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レフェリーもセコンドもいない異世界で、“物語”が始まった


異世界の“キュ力”などという概念が、ただ一撃で粉砕された瞬間だった。


リゼリアが崩れ落ちた壁の中で横たわると、

召喚の間にはざわめきが広がった。


「え? 魔法は……?」


「何が起きたの?」


「光る暇すらなかった……!」


あちこちから混乱した声が飛び交い、

まるで観客たちの認識だけが、数秒遅れて追いつこうとしていた。


その中で──誰かがぽつりと呟く。


「……あの者、キュ力がないのに……なぜ動けた……?」


会場全体が、静かに剛心の存在に視線を集める。


剛心は、ひとつ深く息を吐いた。


「終わったか……」


その声には、どこか哀しげな響きがあった。


だがその静寂を破ったのは、観客たちの──ブーイングだった。


「ひ……卑怯だ……!」


「詠唱中だったわよね!? 空気読んで!!」」


「もっとこう……光ったり、叫んだりがあってしかるべきじゃない!?」


ざわめきが一斉に非難へと変わる。

剛心は目を見開き、ゆっくりと一歩前へ出た。


「“先の先”だ。相手が攻撃に入る、その“起こり”を制する──これは武道の理だ」


場内に、やや長めの沈黙。


宮廷魔術師が恐る恐る呟いた。


「せ、先の……先……?」


「そう。相手の殺気が生まれた、その瞬間を──」


「屁理屈よ!」


「やっぱり卑怯よ!」


「全然グッとこないじゃない!!」


ブーイングが、まるで稽古の号令のように統率され始めた。


剛心は静かに頭を抱えた。


「……くっ。やはり“競技規定”の読み込み不足か…」


だがそのとき、崩れた壁の方で——かすかに音がした。


「……な……なかなか……やるのですわ……」


かすれた声が、土煙の中から聞こえた。


リゼリアが、ふらつきながらもゆっくりと立ち上がってきたのだ。


ドレスの裾は裂け、髪は乱れ、口元にはまだ血の跡が残る。

それでも、縦ロールの髪は誇り高く揺れていた。


「なっ……立ち上がった!?」


剛心の目が見開かれる。


リゼリアは、よろよろと歩きながらも剛心を正面から見据えた。


「あなたの戦いには……作法と美しさがありませんわ……!」


その声は、弱々しくも確かな怒気と誇りを帯びていた。


「……ちょっと待て、レギュレーションなしって話だったぞ。作法と美しさって……はっ!?」


剛心は目を見開いた。


「まさか……!

そういうことか……」


剛心は、何かに気づいたように顔を上げた。

まるで一つの世界の理が見えてしまった者のように。


(……これは、“プロレスリング”だったのか)


いまさらながらに、あの光景が脳裏をよぎる。

自らの髪を貶されたときの、彼女の激昂。

一見、感情的な反応に見えたが、違った。


(よく思い返せばそうだ……あれは、これから“ショー”を盛り上げようとする者の、プロのそれだった)


観客を煽り、空気を作り、緊張感を生み出す——あれは技術だった。

そして、自分が放った“先の先”。

敵意の芽を摘み、即座に叩いたあの拳。


(……ブーイングが止まなかったのも当然だ。俺は、“受けの美学”に反した)


観客が求めたのは勝敗ではない。

それは、痛みと再生と感情が交錯する“物語”だった。


(プロレス……それは、あえて技を受け、自らの身をさらし、観客に信じられない一撃を受け止めてみせることで精神が肉体を超え、“物語”を完成させる行為)


その理解に至ったとき、剛心はきびすを返し、

リゼリアの方へ真っ直ぐ歩み出た。


「——大変失礼をした!!」


凛と響く声が、召喚の間に木霊する。


そして彼は、道場で何万回と繰り返してきた“礼”を捧げた。

背筋は真っ直ぐ、頭を垂れる角度は美しく、まるで舞のように。


その所作のあまりの清らかさに、誰もが息を呑んだ。


リゼリアは一歩前へ出る。

乱れた縦ロールを整えながら、ゆっくりと顎を上げた。


「……いまさらの謝罪で、決闘が止まると思って?」


その声は静かだった。だが、確かに怒気を帯びていた。

それは、“舞台を守る者”の怒りだと剛心は真っ直ぐに受け取った。


「さぁ、続きを始めますわよ」


そしてリゼリアは、ドレスの裾を軽く翻しながら構えを取った。


剛心は、その姿に息を呑んだ。


(なんてことだ……!)


(あの冷静な立ち振る舞い……怒りさえも観客のために使うなんて……)


(これが、“プロフェッショナルの矜持”……!)


剛心の両拳に、再び熱が宿る。


「次は俺が……“受け”てみせる!」


「この肉体と精神の祭典を、物語を、完成させるんだ!」


そして、戦いの第二ラウンドが始まった。


異なる価値観が、今ここに一つの“物語”を編もうとしていた。


リゼリアの縦ロールがゆらりと揺れ、次第に淡く発光しはじめた。


その髪から発せられる光は徐々に強くなり、空気すら揺らがせる。


「聖なる風よ、我が指先に宿り——」


高らかな詠唱が響くたび、会場の温度が変わるような錯覚すら生まれた。


「こ……これが、リゼリア様のキュ圧……!」

「空気が震えてる……立ってるだけで、やっとよ……」


観衆の誰かが、熱に浮かされたような声で呟いた。


空間全体が、金糸のような光に包まれ、息をすることすら忘れてしまいそうな緊張に満ちる。


だが、そんななか——


剛心は、微動だにせず仁王立ちしていた。


その姿はまるで、岩のように静かで、不動だった。


「使徒様!?」宮廷魔術師が慌てて叫ぶ。

「このキュ圧……平気なのですか!?」


「え? ああ——」剛心は少し首をかしげた。


「涼しいな! いい感じだ!」


満面の笑み。全身で快適さを謳歌する表情だった。


「っ……!」


リゼリアはその言葉に明確な怒りを覚えた。

もはや“侮辱”と取っても差し支えない軽薄さ——いや、悪気が一切ないだけに、逆に致命的だった。


さらに光が強くなる。彼女の髪が風を巻き起こし、その渦が魔力の奔流となって空間を震わせた。


「リゼリア様っ! これ以上は、宮廷が……!」

宮廷魔術師が焦燥の声を上げる。


だが、剛心はというと——


「なるほど……!」拳を握り、瞳を輝かせる。


「観客と一体となってショーを盛り上げる……これは、本物だ!!!」


まさかの感動である。


リゼリアは目を細めた。

そして、静かに杖を掲げる。


「蒼穹の息吹を刃と変え、滅びの渦を退けよ——」


「ウィンドストーム!!」


その瞬間、空間が爆ぜた。


空を裂くような竜巻が、咆哮とともに剛心へと叩きつけられた。

床が抉れ、壁が揺れ、爆風があたり一面を飲み込む。

召喚の間にいた者すら倒れ、巻き上がった土煙が視界を奪う。


……そして。


風が止んだそのとき——


土煙の向こうから、ひとつの影が現れた。


剛心だった。


仁王立ちのまま、まったくの無傷で。


その足元だけが奇跡のように無傷で残され、周囲一帯の床がすり鉢状に吹き飛んでいた。


リゼリアは思わず声を漏らす。


「……は?」


一同も、目を見開いたまま固まった。


「え……?」


「次は俺が魅せる番だ……!」


東雲剛心の瞳に、確かな決意が灯っていた。


拳を握るのではなく、広げたまま——彼は静かに、けれど猛然と地を蹴った。

その巨体は再び弾丸のごとく空間を裂き、リゼリアへと一直線に突進していく。


「えっ、ちょ、ちょっと……!?」


リゼリアの声が上擦る。

だが、その問いに答える余裕などなかった。


剛心の両腕が、滑らかにリゼリアの腰へと回り込む。


そして——


重心を一気に反転させる。


「パイルドライバーだ……!」


叫んだのは、誰でもない剛心自身だった。


衝撃とともに、白い床にリゼリアの身体が叩きつけられる。

華やかな金の縦ロールが空中に花火のように弾け、リゼリアの瞳がくるりと白く反転する。


召喚の間に、静寂が走った。


……そして、


「な、なんか違う……!」

「そうよ、キュ圧にも“くっ”とか言わなかったわ!」


再び、起こるブーイングの嵐。


剛心は、仁王立ちのまま動かなかった。

だがその内心は、またしても深い迷路に入り込んでいた。


(なんでだ? しっかり受けたぞ……。完璧に“受けて”魅せたはずだ……。俺は、また間違えたのか?)


そのとき、恐る恐る宮廷魔術師が口を開いた。


「……あ、あの……ひとつ、お伺いしてもよろしいでしょうか」


「なんだ?」


「……なぜ、あのキュ圧に耐えられたのですか?」


剛心はしばらく無言のまま、その問いを胸の奥で反芻した。

やがて、ぽつりと答える。


「……俺の国ではな、毎年、台風が来る」


「台風?」


「そうだ。激しい暴風と、滝のような雨。だが——俺の修行は、まさにそのときに始まる」


魔術師がごくりと唾を飲み込んだ。


「修行……とは?」


剛心は懐かしむように目を細め、拳を静かに握った。


「滝行だ。濁流の中、頭上からは木が飛んでくる。岩が降ってくる。足元は崩れ、心も折れそうになる……」


そして、拳を静かに握った。


「つまり——そういうことだ!!!」


会場には、再び意味の分からない沈黙が流れた。


だが、その真顔と迫力に、誰も突っ込むことができなかった。


だがその言葉が空気を変えることはなかった。


「やっぱりおかしい!」「“ゴスッ”って音が鈍かったぞ!」

「そうよ!もっと“ドォン!”とか“キュィーン!”とかじゃなきゃ、駄目なのよ!!」

「生々しいのよ! 生肉叩いた音みたいなのよ!!」


ブーイングはさらに加速した。


剛心は口元を引き結び、真顔のまま呟く。


「……やはりレギュレーションがあったのか?」


そして、内心で結論を下す。


(これが異世界か……。想像以上に、難解だ)


と、そのときだった。


ぐらり、と空気が揺れる。視線が自然と一方向へ向かう。


——リゼリアが立ち上がったのだ。


よろよろと、瓦礫の中から立ち上がるリゼリアの姿が現れた。


ドレスは破れ、縦ロールのひと房が外れかけ、ダメージの名残が色濃く刻まれている。


だが——


その瞳だけは、まるで燦然と輝く星のように、強い意志の光を宿していた。


「なっ……!?」


剛心は目を見開き、心の底から絞り出すように呟く。


「ま……まだ……ですわ……」


「……常軌を逸したタフさだな……」


剛心は驚きのあまり一歩退き、尊敬の念を込めてリゼリアを見つめた。


「……まだ、続けるのか?」


剛心が問いかけると、リゼリアは膝をつきながら顔を上げ、息を切らしつつ言葉を紡いだ。


「わたくしが……信じてきたの……キューティクル……その誇り……そのすべて……終われない……終われませんわ……」


その言葉は支離滅裂で、意味の芯を持たない。だが、その声には確かに覚悟が宿っていた。


剛心は無言でうなずく。


そのまま目を閉じ、己の脳細胞を総動員する。


(この世界のレギュレーション……難解すぎる。そもそも、明文化されてない。誰に聞いても教えてくれない。……なら、自力で解き明かすしかない)


思考が爆走する。


(思い返せ……「何が起きたの?」、「なんか違う!」、「鈍い音だったわ!」……)


(あの言葉たちは、ルールの“ヒント”だったんだ。音、演出、テンポ……つまり、観客の“納得感”を満たす演舞こそ、この世界のプロレスレギュレーション——!)


剛心の目が、カッと見開かれた。


「なるほどな……」


リゼリアが杖を片手に、ふらつきながら構える。


「準備は、よくって?」


「——ああ。今度こそ、お前の思いを……受け止める!!!」


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