2 もう戻れない場所⑦
『――王子』
なんだい、と『王子』が振り向く。彼が腕に抱いた小さな黒猫がにゃあ、と鳴いた。優しくゆるやかな笑顔。幸せとか純粋とか、そう言った類いの言葉を体現するならばこうなるだろう、と言った見本のような姿。柔らかな金髪は光を背にして煌く。笑顔、ということは分かるものの、逆光で上手く顔全てが分からない。
『――必ず』
切れ切れに耳に届く言葉。
『助けに』
その顔は誰のもの。その唇は誰のもの。その栄光は誰のもの。その、
『行くよ――』
心は、誰のもの――。
自分の代わりに死する運命を課せられ憐れと思うのでもなく、本来自分の場所であったところを、何の疑問も持たず占有しているのをただ嫉ましく思うのでもない。そんなものはどうでもいいんだ。失くなろうがあろうがどっちだって構わない。これは神に挑んだ戦いなのだから、そんな瑣末なことはどうだっていいんだ。勝利はほぼこの手の中にある。決して逃がしはしない、決して逃がしはしない――。
『お前に何かあったら必ず助けに行くよ』
撃ち抜かれるように。燃え尽きるように。
さあ、と光が溢れ出す。
そして、まどろみの中から現実の世界へ。
(――誰か)
その金髪の間に指をくぐらせながらクリスは呟いた。
誰か、もっと心安らかな眠りをくれないか、と……。
永い永い間、寄り添うようにして伸びていった光と影は、ある日を境にその立つ場所を変えた。