悪役令嬢は転生してきたモブ令息と恋をしない。
「エリザベス・ベロンティーノ。貴様との婚約を破棄する!」
そんな声が響き渡ったのは、学園主催の舞踏会が始まって間もなくのことでした。
会場のど真ん中で声を張り上げたのは、この国の第二王子のクリストファー・アーノルト殿下です。王族の証である金髪と、快活な藍色の瞳がキリッとした、それはそれは凛々しい顔立ちをした方なのですけれど、いまはなぜかとても険しい顔でわたくしをにらみつけています。
しかもクリストファー殿下に腕を絡めているストロベリーブロンドの女性が、妖しい微笑みでこちらを見ています。初めてお見かけする方ですが、どこかのご令嬢でしょうか。令嬢にしては髪が肩までしかありませんし、まだ学生なのにもかかわらず、胸元と肩のはだけたドレスを着ています。というかそのドレス、舞踏会に相応しくありませんわね。
そして先程の耳にしたお言葉。
婚約破棄、ですって?
ベロンティーノ公爵家の娘であるわたくしと一方的に婚約を結び付けてきたのは王家だというのに、とても堂々とした顔をされているご様子ですわね。
いけませんわ。
ここは表情を和らげて笑うところでも、怒りを露わに怒り出すところでもありません。
ただ粛々と、言葉を返さなければ。
「お言葉ですが、クリストファー殿下。わたくし――いえ、ベロンティーノ家との婚約破棄を、陛下がお望みなのでしょうか」
「ふんっ。そんなの後から伺い立てればいいこと。私は昔から、生涯を共にする者は心から愛する者と決めておるのだ。陛下もその心を汲んでくださることだろう」
殿下の言葉にわたくしは頭に手を置いて、全力で脱力したくなってしまいました。
愛する者と生涯をともにする。
言葉にすれば聞こえはいいでしょうけれど、貴族であるわたくしたちの場合はそんな望みが叶うことはありません。特に王族ともなればなおのことです。
王族や貴族の結婚は、政略結婚が主です。
ごくたまに条件が一致して運命的な出逢いをした貴族同士が結婚することもありますが、その多くは爵位を継がない次男以降の話でしかありません。
特にまだ王太子も決まっていない現在、第二王子であるクリストファー殿下としてはベロンティーノ公爵家との婚姻は願ってもないことのはず。
なぜなら第一王子であるジェラルド殿下は、とても優秀な方だと聞きます。もうすでに隣国の王女との婚姻が噂されていて、そろそろ立太子されるだろうという噂もそこここから聞こえてきます。
第一王子が優秀だからこそ、第二王子の婚約者にベロンティーノ公爵家のわたくしに白羽の矢が立ったというのに。
どうやらこの王子、直前で試合から逃げる算段のよう。
――あら、試合だなんて。あの人の口調が移ってしまわれたようですわ。
と、数秒でそのような思考を巡らせていると、その数秒に我慢ならないお方が声を荒げてしまいました。
「なにを黙っておるのだ」
「申し訳ありません、殿下。おひとつ、お尋ねしてもよろしいでしょうか?」
「なんだ。申してみろ」
そのぞんざいな口調は陛下のマネなのかしら? 威厳の欠片もありませんわね。
「どうしてわたくしとの婚約を破棄なさるのでしょうか?」
「ふんっ。そんなの決まっておる。貴様が――私の愛するコリンナを虐めたからだ」
「……いじめ?」
いじめとは、何のことでしょうか。
そういえば、あの人も似たような言葉を使っていましたわね。
そもそもコリンナという名前に聞き覚えがありません。もしかして殿下の腕にしなだれかかっているご令嬢のお名前なのかしら。
「そのコリンナ様とは、どちらのご令嬢なのでしょうか?」
「しらじらしいな。だが教えてやる。私は優しいからな。コリンナはアップル男爵の娘だ」
アップル男爵? ――ああ、そういえば新興貴族のなかにそんな名前の家系もありましたわね。たしかもともと豪商でなにやら貿易で活躍なされて叙爵されたと。
それにアップル男爵家には気をつけるようにと、あの人からも注意を受けていたことを思い出しました。
もしかしてこれは、彼が良く話していた「しなりお」なのかしら。
「アップル男爵家のコリンナ様とはお会いしたことがございません。だからそれは真実ではないと思われますが」
そもそもわたくしの所属していたクラスは高位貴族の中から選ばれた令嬢令息しか所属できない、特別クラス。新興貴族の令嬢など所属できるわけがありません。
しかも特別クラスは他のクラスからも離れたところにあります。
授業でも関りになることはなく、コリンナ様との面識は本当に全くないのです。
それなのに、クリストファー殿下はまだ醜態を晒されるそうです。
「ふんっ。私と親しいコリンナに嫉妬した貴様が、取り巻きを使って虐めた証拠はすでに入手している」
ありもしない証拠? それに取り巻きですか?
わたくしに親しい友人と呼べる方は、この学園にはいないのですが……。
ああ、でもいつも呼んでもいないのにわたくしの周りを飛び回っているコバエのようなご令嬢は何名かいらっしゃいますわね。その方々のことなのでしょうか。
それにしても先ほどから思っていましたが、クリストファー殿下といつも一緒にいる取り巻きの方はどうしたのでしょうか。こんな大事な時に殿下の傍に居なくて、将来の側近が務まるのか考えものですわね。後日お父様に助言いたしましょう。
……ああ、そういえばあの人が言っていましたね。殿下以外はなんとかすると。
「殿下ぁ」
とコリンナ様がクリストファー殿下を涙を浮かべた目で見上げます。
「すぐこの不届き者を牢屋に入れてやるからな」
殿下がいままでわたくしに見せたことのない、鼻の下を伸ばした顔でコリンナ様の頭を撫でています。
ぞわっとわたくしの全身が泡立ちました。これは目に毒な光景です。早く消毒しなくては。
それに、そろそろこの茶番劇にも飽きてきたころです。
「わたくしが、そこのコリンナ様をいじめたという証拠はあるのでしょうか?」
「ああ、あるぞ。貴様がコリンナにした虐めの数々! 証人も連れてきておる」
クリストファー殿下が右腕を上げます。
さて、誰が出てくるのかしら。
そう思い首を巡らせますが、辺りは静けさに包まれていました。
聴衆は遠巻きに眺めるだけ。息を呑む音はもちろん、足音ひとつ聞こえてきません。
首を傾げるわたくしとは反対に、慌てたのはクリストファー殿下です。コリンナ様も困惑しているようです。
「な、おいっ。この場で証言するように命令しただろう。それなのどこに行ったのだ」
ただの第二王子が命令だなんて、ずいぶんと大きな顔をなさること。
呆れて物も言えません。
コリンナ様が「殿下ぁ」と甘えた声を出しているのに、背筋がぞわっとしました。
「お待たせいたしました、お嬢様」
周囲に喚き散らしている殿下たちを眺めていると、背後から声を掛けられました。
馴染みのある、落ち着いているのにどこか楽しげな、爽やかな声音です。
「あら、やっとおいでになりましたのね」
「ええ、このセドリック・ブルーム。あなたの命ならどこへでも」
恭しい態度でお辞儀をする、栗色のふわふわとした髪の男――セドリック様は、ブルーム伯爵家の嫡男です。ブルーム伯爵とベロンティーノ公爵と昔からの知己で、唯一無二の親友らしいのですが、顔を合わせるといつも口喧嘩ばかりしていいます。その様子は子犬のじゃれあいのようで面白いのですが、これは関係ない話ですわね。
「わたくしはなにかを命じたりなんてしていないのですけれど」
「はっはっはっ。こういうのはノリですよー。だってかっこいいじゃないですか、執事みたいで。俺の憧れなんっすよー」
「あなたは伯爵家の後継者ではございませんか」
伯爵家の後継者が、執事になどなれるわけがありません。
「だって生まれ変わったら悪役令嬢の執事になりたいって、思っていたんすから。それなのに、なんで長男になんて生まれちゃうのかなー。モブならモブらしく、執事が良かったっすよー」
相変わらずこの人の言うことにはわからない言葉が含まれていて、反応に悩みます。
もぶとは何なのでしょう。
悪役令嬢については前に説明を頂きましたが、よく理解することはできませんでした。
げーむのひろいんに嫌がらせをする嫌われ者の令嬢のことらしいのですが、殿方に婚約者がいるのを知っていながらも関わり続ける世間知らずの令嬢の方が、よっぽど悪役だとわたくしは思います。
学園は小さな社交界なのですから、貴族階級による上下関係も存在しています。
だから男爵令嬢が王族や高位貴族に自ら話しかけるなどあってはならないこと。
それなのにそれを咎めただけで悪役とされる、そのげーむの悪役令嬢はとてもかわいそうな方だなとわたくしはいつも思うのです。
あれ?
わたくしはふと思いました。
いまの状況って、わたくし、悪役令嬢にされているのかしら?
そして、コリンナ様がひろいん?
でもわたくし、コリンナ様に話しかけたことはありませんわね。
「おい、貴様らなにをコソコソ話している!」
あら、癇癪を起こしていらっしゃるクリストファー殿下に見つかってしまったようです。
へらへら笑っていたセドリック様の顔が、緊張から一瞬こわばりました。
だけどすぐに恭しくお辞儀をします。さすが伯爵家の後継者です。
「ブルーム伯爵家のセドリックが、第二王子殿下にご挨拶を申し上げます」
「顔を上げろ」
「第二王子殿下にお急ぎ伝えたいことがございます」
「申してみろ」
相変わらず傲岸不遜な態度ですわね。もしかして自分のこと、格好いいと勘違いされているのでしょうか。
もしここに陛下がいたらご立腹されることでしょう。
「あなたがお探しの証人を連れてまいりました」
瞬間、クリストファー殿下の表情が明るくなりました。
セドリック様のことを仲間だと認識したようです。操りやすい方です。
セドリック様が手を上げると、周囲の人垣のなかから、三人の令嬢が出てきました。三人ともどこかで見たことのある顔をしています。いつもわたくしの周りを飛び回っているコバエ令嬢の方々でした。
「よく来たな、貴様ら! さっそく話すんだ!」
三人のご令嬢は顔を見合わせると、一人ずつ語りはじめました。
「……コリンナ様に嫌がらせをしたのは私たちです」
「でもそうするように頼まれました」
「そうか! それで頼んだのは誰だ。言ってみろ」
「それは、その……」
三人のご令嬢の視線がわたくしに向けられます。
その瞬間クリストファー殿下は手を叩いて歓びました。表情がころころ変わって面白い方です。
「そうか、やはり、エリザベスが――」
「違います!」
髪の長い令嬢が声を張り上げました。
その双眸はただ真っ直ぐとあるご令嬢に向けられていました。
「違うのです、殿下」
「な、に……?」
「コリンナ様を虐めるように頼んだのは」
「その……」
「誰だ、誰なのだ」
クリストファー殿下の顔がみるみる青くなっていきます。勘違いとはいえ、公爵家を貶めようとしたのですから、それも当然でしょう。いくら頭の弱い殿下といえども、ベロンティーノ家の権力がどれほどなのか知らないはずがありません。
また訪れた沈黙の後、髪の長い令嬢がポツリと言葉を漏らしました。
「コリンナ様、本人です」
「ち、ちがいます、殿下! あたしはそんなこと頼んでないわ!」
「コリンナもこう言っているッ。もし嘘だったら首を刎ねてやるからな!」
いや、殿下。いくら王族でもそう簡単に貴族の首を刎ねることはできません。処刑には回りくどい長いながい手続きが必要なのですから。
そんなことも知らないなんて、いくらもう立太子が望めないからといって、勉学を疎かにしすぎではないでしょうか。
すっかり怯えてしまった三人の令嬢の前に、セドリック様が立ちます。その立ち姿は遠目に見ると堂々としていてかっこいいのですが、足が小鹿のように震えているのをわたくしは見逃しません。
「殿下。他にもお伝えしたいことがございます」
「なんだ、伯爵家風情が」
「……アップル嬢のことですが、いろいろとよくない噂があるようで」
「それはエリザベスが広めた根も葉もない噂だろう」
「いいえ、違います。これはアップル嬢の日ごろの行いについてなのです」
セドリック様の言葉が続きます。
「婚約者のいる男性にベタベタしている。先生に色目を使って成績の改ざんをしている。それだけならまだしも、婚約者のいる男性と不埒な関係をしているなど。証拠がいろいろと上がってきているのです」
「嘘です! そんな事実はありません。ああ、なんてこと。どうしてみんなあたしを悪者扱いするの!?」
これが悲劇のひろいんというものでしょうか。
どうやらコリンナ様はご存じではないようですが、社交界ではむやみに感情を顔に出してはいけないのです。なぜならそこを付け込まれてしまったら最後、社交界の笑いものになってしまうのですから。
「コリンナもこう言っておる。貴様、嘘だったら承知しないぞ。おまえの首も刎ねてやる」
ですから殿下、いくら王族でも貴族の首を簡単に刎ねることはできないのです。
「証拠はあるのか!」
「証人を呼んでいます」
「ならさっさとその証人を出さぬか!」
「それならさっきからずっとここにいますよ」
セドリック様は微笑みます。それは勝利を確信した笑みでした。
セドリック様が右手を上げると、それを待っていたかのように周囲にいた学園の生徒が口々に捲し立てはじめます。
「コリンナ様は私の婚約者とくちづけをしているのを目撃しましたわ。それも一回だけじゃなくて何回も。それを注意したら泣かれましたの」
「歩いていたら突然腕を絡めてきて、体を触るように強要されたこともあったぞ。すぐに断ったけどな。でもそのあと、僕が無理やり迫ったと婚約者に話されて、大変なことになったよ」
「コリンナ様が……」
「だからアップル嬢が――」
「それから――」
コリンナ様は思ったよりも厄介な方だったようです。関わらなくて正解でした。
噂というのは尾ひれがつくものです。事実が脚色されて、次第にそれは面白い虚構の部分が抽出されたものを人は噂することがほとんどです。それが真実かどうかは関係ありません。
ですがいま語られているのは「噂」ではなく「真実」。目撃者や被害者は多数にわたり、それを「嘘」と言える人はほとんどいないでしょう。
それこそクリストファー殿下や、標的となっているコリンナ様も。
ふたりとも顔面が蒼白になっています。
「そんなの全部デタラメよ!」
「そ、そうだ! 伯爵家風情が第二王子である私を貶めようとしているのか!」
「残念ながら殿下。これらはアップル嬢の日ごろの行いの悪さが露呈してしまっているからかと」
「うるさい。ブルーノだがブルームだかよくわからんが、伯爵家風情が私を馬鹿にするな!」
失礼なのは殿下の方です。ブルーノ伯爵家も代々続く由緒正しい貴族の家系ですわ。それを貶める発言、そろそろ自分の品位を損なっているということにお気づきではないのでしょうか?
「殿下、この人たち怖いですぅ」
「ああ、いますぐこいつらを捕らえてやるからな。王族を愚弄した罪、その命を持って贖うがいい! 衛兵! ……衛兵?」
舞踏会場には万が一の時のために兵士が多数配置されています。
そして今朝、わたくしは万が一の時のために、陛下と取引をしております。
自分の命令に従うものがいないことに気づいたクリストファー殿下は、あろうことかセドリック様の胸倉を掴み上げました。開いてる方の拳が握り固められています。
もしかして、暴力を振るおうとされていらっしゃる?? セドリック様に??
「殿下。それ以上はいけません。いくら殿下といえども、咎のない貴族を殴ったら罰を受けなくてはいけなくなりますわよ」
「ええい、うるさい。黙れ!」
わたくしの言葉にも乱暴に言い返す始末。
これはもういよいよ、かしら。
これ以上王族の恥をさらす前に、クリストファー殿下にはお引き取り願わなければいけません。
セドリックと目が合うと、彼は片目を閉じました。あれは確かうぃんくというもので、合図になっていたはず。
わたくしは右手を上げます。
「なにを笑っている、伯爵家風情が」
ああ、さらに王族の恥が上塗りされていく。
殿下、そろそろ黙ってくださらないかしら。
クリストファー殿下の握り拳が勢いをつけてセドリック様の頬を殴ろうとしたとき、会場の扉が勢いよく開いて数名の兵士が駆けつけました。王家に仕える兵士たちです。
兵士たちはクリストファー殿下とコリンナ様を捕らえると、喚きながら王族の恥をさらし続ける憐れなお方を担ぎ上げて、会場を後にしてしまいました。たぶんその時間は一分にも満たなかったでしょう。
あっという間の出来事でした。
静かになった後、ほっと胸を撫でおろす声がそこここから聞こえてきました。
わたくしもこれ以上殿下が恥をさらさなくて安堵しました。
先ほどまでの緊張感は霧散して、安らいだ空間に止まっていた音楽家たちの音色が流れてきます。
コツ、コツと足音が歩み寄ってきて、セドリック様が右手を差し出して跪きました。
「ベロンティーノ嬢。いえ、エリザベス様。俺にあなたと踊る栄誉を授けてくださいませんか?」
「今夜の立役者ですもの。もちろんですわ」
わたくしたちが踊り出すのを合図に、やっと舞踏会が始まりました。先ほどまでのことがまるで何事もなかったかのように、まだ若い令嬢令息が踊り出します。
「それにしても、いったいどこまで読んでいたのですか?」
わたくしの言葉に、セドリック様はフッと笑います。格好つけようとしているようですが、彼の人懐っこい顔に似合っていないのはご愛嬌ということでしょうか。
「前もお話ししましたが、俺にはこの世界ではない、別の世界の記憶があるんです」
「前世の記憶、でしたか。にわかには信じられませんが、あなたは時々よくわからないことをおっしゃいますものね」
セドリック様と出会ったのは、第二王子殿下と婚約した後のことでした。彼はブルーノ伯爵の後についてわが公爵邸を訪ねて、そしてわたくしの手を取ってこうおっしゃいました。
『夢みたいだ! 君と逢えるなんて!』
レディの手を許可なく触るのは無礼に当たります。わたくしはすぐに彼の手を叩き落としました。
それから度々セドリック様は公爵邸を訪ねては、夢のようなよくわからないお話をされました。
『俺は前世ではずっと寝たきりだったんだ。そんな俺の唯一の楽しみはゲームをすることで、死ぬ前も妹に勧められた乙女ゲームをしてたんだけど、そこに出てきた悪役令嬢がとてもかわいくって。あ、悪役令嬢って君のことだよ』
その時、つい彼の顔を叩いてしまったのは当然といえば当然の報いでしょう。
彼はわたくしのことを「悪役」という不名誉な言葉で貶したのですから。
でもすぐに彼の弁明により、悪役令嬢という言葉の意味はなんとなく理解できましたけれど。
『ゲームのエリザベスは、婚約者の第二王子のことが大好きでね。でも素直に自分の気持ちが言えないものだから、ついつい王子に悪態を吐いてしまうんだ。あ、君ではなく、ゲームのエリザベスのことだからその手は降ろしてくれると助かるなぁ』
『――と、とにかく、俺はそのときに、生まれ変わったらエリザベスの身の回りのお世話をする役をしたいなって、思ったんだ。それこそ執事のように付き従って、エリザベスに害をなすものはぎったんばったん薙ぎ払って、エリザベスの護衛執事になりたいって!』
いまとなっては懐かしい思い出です。
「――それで、少しわからないことがございますの」
「何でも聞いてください」
「あの三人の令嬢はどうして、コリンナ様の指示に従って彼女をいじめたのでしょうか?」
「ああ、それは簡単なことですよー。アップル嬢が未来の王太子妃になると自慢気に言っていたようで、そのおこぼれに与ろうとした結果だそうです」
やはりコバエ令嬢は、コバエ令嬢だったみたいです。
「それから殿下以外の攻略対象――殿下の取り巻きのことっす。彼らにも婚約者がいることはご存知ですよね?」
「ええ、もちろん」
「婚約者がいるにもかかわらず、アップル嬢といちゃいちゃしている証拠を彼らの両親にお渡ししたんすよー」
「いちゃいちゃ? それって不埒な行為のことでしょうか」
「そうです。口づけをしたり、まあ、ゲームは全年齢向けなので、それ以上の行為はないはずなんすけど――どうやらあのヒロインも転生者みたいで」
「てんせいしゃ?」
「俺と同じで前世の記憶を持って生まれてきた人間のことをいうんです」
「つまり、コリンナ様もげーむのしなりおを知っていたということですのね」
「そうなんっすよー。ゲームと現実は違うというのに。それもわからずにゲーム感覚で攻略対象だけじゃ飽き足らずに、いろいろな男子生徒に粉をかけていたおかげで、証拠が掴みやすくて助かりましたけどね」
にっこり微笑む姿は子犬のようですが、その目の奥にはなんだか牙を持った獣が棲んでいるようにも見えるのは気のせいかもしれません。
セドリック・ブルーム。彼は執事になりたいとか申していましたが、執事よりも諜報員などのほうが向いていそうですわね。
「まあ、とにかく殿下以外の攻略対象者は、いまごろ親からこっぴどく叱られているんじゃないですかねー」
「……そうですか」
「ほかには、なにか知りたいことあるっすか?」
「そうですね、それなら……」
ターンをして回り、セドリック様の手がわたくしの腰を掴みます。
それにむず痒い気持ちを感じてしまうのはなぜなのでしょうか?
「げーむでのわたくし――エリザベスは、どうなりましたの?」
「ゲームのエリザベスがヒロインに嫉妬して虐めたあげく、ヒロインを暗殺しようと企むんです。それが王子にバレて、婚約破棄をされて国外に追放されてしまいそのまま行方知れずになっちゃいます」
「……そうですが、やはりそのしなりおは、現実味がありませんわね」
「そうそう。現実はシナリオ通りにはいかないっすからねー」
「……そうですわね」
げーむのエリザベスは、第二王子殿下のことを心の底から慕っていたのかもしれません。だからこそひろいんをいじめてしまったのでしょう。
でも現実はそんなことでは生ぬるいのです。ベロンティーノ家の権力を使って、まずアップル男爵家をあらゆる手を使って孤立させ、爵位を奪ったりすれば、おのずとコリンナ様は学園から姿を消さざるを得なくなっていたのですから。
げーむのエリザベスはそれらの知恵がなかったのでしょう。それとも話をおもしろくするために、そんな粗雑な「しなりお」になってしまったのかもしれません。
「なにはともあれ、すべては丸く収まったということで」
セドリック様がにっこり微笑みました。
最初の曲が終わり、お辞儀をすると、わたくしたちは会場の真ん中から隅の方に移動することにしました。
「それで、エリザベス様はこれからどうされるんすか?」
「婚約破棄は不名誉なことですが、今回は王族の過失となりそうですので、その心配はしなくても良さそうです」
「へー。じゃあ、婚約者また新しく探すんですよね? 俺、立候補したいなー、なんつって」
「……立候補?」
それはつまり、セドリック様がわたくしと婚約されたいということ?
ですが、それは、まだ、まだ早いと思いますの。
なぜなら、わたくし……わたくしは――。
「あなたのこと、お慕いしていないのですもの」
ついつい顔を背けてしまいます。
セドリック様と目を合わせていると、胸の奥がモヤッとするのが苦しいのです。
「あ、そうっすよねー」
残念そうな声がどこか寂しそうで、わたくしの胸がギュッと締め付けられるような感覚がしました。
これは、いったいなんなのでしょうか。
「でも、エリザベス様」
ふと手を掴まれます。顔を向けると、跪いたセドリック様がわたくしの目を見て微笑みました。人懐っこい子犬のような笑みでした。
「俺は、いつでもあなたの傍にいますから」
そう告げると、セドリック様はわたくしの手の甲に額をつけました。それはまるで騎士の誓いの様で、わたくしの全身がほてっているような、そんな温かい気持ちが胸いっぱいに広がり――。
「………………」
お、おかしいですわ。
セドリック・ブルーム。彼に魅力を感じたことなんて一度もないというのに。
ふわふわの栗毛も。にっこり笑うと空気が穏やかになる感覚も。明るく爽やかな声音も。落ち着いた眼差しで見つめられるのも。なれなれしい言葉遣いも。騎士団に入るわけでもないのに幼い頃から鍛え続けてきた体格も。こうやって恭しくわたくしを慕ってくれる姿も。甘いお菓子が好きで食事より甘味を優先して虫歯で苦しむ姿も。前世の話を語る時の寂しそうな眼差しも。先ほど殿下と相対していたときの凛々しい顔つきも。まるで子犬のように人懐っこくわたくしの後をついてくる姿も。お茶を飲むときに小指を立てる仕草も。転んでもすぐに起き上がってはにかむ姿も。一緒に勉強をしているといつの間にかスヤスヤ寝ているときの寝顔も。わたくしの手を掴むとき、意外と男らしい手をしているななどと考えてしまうときも。
な、なにひとつ、好きになる要素なんてないはずなのに。
彼の言葉で、心が温かくなるのは、どうしてなのかしら。




