1 青春の残像④
ライカ・サファイアは途方に暮れていた。彼女が途方に暮れると言うのは非常に珍しい。いつでも持ち前の強引さで思い付きを押し通す彼女にとって、『途方に暮れる』などと言うのは殆ど死語に近かった。だがここでその言葉は唐突に復活する。
元を正せば、この旅の最初から途方に暮れる事の連続である筈だった。明確にお金を稼げる手段も無く、行き当たりばったりでメグレスを目指し、いるかいないかも分からないし腕の保証も無い占い師を頼りにするこの状況では。
だから途方に暮れるのは本来当り前と言えばあまりに当り前な結果だった。だが「ま、何とかなるでしょ」と言った類いの楽観的考えでここまで来たライカにとっては、ちょっぴり不本意な結果だった。
(あーもうどうしよう……)
――つまり、端的に言えば道に迷った揚げ句お金も底を尽きそうなのだ。
直線距離にすればもう着いていてもいい頃なのに、一向にその気配が無い。それどころか延々と続く一本道ばかりで町や村は全然見当たらないし、よく考えてみれば人とすれ違ったのって何時間前のことだっけ――?
(まずい、完璧にまずいわこれって)
「ちょっと、何で誰も通らないのよ。道なんだから誰か通るのが当り前でしょ?! ついでに立て札くらい立てといてよ、ここってどこよ!」
空に向かって八つ当たりしてみたものの当然返事が返るはずもなく、ライカは空しくなって道端の石を思いっきり蹴り上げた。石は見事な弧を描いて空に吸い込まれるように飛んでゆく。
あーあ、と彼女は溜め息をついた。野宿は何としてでも避けたい。それだけは、避けたい。
絶対に人を見つけなくちゃ、とライカはとんとん、と軽くステップを踏んだ後全速力で駆け出した。
本気で走り出してから早二時間。いくらライカの運動神経が並みよりはかなり発達しているとは言え、いい加減疲労もピークに達してきた頃だった。ようやく集落めいたものが視界に飛び込んでくる。ライカは肩で息をすると、
「あー、あたしも『風』使いになりゃよかった……」
と愚痴をこぼしながらその場にしゃがみこんだ。やや不審そうな目をむけて村人が通りかかる。 ライカは慌ててスカートの埃を払うと立ち上がり、彼に声をかけた。
「あのー、ここってどこです?」
なんとも間の抜けた質問に彼は面食らいながらも、
「あ、ああ、ここはモルヴァリーの村だけど……」
と答える。その聞き覚えのない名前に首をひねりながらライカはがさごそと荷物から地図を取り出して、それを差し出した。
「それってどの辺ですか?」
「ええと、この地図には載ってるのかなあ……。あああった、珍しいなあ……。ここだよ、ほら」
果たして村人が指差したのはライカの住む村、ティエとメグレスを結ぶ直線上から著しく外れた場所にある村だった。
「え、こんなとこなの……? これじゃあ城下町に行っちゃうじゃない……」
落胆してライカが溜め息交じりに呟く。その様子を見守っていた村人がふと尋ねた。
「あんた、どっから来て何処に行くつもりだったの?」
「ティエ、……ここから来て、メグレスに行くつもりだったんですけど……」
「……。こりゃまた偉く方向が違うなあ……」
気の毒そうに彼が言った。
(本当よね)
――そう言えば、二日くらい前に分かれ道があったような気がする。そこの立て札はすっかり風化していて読めなかったものだから、適当に決めた覚えがある。
「あー、あそこの道左に曲がるんだった……」
溜め息をついてライカはぐしゃぐしゃと前髪をかきあげた。お金はないし、道は間違えるし。どうしたものか。……やはり、ここはそろそろ『奥の手』を発動させなければならないかもしれない。――お金のある人からちょっと借りる。
(ま、返す気はないけどね)
指先の器用さにかけてはかなりの自信がある。万が一見つかったって運動神経にも自信があるし。だって六人も弟妹がいるんだもの。皆ちゃんと守ってあげないと。
「……」
(そろそろ覚悟を決めるか)
そう決心してふっと顔を上げる。と、怪訝そうな顔をしている村人が見えた。――この人から盗るのはひどすぎるだろう。
「……どうもありがとうございました」
ライカはぺこんとお辞儀をすると、そのまま走り出した。だが、不意に立ち止まってくるりと振り返った。
「あのー、安くていい宿屋って知りません?」
結局、どれだけ途方に暮れてみてもライカ・サファイアはライカ・サファイアでしかありえなかった。
ベッドに荷物を投げ出してぼすん、と横になる。太陽を吸い込んだ毛布とぱりっと糊付けされたシーツがとても気持ちいい。結構安い割には――それでも受付で執拗に値切ったのだが――快適だ。いい人に聞いたな、とライカはご機嫌になって歌を口ずさんだ。道を間違えた分の不幸の埋め合わせかもしれない。悪いことの後には良いこと。良いことの後には――また良いこと。
「皆どうしてるのかな……」
小さく呟いてライカは家に置いてきた父と母、そして六人の弟妹の事を思った。まだ借金の返済日まで間があるけど。急いで頑張らなくっちゃ。少女の横顔は不意に守るべき者を持つ『大人』のそれに変わる。誰かの為にと頑張る自分の為に。
傾きかけた太陽の日差しがきらきらと差し込んできてとても気持ちいい。
(はー、何か穏やか)
ライカはベッドの上でごろりと向きを変えると、もそもそと鞄の中からペンと紙を取り出した。
「――えっと、お姉ちゃんは元気です、と……。まいっか、それだけで」
短くそれだけを書き付けると、それを側の机の上に放り投げる。その手紙は後で出す事にして、ライカはいつのまにか眠ってしまっていた。