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1 沈黙の音④

 自室で、彼は身体をばん、とベッドの上に投げ出し、ちょっと丸くなって天井を仰いだ。精巧な文様が目に入る。リドゥはそれをじっと見つめた。しばらくして、何処か気分が悪くなってくる。彼は慌てて視線を外すと、今度は大げさに首に巻かれた包帯をそっと触ってみた。ごわりとしたような、するりとしたような手触り。鏡に映してみると変に重傷に見える。

 リドゥがそんなことをぼんやり考えていると、背を向けたドアをノックする者が有った。

「――王子」

「何だ」

 リドゥは振り向かずにそのままで声を投げる。メイドが、控え目に先を続けた。

「王妃様がお呼びです。王子のお怪我のことを知られて大層心配なさって……」

「……」

 リドゥは人知れず溜め息をついた。心配してくれるのは勿論ありがたい。だが、少々話が大きくなってはいまいか。自分の怪我ははっきり言ってしまえばただのかすり傷だ。

「……王子?」

 扉の向こうで返事がないことに戸惑ったメイドが再度声をかける。それでリドゥははっと我に返った。

「……あ、ああ、分かった。今行くと母上に伝えてくれないか」

「確かに承りました」

 静かに衣擦れの音がして、メイドが去っていくのが分かる。リドゥはベッドから跳ね降りると、無造作にマントを引っつかんで扉を開けた。ばさりと肩にかけて母――王妃の私室に向かう。

「――母上」

 息を吸い込んで、彼はとんとん、と小さくドアをノックした。言い知れぬ緊張感が背中をそっとなでる。それは母を慕っており、嫌われたくないからなのかもしれなかった。

「――まあ、お入りなさい」

 ややあって、王妃の華やいだ声が聞こえた。もうそうは若くない筈の彼女の声は、それでもマイバハール一の美女と謳われた頃の張りと艶を失っていなかった。

「母上、お呼びでしょうか」

 部屋に入ると、こちらを向いて座っていた王妃の姿が目に入った。声だけではない、その姿もまだまだたおやかで美しい。どう考えても政略結婚でこの国に嫁いだ彼女は、しかし幸せに年を重ねているのだろう。既に嫁いでいった娘が二人、見事に素直に育った息子が、一人。

「ええ、貴方剣術のお時間に怪我をしたのですって? 私心配で心配で……。それで、具合の方は如何ですの?」

「ご心配下さってありがとうございます、母上。でも大した事はありませんから」

 リドゥは微笑んでそう答えた。不安そうに視線をさまよわせていた王妃はそれを見てようやく焦点をリドゥに合わせる。

「そう、それは良かったわ。……ところでクリスは何処にいるかご存知でして? 私あの子に用事があるのだけれど……」

「ああ、クリスなら今乗馬の授業に出ています」

 さらりと答えたリドゥに、王妃は少し目を丸くして聞き返した。

「まあ、王子が授業に出られないのにクリスは乗馬をやっているのね?」

「はい、僕が言い付けたんです。乗馬の先生だって予定をいきなり変えられるのは嫌だろうし、クリスだって乗馬の時間を楽しみにしていたから」

 それは彼の心からの言葉だった。真っ直ぐな、迷いのない瞳で王子は語る。

「……」

 そんな王子を王妃は何か言いたげな表情で見つめていたが、その優美な唇は結局開かれることが無かった。

「――授業が終わったらクリスはきっと貴方のお部屋にお見舞いに来るでしょう、そうしたら申し訳ないのだけれど私のところに来るように言って下さるかしら」

「はい、母上。それでは失礼致します」

 リドゥは慇懃にお辞儀をすると、部屋を出た。


「――王子、具合の方はいかがですか」

 乗馬の授業が終了した直後、約束通りクリスが部屋に現れた。

「お前も見てただろう? あんなのかすり傷だよ」

 肩を竦めてリドゥは答える。それを見てクリスは苦笑いを漏らした。

「そうは言われましても……」

「――ま、いいさ。みんなが僕のことを心配してくれてるんだからな」

 言ってリドゥは手を頭の後ろで組んだ。微かに嬉しそうな顔をしている。

「……」

 クリスは黙ってそれを見つめた。ブルーグレーの瞳の中に物憂げな光が広がる。

「あ、そうそう、クリス、母上がお前を呼んでいたぞ」

 ふと思い出したように、リドゥが振り返った。

「王妃様がですか……」

「そうだ。何の用だかは知らないけど」

 聞き返されてリドゥは軽く肩を竦めてみせる。さらりと陽を映した金髪が揺れた。

「分かりました。これから王妃様の元に参ります。――それでは王子、くれぐれもお大事に」

「ああ分かったよ、ありがとう」

 丁寧に頭を下げたクリスに、リドゥは微笑して緩やかに手を振った。すっとクリスが部屋を出てゆく。それをしばらく見送ってから、リドゥはもう一度ベッドに寝転がった。ゆっくりと瞳を閉じる。そのまま彼は眠りに落ちた。


「――お呼びでしょうか、王妃様」

 クリスが王妃の部屋のドアをノックしてそう言う。王妃はすぐに扉を自らの手で開けると、甘美な笑みを唇の端に滲ませた。

「そんな言い方はよして頂戴、クリス」

「では何とお呼びすればよろしいのですか?」

 皮肉げにクリスが問う。王妃は、それを咎めることもせずに後ろ手でドアをゆっくりと閉めた。

「分かっているくせに……」

「――」

 そして、クリスは彼女の耳に小さく囁いた。

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