4 生命倫理⑮
「――誰ですか」
冷静さを装ってクリスが問いかける。
「『本物』だな……」
男はそれには答えずに低くそう呟くと、ゆっくりと剣を掲げた。その煌きがクリスの指輪に反射する。その緩慢な動作でさえ、人を圧倒する何かを持っていた。それは彼の能力のなせる技だけではなかった。心が、痛いほどの真摯さと危うい透明感を保っている――。
動揺を押し隠したままクリスは開き直ったように挑戦的で不可思議な笑みを浮かべた。
「だからどうだと言うんですか。それが何なんですか。――ええ、『本物』は私ですよ。私がこの国の王子」
クリスは指輪の嵌まった方の手をすっと顔の横に上げた。『証拠』が輝く。
「それで、貴方は誰なんですか」
繰り返される問い。それをさらりとかわして男はただ静かに切っ先をクリスに突きつけた。
「……質問が有る。お前にとって『生』とは何だ。他人を踏み躙ってまでしがみついていたいものなのか――」
クリスは真意を掴み切れずに僅かに顔をしかめた。目の前にある剣先は正確に自分の動きを封じていて全く隙が無い。
「――答えを」
凛と響いた声は透き通るようだった。何処か硝子で出来ているような。生き物とは違う冷たい透明感を持ちながらそれでいて熱を加えればひどく反応してみせる、そんな。
「……」
唇を引き締めクリスは思考をまとめる。このまま黙っていても埒があかないだろう、そう心を決めて彼は相手の翠の瞳を見つめ返した。
「生き物として、当り前の事ですよ。それの何処が悪いんですか」
それは真摯な問いかけ。死にたくないのは誰も同じ。生きるものとしてそれは当然な本能。無論それは彼女も持っていた筈のもので――。
その答えに、その本能を半ば放棄した男、イリヤ・エヴァレットは少し興味を引かれたようだった。何の感情も見せない翠の瞳がほんの一瞬光を映した。
「――それならばそれを最後まで見てみたい」
「……」
「占いを……違えさせる事が出来るかも知れぬ程に強いそれを」
クリスは必死に頭を回転させて、男の意図をうかがおうとした。
奴は、自分の力を必要としているのか? そうであれば軽く見られてはたまらない。自分は役立つ人間なのだから。この国土くらいは要求したい。
「いいですよ、ただし――」
ゆっくりと唇を開いてクリスはささやかな但し書きを付けた。