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武道家、異世界で間合いが取れない  作者: けんぽう。


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WHO推奨


剛心は、湯気の立つ湯飲みを静かに脇へ置き、立ち上がった。


「よし。次の試合だ」


その一言が、場の空気を切り替える。


観客のざわめきが収束する中、二つの影が、道場の中央に進み出る。


ひとりは、剛腕にして風圧をも歪ませる破壊の体現者——ウスゲー。

もうひとりは、道着の袖に修繕の跡が浮かぶほど、研鑽の痕跡をその身に刻んだ者——リゼリア。


その姿を見て、優希がぽつりと呟いた。


「……リゼリアさん、雰囲気が……変わりましたね」


「変わったのではない。変えたのだ」


隣に立つ剛心が、まるで当然のように言う。


「リゼには、山に籠れと言った」


「山、ですか……?」


優希の表情には、“その指導に意味があるのか”という純粋な疑念が滲んでいた。


「あるとも。“境界を曖昧にする”のだ。自他の区別をいったん手放し、形ではなく“間”に己を沈める。……あとは、リゼ次第だ」


その瞬間、鐘の音が響いた。


開始の合図——と同時に、光が走る。


リゼリアの髪が、月光とは異なる魔光を帯びて揺らいだ。


「……っ、魔法か!」


ウスゲーが唸る。躊躇はない。詠唱の前に叩く、それは対魔術戦の常道であった。


その剛腕が唸りを上げ、リゼリアの懐を抉る。


——が、弾かれた。


「っ……!?」


リゼリアは一歩も退かず、その腕を受け止めていた。見た目には、ただ両腕を交差しただけ。だが、ウスゲーの拳に伝わる感触は、鉄よりも堅く、氷よりも冷たかった。


「この感触……!?」


観客席で、優希が目を見開いた。


「ありえません……魔法詠唱を飛ばしてます……!」


だが、剛心はまるで“よくあること”であるかのように、静かに頷いていた。いや、違う。口元には、明らかに満面の笑みが浮かんでいる。


「——完成だ……!!」


その声は歓喜というには静かすぎたが、魂の底から響く確信があった。


「キュ力と“武道”が……融合した……ッ!」


それは、本来あり得ざる融合。


武道は、実を求める道である。己の肉体を磨き、心を鍛え、理を通じて強さを体現する。


対してキュ力は、この世界における“美”のエネルギーであり、剛心にとっては異物そのものだった。発光する髪、風に舞う演出、呪文詠唱に込められた詩的語彙。どれも技の冗長であり、武の妨げだと信じていた。


だが、リゼリアはそれを“道”に変えた。


思わず拳を握りしめる。


「お前は……見つけたのだな……!」


ひとりごちたその言葉は、リゼリアに届かぬほど小さかった。


“異質”との対話に、拒絶ではなく、進化で応えたその姿に。


(俺は……また、学ばされた。武とは、終わりなき問いだ)



ウスゲーの拳を、両腕で受け止める——その瞬間、リゼリアの靴が地面に沈んだ。

重さと圧力。単純な物理の結末が、彼女の足裏を土にめり込ませる。だが、それでも彼女の背筋はまっすぐだった。


「……この“感触”……成功、ですわね」


息を一つ、静かに吐いた。

その声音には怯えも、虚勢もなかった。ただ、己の“内なる型”を確かめる者の静謐があった。


「硬い!? リゼが!? くそっ!」


驚愕とともに吠えるウスゲー。だが、ためらいはない。

そのまま重量を乗せたフック。まるで質量の暴力で相手を押し潰すような打撃が、軌道を描いて迫る。


しかしリゼリアは、ひらりと舞った。


体を一閃、軽く滑らせ、打撃を空に逃がす。

その動きに剛力の気配はない。あるのは柔と精。

力の流れに逆らわず、飲み込まず、ただ紙のようにかわす“しなやかさ”。


「前なら、確実に潰されていましたわね」


つぶやきとともに、彼女の髪がまた淡く光る。

それは炎ではなく、水面に揺れる月光のようだった。

光は髪を伝い、背中から指先へと走る——

美しさが、力を伝導する。


観客たちのざわめきのなか、ただ一人、優希が呆然と呟いた。


「……あり得ない……!? ……構築、展開、指向、全部無視している……!?」


魔法とは、通常、詠唱を媒介とする技法体系でありどれも段階を踏む。

だがリゼリアは、もはやその過程を超えていた。

まるで魔力が“型”として染み込んでいるかのように。


彼女の構えは、剛心に似ていた。

だが、どこか違う。

剛心の構えが“山のごとき静寂”なら、リゼリアのそれは“水のような流麗”。

繊細で、柔らかく、それでいて崩れぬ芯がある。


「……なんて綺麗な……流れるような……舞だ……」


優希の言葉が、感嘆ではなく畏れを含んでいた。


ウスゲーが咆哮とともに、拳を振りかぶる。渾身の正拳突き。

その拳が、轟音とともに迫る——が、


リゼリアは、踵を軸にわずかにスライド。

その動きは、剣士が鞘から刃を抜く時のように滑らかだった。


拳は、彼女の肩口を掠めた。


一瞬、世界が傾ぐ。


その僅かな隙を、リゼリアは逃さなかった。


「払いますわ」


その宣言は、まるでティーカップを運ぶかのような上品さで、

そして同時に、剛心すら目を見張るほどの“合理の塊”だった。


リゼリアの掌底が、正確にウスゲーの胸元へ滑り込む。

魔力と体重が斜めに同調し、重力と反動が一点に収束する。


剛心が教えた“崩し”——

しかし、それはもはや模倣ではなかった。

彼女独自の流れ、彼女だけの武。


ウスゲーの体が、浮いた。

巨体がふわりと宙に舞う、奇跡のような数秒間。


そして——


ドォン!


その巨躯が背中からマットに倒れ込み、土煙を上げる。

まるで山が崩れたかのような重量と衝撃に、観客は一瞬、息を呑んだ。


——静寂。


それを最初に破ったのは、剛心の心のなかに生まれた確信だった。


(武道が、“一段、上がった”!)


 巨体が宙を舞い、重々しい音とともにマットへと沈む。土煙が静かに舞い上がり、空気を震わせた。観客たちは言葉を失い、ただその余韻に呑まれていた。


 「……いまの、なんだ……?」


 ざわめきの中で、ひとり静かに頷く者がいた。東雲剛心である。


 その表情は、歓喜でも驚愕でもなく──ただ、満足げであった。


 「“崩し”だ」


 低く、しかしよく通る声が場の沈黙を切り裂いた。


 「相手の力を、力のままに返す。古くより伝わる武の基本だ。だが、それだけではない」


 剛心の目が、なおも闘志を宿すリゼリアを静かに見つめている。


 「重心、気配、感情……それらすべてを“キュ力”として読み取り、呼吸のごとく捌いた。あの一手には、武の理と魔の理が等しく宿っていた」


 そして、ふたたび──静かに語った。


 「……あれは、リゼの武道だ」


 その言葉に、誰よりも剛心自身が深く感銘を受けていた。己の拳では到達しえなかった“境地”を、あの少女は確かに切り拓いたのだ。己の教えを越え、さらなる地平へ。


 ──武道が、進化した。


 ウスゲーの巨体が、ふらりと起き上がる。鼻血を拭いながら、よろめき、それでもなお拳を握る。


 「おで……まだ、終わってない……!」


 その言葉に、リゼリアの瞳が揺れる。だがすぐに、静かに見開かれた。


 「……これ以上は、試合の域を超えますわよ」


 リゼリアの声は、諫めでも挑発でもなかった。ただ、真実の響きをもって響いた。


 だが──ウスゲーは、怯まぬ。


 「手加減、おで、いらない……!」


 言葉と同時に、握られた拳がふるえる。それは恐怖ではなかった。誇りの証、拳士の矜持である。


 リゼリアは小さく息を呑み、そしてハッと目を見開いた。彼女のなかで何かが整った。理解ではない。覚悟である。


 (……私は、馬鹿ですの?)


 自嘲気味に口の中でそう呟き、しかし次の瞬間には凛とした姿勢で構えを取り直す。蒼白の月光が差し込むなか、再びその髪が淡く輝いた。


 「……えぇ、わかりましたわ」


 その声音には、迷いがなかった。


 (相手の意志を、まず全力で受け止める。それが、この道場における“敬意”の示し方……)


 ふたりの視線が交わる。


 ──再び、試合が始まった。




幾度となく繰り出される拳が、ウスゲーの身体を打ち据える。腹、胸、脚──いずれも見事な間合いから放たれた、技と力の両立した打撃である。


しかし、彼は倒れぬ。


拳を受けるたびに肩が揺れ、脚が沈み、それでもなお、一歩、また一歩と前へ進む。


剛心は、腕を組みながら静かにその姿を見守っていた。


「……あの攻撃を受けた上で、前に出るか。凄まじい胆力だ……」


リゼリアは呼吸を整える。額から流れる汗が頬を伝うが、その目には一切の揺らぎがなかった。


「あなたは、誰よりも優しい。だからこそ……だからこそ、絶対に“弱者扱い”なんてしたくない……!」


彼女は静かに軸足を定め、足を高く振り上げる。回し蹴り。


その軌道は、舞のように優美で、だが鋼のごとき力を孕んでいた。


「……上段、これで——!」


振り抜かれる一撃。


ウスゲーは構えを崩さぬまま、顔を上げてリゼリアの瞳を見つめた。


バシュッ!!


乾いた音とともに、リゼリアの足が彼の側頭部を正確に撃ち抜いた。


しかし──ウスゲーは、倒れなかった。


巨体がわずかによろめき、ふらつく。


「……リゼ……ありがと……う」


その言葉は、声にすらならぬ思念のように、彼の内から溢れた。


そして──仁王立ちのまま、意識を手放す。


音もなく、ゆっくりと、膝から崩れ落ちた。


土煙が立ちのぼる。


沈黙。


次の瞬間、観客席からぽつぽつと、敬意の籠もった拍手が湧き始めた。


それはやがて場全体を包み込むような大きな拍手へと変わり、誰もが言葉を発することなく、ふたりの拳士に賛辞を贈っていた。


「……すごいにゃ、どっちも、全力だったにゃ……」


クロが呟く。


剛心は微笑み、深く頷いた。


「いい組手だったな……これが、うちの道場の“強さ”だ」


そして、倒れたままのウスゲーに目をやり、心中で静かに讃える。


「……真っ直ぐで、愚直で、そして強かった。あの“歩み”こそがお前だ、誇れ、ウスゲー」




治療所──それは、敗者が一時だけ“勇者”と認められる神聖な空間である。


そこに、ウスゲーの巨体が運び込まれた瞬間、畳が一枚、悲鳴をあげてひっくり返った。これは比喩ではない。実際に跳ねた。


「回復魔法、いきます!」


声が走る。

優希である。その手が掲げられたとき、黒髪が淡く光り始めた。

彼の体内に流れるキュ力が、治癒のために臨戦態勢に入ったのだ。


「静寂の光、命の鼓動と同調せよ……癒えろ、我が手の中で——」


そのとき、遮る声。


「待て、それは後だ!」


剛心である。なぜか氷嚢を片手に、もう片方で包帯を広げながら立っていた。


「まずはRICEだ。安静、冷却、圧迫、挙上──これが“応急処置”の基本だ!」


その言葉には武道の論理と医学的リアリズムが宿っていた。


「ですから剛心さん、異世界では魔法のほうが早いんです!」


優希が反論する。珍しく語気が強い。彼の額にも光が集まりつつある。


「RICEはな、WHOが推奨している処置なんだぞ!世界保健機関が認めた、国際的ガイドラインだ!」


「いや、この世界にWHOは存在しません!!」


優希が、思わず本質を突いた。彼の黒髪がキュ力で輝いている。詠唱の続行を促す輝きである。


「だが、原理は同じはずだ。外傷に対しては、まず冷やす。それが文明人の務め……!」


「いま魔法で靭帯も骨も再生できる世界観ですよ!?冷やす必要ないでしょう!!」


両者の間に、もはや“武”とは別の熱気が漂っていた。

だが当のウスゲーは、その熱気とは無縁の位置で静かに横たわっている。全く身じろぎもしない。


そんな彼が、ぽつりと呟いた。


「……おれの治療……まだかな?」


静寂。

剛心と優希が、同時にぴたりと動きを止めた。


——そしてふたり、そろってウスゲーの方を見て、反省のような、何かよく分からない顔をした。


治療は、ようやく始まった。


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