4 追跡⑫
クリスの話をし終えると、リドゥはそっと睫毛を伏せて笑った。思ったより嫌なものではなくて、それどころか楽になったのに驚いたのだ。勿論今だって辛くない筈がない。けれどそれとは違う次元で心が少し楽になったのも本当だった。
「――城下町の王子の肖像画は、素敵でした……。私この国に生まれて良かったと思ったんです。だってあんな綺麗な瞳をした人が私達の王子なんですもの」
「……」
透き通るエセルの声にリドゥは沈黙を返す。
「――それちょっと誉め過ぎじゃない? だあってあたしすっごく苦労させられたもん、ねえリドゥ」
さらりとライカがエセルの台詞に対し突っ込みを入れた。本当に『普通』に。
「――世の中って本当に何が起こるか分かったもんじゃねえな……」
ストレートに驚きを隠さずにヴァーンが呟いた。
「――別に」
誰に返事をするともなくリドゥは言う。口癖になってしまったようなこの台詞は、ひどく便利だった。
「だからそれやめろって何度も言ってるでしょ?! だいたい誰に返事したのよ、それじゃ分からないじゃない」
「ライカ、お前ちったあ驚いたらどうだよ……」
半ば呆れ声で言ったヴァーンに、ライカは不思議そうな瞳を向けた。
「何で? 充分驚いてるわよ、ほら。てっきり貰い物だと思ってたし、これ」
そしてサファイアのピアスを掲げる。ヴァーンとエセルはそれをまじまじと見つめた。小さいけれど精巧なカメリアの封印が刻まれている。
「カメリアの封印……」
全ての行いは折り重なる花びらのように重厚に、散る時は潔く椿のように。
幾重にも重なる花びらは思惑、中央に秘めたのは真実。そして名残惜しそうに花びらを一枚ずつ散らすのではなく、花の全てを落として――。
それを守る謂れはもう無いのだ。だから、沈黙のまま身を引く必要は無い。最後の一片が無くなるまで、たとえどれだけ花びらがむしられようとも、立ち続けたって構わない。もう一度、もう一度――。
「……」
震える唇。まだ思い通りにならない身体。揺らぎがちな『心様』――人をつくる根源である心の有り様――。みっともないところばかりだ。だけどこのままここにいても多分一生進めない。退路はさっき自分で断った。それなら。
「……城へ、行かないか……」
振り返るエセルとヴァーン。ライカと瞳が合った。全てが凝縮されたそれでこちらを見る。
「確かめに、行かないか――」
何をとは言わない。違うものが待っているから。誰に問うたのかも言わない。
空気はその流れさえ止めたようだった。呼吸の音が聞こえそうな気がする。自分の心臓の音が響いていそうな気がする。リドゥ・エルは一瞬瞳を閉じた。
やがて一つの声が返る。
「いいわよ」
ライカ・サファイアだった。いいわよ、ともう一度繰り返す。
「一応あんたのお陰で私の家を売らずに済んだんだからね。それに乗りかけた船から降りる気なんて全然ないし。いいわよ、行きましょうよ」
「俺も行く。あの男が城にいるって言うんなら確かめなくちゃなんねえ。何の為にこんなことしたのか、何の為に親父やお袋や村の皆は死ななくちゃなんなかったのか……!」
「――ヴァーン」
「安心しろよエセル、もう間違わないから」
不安そうにヴァーンを見上げたエセルに、彼はちょっと笑って見せた。濁りのない澄んだ瞳で。ふとリドゥはライカを見る。彼女はそれに気付くと少しだけこっちを睨んでみせた。……黙って視線を外す。そのタイミングを狙ったかのように、ヴァーンがもう一度口を開いた。
「……なんかさ、世の中で不幸なのは俺達だけじゃなかったって言うかさ、ああ、上手い言い方が思いつかねえけど、誰でも人生色々あるんだよな。――エセル前言ってたよな、『生きてていいのか分からない』って。いいんだよ。ここにいるんだからいいんだよ。それだけで、理由なんていちいちいらねえんだよ」
エセルはその言葉に嬉しそうに頷いた。
「そうね……。ええ、一緒に行きましょう、皆で。私達の愛する世界をもっと愛するために。こうしてこんな所で出会えたのも、きっとものすごい奇跡なのよ。――ジュリアード様が、呼んで下さったのかもしれないわ……」
元宮廷占い師。全ての根源となる『言葉』を生み出したその人が。
「全ての祈りは愛しい者の為に、そして道は貴方の為に――」と……。
遺されたその言葉を、彼らは知らない。