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恋してしまった、それだけのこと  作者: 雄樹
最終章 【未来17歳/沙織29歳】
103/118

第103話 高校3年生。【未来17歳/沙織29歳】

 17歳の、春の朝。

 私は、高校三年生になった。


 眠い目をこすりながら、窓の外を見る。

 遠くに、海がみえる。海の向こう側がだんだんと白んでいき、少しずつ明るくなっていく。空を見ると、紫がかった雲が細かくたなびいている。


「春はあけぼの、か…」


 ベッドから降りて一番最初にすることは、枕元に置いていたネックレスを手に取ることだ。その先についている春の陽光に照らされた指輪を見て、心が暖かくなる。指輪にそっとキスをすると、首にかける。


「沙織さん…」


 大好きな恋人のことを思う。早く会いたい。会って、顔を見たい。私の顔を見てもらいたい。


 部屋を出て、顔を洗い、リビングに行く。

 トーストの美味しそうな匂いに包まれる。


「おはよう、未来」

「おはようございます、未来さん」

「…おはよう、お父さん、茜さん」


 いつも通り、テーブルで新聞を読んでいるお父さんと、エプロン姿でキッチンに立っている茜さんを見て、朝の挨拶を交わす。そしてそのまま、壁際に飾ってあるお母さんの写真に向かって、「おはよう、母さん」と言って私もテーブルに座る。


(…結局、茜さんのこと、お母さんって呼ぶことはなかったな…)


 そう思いながらトーストを口にする。塗られた蜂蜜が甘くて、口の中が朝から幸せに包まれる。


「ねぼすけお姉ちゃん、おはよう!」


 元気な声で朝の挨拶をしてくるのは、妹の紬希つむぎだ。

 もうすでに小学校の制服に着替えている。胸元の紅いリボンが大きくて可愛い。そのリボンに負けないくらい鮮やかな赤色のランドセルをすでに背負っていて、くるくる回りながら楽しそうにしている。


「おはよ、つむぎ。玲央はどうしてるの?」

「玲央くん、もう先に学校に行ってるよ」

「あらま、早いね」

「バスケ部の朝練なんだって。バイクに乗って、びゅーんって出ていったよ」


 バイク、ね。玲央が乗っているのは正確にいえば原付なんだけどな、と思う。

 バイクといえば…


(神美羅先輩、今頃どこにいるんだろう?)


 卒業式の日、ハーレーダビッドソン?とかいう大きなバイクに乗って旅に出られた神美羅先輩のことを考える。どこにおられるのかは分からないけど、楽しく過ごしていることだけは間違いないだろうな…今頃、くしゃみでもしているんじゃないかな。


「ごちそうさま。美味しかったよ」


 私は立ち上がって、大きく背伸びをした。

 窓から入り込む春の陽光は家の中を暖かく照らしていて、なんていうか、私の家族って幸せなんだなぁ、とふと思った。


 特別に大きなイベントなんてないけど、穏やかで心地よい空気に満ち溢れていると思う。当たり前のようでいて、たぶん、当たり前じゃない時間だ。


「じゃぁ、私も高校に行ってくるね」

「私も途中までお姉ちゃんと一緒に行くー」


 紬希がぱたぱたっと走ってきて、ぎゅっと手を握ってくる。

 小さくて、暖かい妹の手。私もぎゅっと握り返す。


「車に気をつけてな」

「いってらっしゃい、未来さん、紬希ちゃん」

「うん、行ってくるね、お父さん、茜さん」

「またねー!お父さん、お母さん!」


 変わらない普段通りの日常が、陽光と共に暖かく私を包んでくれていた。




■■■■■



 高校の掲示板の前には、たくさんの生徒たちが集まっていた。

 今日は新学期初日、新しいクラスの発表があるのだ…高校2年生まで、は。


(その点、3年の私は安心だなぁ)


 むふー、と息をはく。ちょっとだけ、大人になった気がする。

 私の高校は2年から3年へのクラス替えは無いので、去年2年1組だった私は、そのままスライドして3年1組になっていた。


 クラスも同じだから、同級生も同じ…そしてもちろん、


(早く沙織さんの声聞きたい…)


 担任も同じだった。


「未来、おはよう」

「おはよー」


 背中から声をかけられる。ふたごの声。声質はほとんど同じだけど、私にはもうその違いがはっきりと分かる。


「おはよう、凛、葵」


 ふりむくと、似たようなショートの髪型をした2人のふたごが立っていた。

 かけがえのない、私の親友の凛は朝から嬉しそうに頬を紅く染めていて、その隣にがるる…と睨みつけてきているいつも通りの葵が立っていた。


「今年一年、また同じクラスだね」

「うん。今年もよろしくね」

「私は違う…」

「ごめんね、葵」

「いいもん。学校にいる間だけは、凛を貸してあげる」


 でも家にいる間は私のものなんだからね、とふてくされながら葵は言った。相変わらずのシスコンっぷりなのだけど、昔に比べれば少しだけ緩和されたかな、と思った。


 ちょっと離れたところに、男友達に囲まれている颯真の姿が見えた。こっちに気づいて、軽く手をふってくる。私もそれにこたえて手を振る。颯真とクラスが変わって、もう1年になるのか。


(小学校、中学校と、あれだけずっと一緒にいたのにな…)


 今でも大事な友達なのは変わらないけど、距離のちがいはやはり心の違いに繋がってくるのだろう。うまく言えないけど、一言でいえば、疎遠、になってきた気もする。


(美月とも…)


 親友だった美月。別の高校にいった美月。春休みの間に1回会ったのだけど、見た目もけっこう変わっていた。前は大人しい恰好を好んでいたのに、ちょっとアバンギャルドというかなんというか、いいように言えば芸術家っぽくなっていた。


(凛も葵も変わってきたし)

(紬希も…大きくなって、少し生意気になってきたし)

(颯真と美月との関係もかわってきた…)

(神美羅先輩も楼蘭先輩も卒業されていなくなっちゃったし、なんか…)


 高校、という場所自体は変わっていないのに、通っている私たち自身は少しずつ少しずつ変化している。

 それはたぶん…寂しいけど、いいこと、なのだろう。




■■■■■



 教室に入って、席につく。

 バスケの朝練を終えていた玲央はもう先に教室の中にいた。


「おはよう、玲央」

「おはよう、未来」


 相変わらずの金髪で、あいかわらずの耳に三連ピアス。背が高くて見た目はちょっと怖い玲央だけど、もう私の家族でお義兄ちゃんで、不愛想ながらもその中にちゃんと暖かい気持ちが入っているのを知っている。


「朝から頑張ってるみたいだね」

「ああ。最後の年だからな…今年こそ、県大会突破してやりたいんだ」


 そう言って笑う玲央は、正しく青春を謳歌している気がする。

 私も青春真っ盛りのはずなのだけど、私の場合は、「正しい」とはちょっと言えないのかな…とも思う。


「みなさん、おはようございます」


 その、私を「正しくさせてくれていない原因」が教室の扉をあけて入ってくる。

 春が、一気に教室内に咲き誇ったような気がする。

 あぁ…この声を聞きたかったんだ。

 沙織さん。

 私の…恋人。


「それでは早速、ホームルームを始めますね」


 沙織さんの声が聞こえてくる幸せ。スーツ姿の沙織さんは、やっぱり綺麗…ううん、沙織さんはいつも綺麗で素敵で最高なんだけど、なんていうか、基本の沙織さんというか、原点にして頂点というべきか。


(あはは)


 私、駄目駄目だなぁ。沙織さんの声を聞いて沙織さんを見ているだけで、もう頭も心も沙織さんで一杯になってしまって、溶けて駄目なスライムになってしまう。


 隣の席に座っている凛が、頬杖をついたまま、少し達観したような表情を浮かべているのが分かった。ふぅ、と小さなため息をついて、やれやれ、といったような目をしていて、それで小さな声で、ちょっとだけ私に聞こえるように、「馬鹿」とつぶやいた。

 ごめんね、凛。


「…それで、今日の流れは…」


 言いながら、沙織さんはちらっと私を見た。

 沙織さんと一瞬だけ目があって、すぐ、沙織さんが目を逸らした。

 そらして、沙織さんは自分の右耳を3回、とんとんと叩く。


 ずっと変わらない、私と沙織さんだけの秘密の合図。


(愛してる)


 嬉しい。

 私と沙織さんは、教室の中では生徒と教師だけど、心の中では恋人同士だった。


 沙織さんの右手の人差し指にはまっている指輪を見ながら、私はそっと、胸元に隠しているネックレスを…そこにかけている沙織さんとのお揃いの指輪を触る。


(えへへ…恋人同士…なんだぁ…)


 ちらっと、沙織さんの視線を感じた。少し頬を染める沙織さん。ホームルームでいろいろな注意事項を喋りながら、その右手の人差し指にはめている指輪を、左手でそっと触っているのがみえる。


(私も…)


 胸元の指輪を、触る。

 えへへ…嬉しい…


 教室内、みんながいるのに、私と沙織さんだけは秘密にそっと、繋がっているんだ…


 そんな、春の一幕。




■■■■■




 放課後。

 一緒に生徒会室に行こうと誘ってきた凛に対して、「ごめん、ちょっとだけ用事があるから先に行っていて」とだけ告げて手を合わせた。


 凛は少しだけ怪訝そうな顔をしていたけど、やがて理解したような表情を浮かべると、「うん、じゃぁ、先にいっているね」と答えて手を振ってくれた。


 私はお礼を言うと足早に教室を出て、そして校舎裏へと向かう。


 急いでいるのをばれないように…焦っているのをばれないように…そう思っているのに、どうしても心が先走ってしまう。


 先ほどスマホに届いた通知を思い出す。


『ごめん、未来。もしよければ…いつもの場所に、来てもらえるかな』


 ホームルームが終わって沙織さんが出て行って、すぐに届いたメッセージ。

 あんまりにも早かったから、沙織さん、まだ職員室にもついていなかったんじゃないかな。

 そう思うと、少しおかしくなる。

 私は歩きながらくすっと笑って…そして、それ以上に、幸せに包まれる。


(私のこと)


 想って、くれたのかな。

 想って、くれたんだろうな。


(恋人)


 私と沙織さんは…恋人同士、だもんね。

 私がずーっと沙織さんのことを想っているみたいに、沙織さんも私のことを想っていてくれたら…嬉しい。


 角をまがり、植えている木々の隣を通り過ぎ、人気のない校舎裏につく。

 ちょうど死角になっていて誰にも見られないその秘密の場所には、すでに先客がいた。


 スーツ姿で、綺麗な髪で、落ち着いていて、美人で、美しくて、可愛くて美人でずっと変わらない美人で…私の恋人。


「沙織さん…」

「未来…」


 お互いの名前を呼びながら、2人とも駆け寄る。一瞬でも早く、追いつけるように。


「ごめんね、いきなり呼び出したりして」

「ううん、とんでもないです…私だって、沙織さんと2人きりで…会いたかったですもん」

「私…我慢できなかったの」


 抱き合う。沙織さんの匂いに包まれる。沙織さんも、私の匂いに包まれてくれる。昔は見上げていた沙織さんだけど、今はもう私の方が背が高くて大きいから、逆にちょっとだけ沙織さんが見上げてくれている。


(潤んだ瞳も可愛い…)


 もう、沙織さんは全身が全部あまねくくまなく可愛くて綺麗。

 まつげ、長いな…と思う。

 沙織さん、暖かくて柔らかい。

 春の陽光よりもずっと暖かい。


「未来、今から生徒会に行くんでしょう?」

「はい。新学期も始まりましたし、いろいろ準備しないといけないことが多いですから」

「私も後でいくけど…」


 でも、生徒会室にはみんながいるから…と、沙織さんはつぶやいた。


「だから、みんなに会う前に、あの、ね」

「…」


 もじもじしている沙織さんが溜まらなく可愛い。私だって同じこと想っているし、考えている。だから私から言おうかな…と思ったんだけど、でも、やっぱり沙織さんの口から聞きたかったから、ちょっと悪戯心が芽生えてきて黙ってにやにやしながら沙織さんの言葉を待った。

 …私、けっこう悪い子になってきたような気もする…


「…未来」

「はい、沙織さん」

「…てもいい?」

「ちゃんと言ってくれないと、聞こえません」

「…しても、いい?」

「何を、ですか?」

「意地悪」

「えへへー。沙織さんが可愛いのがいけないんですよ」

「…キス、したい」

「…私も、です」


 春の光の下、木々の木漏れ日の下で。

 高校三年生になった私は。

 高校三年生の担任の教師と。


 蕩けるような、キスをした。




■■■■■



「それで、今年の行事はどんな感じにする?」

「それはね、葵…」

「あ、資料ありますので、コピーしておきます」

「ありがとう、雪原くん」

「あたしは何をすればいいです?」

「朝比奈さんはね…」


 私が生徒会室に入った時、すでにみんないろいろと忙しそうだった。


「ごめん、遅くなりましたっ」


 頭をさげて中に入ると、凛は優しく微笑んでくれた。


「大丈夫よ、未来。今始まったばかりだから」

「大丈夫じゃないですー。迷惑ですー」


 横で唇を尖らせている葵の頭をこつんと叩くと、もう一度、「大丈夫よ、未来」と凛が言ってくれる。なんて頼もしい生徒会長なんだろう。


「やること、かなりありますねー」


 忙しそうに朝比奈さんが言う。


「そうね…ちょっと人手が足りないわね…」


 凛がそう呟きながら、ふと、生徒会室の端に目をやるのが見えた。

 そこには…もう、布団は置いていない。

 今までだったら、ひょこっと手が出てきて、そして叩かれていた存在は…今はもういない。


(神美羅先輩…楼蘭先輩…)


 生徒会室が、ちょっと不完全なかじられたホールケーキのような気がしてきた。あるべきものが、あったはずのものが、欠損している。

 寂しくなる…寂しくなるけど、慣れていかなくちゃいけない。もう、私たちは、新しくなったのだから。


「忙しいですけど…でもなんか、あたし、楽しいです」


 朝比奈さんがそう言いながら笑った。満面の笑顔だった。そんな朝比奈さんを見ながら、凛はまた、優しそうな瞳を浮かべる。


「楽しんでくれてありがとう。それじゃ朝比奈さん、こっちもお願いしてもいいかしら?」


 そう言いながら、少し分厚い資料を手渡す。朝比奈さんは笑いながら、


「もー。さすが生徒会長、厳しいですー!」


 となぜか嬉しそうに答える。そんな朝比奈さんを見つめる雪原くんの表情も柔らかい。なんていうか、幸せな空間だった。


 こんな感じで、生徒会メンバーみんなでいろいろ進めていた時に、生徒会室の扉が開いた。

 姿が見えたのは、2人。


 顧問の結城先生と、沙織さん。


「みんな、お疲れ様」

「遅くなってごめんね」


 結城先生がねぎらいの言葉を、沙織さんがお詫びの言葉を言う。

 2人ともスーツ姿で落ち着いた雰囲気なのだけど、結城先生の方が若干、凛々しく感じられるのは、その醸し出す大人の空気感からなのかもしれない。

 可愛いのは沙織さんだけど。


「差し入れ持ってきたから、少し休憩いれましょうか」


 結城先生はその綺麗な金髪をゆらめかしながら、手にしていたビニール袋をかかげた。お菓子が入っているのがみえる。

 沙織さんもビニール袋を持っていた。こっちの中身は、ジュースがたくさん入っている。


「やったぁ!さすができる顧問ですね!」


 真っ先に嬉しそうな声をあげるのは朝比奈さん。この可愛い後輩は、この一年間ですっかり生徒会のムードメーカーになっていた。


 会議はいったん中断され、みんな思い思いに好きなジュースやお菓子を手に取っていく。

 そんな中、ちらっと沙織さんが私をみて、そしてすぐに目を逸らした。


 今は生徒会室。

 今は2人きりじゃない。


 今は教師と生徒で…恋人同士、じゃない。


 それは分かっている。

 分かっている、のだけど。


(沙織さん…)


 つい先ほどまでの、あの、情熱的だった、積極的だった沙織さんのことを、どうしても思い浮かべてしまう。

 今は凛々しく何事もなかったように立っている沙織さんの…あの…


 恋人の姿。


「私も、どれにしようかなー」


 言いながら、私もジュースとお菓子に手を伸ばす。

 わいわいとざわめく生徒会室の中で、早く、私もジュースを飲んで、お菓子を食べて、みんなにバレないうちに…消さないと…


 この。

 口の中に甘く残っている。


 沙織さんの痕跡を。


 


 こんな感じで、私の高校3年生の生活が始まったのだった。

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