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恋してしまった、それだけのこと  作者: 雄樹
最終章 【未来17歳/沙織29歳】
114/118

第114話 夏は終わった。【未来17歳/沙織29歳】

 輝く宝石のようだった夏休みも終わり、9月がやってきていた。

 今でも、少し夢見心地になる。

 私の中で、あの8月の夜は永遠で、宝物で、私という人間が文字通り生まれ変わる一夜になったのだと思う。


 …とはいえ、現実は逃げずにちゃんと私の目の前にやってきてくれていて。

 受験生には立ち止まっている暇などないのであった。


「朝比奈さん、頑張ってるな…」


 登校中、掲示板に貼られた学校新聞をみながら、私はぽつりとそう呟いた。

 生徒会が行っているいろいろな行事の写真が所狭しと並んでいる。その写真に写っている人がみんないい笑顔で、本当に、学園生活を楽しんでいるということが伝わってくる。


 ふと、記事の下に署名しある名前をみてみた。「篠宮ひかり」と書かれている。


(篠宮さん、か)


 今年の春先に、少し話をしたことがある人だった。

 神美羅先輩に憧れていて、そして、自分、というものをちゃんと持っている人だったと思う。


(もう半年くらい前なのか…)


 そう考えると、時間がたつのは早いな、と思う。高校3年生になってから、もう半年が経過したのか。あと半年もすれば、私も卒業することになるのか。


(少しくらいは、成長できているのかな)


 成長したかどうかは分からないけど、大切なことを経験はしていると思う。経験…経験。またあの夜のことを思い出してしまい、ぽっと顔が紅くなる。うん。私、頑張れる。これからなにがあろうとも、あの夜のことがあるだけでもう絶対に迷わない。


「未来、おはよう」

「あ、おはよう、凛」


 そんなことをしていたら、後ろから私を呼びかける声がした。黒いショートカットに、白皙の肌。白と黒とのコントラストがくっきりとしていて、和の雰囲気をまとっている私の親友、凛だった。


「何見てるの?」

「学校新聞。朝比奈さんたち頑張ってるな、って思ってた」

「…うん。頑張ってるね」


 そう言いながら、凛は自然に私の隣を歩き出す。


「未来も頑張ってるよ」

「私?私なんて…まだまだ」

「でも、この前の模試の結果、すごくあがっていたじゃない」


 そうなのだった。

 夏休み、夏期講習もいって、そして凛と沙織さんにもつきっきりで勉強を見てもらった結果、私の成績は驚異のV字回復をしていた。

 具体的には、目標の大学への合格判定が、CからBに上がっていた。このまま頑張れば、A判定になるのも夢じゃない。


「凛の目指す大学とは違うけどね…」

「…うん」


 凛が志望しているのは、東京の大学。それも、日本で一番、すごい大学。それに比べて、私が志望しているのは地元の大学だった。私が大学に受かったとしても、落ちたとしても、どちらにせよ、半年後には凛と離れ離れになってしまうことだけは確定していた。


「…未来」

「なに、凛」

「ちょっとだけ、お願いしてもいい?」

「うん。もちろん、大丈夫だよ」

「教室に入るときには、ちゃんと離すから…」


 だから…未来の手を握りたい、と、凛が言った。


「…うん」


 私は、そっと凛の手を握り締める。親友の手を、握りしめる。

 凛の指先は細くて、そして少し冷たかった。心が暖かい人は手が冷たいっていうから、やっぱり凛の心は暖かいんだな、と思った。


「…未来、やっぱり、少し変わったと思う」

「そうかな?私なんて、まだまだ全然だよ」

「ううん。前からずっと素敵だけど、でも、今はもっと、素敵」


 今日の凛は、少し積極的だった。いつもなら、少し引いてあとをついてきてくれるのに、今朝はぐいぐいと前に出てくる。


「なんか…なんか、ね」

「…?」

「未来が…少し…大人になった、みたい」


 どきりとした。

 心を見られてしまったのかな、と思った。

 沙織さんとのこと…凛は知らないはず、だよね。でも、うん。そうか。凛は、私以上に私のことを見てくれているから、だから、私以上に、私のことが分かるのかもしれない。


「未来…私、ね。未来に会えて、本当によかったと思ってるの」

「凛?」

「あ、恋人になりたいって言っているわけじゃないからね。…ううん。やっぱりなりたい気持ちがないのは嘘かな…なりたい。でも、それよりも、未来に幸せになってもらいたいの。未来が幸せなのが…私、一番嬉しい」

「…凛」

「なんでかな。なんでいきなり、こんなこと言っちゃうのかな。なんかね、未来が、遠い場所に行くような気がして」


 しどろもどろになる凛。普段はクールで、真面目で、落ち着いていて、冷静な凛が、私の前でだけはこんな姿を見せてくれる。飾らない中身を全部見せてくれる。

 それに、私はどれだけこたえることができているのだろう。たぶん、100分の1も返せていないと思う。

 でも、だから。

 凛に対して、私は嘘を言ってはいけないのだと思う。

 自分の心の中を、正直に、ちゃんと伝えるべきなんだと思う。


「私、ね。いま、とっても幸せなの」

「未来…」

「私が幸せなのは、みんなのおかげ。私はみんなのおかげで、幸せになれてるの」

「そのみんなの中に、私、ちゃんと入れてる?」

「もちろんだよっ」


 それどころか…凛がいなければ…今の私の幸せなんて、絶対に無かったのだから。


「凛、いつも隣にいてくれて有難うね」

「私こそ…私の方こそ…有難う…」


 そして、教室につくまでの間、何回も何回も、私と凛との間で、有難う、っていう言葉が往復したのだった。




■■■■■



 朝のホームルームの時間が好きだ。

 それは、担任の沙織さんに会えるから。

 毎日学校にいけば、毎日沙織さんに会える。

 これ以上の幸せが、この世の中にあるのだろうか。


(高校受験の時を、思い出すな…)


 朝のがやがやとした雰囲気の中で、沙織さんが教室にやってくるのを待ちながら、私はふと中学3年の頃を思い出していた。


 あの時、私は沙織さんの勤めているこの高校に受かりたくて、頑張って勉強していた。もう、必死だった。おかげさまで高校に受かって、こうやって毎日沙織さんに会えるという幸せを享受することができている。

 思い返してみれば、これが人生の選択のひとつであり、沙織さんの言っていた「勉強するということは、人生の選択肢を多く持つことができる」という事なんだろう。


(あれから3年、か…)


 3年たって、また受験の時期が来てしまっていた。

 あの時は、沙織さんに近づくために頑張っていた。今回は…沙織さんに近づくことが出来るのだろうか。


 隣の席の凛が、ちらちらと私を見てくる。

 私の大事な親友。この親友も、大学に行くことでまた新たな選択肢を選び取ることになるのかな…

 そんな事を考えていると、教室の扉が開いた。


「みなさん、おはようございます」


 沙織さんの声。

 いつだって私を幸せへといざなってくれる、大事な恋人の声。


 教室のみんなは席に戻り、視線が沙織さんへと集中する。いろんな伝達事項をてきぱきと伝えてくる沙織さんを、私はじーっと見つめていた。

 どんな沙織さんも素敵だけど、やっぱり、このスーツ姿の沙織さんが一番凛々しくて好きだな、と思ってしまう。


(沙織さんのスーツ…)


 沙織さんの家にいって勉強している時は、もちろん沙織さんは私服なのだけど。

 沙織さんが席を外している時に、壁にかけられていた沙織さんのスーツにそっと抱き着いて、沙織さんの匂いを感じていたのは沙織さんにも秘密だった。


(そう考えてみたら、私、やばいなー)


 好きすぎてやばい。

 沙織さんを好きになったのが8歳の時。今は17歳。もう人生の半分以上、沙織さんが好きなんだな、と思ってしまう。


 出席をとっている沙織さん。沙織さんの口から、みんなの苗字が順番に呼ばれている。私の苗字だけ読んでもらいたいな、と思いつつ、ふと、沙織さんのスーツの内側を妄想してしまう。

 あの夜、明るかったから。

 私も全部見られたけど…沙織さんの全部も、見れたから。


「…さん…星野さん」

「は、はいっ」


 変な事考えていたから、自分の名前が呼ばれていたのにも気づけなかった。慌てて返事をして、思わず立ち上がってしまう。


「…星野さん、別に出席の時に立ち上がらなくてもいいですよ」

「あ、ご、ごめんなさい…」


 教室が笑いに包まれる。失敗した…沙織さんに変なところ、見られちゃった。

 窓から差し込む9月の朝陽はまだまだ暖かくて、秋の訪れはもう少し先のことのように思えた。


 なんでもないようなこんな日々が、過ぎ去って思い返してみたら、実はかけがえのない日々だったと気づくのは…もう少し先の話、だった。




■■■■■



『未来、今朝のホームルームの時、ぼーっとしていたでしょう?何考えていたの?』

『沙織さんのことです』

『私?』

『はい、沙織さんのことです』

『…私の何を考えていたの?』

『私の恋人、どうしてこんなに素敵なんだろうって』

『馬鹿』

『こんなに立派な先生なのに、実は…だなんて誰も知らないんだろうなって』

『実は、なに?』

『実は、えっち』

『馬鹿』

『沙織さん、私、この前の模試の結果、すっごくよかったんです!』

『知ってるわよ。私、これでも担任なんですからね』

『えっちな担任ですね』

『馬鹿』

『それで、沙織さんからご褒美もらいたいな、って』

『ご褒美?』

『ご褒美です』

『…何が欲しいの?』

『あ、いま、沙織さん。えっちなこと考えてます?』

『考えていません』

『本当?』

『本当です』

『じゃぁ沙織さん、私とえっちなこと、したくないんだ』




『沙織さん?』

『沙織さーん??』






『…したいです』

『やっぱり沙織さん、えっちじゃないですか』

『そうですよ。私、えっち教師ですよ。悪い?』

『あー。沙織さん、ふてくされてるー』

『ふてくされてなんていません』

『沙織さん』

『なに』

『好きです』

『…私も、好き』

『沙織さん、愛してる』

『私も、愛してるわ』

『今週末、ちょっと遠いんですけど、お祭りがあるんです』

『そうなの』

『模試のご褒美に、一緒にお祭りデートしてもらえませんか』

『喜んで』

『遠いから、誰にも見られないだろうから、いちゃいちゃしたいです』

『うん。そうね』

『沙織さん』

『なあに?』

『私もです』

『?』

『私も、沙織さんと』




『えっちなこと、したいです』



 そんな、メッセージの、やりとり。





■■■■■



 9月の最後の日曜日。

 私たちの住んでる街から、ちょっと離れた街。

 海から離れた山の街で、お祭りが開催されていた。


「さすがにもう浴衣は着れませんね」

「寒くなってきたもんね」


 薄手のカーディガンを羽織った沙織さんは、教室での先生、っていうイメージとは裏腹に、柔らかくてとても綺麗だった。

 もう惚れているんだけど、もっともっと惚れてしまう。好きの天井が見えないのは、純粋にすごいと思う。

 私はワンピースで、沙織さんの隣にいたら少し子供っぽいかな、と思ってしまう。


「あっちの屋台にも、美味しそうなのありますよ!」

「こらこら未来、引っ張らないの」


 そう言いながら、沙織さんは嬉しそうだった。

 私たちは腕を組んで、身体を密着させて、祭りを楽しんでいた。

 いつもは首にかけて隠している指輪は、今は私の指にはめられている。

 沙織さんの指にも、同じ指輪。

 恋人の証。


 早く、堂々と地元でも一緒に腕を組んで歩きたいな、と思う。あと半年もすれば、私は高校を卒業する。

 卒業したら…家を出よう。

 もちろん、大学に受かるというのが大前提なんだけど…


 世界は広っていくはずだ。

 どんなに広い世界でも、私には沙織さんという、かえるべき場所がちゃんとあるから、道に迷うことはない。


「沙織さん」

「未来」

「沙織さーん」

「もう、なによ、未来」


 大好きな人とこうして一緒にいれて、大好きな人と同じ時間を共有できている。

 そしてその大好きな人が…私を大好きでいてくれている。

 幸せすぎて、さっき屋台で買った綿あめよりも何倍も甘くて。


「沙織さん、はい、綿あめですっ」


 ぐいっと、綿あめを向ける。


「分かってるわよ」


 沙織さんがぺろっと口をあけて舌を出したのをみて、私は笑いながら言う。


「沙織さん、分かってないですよー」

「もう、何が?」

「私が口をつけたの、こっちですよ?」


 そう言って、先ほどまで私が舐めて溶かしていた方を向ける。沙織さんは一瞬戸惑った後、頬を綿あめの朱色よりもほんのりと赤らめて、ぺろっと綿あめを舐めていく。


「…ん、甘い」

「美味しいです?」

「甘くて、美味しい」


 可愛いなぁ。

 同年代のクラスメイトなんかより、絶対に何倍も可愛い。

 ぎゅーってしたい。だからしよう。ぎゅーっ。


「未来」

「なんです、沙織さん」

「今夜は…どうするの?」

「ちゃんと家に帰りますよー」


 答える。

 少しだけ沙織さんが、残念そうな顔をする。

 分かりやすいなぁ。可愛い。

 祭りの喧騒の中、顔を近づける。

 沙織さんの匂いの中に、先ほどの綿あめの匂いが混じっていて、もっと甘く匂ってくる。


「お父さんには、終電で帰るって伝えています」

「…」

「だから、祭りをちょっとだけ早く…出ませんか?」

「…うん」


 えへへ。

 沙織さん、真っ赤。リンゴ飴より、真っ赤。

 たぶん、私も真っ赤。


 だからほっぺをくっつけて、ほおずきみたいに可愛くなった。





■■■■■



「…あれ…もしかして…」


 新聞部の取材で離れた祭りに来ていた私の前に、見知った顔がふたつ見えた。

 間違い…じゃ、ない。


 あれは…


 星野先輩と…水瀬先生?


 たまたま2人できていただけ?

 教師と生徒が?


 あんなに親しそうに?

 同じ綿あめを食べ合って?

 頬を寄せ合って?

 まるで…恋人、みたいに?


 指輪。

 同じ指輪をしている。



 同じ、指輪。






 私は、首にかけていたNikon FM2を手に取る。


(オートじゃないから…自分で決めて、撮るんです。シャッターを切るのは、他の誰のせいでもない、私自身の、責任なんです)


 半年前。

 私は…新聞部部長、篠宮ひかりは。

 星野先輩に向かって、そう言った。


 そう。

 オートじゃない。

 決めるのは、私だ。


 幸せそうな2人を。

 レンズにとらえて。


 私は。





 シャッターを、切った。

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