4 カメリアの封印―道は、貴方の為にー⑨
イリヤは付き合い程度にそれに抵抗するそぶりを見せた。やろうと思えば今すぐ『火』を召喚して自分達を燃やし尽くす事も出来るのに、何故かそうしようとはしなかった。剣を振るう事もせずに、ただ『水』の守護の維持に努めるだけだった。
――リドゥには薄々分かっていた。生きる証を求めてさまよう人。そしてそれが手に入った後の人生は、もう要らないんだろう――?
この結界を破った後の事なんて分からない。ヴァーンがどうするのかなんて心から理解出来はしない。ただ、『多分』に従って、分かるような気持ちになって、そうしたら今自分が為さなくてはならないのはこの結界を破る事だと答えが出た。だから、行かなくては。
やがて何度もはね返った剣は少しずつ手ごたえを感じさせてきた。かん、と言う鈍い金属音からがん、と刃こぼれのしそうな低音へ。滴り落ちる汗を何度も拭ってリドゥとライカは同じ場所を一心に攻撃し続けた。
『水』の守護が消えたのは唐突だった。はじけ飛んだしずくが顔にかかって、イリヤの頬を滑り落ちる。
「……」
イリヤは沈黙したままそれを拭った。あの日と同じ。既視感が身体を苛む。今も渦巻くのは嵐の後、彼女の名だけだった。赦されようとは思わない。同情を買おうとも思わない。何もかもが無に帰すだけだ。何も言えない言葉は、静寂のうちに全てを語る。
抜いた刀身は鈍い輝きを放った。これを振るうのに残された時間は後わずか。
『――死ぬ気になれば、何でも出来るんだろう?』
そう死ぬ気になれば。否、真実この命が尽きそうなのであれば。背後に文字通り永遠の河が控えている状態で。その時こそ、全てを超えて辿り着く場所が有る。それは君への回帰。心を封じ込めた椿の花びら。
「――アーデルハイト……」
真の名は、何よりも強い力を持つ。それは精霊使いである自分が一番良く知っている。
「……」
その後イリヤは小さく何かを唱えた。青と、赤と、緑の光が渦巻いて一気に空へ還ってゆく。
「ヴァーン!!」
「おう!!」
エセルがロッドを高々と上げて叫んだ。瞬間、エセルの創り出した結界がヴァーンの身体だけを包む。それを見届けてから、エセルは花が手折られるようにして倒れ込んだ。
「頼んだわよっ!!」
ライカも叫んだ。立っているのがやっとなほどに消耗しながら。でもこれだけは言いたい。声の尽きる限りに。
荒い息の合間、額に浮かんだ汗を拭う。それでも精霊を解放したイリヤ・エヴァレットが先程より数段上の戦闘意欲を見せたのをしっかりと捉えた。
「――今だ!」
言ってリドゥが素早く自分の剣――否、正確にはクリスの剣だった――をヴァーンに投げ渡す。それをしっかりと受け取って、ヴァーン・ディーは一気にイリヤに向かって走り込んだ。両手で握り締めた剣を大きく振り上げる。
瞬間、イリヤ・エヴァレットはひどく穏やかに微笑んだ。望んだ結末が近づいている。
ここまで自分がしてきた事を思えば穏やかな自然死は到底望めないであろう状況だった。結局は、一番憎んだ王妃と同じ場所に堕ちていた。日々身体は彼女に近づいているのに、心はどんどん遠ざかってゆく気がした。自分の中で、人間的な部分とそうあろうとする部分がせめぎあっている様だった。――彼女は死を望んではいなかった。そして復讐を望んでいたかもしれない。けれど、けれど、けれど――!
走り出した心は最早止まらぬのだ。間違っているのだとか、正しいのだとか、そんな事は本当は関係ない。たとえ世界中の人間に非難されようとも、自分すらその正しさに絶対の自信を抱けなくとも、誰にも赦されなくとも、たった一瞬の為に己が信念を貫き通した。それは彼がクリス・マクドゥールの中に見出そうとした鮮烈な光を放つ『生』そのものだった。
望んだ結末が近づいている。