4 カメリアの封印―道は、貴方の為にー⑧
「……」
客間では無言のままライカとヴァーンとエセルがイリヤ・エヴァレットと対峙していた。ふっとリドゥの姿を視界に拾ってライカの表情が明るくなる。それに気付いたヴァーンが振り返り、次の瞬間血まみれの彼を驚愕した顔で見つめた。
「お前、それ……!」
「……ああ」
リドゥは今気付いたかのように頬にまで飛び散った鮮血をぐいと手の甲で拭った。
「――僕のじゃない」
言って、引きずるようにして手にしていた剣をしっかりと構える。その剣には一滴の返り血もついていなかった。その代わり、真紅のルビーがしっかりと嵌まり込んでいた……。
斬ったわけじゃないのか、と、ほっとしてヴァーンが向き直る。
「……。予言は違えたな……」
それを瞳を細めてイリヤが見つめる。真昼の太陽は燦然と輝いていた。ほんの少し西に近寄りながら。
「――さあ、戦って俺に勝ったのならば、望む答えを渡そう」
不敵と言うのではなく、諦めたわけでもなく。上手く名を呼べない不思議な微笑みを浮かべてイリヤはあの時のようにすっと右手をあげた。発動したのは『水』の守護。薄く透明な壁が彼を精一杯包む。
ライカが渾身の力を込めて投げたナイフはそれに弾かれて床に転がった。リドゥが何度斬りつけてもそれを破る事は出来なかった。ヴァーンは素手で何度も何度もイリヤを掴もうと必死になっていたが、その度に手のひらは空をさ迷った。何処か遠い世界で行われている出来事のように、イリヤは彼らを見つめていた。そしてひどく正確にエセルの張った結界の間隙を縫ってぴっとヴァーンの頬を斬る。
「……っくしょう……!」
なすすべなく息を上げてヴァーンがそう呟いた。どうすればいいのか分からない。隣りのエセルは結界を保つのに必死でロッドから目を上げようとしない。その真摯な横顔にうたれてヴァーンは必死に打開策を思案した。
「何で破れないのよ?!」
いらいらとライカが声を上げる。
「……」
リドゥは黙ったままでイリヤの瞳を見た。綺麗な翠の瞳は全てを映しているようで何も捉えてはいない。
(――理由は、何だ……?)
あの時城に現れた彼は。
『――罪は罪。それに似つかわしい裁きと復讐を……』
いずれこうなる事は予想がついていたはずだ。たとえ自分達がなさなくとも、誰かが必ず彼を滅ぼす。復讐と言う名の消えない闇。永遠に廻り続けるメビウスの輪。――そして、その輪を廻したのは……。
「――アーデルハイト。王妃が彼女を殺した。……理由は、それで充分だろう?」
彼の心を読み取ったかのように、静かにイリヤが答えた。それ以上は語ろうとしない。けれどどんな理由が存在しても、自分自身で口にしたように、罪は罪で。それに似つかわしい裁きと復讐が存在する。
それでも、全ては、
ただ一重に彼女の為。そしてそれは翻って自分の為。
忘れる事すら出来なかった。刹那に感じた思いは忘れたくなくても忘れてしまうのに、彼女の存在だけはどれほど時間をかけても消す事が出来なかった。
死にたかった筈はない。生きたかった理由は有る。永久に聞く事の出来なくなった台詞や、その先に広がる未来。それらを閉ざす権利は誰にも無いのだ。たとえ我が子を守る王妃であっても。
「……」
その思いのしなやかな強さにリドゥは瞳を細めた。ある意味、自分達は同志だった。同じように様々な物を奪われて。生きていく気力は根こそぎ倒された。世界は瞬時に色褪せた。
ただ、違ったのは、自分には本物のカメリアの紋章入りのピアスが有り、クリス・マクドゥールがいて、ライカ・サファイアとヴァーン・ディーとエセル・ウォーレンに出会った事だった。もしこれらが無かったならば。多分、自分は彼と同じ結論に達していたのだろう。――ただ、復讐を、と。そんな事をしても失ったものは二度と取り戻せないのもあの場所には二度と戻れないのも知りながら。自らの傷を広げるだけだと分かっていながら。それでも生きている証を、信念を求めて人はさまよう。そしてそれが手に入った後の人生は――。
「……ヴァーン」
彼は小さくそう呼びかけた。
「何だよ」
振り向かずにヴァーンが答える。
「――あの結界は僕とライカで破る。そうしたら、ヴァーンが行ってくれ。……でも、それは『復讐』でも『断罪』であってもいけない。ただ――」
「……」
ふっとヴァーンが笑った。
「……えらく自信があるじゃねえか。ちゃんと破ってくれるんだろうな。――分かってるよ。俺達はあいつと同じ事を繰り返しちゃいけない。ただ、俺は俺の道の為に。お前もそうだろう?」
「……ライカ!」
多くを語らずにリドゥはそう叫んだ。大きくライカが頷く。一人では無理でも。二人で同じ場所を攻撃し続ければ、いつかは。