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3 君への回帰⑤

 大事なものがいつもあった。周りの人々は言うに及ばず、この国だってそうだし、城にあった樹もそうだった。

 あの時、燃えてしまった樹。あそこには始め別の樹が植えられていた。それが自分は大好きだった。しなやかに伸びた枝と、程よく茂る葉と、触ると優しく弾む幹。耳をつけると、微かに水の流れる音がした。

 だから、嵐の晩は心配だった。倒れてしまわないかと。そして、折角つけた新芽が落ちはしまいかと。数日前、彼と一緒にこの樹に登った時に、見つけた新芽が。――勿論、こんな日に誰も自分を外に出してはくれない。少しでも窓の外に興味を見せようものならば、「王子、今日は危ないですから外出はお控え下さいませ」という言葉が返って来るばかりだった。その過保護さに軽く苛立ちを覚えながら、自分は彼を振り返った。

『――やっぱり、ちょっと行ってくる。お前はみんなを誤魔化しておいてくれないか』

 自分がそう言うと、彼は、すぐに、私も参ります、と言ってくれた。その気持ちはとても嬉しかった。彼にとっては多分何の得にもならない作業だろうに、わざわざ一緒に行くと言ってくれたのは嬉しかった。彼はずっと自分といたし、嫌なことはきちんと拒否していたから。

『いいよ、危ないから』

 自分はそう答えたけれど、結局彼はメイドからどうやったのか、二着のレインコートを借りてきて自分に一つを差し出した。それに袖を通して自分達は外へ出る。窓から見ていて思い描いていた以上に雨は強かった。雨粒がびしびしと当たって痛いほどだった。

 もう声も豪雨にかき消されてよく届かない。こんなところについて来てもらって済まないと思いながら自分はコートのフードから手を離すと、代わりに樹の幹を掴んだ。――新芽が心配だったのだ。登って何かで覆いをかけたかったのだ。

 下で彼が何か叫んだのが聞こえた。やっぱりよく聞こえなかったから、え、と聞き返す。

『危ないですよ!』

 次の台詞はしっかり耳に届いた。本当はありがとう、と言いたかったけれど、自分は平気だよ、と返すと、そのまま作業を続けた。あんまり長い台詞を言っていると登る方が疎かになって、本当に危なくなってしまう。雨は自分の指を剥ごうとするように上から降りつけ、幹を伝って降りつけている。神経を集中させないと。

 どれくらいかかったのかは分からないけれど、ようやくこの前の新芽のあった場所に自分はたどり着いた。まだそれは残っていた。

(良かった)

 すぐにポケットから小さい袋を引きずり出して、覆いをかける。これがちゃんと助けになるのか不安だけど、何もしないよりはずっと良いはずだ。

 降りる時はちょっと気が抜けたのか危うく落ちそうになってしまった。直ぐに彼は自分を助けてくれた。

 けれども頑張った甲斐なく晩に樹は風になぎ倒された。翌朝、晴れた空の下にあったのはぐちゃぐちゃになった樹の残骸だった。――自分は守りきることができなかった。ひとの無力さを感じた瞬間だった。……でも、何て言うのだろうか、自分はそこに力に対する絶望を見出してはいけない気がしたのだ。確かに守りきれなかったけど、それを後悔し続けるだけだったら、もう自分は進めない。だから、この次に同じ過ちを繰り返さぬよう努力をする方がきっと良い筈だ。もちろん、簡単に忘れることなんて出来ないけれど、でもそれでも頑張るのが人生なのかな、と思ったのだ。温室に育つ自覚がありながら、そのままそこに留まる自分はこんなことでしか人生を考えることが出来ない。この機会は逃がしてはならない。

 やがて、庭の改装工事が始まった。あの場所にはもっと高い樹が植えられた。そこからの眺めも自分は気に入った。

 だから。

 今度はもっと努力しておこうと、自分は庭師に強引に頼みこんで一緒に『補強』作業を始めた。簡単に倒れぬように。そしてそれはこの手でやらなければ意味がない。

 そうやって一生懸命作業を続けていると、ふと隣りに影が落ちた。顔を上げると、彼だった。

『私もお手伝いします』

 ――お前は良いのに、と言おうと思って、やっぱりやめた。もっと良い言葉を捜す。

『ありがとう』

 これしか見つからなかった。


 大事なものがいつもあった。周りの人々は言うに及ばず、この国だってそうだし、城にあった樹もそうだった。

 今だって、新しい大事なものが増えている。ひとの心は不思議だ。いっそ、愚かだと言い捨ててしまえるかもしれないほど、どんなに死にそうになろうとも僅かな光を探して、そしてそれを見つけたならばもう一度立ち上がろうとする。自分にはその光が有った。それが自分を照らしてくれた。あの日々、自分は確かに幸せだったと。恵まれすぎている人生を何の疑問も抱かずに享受していた日々は、その全てが崩れ去った今思い返しても、どれだけ痛みを伴おうが、やはり幸せだったのだと感じている。いや、そう感じることができるようになった。瞳は閉ざしていても、触れる光を感知することが出来るように。ひとって容易に全てを捨てきれない。さまよう間も何処かに自分を残していた。否、戸惑いの嵐の中で、さまようことを選んだのが自分の選択であったのかもしれない。投げ出した腕で大地に触れる。変わりない土の感触がそこには有った。 そして――そっと、聞こえる、声を、逃がさずに、生きて……。

 そして彼には、その光があったのだろうか――。

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