2 嵐の前の静けさ③
「――ちょっと、ヴァーン!! あんた今暇なんだろ? お隣りに行ってエセルを夕食に呼んできとくれ! 今日はお隣りはエセルを置いて出掛けたらしいからね」
その頃、王宮のあるフォーディーンよりもずっと田舎で、その分空が近いこの村、メグレスではディー夫人が夕食の支度に追われながら息子を呼びつけていた。
ヴァーンと言う名のその息子は、分かったよ、と返事をすると隣家へ駆けていった。
「エセル!」
「あ、ヴァーン」
隣りに住んでいる少女は彼の声を聞くと嬉しそうに窓から顔を出した。
「何の用?」
「今日お前んち親父さんとお袋さんがでかけてんだろ? うちのお袋が一緒に夕飯食べようって」
「まあ、いいの? ――良かったわ、独りじゃちょっと寂しいな、って思ってたところなの。おば様のお料理ってとってもおいしいのよね。……待ってて、今行くから」
エセルはぱっと顔を輝かせてそう言い、言い終わるや否やぱたぱたと階段を駆け降りてヴァーンの前にぴょこっ、と現れた。
「お待たせ」
言ってにっこりと微笑む。ヴァーンはそれを僅かに目の端に焼き付けて、じゃ、行くぞ、と背を向けた。頷くエセル。彼女は何処か嬉しそうだった。
「ああエセル、いらっしゃい」
家に入ると、すぐに母親がエセルの姿を認めて瞳を細めた。
「こんばんは、おば様。呼んでくれて嬉しいです。おば様のお料理はいつもおいしいですし」
気負うところ無く答えるエセルに彼女は、私もこんな素直な娘が欲しいねえ、と呟くと側にいた夫にスープの入った皿を手渡した。
「はい、エセルちゃん、いらっしゃい」
「こんばんは、おじ様。一緒にお夕食頂きますね」
「やっぱり女の子はいいねえ、何か華やかで。――ヴァーン、お前もエセルを見習って少しは行儀良くしたらどうだい」
「……。親がこうじゃ上手くいくもんも行かねえよ。大体それが十八の息子に言う台詞か? 行儀良くしろ、だなんて子供じゃあるまいし」
ヴァーンはむっと口を尖らせながらそう言った。それを聞いた母親はほれ見た事か、と呟くとエセルの方を向いた。
「ほらそう言うところが子供だって言うんだよ。……さ、冷めない内に食べとくれ」
「はい、いただきます」
エセルは素直に頷くと、ほら、ヴァーン、と彼を促した。
「……いただきます」
「バカ息子にはやらないよ」
台所の方で背を向けて母親が叫ぶ。ヴァーンは負けじと何だよいい年してむきになりやがって、と怒鳴り返した。息子と妻の罵声に挟まれて、父はおっとりとエセルに話し掛けている。
「……今日はウォーレンさん達はどこに行ったんだい?」
「あ、えっと、フォーディーンの城下町に行くって言っていました。良い布が入ったって連絡があったんです」
「ほう、そうなのか。じゃあ帰りは大分先なのかい?」
「ええ、多分そうです。父さん達、滅多に城下町まで行かないからたくさん買ってくるだろうし、やっぱりここからはすごく遠いですものね」
「そうだねえ。私なんて恥ずかしながらこの年になってもまだ城下町には行った事がないんだよ」
あらそうなんですか、とエセルは睫毛を瞬かせた。
「でも私も一回しか行った事はありませんけど、すっごくお城が大きくて綺麗なんですよ」
「へえ」
「俺も行ってみたいな」
ようやく母親との舌戦が終了したのかヴァーンが不意に口を挟んできた。
「もうじき祭りが始まるんだろ? エセルの親父さんとお袋さんはいい時期に行ったよな。あー羨ましい」
「そうね、再来週だっけ、王子様のお誕生日って。今年は成人の儀だから盛り上がるでしょうね。――ね、ヴァーン、一緒に行きましょうか」
「え?」
がしゃんと思わずスプーンを取り落としてヴァーンが返事をする。エセルは自分の思い付きに酔ったようににっこりと微笑むと、
「父さんと母さんの泊まってるとこは分かってるの。私もジュリアード様のとこ行くのお休みして行くんだから成人の儀まではいられないだろうけど、でもずっとお祭りだからいいわよね。ね、行きましょ?」
と言ってずい、とヴァーンに顔を近付けた。
「エセル、早まるんじゃないよっ。うちのバカ息子と二人旅だなんて!!」
ヴァーンの母親が間髪入れず叫ぶ。
「何だよそれっ!」
負けじと叫び返したヴァーンにディー夫人はさらりと返した。
「何って言葉通りの意味だよ。お前なんかにエセルを任せられるものかい。あたしゃ心配で心配で夜もろくに眠れないよ」
「おいおい二人とも、エセルちゃんが困っているだろう」
二度舌戦の火ぶたが切って落とされようとしたところに、父親が困り果てた様子で割り込んでくる。
「あ……」
「あ、大丈夫ですよ、おば様。こう見えてもヴァーンって結構頼りになるし。万が一盗賊にあっても一応私も結界作れますから、ね?」
駄目押しのようにエセルはね、と首を傾げ、最高級の微笑みを浮かべた。邪気のないその笑みに二人はすっかり毒気を抜かれ、ディー夫人の方も、
「まあ、エセルがそう言うんなら……」
と言葉を濁したが、いつもの調子で、但しうちのバカ息子が何かやらかしたらすぐ逃げてくるんだよ、それと危険な時は遠慮なく盾にしていいからね、と付け加えるのを忘れなかった。
「本当に自分の息子なんだと思ってんだよ……」
不機嫌そうにヴァーンが呟く。そんな中でエセルは自分の思い付きが無事受け入れられて一人嬉しそうに小さく歌を口ずさんでいた。