがえして、そのままベッドに寝転がっている私の傍に近づくと、そっと、頬にキスをしてくれた。


「…続きは、帰ってからね」

「…はい」


 駄目だぁ。

 やっぱり私、沙織さんには…勝てないなぁ。

 沙織さんが出ていったあと、1人残された沙織さんの部屋の中で、私はベッドの上でごろごろと転がりながら、沙織さんのことを考えていたのだった。

 




■白鷺凛と白鷺葵の場合■


「凛、また難しい本読んでる」

「別に…普通よ」


 私はそういうと、読んでいた本をぱたんと閉じた。

 東京。1人暮らし。

 大都会の中で孤独に未来のことを想いながら時を過ごすという私の予定は、このふたごの役者見習いによって大幅に軌道修正されることになっていた。


「葵のほうこそ、この前のオーディションの結果はどうだったの?」

「んー?受かったよ」

「あら、おめでとう」

「ご褒美くれる?」

「何が欲しいの?」

「凛」

「はぁ…」


 やれやれとため息をつく。

 私だっていまだに未来のことを忘れれることが出来ないのだから人のことをあれやこれやと口出しする権利なんてないのだけど、それにしても、このふたごも相変わらず私の事を好きすぎはしないだろうか?


「いい加減、私のことは諦めなさいよ」

「凛より素敵な人がいれば、すぐに乗り換えるよ」

「あらよかった。役者なんてしていたら、いい人たくさんいるでしょう?」

「みんな大根だらけだよ」


 大根役者だからね、と葵は笑った。

 いったい何がそんなに面白いのだろう。


 ひとしきり笑った後、葵は急に、真面目な表情に戻る。


「まだ、忘れられないの?」

「当り前じゃない」


 誰が、とは聞かない。

 私にとっての大事な人なんて、目の前にいるこの葵を除けば、1人しかいないのだから。


「長いね。もう諦めたら?」

「未来より素敵な人がいれば、すぐに乗り換えるわよ」

「そんな人、この東京ならいくらでも…」

「いない、でしょう?」


 私は笑った。なんだかんだいって、私と葵はふたごで…似た者同士なのだ。


「あーあ、結局私たち、失恋姉妹だね」

「別にいいじゃない。失恋したって。ちゃんと恋、してたんだから」


 一番いいのは、恋が叶うこと。

 なら二番目にいいのは…忘れられない恋をすること、だ。


「そんなものかね…」


 そう言いながら葵は先ほど私が机の上に置いた本を見て、そして、叫んだ。


「あー!これ、表紙は参考書だけど、中身は違うじゃない!」

「そうよ?だからさっき、私、普通よって言ったでしょう?」


 カバーを外す。中から出てきたのは、私が愛読している百合小説だった。


「騙された…」

「勝手に間違えたのは、葵の方でしょう?こんなことも見抜けないようじゃ…」


 一人前の役者になんて、なれないわよ。

 そういって、笑う。


 私たちふたごが失恋から立ち直るまでは、まだ少し時間がかかりそうなようだった。


 



■雪原遼と朝比奈樹里愛の場合■


 朝比奈さんが、掲示板を見ている。

 それがあまりに真剣な目だったので、声をかけようかどうしよか悩んでいたのだけど、そんな僕の姿に気づいた朝比奈さんが、まっすぐ僕に向かって走ってきた。


(首に樽つけていたら、アルプスのバーナード犬みたいだよな…)


 恋人に対して、そんなひどい例えをしてしまった自分を反省する。


「遼くーん!おはよう!」

「おはよう、朝比奈さん」


 朝比奈さんは僕のことを名前で遼くんと呼んでくれるけど、僕は朝比奈さんのことを名前の樹里愛とは呼ばず、苗字の朝比奈さん、のままで呼んでいた。

 だって…恥ずかしいから。


「何見てたの?」

「今度の生徒会長選挙のポスターだよ」


 そうか。

 もうそんな時期になるんだ。


 この一年間、朝比奈生徒会長は頑張っていた。隣で見ていた僕だから、そのことがはっきりと分かる。


「選挙が終わったら、僕たちも引退だね」

「そうだね…早いね」


 なんだかんだで、一年の時からずっと生徒会にいたもんね。生徒会じゃない自分なんて、想像もできないや、と、朝比奈さんは言った。


「会長から退いたら、朝比奈さんはどうするつもり?」


 去年の白鷺会長や星野先輩みたいに、文芸部に行くの?


「んー。どうしようかなー」


 朝比奈さんは顎に指をあてて考え込んでいた。首をかしげている。この顔は、深いことを考えているようで…実はなにも考えていない顔だ。朝比奈さんのことをずっと隣で見ていた僕だから、はっきりと分かる。


「わかんないや」

「だよね」


 笑う。

 ひとしきり笑った後、朝比奈さんが僕の腕にからみついてきた。


「でも、あたしがどこに行こうとも、遼くんはずっと一緒にいてくれるよね?」

「それは…」


 もちろん、そのつもりだよ。

 朝比奈さんが、僕を受け入れてくれるなら。


 遠い先の未来の事は何も分からないけど、少し先の未来の事は僕にもよく分かった。

 とりあえず僕たち2人はこのまま生徒会室にいって、そして、美味しいコーヒーを淹れるんだ。

 





■白鳥真理子と篠宮ひかりの場合■


「篠宮さん、この写真、曲がっています」

「篠宮さん、このインタビューはどういう意味ですか?」

「篠宮さん、ちょっと資料を取ってきてください」

「篠宮さん、今度の生徒会長選挙のポスター、張り直しです」

「篠宮さん」

「篠宮さん」

「篠宮さん」


 あーーーーーーー!

 もう!

 人使いが荒い!!!!!


 荒いのに、指示がいちいち的確で、白鳥先生から託されるタスクを消化していくと、物事の道理がはっきりと示されつつ、さらに自分の成長にもつながっているのだとはっきり分かる。

 分かるからこそ、正論だからこそ、逃げ場がなくて叫びたくなる。

 というか、実際に叫んでいた。


「篠宮さん」

「なんですか、もう!」

「よく頑張っているわね」


 そう言うと、白鳥先生は柔らかな笑顔を浮かべてくれた。


 あーーーーーーーー!

 もう!

 そういうところですよ、先生!


 自由奔放な神美羅先輩に憧れていた私は、規律規律で縛り付けてくる白鳥先生にいいように使われていた。

 それは悔しい反面…


 少し、嬉しいものだった。


「篠宮さん!」

「はい!!!」


 訂正。

 やっぱりちょっと、嫌かも。






■佐藤颯真と村上美月の場合■


「…思えば私たちも、ずいぶん長いよね」

「そうだな。小学校の時からの付き合いだもんな」

「最初、颯真くん、未来ちゃんの事が好きだったよね」

「そうだったかなー」

「そうだよ」

「昔のことは、もう忘れたよ」

「未来ちゃんと水瀬先生…いま、同棲してるんだってね」

「そうらしいな」

「羨ましいなぁ」

「何か言ったか?」

「ううん、別に」

「美月」

「なに、颯真くん」

「今度の休み…」

「デートする!?」

「そうじゃなくって、サークルの打ち上げがあるから、こっちに来れないや」

「そうなの…」

「ごめんな」

「いいよ、別に」

「この埋め合わせは必ずするから」

「気にしないで」

「そう?」

「サークルなら、仕方ないもん」

「悪いな」

「…その打ち上げ、女、来る?」

「え?」

「女は来るのか、って、聞いてるの」

「そりゃぁ…来るさ」

「浮気したら殺すよ」

「…」

「…」

「…本気?」

「本気」

「しないよ、俺は美月一筋だから」

「信じていいよね」

「…」

「よかった」


 本当に、俺は、浮気していないんだけど。

 美月のこと一筋なのは間違いないんだけど。

 けど。


『わりい。打ち上げ、いけないかも』

『マジでー?わが大学サッカー部エースの颯真に会いたいって子、たくさん連れて行こうと思っていたのに』

『次の試合でも俺の華麗なシュートを見たいなら、気を付けてくれ…』


 美月に見つからないように、俺はセッティングしてくれた友人にメッセージを飛ばしたのだった。





■星野浩平と星野茜の場合■


 コーヒーの匂いがする。

 いつも変わらない、我が家の一日だ。


(いや、変わっていることもあるか)


 昔、このコーヒーを淹れてくれたのは、陽子だった。

 学生時代に知り合い、必死にアピールして求婚して、結婚して、未来と紬希を残してくれて…そして先に旅立っていった、愛していた妻。


「…お味、変でしたか?」


 そう言うと、茜さんが心配そうに私をのぞき込んでくれた。

 陽子を無くした後、失意の私の心を救ってくれた、この人。しかもこの人は、玲央くんという新しい家族まで一緒に私にプレゼントしてくれた。


「いや、相変わらず美味しいですよ。有難う、茜さん」


 そういうと、隣の席をぽんぽんと叩き、一緒に座らないかと聞いてみる。茜さんは少しほほ笑んだ後、ちょこんと私の隣に座った。


 昔、私の隣に座っていたのは陽子だった。

 今、私の隣に座っているのは茜さんだ。


(変わらないようで、変わっていくものだなぁ…)


 娘の未来は、もうお嫁に出て行ってしまった。

 戸籍上は変わっていないけど…実質、結婚したようなものだし、私たちの中ではもう結婚していると認識している。


(玲央くんも、1人暮らしを始めた)


 玲央くんは大学には行かなかった。

 高校時代にバイトで通っていたケーキ屋に、そのまま居候しながら就職することになったのだ。


(昔から、紬希を迎えに保育園に行ったとき、玲央くんの作ったお菓子をごちそうしてもらったものだったな)


 そう思って、懐かしくなる。

 懐かしくなったついでに、隣の茜さんに語り掛けてみた。


「この家も、ずいぶん広くなったような気がします」

「そうですか?」

「未来が出ていき、玲央くんが出ていき…残ったのは、私と、茜さんと、今小学校に行っている紬希の3人だけになってしまいましたね」


 そう言いながら、コーヒーをすすめる。

 茜さんの淹れてくれたコーヒーは、いつだって美味しい。

 茜さんはしばらくそのコーヒーを眺めた後、


「私は、遠慮しておきますわ」


 と言った。

 あれ、茜さん、コーヒー苦手だったかな?

 そう思い、茜さんを見る。

 茜さんが、にっこりと笑う。


「お腹の子に悪いですもの」


 …え。

 いま、なんて?


 え。

 え。

 え。


 混乱している私の様子をみながら、茜さんは楽しそうに笑うと、言った。


「来年から、4人になりますね、この家♪」


 と。





■楼蘭蘭子と神美羅由良の場合■


 大学からかえり、借りているマンションの扉に手をかけた時、違和感に気が付いた。


(…私、家を出る時、鍵、しめたわよね?)


 思い当たる節は一つしかない。

 ここはマンションの4階。

 それなりのセキュリティはかかっているはず…なのだけど。


 階下を見下ろしてみる。

 一台の大きなバイクが停まっているのが見えた。

 私は、はぁーっと大きなため息をつくと、鍵のかかっていない扉を開けた。


「おかえり、蘭子」

「ここ、由良の家じゃないんですけど?」

「じゃぁ訂正だ。お邪魔してるよ、蘭子」

「…まぁ、いいわ」


 そう言いながら、部屋の中に入る。

 きちんと整頓して出たはずの部屋の中が、それはもう、見事に散らばっていた。


 なんか、こう、見たことが無い民俗衣装とか、変なライオンのマスクとか、なんか槍とか盾とかが所狭しと広げられていた。


「私、間違えて博物館にでも入ってしまったのかしら?」

「いやだなぁ、蘭子。自分の部屋のことも忘れたのかい?」

「少なくとも、出かける前に鍵をかけたことだけは覚えているわね」


 そう言いながら、とりあえず一番目についた槍を手に持ってみた。

 思ったより重い。これ、鉄でできているんじゃないの?


「今度はどこに行っていたの?」

「んー。アフリカかどこかの少数民族の戦いに巻き込まれてた」

「由良、日本一周旅行に行ったんじゃなかったかしら?」

「アフリカだって似たようなものでしょ?」

「バイクで渡れるアフリカは聞いたことないわね」


 いや?フェリーに乗ればいけるのか?

 分からないけど、まぁこれから先の一生、経験することはないだろうから考えるだけ無駄だろう。


「それで、今日はどうしたの?まさか私の家をコインロッカー代わりにしようという魂胆じゃないでしょうね?」

「それも悪くないけど…ちょっと500円玉の数がたりないから遠慮しておくよ」

「別に小切手でもいいわよ。金額だけは空白で開けておいてね」


 そう言って、ニヤリと笑う。


「やっぱり、蘭子がいいなぁ」

「何が?」

「いや、世界一周旅行に旅立ってみて、いろんな人と出会って別れて関わってきたけど、蘭子以上に私をちゃんと見てくれる人ってどこにもいなかったんだよ」


 いつの間にか、日本一周旅行が世界一周旅行になっている。

 そう言うところがいけないんじゃないの?と思う。

 思ったから、そのまま伝える。


「当り前じゃない。由良についていける女なんて…いや、女だけじゃない、男だって、なんだって、私以外にいるわけないんだから」

「だよねー。私もさんざん、それを分からせられたよ」


 由良はそう言うと、自分が持ってきたお土産であるはずの盾の上に座ると、足を組んで嬉しそうに私に問いかけてきた。


「そういえば私が宇宙旅行に行っている間に、未来ちゃんと水瀬先生、結婚したらしいじゃないか」

「由良の旅行先が海外から今度は宇宙に変わっていることは置いておいて、その通りよ」

「やるねぇ、あの2人。どうだった?幸せそうだった?」

「ええ。とっても」


 だから何、と、由良に尋ねてみる。


「私たちもするかい?結婚?」

「しないわ」


 床に散らばったお土産を丁寧に片づけていく。

 押入れを開ける。

 中から以前由良が持ってきた赤べことか、貝殻とか、なんかよく分からないつづらとか、ドラゴン型の巨大キーホルダーであるとか、いろいろな…正直、がらくたが溢れ落ちてくる。


「…そのうち、住んでいるマンションにガラクタがあるんじゃなくって、ガラクタの中に住んでいる、ってことになりそうね」


 そう言いながら、ガラクタの山をかきわけかきわけ、目的のものを見つける。

 それは…


 あの卒業式の日に、由良から渡されたヘルメットだった。


「結婚相手にはならないけど、バイクの後ろには乗ってあげるわよ。ちょうどムシャクシャしていたところだから、ちょっとかっ飛ばしてこの気持ちを吹っ飛ばしてくれるかしら?」

「あらまぁ、それは大変だったね。蘭子をムシャクシャさせる奴がいるなんて、会えるものなら会ってみたいもんだ」

「鏡はそこよ?」

「残念、私は鏡に映らないんだ」


 だって私、吸血鬼だから。

 由良はそう言って笑い、変わらぬ幼馴染のこの銀髪紅瞳白皙自称吸血鬼の無職女をみて、結局、私も一緒に笑ったのだった。





■結城美麗と結城綾奈の場合■


「姉さん?姉さん、いないの?」


 部屋の電気は消されていて、真っ暗なままだった。

 私は仕事から帰ってきて、姉さんの姿を探す。

 どこにも見当たらない。

 寝ているのかな?

 そう思い、寝室に入る。


「姉さん…姉さん?」


 いない。

 どこにいったのだろう。

 はぁ、とため息をついて、ベッドに座る。

 すると。


「おかえり」


 いったいどこにいたのか、いつの間にか私の後ろに回り込んでいた姉さんが、後ろから私に抱き着いてきた。


「ただいま」


 そういって、目を閉じる。

 いつも通り、姉さんはキスをしてくれた。

 姉さんの香り…姉さんの味。

 何年たっても、何度味わっても、どんな媚薬よりも強烈に、姉さんは私を深淵へと誘ってくれる。


「お仕事、どうだった?」

「大変ではあったよ」


 私の胸をまさぐりながら、姉さんが答えてくる。

 私は吐息をはいて、姉さんの指先を感じながら、溺れる前に聞いてみる。


「姉さん」

「なに?」


 私の声を聞きながら、姉さんは指先の動きをとめることはない。

 ゆっくりと、的確に私の弱いところをさぐりながら…とはいえ、私の身体のことで姉さんが知らないとこや見ていない場所なんてどこにもないんだけど…姉さんの指が、止まった。


「…美麗」


 私が懐にいれていた書類を、取り出す。


「…綾奈」


 姉さん、とは言わない。

 血のつながった姉ではなく、大事な恋人の名前で語り掛ける。


「これ…は?」

「私の親友が学長を務めている…私立大学の、講師への推薦状」


 ここに来るまで、10年以上かかった。

 高校教師の夢は破れた姉さん。今は新しい仕事をしているけど…それは立派な仕事だけど…でも、それでも。

 やはり、違った形であっても、夢をかなえて欲しい。


 私には、ずっと大事な親友がいた。

 古都巴、という名前のその親友は、高校を卒業して、大学に入り、そこで事業を起こし…成功して、そして、あらゆる手段を用いて、地方の私立大学の学長へと就任したのだった。


 全ては…私の、我儘の為に。


「高校で私がやるべきことは…もう、ちゃんとできたと思うから」


 だから、たくさんたくさん回り道したけど、最初に思い描いた道ではないかもしれないけど、それでも、夢をあきらめきれないのなら。


「私もついていくから…ここを引っ越さないといけないとは思うけど…でも」


 もう一度、やり直そう?綾奈。



 私はそういって、我儘を言って。


 何も答えず、ただ涙を流している姉さんの瞳を、そっと指でぬぐったのだった。







■星野紬希と星野玲央の場合■


「ここが玲央くんのおうちー?」

「俺の家じゃねぇよ。下宿させてもらっているんだ。だからあんまり大きな声だすんじゃないぞ」

「はーい!」


 大きな声で、紬希は答えた。

 俺はやれやれとため息をつくと、狭い部屋を眺める。


 住み込みで働かせれもらっているお店を紬希が見たいというから、ならちょっとだけならいいよ、と伝えていたら、なぜか今、この部屋の中に4人も入っていた。


 俺。

 紬希。

 未来。

 水瀬先生。


「どうしてこんなに人数多いんだよ!」

「だって、紬希一人でいかせるわけにはいかないでしょう?」


 未来はそういうと、紬希の後ろに回り込んで姿を隠そうとする。見えてる。見えてるから。そもそもこの部屋にいる4人の中で、俺の次に大きいのは未来だから。隠れることなんて出来るわけがないじゃないか。


「…それで、水瀬先生は?」

「私は…未来がいないと寂しいから」


 よく見ると、水瀬先生は未来の手を握っていた。

 必然、小さな紬希の後ろに、大の大人が2人も隠れようとしている形になっている。


「はぁーーーーー」


 もういい。

 分かった。

 もう、好きにしてくれ。


「今日はお店休みだから、まぁ、俺が何か美味しいお菓子つくってやるよ」

「わーい!」

「玲央くんのお菓子、久々で楽しみ」

「…私もいいかしら?」


 子供が3人に増えた気がする。

 ま、お菓子つくるのは好きだし、喜んでくれる人が増えるのは…まぁ、悪いことじゃない。


「じゃ、頑張るとしますか」


 そう言って厨房に向かう。

 そんな俺の後ろ姿をみながら、紬希がぽつりとつぶやいた。


「ねー、玲央くん」

「なんだ、紬希」

「あのねー」


 たまごを探す。どこにあったかなー。

 何つくろうかなー。

 そう思っていたら。


「けっこん、して」


 思わず、たまごを落としそうになる。

 なに?

 いま、紬希、なんていった?


「け…っこん?」

「うん。けっこん、してっ」


 何を言ってるんだ、こいつは?

 俺はたぶん、今、鳩が豆鉄砲喰らったような顔をしていると思う。たまごを落として割らなかったことを褒めてほしいくらいだ。


「あのなぁ、紬希」


 俺は口を開く。


「紬希の気持ちは嬉しいけど、俺と紬希は、結婚はできないんだよ」

「どうして!?」


 紬希が抗議の声をあげる。

 俺はどう答えればいいか分からずに、とりあえず助けを求めようとして未来と水瀬先生を見つめた。二人とも、なぜか楽しそうに俺と紬希のやりとりを見つめている。俺は観念すると、とにかく浮かんだ言葉をつむいでいく。


「紬希、いま、何歳だ?」

「8歳」

「その年じゃ結婚できないの」

「どうして?」

「日本の法律でそう決まっているの」

「でも…」


 紬希は、後ろにいる2人を見る。

 未来と、水瀬先生。

 幸せそうに手をつないでいる、2人を。


「お姉ちゃん、8歳の時に沙織さんにプロポーズしたって言ってたよ。私だっていま8歳だもん。私だって、けっこんしたいもんっ!」


「あはははははっ」


 未来が、笑った。

 困っている俺のことなんて…考えてもくれていないんじゃないか?ちょっとだけむかつくぞ、こいつ。


「そうかー。紬希も結婚したいかー。そうかー」


 そう言いながら、未来は隣にいる水瀬先生の方を見る。

 その指には…2人の指には…2人の、左手の小指には。


 おそろいの指輪が、はめられていた。


「紬希が本気なら、ずっとずっと好きでい続けたら、ちゃんと結婚、できるよ」

「ちょ…未来、いったい何吹き込んでいるんだよ!」

「いいじゃない、別に、本当の事だし」


 未来は笑う。

 嬉しそうに、笑う。


「大好きな人と結婚するっていうのはね…」


 8歳の初恋を叶えた俺の義妹は、嬉しそうに、本当に嬉しそうに傍らにいる水瀬先生の…みずからの、妻の手をとると、高らかに、はっきりと、俺の都合なんて一切考えもせず、8歳の妹に向かっていったのだった。


「とっても…とーーっても、幸せなことなんだからねっ!」




END

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