3 未だ氷の刃⑦
「……」
先刻からずっと、エセル・ウォーレンは物思いに沈んでいた。途切れてしまったのだ、会話が。
(――どうしたらいいのかしら)
思いがけず、自分の方が早く立ち直ってしまったようだ。ヴァーンは何処か様子がおかしく、見ていてとっても不安なのだ。それが何なのかエセルには分からない。だから、どうすればいいのかも分からない。
一生懸命喋ってみても、どうも上手く行かないし、かえってヴァーンに気を遣わせているみたいだ。彼は感情にまかせて少しだけ棘のある言葉を吐いた後、必ず傷ついた顔をしてごめん、と謝る。それをエセルがいいの、と諭す。
(――そう、あれは私を傷つける為に言ってるんじゃないわ……)
それは分かるから。上手く歩けないのは誰でも同じ。だから、だからこそずっと一緒でありたかった。共に歩む事で初めて行けるようになる場所も有ると思った。――あの時ヴァーンは彼女の問い掛けに頷いた筈だった。
『私達、ずっと一緒よね……』
どうしたらヴァーンは元気になってくれるのだろう。村を焼かれ家族や友人を根こそぎ奪われ、エセルだって悲しくない訳が無い。真実何が起きたのか知りたい。
けれど彼女の中の『心』は、絶え間無く警鐘を鳴らしていた。――あの炎にとらわれてはいけない。それはこの身だけでなく周囲も築き上げてきた営み全ても焼き尽くす。ふと気付けば、失ったものの何と多い事か。そうならない為に、自分自身を守る為に……。
「ヴァーン」
一つの可能性が頭に閃いた。エセルはそれを確かめようとヴァーンの顔を真っ直ぐに見つめた。
彼が求めているのはただ単純な言葉じゃない。エセルを傷つける事でもなく、自分を傷つける事でもない。それでは彼が本当に求めているのは――。
呼ばれたヴァーンがエセルに視線を投げる。昔は――と言ってもそんなに前の事でもないけれどもうすごく前のような気がする――力強い意志が宿っていたその瞳は、今はその輝きに伴う影の方が勢力を増してきている。エセルはそれを哀しく思いながら心を落ち着けるように深呼吸をすると、唇を開いた。
「ヴァーン。……復讐は駄目よ――」
「エセル、俺は……!」
エセルは頭を振ると台詞をそっと滑り込ませた。
「駄目。それは駄目。――ヴァーン、前に私に聞いたわよね、終わってるのか、って」
そして爪先立ちでヴァーンの首を抱くようにする。
「――終わってないわ。少し元気になったら、今度は代わりに罪悪感が募るの……。私は生きていていいのか、って……。どうして私達だけ助かったんだろうか、って。みんなが悔しくない筈は無いわ。苦しくない筈も無い。でも私達は生きている。私達には――いいえ、私には、それを超えるような価値が有るのかな、って……。それに負けちゃいそうになる。よく考えればおかしいんだろうけど、すごく、すごく不安よ……。でもね、ヴァーン、今、私達が考えなくちゃならない事って何? そんな風に自信を無くして生きる事? それとも復讐する事? ――違うでしょ。そんなの違うでしょう……!」
そこでエセルはゆっくりと身体を離した。そしてヴァーンの両腕を掴み、その瞳の中に自分の姿を探す。
「――ちゃんと私を見て。そして約束して頂戴、復讐なんてもう考えないって……」
間違えたくない。私は間違えたくない。エセルは何度も心の中でそう繰り返した。復讐は、全てを飲み込む永遠の闇。光も射さないその果てには、廻り続ける輪が有る。決して満たされない心のままで、次は……。
「……エセル」
瞳を細めてヴァーンが呟く。
「――約束して……」
頑なにエセルは繰り返した。決して瞳を逸らす事なく、痛いほど真摯にヴァーンを見つめながら。それから逃げるようにヴァーンはついと前を見ると、
「……村がある。行こう」
と言ってゆっくりと歩き出した。
「――ヴァーン……!」
エセルの悲痛な声がそれを追いかけた。