右ですか? それとも、左ですか?
可愛い死神と、とことんツイてない男とのコメディです。
政治とかの話ではないので、そこのところはヨロシクご理解お願いいたします。
その夜、オレは自宅アパートの狭い畳の部屋で、なんとはなしにテレビを観ていた。
すると、突然、テレビの画像が消えた。テレビが壊れたとか、間違ってリモコンのボタンを押しちゃったとか、よくあるやつではない。誰かの指が、テレビの本体の電源スイッチに伸び、テレビを消した。…ちなみに、オレは一人暮らしで、その日、友達を呼んでいたわけでもない。
テレビを消したヤツは、オレの目の前、テレビのすぐ隣にちょこんと正座していた。たぶん女性だ。黒いナース服を着て、黒いナースキャップをかぶっている。本物の看護師ならば黒いナース服などはありえない。だからその服装はコスプレのはずなのだけど、そいつからは「わたしコスプレしてます」的なチャラチャラさを感じない。ごく普通の本物のナース服を黒く染めて、「わたし仕事なのでこれ着てます」というヘンな真剣さが伝わってくる…なんなんだろう、この奇妙なアンバランス感は。
「…ああ、ごめんなさいね。ちょっとお話をしたいので、テレビは消させていただきました」
そいつは、少し上目づかいでオレを見ながら、なぜだか楽しげにそう言った。
「…あんた、どうやって…そこにいるの?」
オレの口からそう言葉が漏れた。もっと他に訊くことがあるんじゃないか…とか、もっと言い方があるだろう…とか、文法がおかしいだろう…とか、いろいろあるけれど、その時はそれしか出なかったのだ。
ほんの数秒前まで、オレはずっとテレビを観てた。だから、テレビのすぐ隣に誰かいれば気づかないわけがない。そして、オレの部屋にはドアと窓は一つずつしかないし、狭いので、誰かが入ってくればすぐにわかる。なのに、今、オレの目の前には、黒いナース服を着てニコニコ笑っている見ず知らずの女…らしきものがいる。「気配を感じなかった」なんてレベルの話じゃない。
「えーと、それじゃあ、質問をさせてもらいますね」
黒ナース服の女は、オレの疑問はまったく無視してそう言うと、
「右ですか? それとも、左ですか?」
そう訊いた。
「それは、ナニ? どういう意味なの?」
反射的に、オレがそう口にすると、
「あ~、ダメですよぉ、質問に質問で返しちゃ。話が進まないじゃないですかぁ」
と、たった今、オレの疑問を無視して質問してきたヤツがそう言った。
「そんなこと言ったって、右とか左とかなんのことかわからないだろ! だいたい、おまえ何者? どうしてオレに質問してんだよ?」
オレは少し落ち着きを取り戻し、どう考えてもマトモじゃない状況で、どう見てもマトモじゃない相手に、いくらかマトモな質問ができた。
「えー、そこからですかぁ? そこから説明しないとダメ? あんまり時間ないんですよォ…しかたないなぁ」
黒ナース服の女は、子供のように口をとがらせてそう言うと、
「わたしはねぇ、『死神』なんですよ」
と、名乗った。
(『死神』…だと)
普通に考えれば馬鹿馬鹿しいその言葉を、オレはとっさに否定できなかった。これだけありえない現れ方をした相手だ。「幽霊」だの「忍者」だの「宇宙人」だのと名乗られても、もう受け入れるしかない。「死神」は、まあ、ちょっと予想外だったけど…いや、待て、「死神」だと?!「死神」が目の前に現れた、ってことは…
「…もしかして、オレ、死ぬのか?」
死神と名乗ったそいつにそう訊くと、
「あ! わかってもらえましたね。理解早いなぁ」
死神は心から嬉しそうに言うと、
「じゃあ、質問いきましょう。右ですか? 左ですか?」
また同じ質問を繰り返してきた。
「だから! なんだよ、それ? オレを右から死神の鎌で斬り殺すか、左から斬り殺すか…とか、そういうことか?」
オレが震える声で、怒鳴るようにそう言うと、
「いやだなぁ。そんなふうに誤解している人間の方、多いですけれど、死神は人間を殺したりしませんよ。人間の死に関する事象や運命を管理するのがお仕事なんですからね」
死神は得意げに言った。
「それじゃあ、なんなんだよ? 右とか左とかいうのは」
「それはですねぇ、最近、死神の世界もいろいろとうるさくなりましてね。できるだけ人間の意思を尊重しようってことになったんですよ」
なにを言っているのか、ゼンゼンわからない。
「それで、なんで右だとか左だとかの質問になるの?」
「だからぁ、運命や事象に影響を与えない範囲で、できるだけ人間の意思を尊重するために、質問しているんじゃないですか」
ますます、わけがわからない。
「じゃあさ、右を選んだらなにが起こるわけ?」
「それは言えません。それを言うと事象に影響が出ちゃうんで」
「右を選んだら、死ななくてすむとか?」
「そんなことはありません。死にますよ」
「左を選んだら…」
「死にますよ」
死神は即答した。
あーあ、結局オレは死ぬのか…。いろいろありすぎて、それを疑う気にはならない。あまりの突然の死の宣告に心がマヒして、死への恐怖よりも、あきらめが心を支配している。
「それで? 右ですか? それとも、左ですか?」
死神がまた訊いてきた。
「それってさ、答えたら、どうなるの?」
「だからぁ、それは言えませんって。事象に影響が出るって、言ったじゃないですか」
死神はイラついた口調で言った。
「右ですか? それとも、左ですか? 早く決めてくださいよ。もう、あまり時間も無いんですよ」
「…それならさ、オレはどちらも選ばない」
「え?!」
死神は、死を宣告されたオレがしなきゃならないような表情を、オレの代わりにしてくれた。
「だって、どっち選んだってオレ死ぬんだろ? じゃあ、もうどっちでもいいよ」
「そんなぁ、せっかくわれわれ死神が人間の意思を最大限に尊重してあげようとしてるのに…困りますよぉ」
「質問に答えないのが、オレの意思だ。尊重してくれ」
オレがそう言うと、死神は両手で顔を覆い、泣くような仕草をみせながら言った。
「これまでの会話は、すべて記録されているんですよ…わたしがここに来たところからずっと…」
へえ、そうなんだ。どうやって記録してるんだろ? 死神って「神」だもんな、それくらいできるか。なんにしろ、死にゆくオレには関係ないけどな。
「…あなたが質問に答えてくれないと、この会話が、『死神会議』の議題になっちゃうんですよぉ」
死神は両手で顔を覆ったままそう言った。
(なんだよ、「死神会議」って?)
と、思いながら、黙って聞いていると…
「死神会議で、『どうして質問に答えてもらえなかったのでしょうか。みんなで考えてみましょう』って、議題になって…。『質問の仕方が雑だったんじゃないでしょうか』とか、『答えをもらうのを焦り過ぎたんじゃないでしょうか』とか、さんざんダメ出しされて…。最後に『どこを反省すべきだと思いますか?』って訊かれて、みんなの前で発表させられるんですよ…」
死神はそう言うと、
「もう、イヤだ~」
と、泣きだした。ああ、なるほど。前にも死神会議で議題にされたことがあるんだな…。
「質問が雑だった」のも「焦り過ぎてた」のも事実だから、ダメ出しされて、反省すればいいじゃないか、とも思ったが、さすがに可哀想になった。それに、質問に答えても答えなくても、どっちにしてもオレは死ぬのならば、まあ答えてやってもいいか。
「わかった、わかった。答えるよ」
「ええ! 本当ですか~」
死神は、ナースキャップをとると、涙でくしゃくしゃの顔を拭き、すぐにかぶり直すと、真剣な表情をつくって質問した。
「右ですか? それとも、左ですか?」
「それじゃ【右】で」
オレは適当にそう答えた。考える理由も、悩む要素もない。
「【右】でよろしいですか? もう変更はできませんよ~」
質問の意味すらわからないんだから、変更もなにもない。
「ああ、いいよ【右】で」
オレがそう言うと、死神は親指を立ててオレの目の前に突き出し、
「はい! 【右】ですね。質問の答えいただきました~。これでお仕事完了でぇ~す。ありがとございました~」
そう言うと、まだ涙のあとが残る顔で、舌をペロリと出し、ウィンクをした。
(…こいつ、腹立つなぁ)
質問に答えてやるんじゃなかったと後悔したが…まあ、もういい。どうせオレは死ぬんだから。
「それで? これからどうすんだよ」
オレがそう訊くと、死神は黒ナース服のポケットから時計を取り出し、時間を確認すると、
「ああ、そろそろ時間ですね。お迎えが来ますよ」
と、言った。
「お迎え? どこかに移動するのか?」
オレがそう訊くと、
「いえいえ、違いますよぉ~。あなたに『お迎え』が来るんですって。決まっているじゃないですかぁ」
死神がそう言った次の瞬間、部屋が閃光に包まれ、激しい音が鳴り響いて部屋全体を大きく揺らし、窓ガラスが砕け散った。そして、何かが飛んできて、オレの【右】胸に刺さった。焼けるような激しい痛みを感じたのは、一瞬だ。オレの意識はすぐになくなった…。
―― オレは自分の部屋ではないどこか知らない場所で意識を取り戻した。視界はぼんやりとしていて、ベッドらしきものにあおむけで横たえられた身体はまったく動かない。少し視力が戻ると、かたわらにあの黒いナース服の死神が立っているのがわかった。
死神は、上からオレの顔を覗き込むと、
「【右】胸をつらぬかれたら、人間はふつう死ぬんですよ…。あなた、意外としぶとかったんですねぇ」
あきれたようにそう言うと、やさしい顔で笑った。
さらに少しずつ視力が戻ってきて、自分がどこかの部屋の中にいるのがわかった。それと同時に、死神の姿が少しずつ変わっていった。ナース服の色が、黒から薄いピンク色になり、ナースキャップはなくなった。そして、いつの間にか、顔はまったくの別人に変わっていた。
「目が覚めましたか? ここは病院です。もう大丈夫ですから、安心してください」
そのピンク色のナース服の看護師は、厳格な表情で、冷静な口調でそう言った。
オレは、自身が酸素吸入器を装着され、身体のあちこちを医療機器とつながれていることに気がついた。
それから、数か月過ぎ、オレは街灯に照らされた夜の道をコンビニで買った弁当の袋を持って歩いている。
あの晩、アパートの近くの工場で爆発事故があった。爆発で飛散した小さな金属片のひとつが部屋まで飛んできて、オレの右胸を直撃した。しかし、太い血管を傷つけることなく胸を貫通したので、奇跡的に命が助かったのだと、医者から説明された。オレは事故のあとすぐに手術を受け、数日間昏睡してから目を覚ましたのだ。手術で右肺を部分的に切除したせいで、階段をちょっと昇っただけでスグ息が切れる。右胸が痛んで、夜眠れないこともある。
「まったく、ツイてないよなぁ…」
そんな愚痴も出るが、命が助かったんだからまあいいか、とそう思うしかない。
あのとき、死神に【左】と言ってたら、どうなったのだろう? 金属片は【左】胸を直撃し、心臓を貫通したのか? そうなれば、奇跡もなにもない。死んでいたはずだ。
死神は、【右】を選んでも、【左】を選んでも、どちらにしろ死ぬ…と言っていたが、オレは生きているゾ。ざまあみろ。
と、そこまで考えて、オレは首を振った。いやいや、あんな死神とかはオレの妄想だ。手術のあと昏睡しているときに見た夢と現実の記憶がゴチャゴチャになっているだけだ。そうわかってはいるのだが、あの死神の姿は数か月が過ぎたいまも、記憶から消えてくれない。
「あ~あ、ツイてないなぁ…」
またそう口にしながら、アパートの二階の部屋につづく鉄階段を上がった。あの事故でオレの昔のアパートは半壊となったので、事故を起こした工場からの補償を受けて、オレはこのアパートに引っ越した。1DKで前の部屋よりも少し広い。床はフローリングで畳ではなく、ベッドのある部屋だ。と言っても何が変わったわけでもない。相変わらずの一人暮らしだ。
ドアを開けて部屋に入ると、そこは薄暗いダイニングだ。テーブルに向かい合わせでイスが二脚置かれている。一人暮らしなのでイスは片方しか使ってないが、備え付けの家具なので、そのままにしてある。
テーブルの上にコンビニ弁当の袋を置き、照明をつけるために壁のスイッチを入れて振り向くと…
そこに誰かいた。オレがいつも座っているイスと、テーブルをはさんだ向かい合わせのイスに誰かがお行儀良く座っている。
ありえない。部屋に入ったときには、間違いなく誰もいなかった。薄暗かったとはいえ、気がつかないわけがない。オレがスイッチを入れるために背中を向けたほんの一瞬の間に部屋に入って来た…そんなわけもない。
イスに座っているその人影は…いや、「人」ではなかったな…黒いナース服を着て、黒いナースキャップをかぶっている。あの「死神」だ。妄想ではない。明確な存在感でオレの目の前に座っている。
こいつが…、「死神」が、オレの前に現れた、ということは…
死神は、楽しげに上目づかいでオレを見ながら、
「あなたって、本当にツイてない人なんですねぇ…」
と、あきれたように言うと、ニコリと笑った。
この「死神」が気に入ったので、もう一度、登場させたいけど…、まあムリですね。