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恋してしまった、それだけのこと  作者: 雄樹
最終章 【未来17歳/沙織29歳】
107/118

第107話 帰るべき場所【未来17歳/沙織29歳】

 6月。生徒会選挙戦当日。

 梅雨らしく、朝から雨が降っていた。

 講堂の中はざわついていて、雨音は聞こえてこない。私は講堂に並べられた椅子に座ったまま、壇上を見つめていた。


 投票は終わり、集計が発表される。


 今回、生徒会長に立候補したのは3人。その中で圧倒的に支持をされて新しい生徒会長に選ばれたのは、朝比奈さんだった。


(おめでとう、朝比奈さん)


 拍手をしながら、私は壇上の朝比奈さんを見る。背の高い彼女が、今日はいつもより更に大きく見える。


 講堂内は拍手の音に包まれていて、それはまるで、降りしきる雨音のように感じられた。

 新会長である朝比奈さんの挨拶を遠くに聞きながら、私は祝福と同時に、少し寂しい気持ちも感じていた。

 小さな雛が巣立っていく姿を見ている気持ちというか、マラソンで一緒に走っていた子が、気が付いたら目の前を通り過ぎていったような気持ちというか、そんな何とも言えない気持ち。


 目を閉じると、聞こえないはずの雨音がきこえてくるような気がしたのだった。




■■■■■



 生徒会室に行くと、そこにはすでに、新会長である朝比奈さんと、雪原くんが先に部屋の中にいて、満面の笑みを浮かべていた。

 背の高い朝比奈さん。

 背の低い雪原くん。

 そんな二人が一緒にいるのはもう当たり前の光景で、パズルのピースとピースがぴったりとくっついているような感じがある。


「おめでとう、朝比奈さん」

「有難うございます!星野先輩!」

「おめでとう」

「有難うございます!会長!」

「…私はもう、会長じゃないわよ」


 凛はそう言うと、優しく笑う。


「あなた達2人なら、きっとできると思っていたわ」


 椅子には…座らない。

 今までいつも凛が座っていた生徒会長の椅子には、今は朝比奈さんが座っている。まだ慣れていないようで、変にもじもじしている姿が少し可愛い。

 凛と私は立ったまま、新しい生徒会長である朝比奈さんを見つめていた。


「それで、先輩方にお願いしたいことがありまして」


 朝比奈さんは椅子から立ち上がると、にこやかな声で言葉を続けてきた。

 屈託のない、梅雨晴れのような笑顔。


「どうかこれからも、相談役として生徒会に…」


 ああ。

 やっぱり。

 私と凛は、顔を見合わす。

 この選挙戦の間、私と凛は2人でずっと話し合っていた。

 頑張っている朝比奈さんと雪原くんを見て、そして彼女たちを支えている彼女たちのクラスメイトの姿をみて、一歩離れたところでずっと見ていた。

 そして、もうすでに結論をだしていたのだった。


「私と未来は、文芸部に戻るわ」

「え…」


 氷が割れた音がしたような気がする。

 朝比奈さんの表情が、一瞬止まった。

 

「それは…どういう…」

「言葉通りの意味よ」


 凛の言葉は淡々としていたけど、冷たくはなかった。むしろ、どうすればこの子たちを傷つけることなく伝えることができるだろうかと、おそるおそる手探りで探しながら言葉を選んでいた。


「あなたは、よく頑張った。今までもずっと見ていたし、今回の選挙もずっと見ていた。だから、私は安心して」


 あなたに、まかせることができる。


「でも、私は…」

「私たちがいるとね、あなたが作る新しい生徒会の邪魔になるの」


 言いにくいことを、はっきりと言う。

 それが凛の優しさで。

 私の親友の隠しきれない美点であり、いろいろと誤解される欠点でもあった。


「いつでも相談してくれていいし、いつだって私はあなたの役にたってあげたいと思う。けどそれは、私、白鷺凛という個人の想いと行動であって、生徒会に所属する相談役、という立場からではないわ」


 ここ数日、私と凛はどうやってこの想いを告げようかと色々悩んで、ずっと相談してきた。

 それで結局選んだのが、直接本人にそのままの言葉で伝えるという、ひねりもなにもない愚直な方法だった。


 これがもしも神美羅先輩だったら、もっとうまくやれたんだろうけど、あいにく私と凛は神美羅先輩ではなかった。

 だからこれが、私たちにできる唯一の方法で、たぶん、一番誠実な方法なんだと思う…思いたい。


「朝比奈さん」


 私も口を開く。


「頑張ったね。頑張ってたね。すごいと思う。見てたよ。選挙の時、朝比奈さんの周り、すごく沢山のクラスメイトに囲まれていたね。みんな、朝比奈さんのために頑張ってくれていたね。それが、朝比奈さんの一番の魅力で」


 生徒会緒に一番ふさわしい能力なんだと、思う。


(この子は、愛される子だ)


 見ていて、なぜか力を貸したくなってしまう。手を差し伸べたくなってしまう。それは何故だろう?答えは簡単で、朝比奈さんは、素直で、まっすぐで、裏表がなくて、


(いい子、だからだ)


 愛さずにはいられない。

 そんな朝比奈さんは、涙をボロボロながしながら私と凛を見つめていた。


「寂しいですぅ…」


 見つめるどころか、言葉に出していた。

 せっかくの綺麗な化粧が台無しで、つけまつげがとれそうになっていた。

 飾らないこの性格が、この子を一番綺麗に飾り立ててくれているのだと思う。


「ごめんね」


 凛はそう言いながら、クールそうにふるまおうとして、でも結局できなくて、少しだけおろおろした後、朝比奈さんの傍にいって、ぎゅっと抱きしめた。


「でも、朝比奈さんなら、絶対大丈夫だから。あなたは、すごい子よ。私に出来ないことができる子。あなたの周りには自然と人が集まってくるじゃない。すごいよ。私には無理。あなたが素直でいい子だから、みんな、あなたの役に立ちたいって思えるの。思わずにいられないの」


 もっと強く抱きしめる。

 朝比奈さんも、凛を抱き返した。朝比奈さんの方が大きいから、まるで大型犬が大好きな飼い主さんにじゃれついているような光景にみえてしまう。


「会長はあたしの憧れなんです…」

「私はもう会長じゃないわよ」

「あたしの中では、ずっとずっと会長です…」


 泣きながら抱き着く新生徒会長の頭を、凛は後ろででぽんぽんと叩く。


「いつでも相談に乗るから、大丈夫だから、だから、頑張って」


 言いながら、雪原くんを見る。


「雪原くん、新生徒会長を支えてあげてね」

「…もちろんです」

「それに…」


 凛は少し意地悪そうな笑顔を浮かべた。


「雪原くんなら、こうなるだろうって、正直、予測していたんじゃない?」

「それは…」


 そのとおり、です。

 雪原くんはうつむきながら、小さな声で言った。


「本当にっ!?」


 涙で顔をぐしゃぐしゃにしたままで、凛に抱き着いたままの朝比奈さんが、雪原くんの方を見た。雪原くんは少しバツの悪そうな表情をうかべながら、「でも、それを先に伝えてたら、朝比奈さん、動揺するかなって…」とつぶやく。


「動揺するよぅ…。今もしてるよぅ…。あああああん。もう、遼くんもこっちに来てっ。いじわるっ」


 そう言いながら、朝比奈さんは雪原くんを引っ張って、凛と一緒に抱きしめる。朝比奈さんの大きな手が2人を包み込んで、そしてまた大きな声で泣いている。

 私はそんな光景をみながら、考えた。


(終わったんだ、な)


 そして、頭を振る。違う。終わったんじゃない。


(変わったんだ、な)


 窓の外は雨が降っていた。

 でもその先に、少しだけ、雲の切れ端が明るくなっているのがみえる。

 梅雨の終わりも近いのかもしれない、と、思った。




■■■■■



 私と凛は、朝比奈さんと雪原くんを生徒会室に残したまま、部屋を出た。


「絶対、絶対に来てくださいね。というか、あたしから相談にいきますからねっ!絶対ですからねっ」


 朝比奈さんの声にもう涙は含まれていなかった。

 あれだけ泣いたのだから、いくら大きな体をしているといっても、涙という涙はもう全部出てしまったのかもしれない。


「凛…お疲れ様」

「なにが?」

「いろいろと、ね」


 2人きりで廊下を歩く。

 この一年間、本当にいろいろな事があった。大変なことも、大変じゃなかったことも、でもその全部が大切な思い出で、そして凛はいつもずっと私を支えてくれていた。


「そういえば」


 歩きながら、凛に問いかける。


「私たちは文芸部に戻るとして…葵は、どうするの?」

「あの子は」


 凛はため息をついた。


「なんていうか、猫みたいな子だから」


 自由気ままで、自分勝手で気まぐれで…そして愛される。


「私の傍にはいたいけど、文芸部には入りたくない、って言っていたわ」


 昔から私のことばかり見ていたけど、でも最近は私以外にも少しずつ目を向けるようになっていたし、それに葵、朝比奈さんのこと気に入っていたから、これからちょくちょく顔を出すかも、だって。


「そうか…」

「そうなのよ…」


 なんとなく、笑う。


「生徒会、大丈夫かな」

「大丈夫よ」


 あの子たちなら、絶対に、大丈夫。


「それに、結城先生もいるしね」

「そうだね」


 生徒会のメンバーが変わったとしても、顧問は変わらない。去年も、今年も、そしてたぶん来年も、ずっと結城先生が顧問として生徒会をみてくれるはずだ。

 そう考えると、本当の生徒会の主は結城先生なのかもしれないな、と、思った。


「このまま一緒に文芸部に行く?」

「…そうね」


 凛は少しうつむいて、そして。


「私は、今日はやめとく。迷い猫を探して首根っこ捕まえておかないといけないからね」


 そう言って、私の背中をぽんと叩いた。


「だから…今日は…未来一人で、行ってあげて」


 その手は暖かくて、でも少し寂しそうで、それでも何より。

 とても、優しかった。




■■■■■



 足音。

 こつん。こつん。こつん。

 廊下を歩く、私の足音だけが響く。

 こつん。こつん。こつん。

 こつ、こつ、こつ。

 こっこっこっこ。


 だんだんと、足音が早く短くなっていく。


 生徒会を出て、凛と別れて、1人になって。

 そして、扉の前。


 文芸部の、扉の前。


 生徒会の顧問は、結城先生。

 そして、文芸部の顧問は。


 扉を開く。


 人影が、1人。


「おかえり、未来」

「ただいま、沙織さん」


 心がとける声。

 私の大好きな…私の帰るべき場所。


 私は文芸部の部室に入ると、後ろ手で扉を閉じる。

 誰も入ってこれないように。

 そっと、鍵をかける。


「文芸部顧問の、水瀬沙織です」


 沙織さんが、すこし澄ました顔でそう言った。

 私も背筋を伸ばして、口を開いた。


「文芸部再入部希望、星野未来です」


 そして、歩き出す。

 前に向かって、沙織さんに向かって。

 抱き着いて、沙織さんの匂いを感じて、溶けそうになって、言う。


「これからも、宜しくお願いします」

「…うん」


 これからも、ずっと、


 ずーっと。


 宜しく、お願いします、沙織さん。

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