表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
74/96

2 もう戻れない場所④


 外ではいつしか雨が降り始めていた。この城の大きな天窓を雨粒がさあっという音を立てて流れ出す。静けさの中、響くのは雨音とイリヤが彼女を抱き寄せる衣擦れの音だけだった。

『……連れて帰って構いませんでしょうか』

ふとイリヤが公爵の顔を見上げた。突然の問いかけに彼はしばし反応が遅れたが、あ、ああ、とだけ返事をした。

『……。御前失礼致します――』

 イリヤは緩慢な動作で頭を下げるとすっと彼女を抱き上げたまま踵を返した。大理石の床が靴音を作り出す。背中を見せたまま、謁見室のドアが軋んだ音を立ててぎいい、と閉まった。後に残った白い布には幾つもの染みが有った。

『……どうして、どうして……!』

 城門の前で、イリヤはいつもの様に雨をよけることなく身体中に浴びながら呟いた。頬を滑り落ちたのは雨粒なのか涙なのか分からない。ただ、永遠に返ってくる筈のない答えを求め続けていたかった。今までの全てを無にしても、時を戻して欲しかった。

 誰よりも、誰よりも、誰よりも。

(――愛している)

「忘れられない思い出にして綺麗に磨いておいた方が良いわよ」

「――だから、強くなってね」

「貴方はそんなものの力を借りなくても平気でしょう?」

「――ちゃんとエスコートして頂戴」

 ――そして。

「イリヤ」

 名前を。もう二度と。あの声では。

 自分の瞳と同じ色の宝石を選んだ理由をまだ聞いていない。「後でね」は一生訪れない時間と成り果てた。

(……愛している)

 空虚な時間に響き渡るのは彼女の声だけだった。それに重なるようにして、何度も何度も、言葉が、こぼれた。

「アーデルハイト……」

 神聖で冒涜など永遠に赦されないものの名を呼ぶように、けれどそれは薄氷を踏むに似た何処か頼りなげなところが有って。

その指先も美しい黒髪も少しきつめの目元も皮肉げな唇もすっと伸びた背筋も紡がれる言葉も全てをただ、沈黙の空白に。

 けれど全てはここで無に還る。幾ら台詞を連ねたとしても、最早それは届かぬのだから。その気持ちを完全に表現する術を自分は持っていない。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ