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恋してしまった、それだけのこと  作者: 雄樹
最終章 【未来17歳/沙織29歳】
115/118

第115話 詰問会~前編~【未来17歳/沙織29歳】

 暗室の中は、静かで薬品の匂いが立ち込めている。

 私は慎重に作業をしながら、昨夜のことを思い浮かべていた。


(水瀬先生…星野先輩…)


 学校新聞の取材の一環として、近隣の祭りの取材をしていた時に、偶然みかけた2人の姿。あれはどう見ても…ただの生徒と教師の関係には見えなかった。

 親しくくっついていて、まとう空気感が違っていて…あれはまるで…


(恋人同士)


 私の憧れであった神美羅先輩。その先輩が所属していた前生徒会は、私にとっての聖域だった。憧れて、追いつきたくて、観測したくて、何枚も何枚も写真を撮ったものだった。

 星野先輩は前生徒会の書記を担当されていて、水瀬先生は前生徒会の顧問を担当されていた。

 私の憧れていた生徒会の裏側で、私の知らない世界が展開されていたのだろうか。


(間違いであってほしい)


 そう思う。

 別に、全ての物事が清く、正しく、美しいものではないとは分かっているし、知っている。けれどそれでも、私の憧れの中にはその精神が宿っていてほしいと願わずにはいられないのだ。


(人と人が付き合うのは問題じゃない)


 問題なのは…教師と、生徒ということだ。

 私たち生徒はまだ未成年で…そんな私たちを、教師の方々はちゃんと導いていってもらいたい。それが綺麗事なのは分かっている。

 頭では理解しているのだけど。


(私は、新聞部部長、篠宮ひかり)


 私の役割は、不正や悪徳を暴くことではないし、綺麗事を貫くことでもねじ曲がった思想を伝えることでも、ましてや私の想いを拡散することでもない。


(ただ、真実を、ありのままに伝える)


 それだけが私の役割であり、誇りでもあった。

 私の見間違えならそれでいい。

 私が間違っていただけならそれでいい。

 けど、もしも、そうではないのだとしたら。


 現像された写真についた溶液を水で洗い流し、ピンでとめて乾燥させる。

 暗室の中では、私の息づかいだけが響いていた。


 間違いは起こっていなかった。

 間違いなく、真実がそこに映されていた。

 映されていたのは、間違いが行われている光景だった。


「…ああ」


 私は、どうすればいいのだろう。

 写真を手に取り、私はため息をついた。

 私の憧れが。

 キラキラと輝いていた、あの生徒会が。

 音を立てて崩れ去っていくような感覚に襲われる。


 写真に写っていたのは、教師と生徒が、同じ指輪をして、頬を寄せ合ってくっついている、不徳の決定的な証拠だった。




■■■■■



「…それで、この写真を私のところに持ってきたわけですね、篠宮さん」

「はい…白鳥先生」


 憔悴しきった篠宮さんの顔を見て、手渡された写真をはっきりと見て、私はたんたんとそう告げた。

 写真の人物は、私がよく知るところの人物だった。


「水瀬先生と、3年の星野さん、この2人が…ですか」

「はい…」


 篠宮さんの話によると、この写真は偶然とられたものらしい。

 本来の目的は祭りの取材であったのだが、その現場にたまたまこの2人が仲睦まじくいる場面に遭遇してしまったとか。


「…あなたはこの時」


 シャッターを切る必要があったのですか?と聞いてみる。

 見逃すことも、選択肢としてあったのではないかと、暗に尋ねてみる。


 そもそも、篠宮さんの目的は祭りの取材であったわけで、教師と生徒の不貞の現場を押さえるためではなかったはずだ。もちろん、このチャンスを生かして篠宮さんがスクープをあげたかったというのなら、理由も分かる。

 前生徒会の書記と顧問が、教師と生徒が付き合っているなんて、学校としても世間としても大問題であり、それを暴くことが出来るというのは記者冥利につきる、というものであるだろうからだ。


(でも…)


 目の前にいる篠宮さんは、憔悴しきっている。悩んで、悩んで、そして結論を出すことが出来ずに、私の前に相談にきたようだった。


「どうして、シャッターを切ったかと言えば…それは…」


 小さい声で、しかしはっきりと、篠宮さんは答えた。


「私が、知ってしまったからです。知ってしまったからには、それを隠すわけにはいきません…正しいことだろうが、間違っていることだろうが、真実を伝えることが、記者としての仕事だと私は思っているからです」


 そう言うと、篠宮さんは私を見つめてくる。まだ若い、16歳の女の子だ。今年50歳を迎えた私の3分の1ほどの人生しか送っていない子だ。けれどこの子の中には、年齢など関係のない、信念と呼べるような何かを感じることができる。

 私はもう一つ、疑問に思ったことを尋ねてみることにした。


「ならば、私に相談する必要は無かったのではありませんか?あなたは現場を見た。それを伝えることが自分の使命だと分かっているなら、わざわざ私を通す必要もなく、黙って学校新聞に載せればよかったではありませんか?」

「それは…私がまだ…未熟だからです」


 意外な答えが返ってくる。

 ちゃんと自分の信念を持っているこの子は…それでもまだ、やはり子供、なのだった。


「私が見て、写真に撮ったのは、ただ現場をみただけにすぎません…真実じゃありません。私が伝えたいのは真実だけで、おもしろおかしく想像できる現場写真じゃないんです」


 そういうと、篠宮さんは大きく息を吸い、もう一度尋ねてくる。


「白鳥先生…この2人は…間違っているのでしょうか?写真の中の2人があまりにも幸せそうで、私にはどうしても判断がつかないんです」


 篠宮さんの問いに、ふと、昔の事が思い出された。


(…昔も…同じようなことが…あったわね)


 もう10年以上前の話。

 私がまだ教頭ではなく、ただの一般教師だったころの話。


 私の今までの教師生活の中で、一番気にかけて…そして一番優秀だった教え子がいた。その名前は、結城綾奈。

 今、この高校で教壇を取っている結城美麗先生の姉で…そして、


(間違いを犯して、教師を辞めざるを得なかった子)


 結城先生がまだ女子高生だった頃。

 私の教え子だった綾奈さんは、卒業して大学に進学した後、教育実習生としてふたたび私の勤めている高校に赴任してきた。

 そこまでなら、よくある話。

 優秀な子が、優秀に育って、母校に教師として凱旋してきただけの話。

 ただ違ったのは…綾奈さんは、妹を愛していて…


(過ちを、犯してしまった)


 教育者でありながら、未成年の子と付き合い…キスをし…手を出してしまい…そしてその決定的な場面を写真にとられ、告発されてしまった。


(今回と同じね…)


 あの時は、結局、綾奈さんは教育実習を続けるわけにはいかなくなり、あれほど優秀だった彼女の未来はそこで潰えてしまった。その後、お姉さんの果たすことが出来なかった教師という夢を妹の美麗さんがついで、今は結城先生としてこの高校で教師を務めているというのは、なにか運命的なものを感じてしまう。


(歴史は繰り返されるのかもしれない)


 同じ。

 また、同じ過ちだ。

 生徒を正しく導いていかなければならない教師が、あろうことが未成年の教え子に手を出してしまうだなんて。


(知らなかった、ではすまされない)


 もしも私がここで知らぬふりをして握りつぶせば、何事もなく時間は過ぎていくだろう。学校に傷がつくこともなく、水瀬先生が職を追われることもなく、星野さんが傷つくこともない。

 それが一番、丸く収めることのできる、大人の選択なのかもしれない。


(けれど)


 目の前にいる篠宮さんを見る。

 この子は、若くて自分が不完全だと知っていながら、それでも自分の中の信念に従った行動をした。

 翻って、私はどうだろう?

 私の信念とは何なのだろう?


(正しく、生徒を導いていくこと)


 昔の私は、救うことが出来なかった。

 当時の私の手のひらの大きさでは、たくさんの後悔が指の間を通って抜け落ちていった。

 今は違う。

 今は、昔よりも少しだけかもしれないけれど、私も成長している。


 事態も同じようで…違う。


 10年前は、すでに写真は拡散されていた。

 SNSにもあがり、騒ぎは大きくなっていて、綾奈さんを守る人は誰もいなかった。


 今回は?

 篠宮さんは、迷いながら、公開はしなかった。私に相談にきてくれた。

 写真は?

 たしかに、2人は付き合っているようにみえる。同じ指輪をして、幸せそうに微笑んでいる。しかし綾奈さんの時のように、決定的な場面とはいえない。あの時のように、キスやその先の場面が…うつされているわけではない。


 私の信念。

 正しく、生徒を導いていくこと。


 私は、篠宮さんに伝えた。


「水瀬先生と…校長先生を、呼んでください」


 そして、たんたんと、事務的に、しかしはっきりと、告げる。


「詰問会を、行います」





■■■■■




 呼び出しを受けた時、私の心臓は止まったかと思った。

 目の前が暗くなる。息が止まる。

 しかし動揺するわけにはいかない。私は「分かりました。すぐに向かいます」とだけ告げて、心を落ち着かせ、なんとか息を吸った。


(思い当たる節は…ありすぎる)


 廊下を歩きながら、思う。

 足取りは重いが、止まることはない。


「水瀬先生、おつかれさまですー!」

「水瀬先生、またねー!」


 すれ違い様、生徒たちが私に声をかけてくれる。

 私は出来るだけ平穏を装って手を振りながら、思う。


(…もしかすると、先生って呼ばれるのも、これが最後なのかもしれないわね)


 輝きながら去っていく生徒たちの後姿。なんてキラキラしているだろう。迷いも何もなく、ただ未来だけを見つめているんだろうな。


(私が見つめているのも、未来だけなんだけどな)


 少し自嘲する。

 たしかにそうだ。私は未来だけを見つめていた。

 あまりにも未来だけを見つめ続けていたから…私自身の未来を、見落としていたのかもしれない。


 扉の前に立つ。

 生徒指導室。

 本来なら職員室に呼び出されるものだとばかり思っていたのに、まさかここだとは。


(生徒指導、か)


 思わず笑いが込みだしそうになってしまう。指導されるのは私か。私は教師なのに、いつの間にか生徒に戻ってしまったのかな。若返ったということだろうか?ううん。違う。ただ成長していなかっただけ、なのだろう。


 扉は閉まっている。

 このまま私が扉を開けなかったらどうなるのかな?

 何もなかったかのように、問題は消え去って、時間だけが流れてくれるのかな。


(そんなわけ、ないか)


 私はため息をつく。

 ここに来るまで、様々な選択があった。私はたぶん、たくさんの間違えを犯してしまったのだろう。もっといい選択肢を、大人としての選択肢をとることもできただろう。


(それでも)


 私が未来を選んだ選択肢が間違いだったなんて、誰にも言わせない。

 私は間違っているかもしれないけど…間違えだらけの私の人生の中で、唯一誇れることがあるとしたら、それは私は未来を選んだということだけだ。


「失礼します」


 意を決して、中に入る。

 部屋の中は、少し暗い。

 あまり広くはない生徒指導室の中に、人影は3人見えた。


(白鳥先生)

(校長先生)

(それにあれは…篠宮さん?)


 校長と教頭がいるのは分かる。

 けれど、篠宮さんがいるのは何故だろう?


 そう思いながら部屋の中に入り、扉を閉め、机の上を見た時に私は全てを理解した。


「水瀬先生、どうかお座りください」

「…はい」


 白鳥先生に導かれて、私は机の前に座る。

 目の前は白鳥先生。

 そしてその後方に校長先生が座っていて、部屋の端には居心地悪そうに篠宮さんがたっている。

 私よりふた回りほど年齢の上の白鳥先生は、いつも通り…いや、いつも以上に厳格な表情を浮かべている。

 同じ女性だけど、私が白鳥先生と同じ年齢になったとして、果たして同じような威厳を保つことは出来るのだろうか?たぶん、無理な気がする。それは性格や才能の違うからくるものではなく、生き方というか、賭けていたものの違いからくるのかもしれない荘厳さだった。


 校長先生を見る。

 普段は笑顔を絶やさない、好々爺らしい校長先生だが、今はその表情を推し量ることができない。

 ただ、沈黙だけが場を支配していた。


「…水瀬先生、どうしてこの場に呼ばれたのか…心当たりはありますか?」

「…はい」


 机の上に置かれた写真を見ながら答える。

 それは、先日の祭りでの写真。

 私と未来が、親しそうにデートをしている写真。

 指と指に、同じ指輪をしている。

 頬をくっつけている写真もある。

 幸せそうな未来の顔。

 こんな状況でありながら、


(…未来、可愛いな…この写真…欲しいな…)


 と思ってしまった私は、たぶんもう壊れているのだろう。


「この写真は…事実ですか?」


 白鳥先生が、そう尋ねてくる。

 事実?

 事実とは、何なのだろう?

 見れば分かることではないだろうか?

 こんなに幸せそうな恋人なんて、他にいると思うのだろうか?


 そう思いながら、白鳥先生を見る。

 白鳥先生は、じっと私を見つめている。

 その目は、何かを訴えているかのようだった。


(あ…)


 そうか。

 これは、私の心に聞いているんだ。

 もしも私がこの写真を否定すれば…今回のことを無かったことにしてあげると、暗に伝えてくれているんだ。

 白鳥先生は正しい。

 正しくて、間違っていない。

 間違っているのは、間違いなく私の方だ。


 教師と生徒。

 大人と未成年。


 なにがどうしても間違っている私に対して、それでもなお、一本の蜘蛛の糸を垂らしてくれているんだ。


 強制はされていない。

 ただ、私が選択すればいいだけだ。

 これは違う。間違っています。誤解です。

 私と星野さんは…なんの関係もありません、と。


 そうすればすべてが丸く収まり。

 あと半年もすれば未来も卒業して、18歳になる。

 そうなれば、はれて私たちは堂々と付き合うことが出来て。

 

 幸せになれる。


 私が選択肢さえ、間違えなければいい。


 今まで何度も何度も、何度も何度も間違ってきた選択肢を。

 間違えなければいい。


 大人として、大人になって。

 正しく、生徒を導いていけばいい。





「間違いありません」


 私は迷わず、答えた。


「写真の通りです…私は星野さんと…教え子と…付き合っています」


 はっきりとそう答え、白鳥先生をまっすぐに見る。


「私と未来は…恋人同士です」




 私はもう。

 自分の心を…間違えない。

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