三首の死角
その時、天井からこぼれた瓦礫の隙間に、一瞬だけ淡く──確かに“光”が差した。
その崩れた天井の破片を蹴り飛ばしながら、ひとつの影が宙を舞う。
「主役の登場は……いつだって遅れてくるもんなんですよッ!!」
声の主は、優希だった。
その身体はボロボロに傷つき、キュ力を使い果たした証として、指先すら震えている。
肩で荒く息をしながら、それでも彼の両眼は力強く前を睨みつけていた。
──放たれるケルベロスの追撃。
三つ首から放たれる咆哮と砲撃の奔流を、優希は寸前でスキルを展開し遮断する。
《リフレクトシールド──!》
彼の前方に展開された光の壁が、ケルベロスの突進をはじき返す。
剛心の前に、盾となって立ちはだかったのは──死んだはずの、仲間だった。
「……何やってるんですか、剛心さん!!」
荒い呼吸と共に吐き出されたその声には、怒りでもなければ非難でもなかった。
それは、心からの痛みと、諦めきれぬ想いの詰まった叫びだった。
剛心は顔を伏せたまま、震える声で応えた。
「優希……よかった……生きて——」
だが、優希はその言葉を遮った。
「あなた、誰のためにここまで来たんですか!? 何のために、みんなと歩いてきたんですかッ!!」
「一人で強くても、意味がないじゃないですか!」
優希の叫びに、剛心は微かに顔を上げる。
「見てくださいよ! あの人たちの顔を!!」
優希の叫びは、剛心の胸の奥へと、杭のように深く突き刺さった。
剛心がゆっくりと顔を上げる。視線の先に広がるのは──彼を見つめる、仲間たちの姿だった。
リゼリアは、凛とした眼差しで剛心を射抜いていた。だがその瞳の奥には、静かな涙が浮かんでいる。噛みしめた唇が、震えていた。
「……ッ」
その喉から発せられたのは、言葉にならない想い。けれど、誰よりもまっすぐで、痛々しいほどに切実な“信頼”が、剛心の胸に突き刺さった。
ウスゲーは拳を握り、泥に塗れた顔をあげた。視線は逸らさず、祈るように。信じたいという想いだけが、そこにあった。
エンケは肩を落とし、沈黙のまま剛心を見つめていた。だがその目は、かつての自分自身を映すかのように、優しさと静かな諦念を湛えていた。
ハーゲンは、拳を固く握り、唇を強く噛んでいた。その頬には、既に乾ききらぬ涙の跡。震える呼吸の合間に、全身から迸る想いが、剛心へと届いていた。
「不安で、怖くて、それでもあなたを信じてここまで来た人たちの顔を!!」
優希の声が、再び空気を裂いた。
剛心の目が、かすかに揺れる。
だが、その瞬間を逃さず、優希が拳を握りしめ、言葉を叩きつけた。
「“俺が全部やる”って、カッコつけてるだけじゃないですかッ!!」
「そんなの、“一緒にいる”って言わない……“独りよがり”って言うんですよ!!」
剛心の胸ぐらを、優希が掴む。嗚咽交じりに声を上げながら、ふらつく足で、なお立ち続ける。
「……僕だって……剛心さんに守られたくて、ここに来たんじゃない……
剛心さんと……一緒に、笑って、怒って、戦いたかっただけなのに……!」
その時だった。
背後から、鋼を砕くような怒声が、重苦しい空気を引き裂いた。
「ふざけんなよォッ!!!」
振り返る間もなく、剛心の頬に拳が炸裂する。
重たい衝撃と共に顔が跳ね、よろめいた彼の視界が一瞬、滲んだ。
拳を放ったのは──ハーゲンだった。
その目は真っ赤に腫れ、瞳には涙が溢れている。
「俺たち仲間だろ!? 一緒に強くなるって……そう言ったよな!?」
喉を絞るような叫び。
「それ……あれ全部……全部ウソだったのかよッ!!」
言葉が、拳よりも重かった。
誰もが動けず、言葉も発せず、ただその場に立ち尽くす。
静寂が戻った迷宮の空間に、剛心はゆっくりと視線を落とした。
自らの手のひらを見つめる。
そこにあったのは、幾度となく戦いを重ね、誰かを救おうと振るってきた拳。
だが今、それがどれほど独りよがりだったのかを、彼は悟りつつあった。
「……俺は……また、同じことを……」
苦しげに呟いた剛心は、次の瞬間、自らの頬を殴りつけた。
乾いた音が、剣戟にも似た鋭さで空間に響く。
「シンっ!? 何をなさって……!」
リゼリアが思わず叫ぶ。
その声音には、怒りでも困惑でもなく、ただ心からの痛みが滲んでいた。
剛心は、血のにじむ頬をそのままに、顔を上げた。
その瞳には、かつての強さとは違う光──
誰かの痛みに気づき、初めてそれを己の罪として抱えた者の、真の決意が宿っていた。
「俺が間違ってた! 俺はバカだ! 独りで何とかしようとして……それが一番、仲間を信じてないってことだったんだ!」
剛心の声が、どこまでも真っ直ぐに響く。
言葉ではない。その震えと血と痛みすら伴った声に、皆が目を見開いた。
「……それでも、こんな俺でも……! もう一度、一緒に戦ってくれるか……!?」
場に沈黙が落ちた。
そして──
「はっ……そんなところが好きなんで、俺たち」
ハーゲンが鼻をすすりながら、顔をくしゃくしゃにして笑った。
ウスゲーが、それに続く。
「ブチかまそう、シン!」
エンケは、短く拳を握りしめる。
「背中は、もう見せないって……決めた……」
そして──
「もちろんですわよ。何度でも、お付き合いしますわ」
リゼリアが、柔らかな微笑みを浮かべながら一歩前へ出た。
剛心の目に、再び涙が滲む。それは、悔しさではない。孤独の果てに掴んだ、確かな絆の証だった。
「……ああ、行こう。“俺たち”の戦いを、ここで終わらせるために」
拳を握りしめた剛心の声に、今度は誰も、反論しなかった。
ケルベロスが咆哮を放つ。
三つの首が同時に唸りを上げ、全身を這う魔導ラインが血管のように脈打ち、赤黒い光を放った。
それはまるで、機械と魔の融合が生み出した“獣の意志”の鼓動であった。
リゼリアが声を張り上げる。
その声音には、明らかな焦燥が滲んでいた。
「優希様! このケルベロス……反重力リアクターとかいうもので、私たちの攻撃が通じませんわ!」
だが、彼は取り乱さなかった。
むしろ、静けさのなかに一片の決意を秘めた声音で応じる。
「……そういうことなら」
優希はゆっくりと空中へと右手を掲げた。
指先には淡い光が集まり始める。
その様は、まるで夜空に星を呼ぶかのような儀式的な静謐を帯びていた。
「《構造解析》、開始します。少し時間をください」
彼の呟きは独り言のようでありながら、確かに皆へ向けられた宣言だった。
直後、《リフレクトシールド》が鋭い軋み音を上げる。
亀裂が走り、次の一撃で崩壊しかねぬほどに薄らいでいた。
「時間を稼ぎか。……まかせろ!」
剛心が低く吼える。
その叫びに応じるように、仲間たちが一斉に動いた。
ウスゲーがケルベロスの前肢を受け止めた。
巨体の爪が肩口に食い込むが、彼は踏みとどまる。
「負けない……!」
続けて、ハーゲンが吼えた。
「任せろッ!!」
次の瞬間、地を蹴る爆音とともに彼の姿が閃いた。
踏み台と化した瓦礫を、獣のような脚力で跳ね上がり、斜めに滑空する。
宙を舞うその影に、焦点を合わせようとするも──その動きは速すぎる。
追いきれない。反応が間に合わない。
ケルベロスの視界が、初めて“翻弄”された。
エンケは冷静に戦局を見定め、端的に指示を飛ばす。
「リゼリア、五時方向から氷弾! ウスゲー、左からくるぞ!」
「了解っ!」
リゼリアが魔法を展開、氷の槍がケルベロスの肩口を裂き、剛心が飛び込んで連撃を叩き込む。
だが──剛心の目が、何かに気づく。
「……おかしい。あいつ、ずっと俺しか見てなかった……誰かが攻撃しても、首は動かなかった」
そう言った直後だった。
ケルベロスの全身が音を立てて駆動する。
機械的な音声が周囲に響く。
「──脅威レベル、再評価完了。対象、評価:Sランク脅威指定。
対応プロトコル:制圧から殲滅へ移行」
ドーム内の空気が変わった。
重く、そして焦げつくような“殺意の圧”が一気に広がっていく。
剛心が低く呻く。
「……こいつ、まだ上があるのか」
しかし、その瞬間だった。
静かだった優希の瞳が、凛とした光を宿して開かれる。
掲げた手が輝き、その掌に淡く幾何学模様の魔法陣が浮かび上がる。
「《構造解析》……完了です」
その声は、戦場に響き渡った希望だった。
「《術式剥離》──発動!」
瞬間、ケルベロスの全身を走っていた魔導ラインが一斉に光を失う。
軋み音と共に装甲が浮き、反重力の安定装置が蒸気を噴き出すように崩れ始めた。
クロが瞠目しながら呟く。
「魔力伝導路の制御中枢、消し飛んだにゃ……!」
一瞬、誰もが息を呑んだ。
そして──
剛心の口角が、わずかに持ち上がる。
「ようやく……殴れるってことか」
その声音は、凍てついた世界に火を灯すように、熱を孕んでいた。
彼の言葉に応じるように、淡い光の中から優希が静かに口を開く。
「一つ、気になる挙動が……三つの首、すべてが剛心さんだけを追っていました」
その声色は、驚きも焦りもなかった。事実を淡々と見つめ、観察者としての冷静さを崩さぬままに続ける。
「もし単純なAI制御なら、複数目標を同時に処理するはずです。……これは、何かが違う」
剛心の目がわずかに見開かれた。
「……つまり、別々に攻めれば……“目が回る”ってわけか」
脳裏に浮かぶ、あの異形の三眼──いずれも自分の動きにのみ反応していた。
拳を握りしめる剛心の隣で、リゼリアがうなずく。
「首ごとに、こっちが全力で引きつけ、分断して……各個撃破が可能ってことですわね」
「行くぞ──第二ラウンドだッ!!」
その一声が、戦場の空気を変えた。誰もが即座に呼吸を合わせた。




