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恋してしまった、それだけのこと  作者: 雄樹
最終章 【未来17歳/沙織29歳】
116/118

第116話 詰問会~後編~【未来17歳/沙織29歳】

 生徒指導室の中は、深い沈黙に支配されていた。

 まるで、深海の底。暗くて重い水圧の強さに、私は潰されそうになる。息をするのも難しい。肺の中の空気がすべて絞り出されて無くなってしまっているかのような気がした。


(私は、馬鹿だ)


 馬鹿で、間違っている。

 私自身はどうなってもかまわない。教師という職を失ってもかまわない。それだけのことを私はしたのだし、その自覚もある。

 あの日、未来と交わした言葉を思い出す。


(沙織さん、ちゃんと責任、とってくださいね)

(もちろん…とるわ)

(私をこんなに幸せにしてくれた責任を、ですよぉっ)


 あの時、未来は自分を幸せにしてくれた責任を、と言ったけど、私は自分の中で、別の責任という意味で受け止めていた。

 私は教師で、未来は生徒だ。

 犯した罪に向き合う責任があるのは、未来ではなく、私の方だ。

 私は犯した罪に似合うだけの罰を受けなければならない。

 その罰を受け入れるだけの覚悟は…すでにしていた。


(けれど)


 そうなったとき、一番悲しむのは、未来だろう。

 私は、自分が罰を受ける覚悟はしていたけど、未来が悲しむ覚悟はできていなかった。

 未来を守るためなら、未来の未来を想うなら、私はこの場で、未来と付き合っているというべきではなかったのだろう。

 白鳥先生が…あの立場の中で、それでも私に逃げ道を差し出してくれた時に、それを甘受すべきだった。ごまかすべきだった。

 そうすれば…事態はおおやけになることもなく、まるく収まったはずなのに。


「…よく聞こえなかったから、もう一度聞くわね、水瀬先生。この写真は…事実ですか?あなたは本当に…」


 教え子と、付き合っているのですか?


 白鳥先生が、もう一度尋ねてくる。

 その表情は厳格で…真摯で…そして、苦渋にまみれていた。

 正しい刃を持っていて、その刃を振る権利を持っていたとしても、それを振るいたいわけではない、斬りたいわけではない、救えるものなら…救いたい。

 白鳥先生はそう言っているわけではないが、その想いが、真意が、吐露されたその言葉の中に隠しようもなく籠っていた。


「はい…私と未来は…恋人同士です」


 私は、馬鹿だ。

 この言葉は、私自身の逃げ道をふさぐばかりか、白鳥先生の逃げ道すらふさいでしまう事を知りつつ、理解しつつ、それでも言わないわけにはいかなかった。


 これは、ただの、私のエゴだ。

 好きな人を、愛している人を、「好きじゃない」と言いたくない、ただそれだけの、子供みたいな理由だ。

 いっとき、ごまかせばいい。

 自分の心に棚を作って、そこに自分の本当の心を避難させておいて、あとは嵐が収まったころに心を戻せばいい。

 頭でいくら分かっていても、私はどうしても、それをすることは出来なかった。

 未来のことを好きじゃない、と言いたくなかった。

 未来は、私の全てだ。

 もしここで私が嘘偽りを言ったとしても未来が私を責めることはないだろう。

 分かってくれるだろう。

 

 でも、それでも。

 私が言いたいことは…伝えたいことは、たった一つしかなかった。


「私は、未来を、愛しています。すべての責任は私にあります。私は、どんな処分でも受けます。だから未来には…私の大切なあの子だけには、何も処分を行わないでください。勝手なことを言っているのは分かっています。けれど…どうか…お願いします」


 そう言って、私は頭をさげる。

 それが正解だと思っているわけでもないし、そうすれば助けれもらえると思っているわけでもない。ただ、私に出来ることは、それしかなかったからだ。

 お願いをするしかない。

 私は罪を犯した。

 だから後は委ねるしかない。

 それは自分で自分の思考を放棄しているだけかもしれない。

 分かっている。

 全部分かった上で、それでも私は、ずっと頭をさげていた。


「…水瀬先生」


 頭上から、白鳥先生の声がする。

 その声は、事務的なようでいて、諦めのようでいて、寂しそうでもあり、苦しそうでもあった。


「…それが事実なら…残念です…あなたには…」


 白鳥先生がそこまで言った時。


 扉が開く音がした。


 光が、入ってくる。


「沙織さんっ!」


 それは私が世界で一番好きな声で。

 この場で決して、聞いてはいけない声だった。




■■■■■



 少し、時は遡る。



 放課後。

 私は文芸部の部室に行くと、いつも通り、ノートを広げて小説の続きを書き始めていた。

 私の隣には凛がいて、こちらもまた、いつも通りに小説を書いている。

 文芸部。

 いま、この部活に所属しているのは、私と凛の2人だけ。

 朝比奈さんと雪原くんは生徒会で頑張っているから、まるで時間が私たちが入部した1年生の時に戻ってしまったかのような気がしていた。


(ううん、違うか)


 あの時は、神美羅先輩と楼蘭先輩がいた。

 結局、時間というものはいくら同じように見えても、元には戻らないもので、昨日と同じような今日が来たからといって、今日と同じような明日が来るとは限らないのだった。


「凛、どんな小説書いてるの?」

「ん?いつも通り」

「百合?」

「ラブラブ百合」


 そんないつも通りの会話をしながら、文芸部顧問である沙織さんが来るのを待っていた。

 勉強して、部活に来て、沙織さんに会って、沙織さん成分をぞんぶんに味わって、それから帰宅してまた勉強を頑張る。

 そんな日常のサイクルが、今の私には出来上がっていた。


 足音がする。

 沙織さんかな?と思ったけど、この足音は違う。

 沙織さんなら、足音でも分かる。

 急いでいるみたい。足音がだんだん大きくなる。

 扉が開き、入ってきたのは、


「星野さんっ、ここにいたのねっ」


 結城先生だった。

 いつもは冷静で落ち着いている結城先生が、今までみたことがないくらい取り乱しているのが分かった。

 こんな結城先生、初めて見た。

 鮮やかな金髪が汗で顔に張り付いている。全力で走ってきたのだろう、肩で息をしているのが分かる。


「結城先生?いったいどうし…」

「話は途中でするから、ついてきて…っ」


 結城先生はそう言うが早いが、私の手を握って引っ張る。あまりの勢いに私は「…痛っ」と言ってしまい、それを聞いた凛がすぐさま結城先生の手を遮った。


「何があったのか、説明くらいしてもらえませんか?」


 言葉が冷たい。

 先ほどまで私と会話をしていた、あの穏やかで優しい凛と同一人物だとは思えないほどだ。


「…生徒指導室に、水瀬先生が呼び出され…」


 結城先生の言葉を最後まで聞くことなく、私は反射的に立ち上がると、すぐ駆け出していた。


「未来…っ」


 迷わず凛もついてきてくれる。

 沙織さん…沙織さん。

 何があったのかは分からないけど…なにか大変なことに巻き込まれているのが分かった。

 結城先生も走っている。

 普段は廊下を走らないように、と優しく諭してくれる先生が、今はなりふり構わず、髪も化粧も乱れるのも気にせず駆けていた。


 沙織さん…沙織さん…っ


 私は、走る。

 酸素が肺に入ってこない。苦しい。

 けど、止まれない。

 視線の端がだんだんと紅くなりながら、それでも私は、足を緩めることは無かった。




■■■■■


 目の前を、星野さんが走っている。

 わき目もふらず、ただ、前だけを見て。


 あの日。

 10年以上前の、あの日。

 姉さんが…校長室に連れられて行った日。

 私は、動けなかった。

 私は、待つだけしか出来なかった。

 

 ただ、教室に座ったままで、姉さんが責任を負うのを待っていただけだった。

 それはたぶん正しい行動で。

 私は間違ってはいなかったのだと思う。


 その結果、姉さんは教師になるという夢を失い、私はその夢を引きついで、教師になった。


 私が教師になることに、何か意味があったのだろうか。

 私はあの時、自分が間違っていなかったと、思い込みたかっだだけなのではないだろうか。


 目の前を走る星野さんを見る。

 靴が脱げるのも、すれ違う人に奇異な目で見られるのも、何もかまわず、まっすぐ愛する人の元へと駆けていくその後ろ姿を見る。


 ああ。

 そうだ。


 あれは、私がなりたかった姿だ。

 私が、なれなかった姿だ。


 詰問会に水瀬先生が呼ばれているなんて、本来、当事者であるはずの星野さんに伝えるなんて言語道断だ。

 教師として…絶対にしてはいけないことだ。

 他の誰も、してはいけない。

 だからこそ…私が、しなければならない。


 私が教師になった理由。

 私が教師になった意味。


 それはたぶん…


 いま、この時のため、だったのだろう。


「星野さん…行って!」


 目の前をかけていく星野さんの後姿が、10年前の、私が今まで見て見ぬふりをしていた自分の後姿に重なった。



■■■■■



 扉を開けて、中に駆け込んだ時。

 私の目に入ってきたのは、頭をさげている沙織さんの姿だった。


「沙織さんっ」


 私は沙織さんに駆け寄ると、その腕にしがみついた。

 震えている…震えているのは、私か沙織さんか、どちらなのかは分からない。

 ぎゅっと抱きしめて、そのまま前を睨みつける。


 教頭先生が…白鳥先生が、私を見ていた。


「なんですか、いきなり」


 白鳥先生が、そう聞いてくる。それがあまりに冷たく感じられて、私は頭がかーっと熱くなるのを感じた。まるで、頭の中に灼熱の鉄の棒をねじ込まれたような気になる。

 熱い…熱い。

 私の沙織さんを…いじめたな。


「なんですかって、それは私の方ですっ。いったい何なんですか?どうして沙織さんが、こんな目にあって…」

「未来」

「ひどいじゃないですかっ!みんなしてよってたかって!いったい、沙織さんが何をしたって…」

「未来」

「説明してくださいっ」

「未来っ!」


 沙織さんが、右手を伸ばして、私を制する。先ほどまで震えていたその手は、今は微動だにせず、私と白鳥先生の間に挟み込まれていた。

 その指先に、指輪がみえる。

 私と、お揃いの指輪。

 今はネックレスとして私の胸元に隠している、私と沙織さんの絆の指輪。


「申し訳ありません、白鳥先生。この子…ちょっと今、興奮しているみたいでして…」

「沙織さん」

「未来、いい子だから」


 私のいうことを聞いて、と、沙織さんが目で訴えかけてくる。

 私は言いたいことが山ほど喉から出そうになったけど、それをぐっと飲み込む。

 たとえ他人に100万回怒鳴られたとしても耐えることが出来るかもしれないけど、沙織さんの、この悲しみに沈んだ瞳に耐えることは私には出来なかった。


「…来てしまったものは仕方がありません。本来なら、生徒をここに呼ぶつもりは無かったのですが…しかし、事がこうなってしまった以上、私から星野さんに尋ねることがあります」


 白鳥先生が、私を見る。落ち着いて、心をのぞき込んでくるような瞳。どんな嘘を言っても必ず見抜いて見せると、その瞳が語っていた。


「星野さん…あなたは…」


 そう言いながら、一瞬、白鳥先生が口を閉じた。それはまるで、言うべきことを、本当にいってもいいのかと悩んでいるようにも感じられた。

 しかし、それでも。

 白鳥先生は…再び、口を開いた。


「こちらの水瀬先生と…付き合って、いるのですか?」


 一瞬の、沈黙。

 私は息を飲み、どう答えるべきなのだろうか、と考えた後、目の前の机の上に、写真が置いてあるのが目に入った。先日の祭りの写真。綿あめを食べている私と、沙織さんが映っているのがみえる。

 部屋の隅に目をやると、そこには篠宮さんがいた。

 私と目が合い、少しバツが悪そうに視線を逸らす。


(ああ、そうか)


 この瞬間、私は全てを理解した。

 何もかも…何もかも、バレてしまったんだ。

 あと半年たてば、私は卒業して、18歳になって、何もかも問題なくすすむはずだったのに。運が…悪かったのだろう。


(…ううん。違う)


 運が悪いとか、悪くないとか、そんな問題じゃない。

 全ては私が行った行動で、その責任が回りまわってちゃんと帰ってきただけなのだ。

 だから、私がするべきなのは。


「はい。そうです…私は…水瀬先生と…沙織さんと…」

「付き合っています。恋人同士です」


 真実を、ちゃんと伝えることと、


「でも、告白したのは私からです!沙織さんは…私に押し切られただけなんです!だから、悪いのは私なんです。私だけなんです!だから…」


 唾を飲み込む。

 少し、血の味がする。


「すべての責任は、私にありますっ!」


 沙織さんを、守ること。


 全ての始まりは、8歳の私が始めたことなんだから、17歳の私が、ちゃんと責任を取らないといけない。

 私はまだまだ子供で、何も持っていないのだけど、それでも、私が差し出せるものならすべて、差し出してでも沙織さんを助けたい。


「何を言っているの、未来!?」

「沙織さんは黙っててっ」


 沙織さんが私を止めようとしてくる。駄目。いくら沙織さんでも…それは、駄目。


「悪いのは私なんです!私が誘ったんです!だから沙織さんは悪くないんですっ!」

「告白したのは、私からです!」


 沙織さんが叫ぶ。

 その場にいた全員の視線が、沙織さんに集中する。


「沙織さん…」

「未来、あの日のこと、覚えてる?」

「あの日…ですか?」

「そう、3年前の、夏祭りの日」


 忘れるわけがない。

 あの日。あの花火の下で。

 私と沙織さんは…恋人同士になったのだから。


「あの時、私、言ったよね。私に、先に言わせて、って」


 忘れるわけが…ない。

 忘れられるわけがない。

 だって…嬉しかったんだもん。沙織さんから…告白されて…


 心臓が止まりそうになるくらい、嬉しかったんだもん。


「未来、あの時から私の気持ち、ずっと変わっていないよ。私のことを好きになってくれたのは未来が先だったけど…でも、今、私の方が、少しだけ先に行っちゃったのかもしれないね」


 そう言うと、沙織さんは私を優しく抱きしめてくれた。

 暖かくて…柔らかくて。

 いい匂いで…大好きで。

 そんな、私の唯一の宝物のような人に抱きしめられて、私は何も言えなくなってしまった。


「私から、告白しました。私はこの子が好きなんです。恥ずかしくなんてありません。年齢差も、性別も、何もかも、全部関係ありません。私はただ、この子が好きです。愛しています。だから…悪いのは全部、私なんです」


 沙織さんが抱きしめてくれる。

 私は知らないうちに、涙を流していた。泣きたくない。こんな時に泣くなんて、子供みたいじゃない…私は早く大人にならないといけないのに。

 沙織さんの隣に、堂々と立たなきゃいけないのに。


「本当に申し訳ありませんでした」


 結局、私はまだ子供のままで、沙織さんに守ってもらっているだけだ。


(そんなことないよ)


 私の心のうちを、沙織さんが覗いてきたような気がした。

 優しく甘い手で私の心臓を包み込んでくれて、そして、


(未来がいるから、未来がいてくれるから、私は頑張ることが出来るの…生きることが、できるの)


 もちろん、言葉はない。

 テレパシー、とかでもない。

 そんな超常的なものじゃない。

 何かは分からないけど、でも、たしかに伝わったんだ。

 恥ずかしいけど、こそばゆいけど、これはたぶん、愛、なんだと思う。


「…水瀬先生、こういう結果になってしまったのは残念ですが、あなたに…」


「何が残念なのですか?」


 また、白鳥先生の言葉を遮る声がした。

 今度はなに?といった瞳で、白鳥先生が扉の方を見つめる。


 そこに立っていたのは、2人。

 凛と、結城先生が。

 私に追いついて、生徒指導室の中に入ってきたのだった。




■■■■■



「あなたは…」

「突然申し訳ありません、白鳥先生」


 そう言って頭を下げたのは、白鷺さんだった。


(結城先生も…)


 息を切らしながら、結城先生も入ってくる。

 いつもの美しい結城先生のこんなに乱れている姿は、初めて見た。


(ああ、そうか)


 どうしてこの場に未来が来たのか分からなかったのだけど、全てが腑に落ちた。


(結城先生が、呼んでくれたんですね)


 余計なことを、とは思わない。

 結城先生は、いつだって私のことを考えてくれていた。今まで、どれだけ助けられたのか分からない。ずっとずっと、お世話になってきていた。

 ふと、思う。

 結城先生と知り合って間もない頃…結城先生から、「プチトマトが欲しいです」と頼まれたことがある。

 その時、結城先生は


(…この御恩は、絶対に忘れませんから)


 といい、私は


(利子付けて覚えておきますね…)


 と答えたものだった。

 ああ、なんて私は、大きい利子をつけて返してもらったことだろう。

 あの時の自分を…褒めてあげたくなる。


「では白鷺さん、あなたは一体、何なのですか?」


 どうしてここにいるのですか、という意味を込めて、白鳥先生は鋭い視線を白鷺さんに向けた。

 白鷺さんは、涼しい顔をしている。ここまで走ってきたはずなのに、息も切れていない。切りそろえられた黒髪と白い肌のコントラストがはっきりとしていて、まるで作り物の精巧な日本人形のような印象を感じさせる。


「何と言われますと…そうですね」


 白鷺さんは頬に指をあてながらいろいろ考えていたみたいだけど、やがて答えにたどり着いたみたいだった。


「私は、未来の味方です」


 まるで正義の味方だといわんばかりに、あっさりと、当たり前のような口調で白鷺さんはそう答えた。でも、たしかに、この子は正義の味方ではないだろう。もしも未来が悪の立場にいたとしたら、嬉々としてこの子も悪の味方に鞍替えするだろうからだ。


「未来と水瀬先生が付き合っているとして、それの何がいけないのでしょうか?」

「あなた…何を…」

「もしも水瀬先生が教師の立場を利用して未来に恋人関係を強要しているとしたら、それは確かに悪いことだと思いますが、別にそんなことはないでしょう?」


 白鷺さんはそう言いながら、小さい声で、「…もしもそんな事をしたら、私は絶対に許していないけど」とつぶやいたのを私は聞き逃さなかった。


「教師は、生徒を正しく導くのが仕事です」


 白鳥先生は言う。

 白鷺さんは、ははっと笑った。


「水瀬先生、ちゃんと未来を導いているじゃないですか?この夏休みの間、水瀬先生がどれだけ未来の勉強を見ていたことか…未来の成績、知っておられます?夏休み明けの模試の結果、ものすごく上がっていたんですよ?」

「学生の本分は勉強ですが、勉強だけが全てではありません」

「そんなことは分かっています…こと勉強に関していえば、私にはそれを言う権利はありますよね?」


 白鷺さんは、入学以来ずっと学年トップの成績を続けている。それはひとえに、彼女の努力と才能の結果なのだろう。彼女の志望校は東京の…日本で一番の大学であり、うちの高校からその大学へ進学する生徒が出るという事は、学校にとっても非常に大きなメリットになるのは間違いない。


(昨年、神美羅さんは大学進学しなかったし…)


 つい、思い出してしまう。

 あの子は本当に…いろいろな意味で規格外の子だった。そもそも私が文芸部を作ったのも、あの神美羅さんの誘いがあったからだし、もしも文芸部が出来なかったら、未来と白鷺さんは親友にもならなかったかもしれないし。


(そう考えると、全ての元凶は神美羅さんだったのかもしれない)


 そんなことを考えてしまった。


「未来は…いい子です。本当に、素敵な子です。私は未来のおかげで、正しい道に戻ることが出来ました。未来ほど正しい道を進んでいる子が、この高校に他にいるでしょうか?」

「それは…」

「白鳥先生。私、詭弁を言っているっていうことは分かっています。正しいのは白鳥先生で、間違っているのは私たちです。でも、友人を救いたいっていうこの気持ちは、本当に間違っているのでしょうか?」


 そう言って、白鷺さんは、身をただした。


「…これも詭弁ですね。私はただ…未来に幸せになってもらいたいだけなんです」


 そして、深々と頭をさげる。


「我儘を言っていることは分かっています。それでも、お願いします。未来を…許してあげてください…」


 白鳥先生は、黙ったまま、じっと白鷺さんを見つめていた。


「私からもいいでしょうか」


 白鷺さんの隣にいた結城先生が、息を整え、髪は乱れたままで、白鳥先生にむけて身体を向けた。


「私の姉は…以前、罪を犯しました。そして私も、罪を犯しました。それは別にいいです…もう、過去のことですから。でも、その経験をした上で、私からも一言言わせてください」


 そう言うと、結城先生もまた、頭をさげる。


「水瀬先生と星野さんのこと、私も知っていました。知っていながら、何もしませんでした。だから私も同罪です。水瀬先生と星野さんを罰するなら、私も一緒に罰してもらえますでしょうか」

「あなたたちは…」


 白鳥先生は困惑していた。

 正しいのは白鳥先生。間違っているのは私たち。

 それがはっきり分かった上で、倫理的に揺るがない白鳥先生が、揺れているのが分かった。

 これは、倫理でも論理でもない。

 ただの我儘な感情でしかなく…そして私たちは、抗いようもなく、感情に突き動かされる人間でしかなかったのだ。





「白鳥先生」


 穏やかな声。

 今日初めて聞く、男性の声。


 今までずっと黙って私たちのやりとりを聞いていた校長先生が、にこやかな笑顔で私たちを見つめていた。


「校長先生…」

「私からも一つ、質問させてもらってもいいかな」


 穏やかな声の中に、譲れない意志の力を感じ取ることが出来る。

 私たちは誰も反対することもできず、ただ、校長の言葉の続きを待っていた。


「水瀬先生」

「はい」

「星野さん」

「はい」

「あなた達ふたりは、恋人同士だと言いましたね?」

「「はい、そうです」」


 校長からの問いかけに、私と未来は同時に声を合わせた。

 いつの間にか、私は未来の手を握り締めていた。

 こんな場面で不謹慎かもしれないけど、恋人と手を握り合っているだけで、私は世界のどこにだっていけるような、飛べるような気がする。


「しかしあなたたち2人は…」

「女同士だ」


 校長先生はつらつらと、私たちの前に現実を語り掛けてきた。


「それに、年も離れている」

「12歳という年の差は、私くらいの年齢になればともかく、君たちぐらいの年ではあまりにもかけ離れている」

「血も繋がっている」

「叔母と姪でしたよね?それは倫理的にどうなのでしょう?」

「それに言うまでもなく」

「君たちは、生徒と教師の関係だ」


 全部分かっている。

 全て覚悟した上で、私は未来と付き合っている。

 それでも、こうして現実を突きつけられると…私たちは普通ではないのだと、不安と言う名の蛇が鎌首をあげてくるのから目を離すことは出来ない。


「そんなあなたたち2人が恋人同士になって、本当に幸せになれるのですか?」


「それは分かりません」


 未来に保証なんて出来ないのだから。

 でも、分かっている事がある。


「でも、今、私たちは幸せです。この幸せが永遠に続くのかどうかは分かりません。けど、私たちは、幸せになりたいと思っていますし、幸せにしてあげたいと思っています」


 永遠なんてあるかは分からないけど。

 今日が幸せで。

 明日が幸せで。

 明後日を幸せにして。

 そんな一日一日を精一杯過ごしていたら、いつか死ぬその時までそれを続けることができたのなら、それは永遠に幸せだったといえるのではないだろうか。


「実は一人、ここにお呼びしている人がいます」


 校長先生が、ゆっくりと口を開いた。


「あなたたちの関係は普通ではない。正しいものではない。私たちは、白鳥先生のおっしゃられるように、生徒を正しく導くのが仕事です」


 だから…


 あなたたちの、一番最初の教師に、その質問を投げかけてみましょう。




 校長先生が合図をして、本日何度目かの扉が開かれた。

 そこに現れた人は、本日最後の登場人物であり…


「お、お父さん!?」


 声をあげたのは未来で。

 その人は。

 未来の父親、浩平さんだった。




■■■■■



「どうして私がここに呼ばれたのかは分かりませんが…」


 そう言いながら、頭をかきつつ、お父さんが部屋に入ってきた。

 今日はお仕事の日じゃなかったかな…どうしてここにいるんだろう。

 って、決まっている。

 校長先生から、呼ばれたからだ。


「わざわざのご足労、有難うございます、星野さん」

「いえ…娘たちの大事だと聞きまして…とりあえず仕事を早退してやってきました」


 明日は残業確定ですね、はは、とお父さんは声なく笑った。


「お呼びだてしたのは、他でもありません」

「あぁ…なんていうか、この光景を見て、なんとなく分かりました」


 所在投げに頭をかいたままのお父さん。

 昔に比べて、お腹も出てきている。お母さんが生きていたころは、まだちゃんと運動していたのにな…茜さん、ちょっとお父さんを甘やかしすぎじゃないかな…


「未来と、沙織さんの話ですね」

「これはこれは、お察しがいい」

「いや…妻からは、察しが悪い、と言われているんですけど…」


 力なく笑う。

 お父さんには、白鳥先生から感じられるような厳格さや、校長先生から感じられる雄大な思慮深さなどは感じ取ることができなかった。

 どこにでもいる、平凡な、普通のお父さんで…でも、私の大好きな、大切なお父さんだった。


「単刀直入に聞きます」

「は、はい」

「教師が生徒に手を出しました。あなたは許せますか?」


 あなたの娘が、ですよ?

 と、校長先生が言った。

 お父さんは、はは…まいったな…と言いながら、まっすぐに、校長先生を見返した。


「うちの娘の婚約者に対して、私が何を言うことがあるというんですか?」


 お父…さん。


「私は沙織さんに対して、うちの娘を幸せにしてやってください、とお願いしました。沙織さんはちゃんと答えてくれました。それ以上でも、それ以下でもありません」


 校長先生はじっとお父さんを見つめている。

 お父さんもじっと、校長先生を見つめ返している。


「…たしかですか?」

「もちろん」


 そういうと、お父さんは私たち2人を見つめてきた。

 私と沙織さんは、手を握ったままだ。


「うちの娘にはもったいないくらいの素敵な婚約者ができて、私はとても、嬉しいんですよ」


 なんといっても、私が昔…愛した妻の、今でも愛している妻の、妹さんなんですから。


「沙織さん、うちの娘を幸せにしてやってくださいね」

「…はい、命に変えましても」

「命なんてかけなくてもいいですよ」


 命は…大事なものですから。

 そう呟いたお父さんの顔は、一瞬だけ、寂しそうになった。

 今はもういない、亡くなってしまった私のお母さんのことを、思い出したのかもしれない。


「あのー。用事がすんだのなら、私、先に帰らせて頂いてもいいでしょうか?今日早退すると伝えたら、妻からなら帰りに夕ご飯の買い出しをしてきてもらいたい、って頼まれたもので…」


 そう言うと、ぺこりと頭をさげる。

 校長先生は立ち上がると、深々と…本当に長く、深く、礼をした。


「お時間とらせてしいまいまして申し訳ありませんでした、星野さん。どうかお気をつけてお帰りください」

「それでは…お言葉に甘えまして…」


 そういうと、お父さんはまたぺこりと頭を下げて、そして最後に私に向かってこう言った。


「待っているから、早く帰ってくるんだぞ」


 当たり前で、平凡な言葉。

 でもこの言葉が、当たり前の言葉をかけてくれることが、当たり前じゃない関係を持ってしまった私たちにとって、かけがえのない嬉しいことだった。






「それでは、水瀬先生」


 お父さんが去った後、校長先生が口を開いた。


「申し訳ないが、あなたを完全に無罪放免とするわけにはいきません。あなたには、星野さんのクラスの担任を外れてもらいます」

「…はい、分かりました」


 有難うございます、と、沙織さんは頭をさげた。

 手が、震えている。

 沙織さんの震えが…私にも伝わってくる。今更ながらに、私も震えてきた。

 足が痛い。

 見てみると、私の靴が片っぽ脱げていた。

 全然気が付かなかった…気が付いたら痛いのと恥ずかしいので、頭がいっぱいになってきた。


「星野さん」

「はいっ」

「あなたは、勉学に励みなさい。あなたを支えてくれる、たくさんの人の想いを忘れないように」

「…有難うございます…」


 私も、頭をさげる。


 校長先生は白鳥先生に向かって、「これでいいいですか?」と尋ねていた。白鳥先生は口をとがらせて、「まるで私が悪人みたいじゃないですか」と抗議していた。

 そしてそのまま、白鳥先生は部屋の端にずっと立っていた篠宮さんを手で招き、頭をぽんぽんと撫でていた。

 その姿は優しくて、白鳥先生の本当の姿はこっちなんだな、と思わずにはいられなくなる。


 校長先生は私たちの方を見つめると、普段の好々爺といった感じに戻り、口を開いた。


「最後に2人とも…いくら婚約者同士だといっても、校内でそのように接することは禁止します。学生らしく、教師らしく、節度ある行動を心がけてください」

「「…はい」」


 私と沙織さんはそう答え、そしてそのまま、緊張の糸が切れてその場に倒れこみそうになった。


「未来っ」

「水瀬先生っ」


 凛が私の手をとり、結城先生が沙織さんの手をとって、私たちを支えてくれる。

 暖かい…力強い…この手が…この心が…私たちを…救ってくれたんだ。


 私は、私たちは、たぶん間違っている。

 間違っているけど、それでも通ってきた道には、何かが残っているんだ。


 それはたぶん、人と人とのつながりで。

 人と人は…繋がっていて。


 紡がれていていて。


 あ。


 妹が…紬希が…生まれる前。

 お母さんのお腹に耳を当てて、尋ねた時のことを思い出した。


(名前、もう決めてるの?)

(ううん。まだだけど…でもね、なんとなく、浮かんでいる名前はあるのよ)

(どんな名前?)

紬希つむぎって、どうかな)

(つむぎ?)

(そう、紬希…なんかね、この子のことを思っていたら、自然とこの名前が浮かんできたの。私と未来、私とあなた、家族全員を優しく結んでくれるような、そんな感じの名前)


 今、私の右手は、凛に繋がれている。

 私の左手は、沙織さんに繋がれている。

 そして沙織さんの左手は結城先生に繋がれていて…


 繋がってるよ。

 繋がってるよ、お母さん。


 暖かいよ。

 みんな…本当に。

 暖かくて、優して。



 私、幸せになりたい。



 幸せになっても、いいかな?


(いいよー)


 と、お母さんが、笑ってくれたような気が、した。

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