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聖典が言うから、今日も“やられ役”


馬車はゆっくりと、王都への道を戻っていた。空は高く、風は柔らかく、誰もがほんの少しだけ眠気を誘われる午後。だが、馬車の内部だけは微かにざわついていた。


幌の揺れる影の中で、ハーゲンが、剛心に問いかけた。


「なぁ、シン。俺たち……導いてくれるんだよな?」


言葉には熱があった。信頼と憧れが、まだぎこちない敬意とともに乗せられていた。


だが、剛心はその熱に迎合することなく、ただ静かに首を振る。


「……いや、導きはしない」


その答えに、一瞬だけ車輪の音が強く耳に残ったかのような沈黙が流れた。


「だが、仲間として——お互いを高め合おう」


それは、彼の信条に根ざした、まっすぐで、しかし温かな宣言であった。


その言葉に、エンケがぽつりと漏らす。


「シン……なんか……いいな」


リゼリアが、少し身体を乗り出すようにして言葉を継ぐ。


「私も、その仲間に加わりますわ」


「あぁ、もちろんだ」


「それで……その……私も……“シン”って……呼んでも、よろしいですか?」


俯いたまま頬を染め、もじもじと指先を弄ぶ仕草は、普段の威厳ある態度とは程遠かった。


「あぁ、仲間だからな」


「そ、それと……私のことも……リゼと。親しい方は、そう呼びますの……」


剛心はひとつ頷く。


「わかった、リゼ」


その瞬間だった。


キュン


またしても、空気を裂くような高周波が鳴った。


剛心は眉を寄せ、音の発生源を見定めるように周囲を見回す。


「……まただ」


沈黙の中に、剛心の声が低く響く。


「おい、今の……“キュン”とかいう奇妙な音。明らかに人間の出す周波数ではない。機械音だ」


ハーゲンが慌てた様子で口を挟んだ。


「シ、シン……それは、この世界では……言わないのがマナーなんでさ……!」


だが、剛心の理性はすでに分析の構えを崩していなかった。


「いや、待て。これは……低速トルク型の電動駆動音だ」


剛心は身を屈め、馬車の床を指で軽くとんとんと叩く。彼はまるで長年の修行で培った感覚をもって木の質量と反響を計っているようだった。


「この馬車……回生ブレーキを搭載しているのか?そうか、これはハイブリッドカーか……?」


誰もが、その謎の断定に言葉を失う中、リゼリアが顔を真っ赤にしながら絶叫した。


「ち、違いますわ!!」


「なに!?では音の発信源はどこだ!?」


剛心の追及は止まらない。


リゼリアは両手で顔を覆いながら、消え入りそうな声で答えた。


「……く、口ですわ……」


しばしの沈黙が降りる。


「……ばかな。あれは明らかに機械的高周波音だぞ? 喉頭でも肺でもなかった。口が? 感情で?」


「違いますわ!!!」

リゼリアは叫ぶように言い放つ。

「口が……勝手に“感情の共鳴音”を鳴らすんですの!!」


それは、武道の理には到底収まりきらぬ世界の法則であった。


クロが、尻尾を揺らしながら言った。


「リゼって、高性能にゃ〜」


そして剛心は、深く思索の色を浮かべたまま、真顔で呟いた。


「……つまり、“心を鍛えれば”キュンが出せる……いや、喉の筋肉を鍛える方向かもしれん」


「にゃは、やっぱり剛心はおもしろいにゃ!」


馬車は、来たときよりも確かに騒がしく、そして少しだけ温かく、王都への道を戻っていた。

その揺れは、彼らが今まさに“仲間”という曖昧なものを共有しはじめた証であった。


  ***


王都中央に構える冒険者ギルド——


その広間は、昼下がりの陽射しを浴びながら、いつになくざわめいていた。


——その原因は、ただ一行。


先頭を行くのは、凛然とした金髪縦ロールの貴族令嬢。従うのは、屈強な獣人、虚ろな目の青年、童顔の猫耳少年。そしてその中心に立つのは、坊主頭の男——東雲剛心であった。


「……あの坊主頭、見たか?」

「なんだよあの一団、あれって奴隷じゃねぇのか?」

「ハゲ……いや、三人も……いや、四人?いや、全員?」


囁きは瞬く間にギルド内に拡散し、その熱量はまるで異常気象の兆しであった。


そのざわめきをよそに、剛心たちはまっすぐ受付へと向かう。だがその途中、エンケが小さく肩をすくめ、声を漏らす。


「や、やっぱり……外で……待ってた方が……」


「そうだよな、ハゲがこんなところにいたらまずいよな……」

ハーゲンがうなだれる。


その言葉に、剛心が振り返った。


「安心しろ。俺も坊主だ」


その一言には、ただの慰めでも、皮肉でもない。堂々たる覚悟の響きがあった。だが周囲の反応は、また違った方向にざわついた。


受付にたどり着いたリゼリアは、優雅に依頼書を掲げた。


「依頼の完遂、報告いたしますわ」


受付嬢は顔をほころばせ、笑顔を浮かべる。


「さすがリゼリア様……吟遊詩人までお連れで」


「違いますわ。この方は吟遊詩人ではなく、使徒・ゴウシン。その上、彼が“ひとりで”ゴーレムを殲滅なさいましたの」


その言葉に、受付嬢の笑みが凍りつく。


「え……?でもその方……毛もないのに……ご冗談でしょう?」


リゼリアは、微笑を崩さずに言った。


「いえ、事実ですわ。誰よりも確かに、誰よりも正確に、ゴーレムの群れを討伐なさいました」


広間が凍りつく。笑い声は消え、空気が奇妙な熱を帯びた。


「そ、そうでございましたか……では、こちらが依頼報酬の……1500万キューティクルです」


どさり、と音を立てて積まれる金貨の袋。目も眩むような輝き。だがその眩しさに、恐れすら感じたのは、彼らではなくギルド員の方だった。


「す……すごい……おで、こんな、みなことない……」

ウスゲーが声を震わせた。


「依頼内容に比べたら……これは、ほとんどボランティアみたいなものですわ」

リゼリアは平然と答える。


剛心は、しばし金貨の山を見つめた後、問うた。


「この額……どれほどの価値がある?」


「そうですわね。王都で小さな住居、郊外なら大きな屋敷が買えるくらいですわ」


「なるほど。では、使い道を俺に任せてもらってもいいか?」


「……いいですが、何をなさるおつもりで?」


その時だった。静寂を裂くように、背後からひとつの声が響いた。


その声は、不意に空気を裂いた。


「……ゴーレムの件、本当に君がやったんだって?」


不意に響いたその声は、柔らかくも、妙に空気を切り裂く刃のような温度を孕んでいた。


声の主が、壁際の陰から姿を現す。


黒髪の優男。整った顔立ちに曇りなき笑顔を浮かべながら、その男は一歩ずつ、無駄なく滑らかに歩み出た。


——優希である。


「ふふ……さすが“使徒”様。南の鍛錬場……あの“語らずとも分かる者たちの静寂の聖域”

そろそろ、来てくれるかと思っていたよ」


だが剛心は、彼に視線を返すこともなく、当然のようにリゼリアの方へ向き直る。


「リゼ、資材を買うにはどこへ行けばいい?」


「えっ?えぇと……西門近くに、大きな資材市場がありますわ」


優希が僅かに眉を動かし、やや声を張る。


「……風通しのいい広さが、対話には必要だと思うんだ。

南の鍛錬場なら、きっと君とも“深く語り合える”気がしてさ」


剛心は納得したように頷いた。


「風通しのいい広さか、なるほど。確かに荷物置き場も要るな。特に材木が濡れないようにしておきたい」


優希は、軽く顎を上げて語り始めた。


「……風の通り道には、心の声がこだまする。

鍛錬とは、静寂のなかにある“対話”……そう思わないかい?」


誰も答えない。


それでも彼は微笑み、軽やかに続ける。


「南の鍛錬場だよ。あそこなら……言葉にせずとも、拳が語り合える」


詩的な言葉を宙に漂わせたまま、彼はふと現実に引き戻されたように言った。


「えーと、場所は……大通りをまっすぐ進んで、左の角を曲がって……噴水をひとつ越えて……

そのあと小道を三つ目まで行けば見えるはず。

あ、看板はたぶん……最近風で落ちたままだから、目印にならないかも」


剛心が「ふむ」と頷きかけると、優希は慌てて付け足す。


「だ、だから石畳を見て。“鍛”の字が彫られてるんだ。

あと……もし迷ったら、近くのパン屋のおばちゃんに聞けばすぐわかる。クロワッサンが名物で……」


説明が進むにつれ、彼の詩情はどこかへ吹き飛び、

そこにいたのは“生活に詳しい町内案内人”そのものだった。


リゼリアが隣でぷるぷると肩を震わせ、剛心は真顔で問いかけた。


「……つまり、クロワッサンが出てくる鍛錬場、ということか?」


「ち、違いますよ!!」


優希の目が泳ぐ。リゼリアは横で顔を伏せ、震える肩を必死に抑えている。


去っていく優希。その背は、まるで“伝わらない比喩”の墓標のように寂しげだった。


だが剛心は、ようやく彼の存在を少し思い出したように、問いを投げた。


「……あいつは何をしに来たんだ?」


「……さあ。詩でも詠みに来たんじゃありませんこと?」


リゼリアは、言葉の端を噛み殺していた。


「それで今夜の宿は?湯があって、キュ力にうるさくない所がいい」


「……でしたら“カーラル邸”が良いかと。わたくしの名前を出せば、少し“目をつぶって”くれるはずですわ」


「助かる。そこにしよう」


「……わたくしも、偶然そこに泊まる予定ですの。……偶然ですわよ?」


剛心は一度だけ静かに頷いた。


ギルドの片隅では、ふたりの冒険者が声を潜めていた。


「……“対戦よろしくお願いします”の聖典だよな?」


「あぁ……あんなに聖典を無視してたら、どうなってもしらんぞ」


——夜。カーラル邸、リゼリアの客室。


暖かなランプの光に照らされながら、リゼリアは鏡の前で静かに髪を梳いていた。白金の縦ロールはほどかれ、素直な波打つ輝きとなって肩を包む。

その指の動きは繊細で優雅——されど心は、落ち着きなく渦巻いていた。


初めて拳を交えたあの日。

ゴーレムを一人で討ち果たしたあの戦い。

どれも、“キュ力”という基準を拒みながら、なお強靭で、なお真っ直ぐだった。


「いったい、どれほどの修練を……」


呟きは、部屋の静けさに溶けていく。

剛心という異分子。彼がこの世界を変えるのなら、自分は何者になるべきなのか。

見極めねばならない——ならば、傍で見届けるしかない。共に、強くなりながら。


その時、扉を叩く音がした。


「リゼ、俺だ」


その声に、リゼリアの心臓が跳ねた。反射的に立ち上がり、思わず口走る。


「剛心!?すぐに開けますわ!」


扉を開ける。

そこには、月明かりを背に、上半身裸の剛心が立っていた。


「……シャワーを借りたい」


その瞳は、真剣そのものだった。


リゼリアの心は、異常振動を起こした。

胸が高鳴り、頬が染まり、思考が回らなくなる。


「そ……それはつまり、そういうこと……ですのね……?」


「……ああ。そういうことだ」


まっすぐに見つめ返され、言葉が詰まる。


「ど、どうぞ……」


「助かる」


彼が部屋の奥へ消えていくと、リゼリアはそっとベッドに腰を下ろし、顔を両手で覆った。


(ついに……ついに来てしまいましたわ、この時が……!)


しかし次の瞬間、シャワールームから声が響く。


「あった!」


「っ!? あ、あった……?」


リゼリアがびくりと肩を震わせる中、剛心がドアを開けて顔を出した。


「——ああ、あったぞ! シャンプーハットだ」


手には、誇らしげに掲げられた水色の輪。

その存在意義を、彼は疑っていない。まるで必須装備のように。


リゼリアは数秒間、沈黙した。


剛心は満足げにタオルを翻し、そのまま自室へ戻っていった。


扉が閉まる。


「……わたくし、髪だけでなく、期待も……洗い流されましたわ……」



——南の鍛錬場・夜半過ぎ


闇に沈んだ石畳の広場には、夜の気配しかなかった。

街灯は心細げに瞬き、光よりも陰を多く落としている。

虫の羽音だけが、生きたものの気配をつないでいた。


その中心に、ひとつの影があった。

整えすぎた黒髪。癖のない立ち姿。

そして、誰にも気づかれぬほど静かに深呼吸をしている青年──


優希である。


「……バフ解除完了、身体強化・極小。……待機姿勢、聖典準拠──よし」


小声で呟きながら、彼はステータスウィンドウを閉じた。

その動作には無駄がなく、どこか儀式めいた緊張感すら帯びている。


髪を整える。

眉間の皺を一度ほぐし、表情を整える。

背筋を伸ばし、そして小さく頷いた。


「“選ばれし者”として、背筋は真っ直ぐ。笑顔は控えめに……でも自信ありげに」


だが、広場には誰も来ない。

冷えた空気が肌を撫で、しんと張りつめた空白だけが広がる。


優希はそっと周囲を見渡し、小さく口元を引きつらせた。


「いや、これは……試練だ。そう、今夜は“遅れて登場するパターン”。きっと……」


視線を宙にさまよわせながら、彼は必死に自分に言い聞かせる。


「……大丈夫、これは“焦らし展開”。焦らしてからの……ド派手な登場だよね?」


その刹那、風が一陣吹き抜けた。

彼が立てていた木の札が、コトンと倒れる。


優希は静かにそれを拾い上げた。

札には彼自身の筆跡でこう記されている。


《挑戦者募集中》

“中央広場南鍛錬場にて 剛心 待つ”


その文字列を見つめ、彼は少しだけ笑った。


「……知ってるよ。こないって」


その言葉に、どこか優しさすら宿っていた。


夜空を見上げる。

星は遠く、届かない。

けれど彼は、問いかける。


「ねえ、聖典……“やられ役の使命”って、どこまで頑張ればいいの?」


すぐさま、UIが表示された。


【任務継続中──撤退判断は自己責任となります】


「……うん、知ってたよ」


ため息とともに、口元がほんのわずか、笑みに緩んだ。


「……でも、なんで僕……まだ、ここにいるんだろうなぁ」


独り言は、返事のない夜に吸い込まれていく。

それでも彼は、構え直す。


たった一歩、自分の立ち位置をずらして。


剛心がもし来るなら──きっと、この場所だと思ったから。


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