3 未だ氷の刃⑧
彼らが辿り着いた村は辛うじて地図に載るくらいの小さな村だった。そう、メグレス村のように。――少し自虐的にヴァーンはそう思う。エセルは先程から哀しい瞳をして口を閉ざしたままだ。その原因は間違い無く自分にある。いたたまれない思いでヴァーンはうつむき唇を噛んだ。どうしてあの時エセルに言えなかったのか……。たった一言、「約束するよ」と、そう言えば守りたかった、守りたい彼女はきっと微笑んでくれる。
(そんなのすぐに分かるのに)
考えなくとも、自明の理。ヴァーンの口から自然溜め息が漏れた。……なぜ、思うように人は生きられないのだろうか。最近は後悔してばかりだ。
それでも心に嘘はつけない。たとえついたとしても、その後どうやって生じる痛みをしのぐのか。その術を自分は知らない。だから、正直に生きたい――けれど求める二つのものがそれぞれ全く違う方向を向いていたのだ。それらは反発しあっていたのだ。そんな時にはどうすればいい? 分からない、ましてやそれが秤にかけられないものであったなら尚更に――。
気付けば自分のそんな暗い考えとはお構い無しに、どこまでものどかな風景が広がっている。煙突からゆるやかに立ち上る煙は焼き立てのパンの匂いを運んでいる。道ゆく人達は互いに挨拶を交わし、親しげな様子で笑みを見せているが、かといってよそ者である自分達を排除しようとするような狭い宇宙に生きているわけでもなく、軽やかに様々な呪縛を断ち切っている。――どうしてここに母や父がいないのか。そんな疑問にとらわれそうになった。
ここはメグレス村じゃない。誰も、あの悲劇を知らないんだ――。
そして神様の手のひらを転がるような偶然は、ライカ・サファイアの味方をする。辛うじて地図に載るくらいの小さな村。名は、モルヴァリーと言う……。
周到に幾重にも張り巡らされた『運命』。そこには自らの意思以外の何かが密やかに介在している。それを認めるのも認めないのも個人の自由。懸命に足掻けば、振り切る事は可能であるのもまた事実、僕達は、私達は、一体どこまでゆけるのか――?