第104話 自分で決めて【未来17歳/沙織29歳】
春の日差しを浴びながら、私は掲示板に貼られた学内新聞をぼけーっと見ていた。もう高3になってから数週間は経っているのに、どうもその実感が湧かない。いまだに気分は高2のままだった。
(これじゃ、いけないよね…)
そう思いながらも、具体的にどうしてこんな気持ちになっているのかが分からない。ある意味、私は今、満たされているからかもしれない。ここまで全力で走ってきて、走って、気が付いたら足が止まっていて、次の目標を見失っているのかもしれない。
(…駄目だなぁ、私)
全然中途半端だ。
まだ何も成し遂げていないのに、何やりきった感を出しているのだろう。
私は頭をふって、頬を叩いた。
そして、もう一度、目の前にある学内新聞を見る。
それは、去年一年間をまとめたアルバムのような内容だった。
文化祭、体育祭、合唱祭、様々な行事の写真が所狭しと紙面を彩っていて、上の方に、新入生のみなさん、うちの高校はこんな感じの高校ですよ、楽しいですよ、だから一緒に楽しみましょうね、といった意味の文言が添えられていた。
(去年の、私たち)
こんな写真を見ていたから、少しセンチメンタルな気持ちになってしまったのかもしれない。どの写真も、去年の私たちが一生懸命頑張っている瞬間を切り取ったもので、レンズのフィルターを通して撮影者の想いが伝わってくるような気がしてきた。
(…ん?)
よく見ると、写真のいたるところに、見知った顔がよく映りこんでいた。というか、大抵の写真に神美羅先輩が映りこんでいる。
(あの人、どこでも目立っているなぁ…)
思わず笑ってしまう。神美羅先輩、自分のことをいつも吸血鬼だ、吸血鬼だ、と言っていたのに、こんなに証拠を残していてもいいのだろうか?というか、吸血鬼って写真に残るのかな…なんて思ってしまって、嬉しい反面、今はもうそんな神美羅先輩は卒業されてここにはいないのだと実感してしまい、少し寂しくなってしまった。
「どうです?いい写真でしょう♪」
いきなり、声をかけられた。
声がした方を振り向いてみると、少し小柄で黒髪ショートの、これまた黒いカメラを首からかけている活発そうな女の子がそこに立っていた。
知らない子だ。
でも、その子は私のことを知っているようで、
「星野先輩はどの写真がお好きですか?」
と邪気なく尋ねてきた。
私は視線を女の子から掲示板の新聞へと移し、たしかにいい写真だな…と思いつつ、また首を女の子の方へと戻した。
そして浮かんだ疑問をそのまま口にする。
「えーっと…その前に、あなた…どちら様?」
「あぁ、これは申し遅れました!」
舌をぺろっと出すと、その子は懐をまさぐり、一枚の名刺を差し出してきた。
(…名刺?)
どうしてそんなものを持っているのだろう、と思いながら、名刺を受け取る。そこには
『新聞部部長』『篠宮ひかり』
と几帳面な明朝体で印字されていた。
「えーっと…篠宮…さん、でいいのかな?」
「はい!篠宮でも、ひかりでも、新聞部部長でも、お好きな呼び方でお呼びください!」
「じゃぁ…篠宮さんで」
どう接すればいいのか分からなくて、少し遠慮してそう答える。篠宮さんは嬉しそうに満面の笑みを浮かべると、
「それで、どの写真がお気に入りになられましたでしょうか?私としては、この文化祭の時に吸血鬼のコスプレをされている神美羅先輩とか、体育祭の時に暑い外なのにもかかわらず何故か毛布を外に持ち出してきて丸まっている神美羅先輩なんかがおすすめなんですけど!」
「あ、あの、ちょっと…」
勢いに押されてしまう。
初対面のはずなのに、この距離の詰め方はどうなんだろう?私はたぶん、少しひきつった笑い顔を浮かべてしまっていたと思う。
そんな私を見て、これはしまった、といった表情を篠宮さんは浮かべた。
「ごめんなさい、ついつい、調子に乗っちゃいました」
「…まぁ、いいけど…篠宮さん、こんなに神美羅先輩の写真撮ってるなんて、ずいぶん神美羅先輩のこと好きだったのね」
「はいっ!憧れなんです!」
今までで一番いい笑顔だった。
「学校始まって以来の秀才であったとか、にもかかわらず大学進学されなかったとか、イベントのたびに何かしら事件起こされていたとか、在学中に3本自主製作映画を完成されて、そのどれもが恐ろしくつまらない作品だったとか、語りたいところはいろいろあるんですけど…」
カメラを手にしたまま、嬉しそうに語っている。そして、宙をめぐっていたその瞳がピタっと止まると、今度はまっすぐ、私を見つめてきた。
「一番憧れたのは、神美羅先輩、自由奔放なようでいて、その実、全ての物事に真剣で純粋だったところです」
「…そうね」
あの人は、そういう人だった。勝手気ままにふるまっているように見えて、一番、周囲のことを気にかけていた。もう今は卒業されてここにはいないけど、でも、私たちの中に確かにその残照は残っているのだ。
ふふっと、笑いが零れてしまう。
そんな私を見て、篠宮さんがカメラを向けると、シャッターを押した。
「星野先輩の笑顔、頂きました!」
「あなた…何を勝手に…」
「ごめんなさい、でも、あまりにも素敵な笑顔だったので、この瞬間を残さないなんて私には我慢できなかったんです」
好き勝手なことを言う。
けど、その言い方があまりにも堂々としていて悪びれていなかったので、文句をつけるのが美しくないような気がしてしまった。
だから、私が口にしたのは文句ではなく別の言葉だった。
「私はカメラのことってよく分からないんだけど、そのカメラ、なんていうか、かっこいいね」
「あはっ。そうなんです、私の相棒なんです」
篠宮さんはもう一度笑い、にこにこしながらカメラを掲げてくれた。
「Nikon FM2っていって、最近のカメラみたいに頼んでいないことを勝手にやってくれるようないい子ちゃんじゃないんですけど…」
完全マニュアルで、不器用で、撮り直しも聞かなくて、でも、だからこそ、
「オートじゃないから…自分で決めて、撮るんです。シャッターを切るのは、他の誰のせいでもない、私自身の、責任なんです」
そう言って私を見つめる瞳は、記者の瞳だった。
今の私にない、確かな自分、というものを持っている瞳だった。
■■■■■
「…ということがあったんです」
学校、放課後、生徒指導室。
少し狭い部屋の中で、私は沙織さんと2人きりだった。
「…ということ、って…」
「篠宮さん、初めて会ったんですけど、なんか、圧倒されちゃいました」
「…そうなの」
「はい。今の私に足りないところをもっているというか、ちゃんとした信念を持っているというか…」
「私にとっては、未来以上に信念を持っている子なんていないんだけど」
沙織さんはそう言うと、机の上に置いた資料を手で整えた。
差向うように座っている沙織さんは、やっぱり綺麗で、見ているだけで心が癒されてしまう。
「私も頑張らないといけないなぁ、って」
「…そうね。それで、未来、いいかな」
「なんでしょう沙織さん」
「一応、今、進路相談にのっているんだけどね、私」
「…そうでした」
今は恋人同士として会っているのではなく、教師と生徒としてこの部屋にいるのだった。
「私、一応先生なんだけどな…自信なくなっちゃう…」
「沙織さんより素敵な教師なんていませんって!」
これは本音。
「じゃぁもう一度聞くけど、未来は将来、何になりたいの?」
「沙織さんのお嫁さんです」
「…」
顔を赤らめる沙織さん。可愛い。
頬を上気させたままで、沙織さんは視線を少し下にずらして口を開いた。
「…それは…今はまだ…保留、だから…」
「あと一年ですよ」
私は今、17歳。
沙織さんは、私が18歳になっても、それでもまだ結婚したいって思ってくれるなら、結婚しましょう、って言ってくれたけど、正直なところ、私のこの気持ちが変わるとは思えない。
私は、18歳になったら、絶対に沙織さんと結婚する。
だからこれは、前提条件なんだ。
「お嫁さん以外に、なりたいものは無いの?」
「…あります」
それも実は…昔から、変わっていない。
あの時、9歳のクリスマスプレゼントで沙織さんからもらった万年筆。今でもずっと大事に持っている私の宝物。
作家。
なれるかどうか、そんなことは分からない。
ただ、私は昔からずっと、一度決めたことは変わらないんだと思う。
好きな人は、沙織さんだけ。
なりたいものは、作家だけ。
私の言葉を聞いた沙織さんは、穏やかな笑顔を浮かべてくれた。
それは恋人の笑顔のようでもあり…教師の笑顔のようでもあった。
「なら、勉強して、大学に入りましょう。道はいろいろあるけど、未来が目指す道はその先に必ずあるし…」
それに。
「それなら、私も、協力できるから」
恋人として。
教師として。
両方の立場で、未来の未来に役立てるのは…嬉しい。
そう言って、はにかんでいる沙織さんを見ていると、私は胸がきゅーっとなって、嬉しくて、背骨が溶けそうで。
えへへ、と笑った後に、
「私、頑張るから…お願いします、沙織さん…」
と言って、手を伸ばしたのだった。




