第十四話
久々ですがアップしました。
今回は多聞さんのお話です。
昭乃は美味しそうに目を細めた。
久々のご飯になりふり構ってはいられないとばかりに勢いよく口の中に放り込んでいく。皿に山積みに盛られたチキン南蛮がまるで手品のように消えていく。昔から気持ちいいくらいによく食べる同級生だとは思っていたが、今は美味しいものを美味しく味わうというよりは、生きるために栄養を摂取しなければという使命感にあふれた食べ方をしている。今まで何を食べて生きてきたのか。
行きつけの食堂のおじさんはうんうんと頷きながら、昭乃の食べっぷりを見守っている。おばちゃんはびっくりしながらもにこにこと笑みを浮かべていた。
「……なぁ、余計なお世話だけど、きちんとご飯は食べてねぇよな?栄養失調になる寸前の子供のような食べっぷりじゃね?」
もぐもぐと咀嚼しながら昭乃はちらりとこちらに視線を向けて、こくっと小さく頷いた。
「普段から、食べる時間があまりなくて、カップ麺とかカロリーメイトとかそういったもので済ませていたかなぁ」
へへっと力なく笑う昭乃に、俺ははああぁとあからさまにため息をついてみせた。
「いやさ、昭乃の職種がめちゃくちゃ大変なのは知ってるけどさ、ご飯はしっかりと食べなきゃダメだろ。腕とかがりがりじゃんか。友喜は何も言わねぇの―――」
友喜、の部分に昭乃は顔を強張らせた。そうだ、今「友喜」の名前は禁句だった。
「うん、まぁ、たらふく食いな」
「……うん、そうする」
鎧塚昭乃はクラスの中でも目立たない存在だった。悪く言うと、いてもいなくてもというやつだ。自分のような強そうな苗字のクラスメイトがいるな、と思ったら前髪が目にまでかかり、声も小さく、休み時間はひたすらにノートに何かを描きこんでいるような女子だった。今でいう自分の世界で生きているオタクと思われるのだろうが、たまたま配布されたプリントの裏に当時ハマっていた漫画のキャラクターが躍動感たっぷりに描かれているのをみて、めちゃくちゃに興奮したことを覚えている。
しかもそれを描いたのが、自分のクラスメイトだと知ったなら尚更だ。
突然茶髪で長髪の目つきの悪い同級生に話しかけられて、昭乃はあたりをきょろきょろと見渡して明らかに動揺していた。俺が興奮気味に漫画熱を語ると、昭乃は段々と落ち着いて話を聞いてくれるようになった。
同じクラスで同じ軽音部の比呂も巻き込んで、昭乃の画力を褒めたたえていた。だからといって、そこから仲良くなったというわけでもない。
昭乃には昭乃の世界があり、俺たちみたいなちゃらちゃらした男子に絡まれても彼女の身辺にいいことは起きないと分かっていたからだ。昭乃には同じような声が小さくてあまり自己主張をしないタイプの友人が数人いて、そちらといた方がいいに決まっている。同じくちゃらちゃらした男子や女子にだって、急に地味なクラスメイトが自分たちの領域に入り込んできたらいい気分はしないだろう。
とても面倒な領域だとは思うが、この日本は、領域を守ってこそ人間関係を円滑に保っているクソみたいな風潮がある。
だから、俺は極力教室では昭乃に話しかけないことにした。
昭乃は近くの本屋と文房具が一体化した小さな店でバイトしていた。比呂と隣のクラスの友喜と部活終わりに寄った時に偶然遭遇した。そこでの昭乃は長い前髪をピンで留めていて、顔があきらかになっていた。はっきり言って、めちゃくちゃ美人というわけではないが、可愛らしい顔つきをしていた。
クラスでも前髪上げてればいいのに、と話すと、昭乃はとんでもないとばかりに胸の前で手を振った。今、前髪を上げているのは接客のためだと弁明した。普段のクラスでは、その人相応の姿にはめ込むことが大事なのだと、力なく笑いながら話していた。
はめ込む―――その時の俺はよく分かっていなかった。
隣に佇む友喜がうんうんと笑顔で頷いているのに気づいていれば、何か変わったのかもしれない。
いつの間にか友喜が昭乃に告白し、二人は付き合い始めた。
昭乃を紹介して、一週間しないくらいに告白したらしくびっくりしたが、友喜と一緒に帰る昭乃は照れくさそうにしながらも幸せそうだった。昭乃が幸せなら、それで良かった。
俺たちは高校を卒業し、比呂と友喜は大学に進学し、昭乃はアニメーターになるために専門学校に進学した。俺は、ご存じの通りにフリーターとしてフラフラとしていた。卒業してからも、頻繁にではないものの比呂、友喜、昭乃、俺の四人でご飯を食べたりして近況報告をしていた。そして、昭乃が専門学校を卒業し就職が決まったころ、一人暮らしをするという話が出た。
以前、ちらっと聞いた話だと昭乃の家庭はちょっと複雑だそうで、小さい頃に両親が離婚し父に引き取られたあと父は再婚したが昭乃はその新しい家族に加えてもらえなかったそう。父方の祖父母に育てられたが、祖父母の家に同居していた伯父に勝手にお風呂場を覗かれたり、布団に入り込んできたりと性的な嫌がらせを受けていたらしい。そして、そのことを知りながらも祖父母は我慢しなさい、の一言で終わった。我慢に我慢を重ねていたら、自分自身というものが分からなくなってしまったらしい。いつの間にか伯父は結婚をして家を出たらしいが、色々なものが疑心暗鬼になっていた昭乃は早く就職をして家を出たいと思っていた。
そんな辛い境遇の中必死に生きてきた同級生を前に、俺はどうだ?と自答した。ちゃんと両親に育てられて寝る場所もご飯も食べることが出来ているのに、きちんと親孝行しないでフラフラとしている。昭乃に足を向けて寝られない、とは思うものの、それをうまく享受できないのが俺という人間だしな、とも開き直っている。昭乃には申し訳ないと思うけれど。
もちろん、昭乃の境遇は友喜も知っていて、だったら同棲しないか、と提案した。昭乃はびっくりしたけれど、友喜が良ければと嬉しそうに頷いた。友喜は要領よく立ち回れるので、来年の就職活動もきっとうまくやるだろう。
二人は幸せそうだった。
「最初は、幸せだったよ。友喜はほら上にお姉さんが三人いるでしょ?だから女性の扱いは慣れているというか……嫌なことはしないし、浮気もしないし、DVとかだってもちろんしない。とても、いい人だと思うの」
「じゃあ、なんで……」
「うん……高校の時から、少し違和感は感じていたの。だけど、こんなに私を好きでいてくれる人はもうこれから出会うことはないかもしれないって思ったから、誰にも言えなかった」
すうっと大きく息を吸い、ふうっと吐くと昭乃は目の前をしっかりと見据えた。
「……彼女になる女性はこうあるべきだ、こうあって欲しいっていう友喜の理想像っていうのかな、それに私をはめ込もうとするんだよね。私がためらったりすると、【これは昭乃が昭乃であるために言うんだよ】って言うの。だから、私がアニメーターとして働き始めて泊まり込んだりして何日も帰ってこなかったりすると、普通は大変だったね、とか労ってくれるのかなぁって思うんだけど、【昭乃にはそんな体を酷使してまで働いて欲しくない】とか、【そんなげっそりとした顔になるんだったら、アニメーターの仕事辞めたら】とか言うの。もちろん、友喜も出張多いし、疲れて帰ってきたときに私みたいな疲れ切って覇気のない彼女がいたら嫌だろうなとは思うけど、私はずっとやりたかった仕事だから、やり続けたいっていったらしらーっとした感じで、【勝手にすれば】で終わり。それから一緒に暮らしてはいるけど、置物のように扱われる感じで、友喜の理想の言葉を言えば機嫌が直るんだろうけど、どうしてそこまでして自分を押し殺しないといけないんだろうって。もう、押し殺すのは疲れたの……」
ぽたぽたと涙がチキン南蛮の上に数滴降りかかる。
『昭乃?うん、元気だよ。でも忙しすぎてあまり家に帰ってこないな。たまに帰ってきてもずっと部屋で寝たりしてるから、互いに顔を合わせていないことの方が多いかも』
顔を合わせても、いない振りをしていたってことか?
もし、昭乃の言っていることが本当であれば、たちが悪すぎる。
「昭乃、とりあえず食べたら帰ろう。友喜とは、俺からも話してみるから」
「―――駄目だよ!多聞くんは、友喜と小さい頃からの友だちなんでしょう?私のことで、二人が仲が悪くなったら困るし、別にどうにかして欲しいっていうわけじゃないの」
「この現状をどうにかしたいから、俺のところに来たんだろう?」
昭乃はふるふると小さく首を振った。
「そうじゃないの。もう、職場の近くに手狭だけど目星をつけているアパートがあって、そこに一人で住もうと思っているの。そこに引っ越す前に、多聞くんに会いたかっただけ」
―――なんで、こうも周りの女は事後報告しに俺の元に来るのか。
もっと早くに会って、色々と相談してくれないのか。俺が、不甲斐ないからなのか。
「……昭乃は、それでいいのか?友喜に何も言わないままで」
「うん。もっと早くに、こうしていれば良かった」
口元にタルタルソースをくっつけながら、昭乃は精一杯の笑顔でそう言った。
昭乃を最寄りの駅まで送ると、俺はぼーっと空を見上げながら歩いていた。
見送った後、比呂だけに詳細を送ろうとスマホを取り出したが、やめた。
友喜もいつまで昭乃との関係をまだ続いているかのように話すのかは分からないが、いずれ彼の中で決着がついたら話してくれるだろうと思う。
それまで、俺の中で留めておけばいい。そう思うことにした。
男女関係は、難しい。そう思うけれど、俺はそう語れるほど誰かと恋愛らしい恋愛関係を築いてこなかった。珠里のこともそうだし、昭乃のことも話していて自然体に接することのできる女子で心地よいと思っていたことは事実だ。だけど、昭乃は友喜を選んだ。行動で示すのが遅い俺が悪いのかもしれないが、俺は多分昭乃と付き合ったとしても、昭乃の境遇と自分の境遇を天秤にかけてもやもやして傷つけるだけだった思う。
そう考えれば、友喜に任せてよかったと思っていいのかもしれない。なんて、何か上から目線で偉そうだ。現に、昭乃も友喜も両方とも傷ついて終わった関係性だ。やっぱり、双方に想いあっていても、恋愛って継続させるのは難しいものだと再確認させられる。
そういや夕飯どうするかな、と考えながら歩いているといつの間にかアパートの前についていた。アパートの階段のあたりにグレーのブレザーを着た見覚えのない少年が立っている。高校生くらいだろうか。俺と目が合うと、その少年はぺこりと一礼した。俺も思わず一礼したが、全く覚えのない。誰だっけ。
「いきなり待ち伏せしてすみません。僕は金石祥太といいます。このアパートの二階の金剛さんって貴方ですよね?」
「あ、ああ、そうだけど。金石……?」
俺はざっと隣の家の表札を見に行った。駐車場のとなりのスペースにはたくさんの自転車が停まっている。
「あ、もしかして、恵太の……?」
「はい、弟がお世話になっています」
少年は張り付けたような笑顔でそう呟いた。何となくだが、この手の笑顔に俺は警戒心を抱いた。
「―――んで、恵太のお兄さんが俺に何の用?この度、弟に喝を入れてくれてありがとうございます、ってところ?」
俺の言葉に祥太はぴくりとも表情を動かさない。
「金剛さん、〈働きアリの法則〉って知ってますか?よく働くアリが2割、普通に働くアリが6割、働かないアリが2割に分かれるっていう理論です。我が家は僕たちが普通に生活する8割で恵太がそこから外れた2割だったわけです。だけど、この予備軍の2割が大事なんですよ。どうしてか分かりますか?家全体で100パーセントの力で仕事家事育児といった労働パフォーマンスを発揮し続けたら、不測の事態が生じた時にパンクしてしまうことになるでしょう。恵太といった問題児がいたからこそ僕や弟の裕太は普通の生活が送ることが出来た。両親も3兄弟共まともだったらそのまもとさをずっと維持していかなければならないんです。塾の経営者として、大問題じゃないですか。死活問題ですよ。1人脱落者がいた方が、そうならないために僕たちは両親の負担を減らそうと躍起になるんです。この均衡を、金剛さんが余計なことをして崩したんですよ」
息継ぎなしで一気にまくしたてる笑顔を貼りつかせた祥太に、俺はぞっとした。
「恵太は、中学校に通えるようになったってこと、だよな?何で、喜ばないんだ?兄貴だろ?」
はぁーと大きくため息をつき、祥太は下から見上げるように侮蔑の視線を向けた。
「だから、僕の話を聞いてました?貴方が余計なことをしたんですよ。まぁ、貴方に高等な理論を話したところで理解は出来なさそうですよね。普段からバンド活動しているフリーターみたいですし。絶対になりたくない大人像に、恵太も感化されて。迷惑極まりないな……」
凄くディスられているのはわかる。だけど、絶対になりたくない大人像、と高校生に言われ、俺は何も言えずに立ち尽くしていた。
「とりあえず、もう我が家の人間に関わらないでくれますか?違う次元の人間のようなんで。失礼しますね」
祥太は大仰なくらいに一礼をし、そのまま俺の横を通り過ぎていった。
あのグレーの制服―――よく見たら広見が挑戦してみると受験した偏差値68の進学校の制服だ。
ミットで滅多打ちにされた気分だ。ぐうの音も出なかった。
「―――ぐう」
か細い声でそう呟くも、何だか力が抜けてしまい、今夜の飯はカップ麺でいいやとゆっくりと部屋に繋がる階段を上り始めた。