ノア
気が付くとユウは見渡す限りの泥の海の中に立ち尽くしていた。
ああ、これは夢なのだな……とすぐに理解する。
見れば泥の海の中で動くものがあった。あのロボットだった。あの時ユウを殺そうとしてきたロボットが泥の海に溺れもがいていた。それも一体だけではない。見渡す限りの泥の海は隙間なく無限のロボットたちに埋め尽くされていた。
だがロボットたちにユウを襲ってきたときのような威圧感はない。一匹残らずどす黒い泥の中から抜け出せずに苦しむだけの屑鉄だった。
彼らは救いを求めるように手を伸ばす。
ユウはその手を掴もうとした。どこにあるかも分からない彼らの口が「助けて」と言った気がしたから。
だが差し伸べた手は乱暴につかまれユウの方が泥の中に引きずり込まれた。
呼吸も光も自由もない暗黒の底へユウは抵抗も許されず深く深く沈んでいった。
◇
ユウが目を開いた時、ガレージの中には日光が差し込んでいた。
ユウの寝起きは異常によく、まるでアンドロイドの起動シーンさながらに寝ぼけ眼は全く見せずに体を起こす。けれど、夢の中で味わった不快な感触は鮮明に残っていた。
「今のは……」
「コウイウ時ハ”オハヨウ”デアッテマスカ?」
「……夢ではなかったか……」
不快な夢に顔をしかめるユウは一瞬、昨夜に起きた全ても夢の一部だったのではないかと錯覚するも、ノアにかけられた声によってどこまでが夢でどこまでが現実だったかを認識した。
体の痛みはまだ残っている。その回復のためにかなりの時間を眠っていたらしい。ノアがオハヨウという言葉に疑問符を付けたのはもう日が昇ってからしばらくたっているからだ。
正確にはどれだけ眠っていたのだろうかと頭を抑えたユウはノアを見て、その立ち位置が昨日自分が倒れた時から全くずれていないことに気付く。
「まさか、ずっとそこにいたのか?」
「当然デス。ワタシガアナタヲ置イテイクヨウナ薄情者ニ見エマスカ?」
「そう言われても……」
ユウは今一度ノアの全身見つめるがオートバイの性格なんて外見では一切わかりゃしない。そのことをごまかす様に話を続ける。
「もう自由に動けるんだろう? 俺なんか放っておいたって……」
「乗リ手ガイナキャ野良バイクデス。ソンナノ御免被リマス」
「なんだよ、野良バイクって、犬や猫じゃあるまいし。……だがありがとう。見捨てないでくれるんだなお前は」
余りにも聞きなじみのない単語に戸惑いながらもユウは感謝を口にして、ノアを撫でる。
するとノアはヘッドライトを明滅させながら左右に動かした。ノアなりの感情表現なのだろう。なんとなく大型犬が尻尾を振っているときのような雰囲気を感じる。ひょっとして生態は本当に犬に近いんじゃ? などと考えているとノアが言った。
「トコロデマスター。客ノヨウデスガ」
言われてユウは覗き防止のためやたら高いところに設置されているガレージの窓を見やる。窓の外側で何者かが中の様子をうかがおうと試行錯誤して失敗している様が先ほどからちょこちょこ見えていた。
どうやら相手は普通の人間らしい。あのロボットの仲間でないなら警戒するほどでもないが放ってもおけない。ユウは立ち上がり、ガレージのシャッターを開けた。
「この山は私有地だ。不法侵入だぞ。……って、お前昨日の……」
ガレージの外には二人いたが、そのうちの一人にユウは見覚えがあった。昨日少しだけ言葉を交わした『麻宮ナナコ』と名乗っていた女だった。
突然出てきたユウに驚きながらもぺこりと会釈をするナナコ。一方でもう一人の方、ユウよりも一回り以上は年が上に見える男は油断なくユウの前に立った。
「登記簿の名前が偽名ではその権利はないぞ。機道ユウ」
死んだことになっている自分の名前を出されてユウは身構える。
「……お前ら何者だ?」
表情を険しくして問いただすと男はすんなりと身分証を提示する。それにはこの国の治安維持の権限を持つものに特有の印がついていた。
「警察?」
なぜ警察がこんなところに? とユウは訝しみ身分証をよく見てみるとそれは通常の警察官が所持するものとは所々違っていた。特に所属のところが聞いたこともないものだった。
「技術管理局の所属でもある」と男は告げる。
その名に心当たりがあってユウが僅かに反応したのを見逃さず男は続けた。
「先進技術特務部第二班班長、村国ゲンだ。向こうで転がってるロボットのことで話がある」