4 生命倫理⑤
「――やはり、来たのですね……」
かつての天才占い師、否、今も尚現役の天才占い師、ジュリアードはその姿を見てそう呟いた。光を背にしたその人物の顔は、逆光になっていて良く見えない。
「――」
その人物が、何事かを囁いた。ジュリアードは悲しげな顔でそれを聞いていたが、やがてゆっくりと頷いた。
「――それは、私の罪です。贖う事の出来ない私の罪です。貴方が私を赦す事が出来なくても、それを咎める権利は私には無いでしょう……」
ゆらめく。飽和して、無いものと思われていた感情が一気に溢れて滲み出る。
「――十九年前、私は王妃に告げました。占いの結果、生まれてくる王子は二十歳になるまでに不遇の死を遂げるでしょう、と。……あの時ははっきり見えました。でも、多分私は言うべきではなかった……。これは『予言』でした。このまま行けば高い確率で起こりうる事でしたが、完全なる未来ではなかったのです。ですから、告げる事で何とか回避できはしないかと――そう願った筈だったのに、まさかこんな結果を生み出すとは……。――メイド頭の言った事は真実でしょう。その秘密に関わる何かをアーデルハイト・ミクランは見てしまった。だから王妃に殺された……」
「――環の始まりは、間違いなくこの私です。貴方がいずれここに来るだろう事は分かっていました。そしてその時が、全ての悲劇の終焉ではなく始まりだと言う事も……。それでも、先読みとしてではなく人として、私は貴方を止める事が出来ません……」
だがそこに、もしも僅かに残るあの感情が有るのなら。その時は、死ぬのは私だけで……。どうか、他の愛しい人達は……。
立ち上がるのは紅蓮の炎。『火』の精霊が召喚された。燃え上がる炎はやがてジュリアードの身体をごうごうと包む。それに身を委ねてジュリアードは最期に一言だけ呟いた。
「全ての、祈りは、愛しい人の為に……。そして、道は、――の為に……」
ぱたりと一粒の涙が落ちた。もう届かない。
炎は未だおさまりきらずに小屋を、果ては村全体を焼き尽くす業火と成り果てた。逃げる間も無く全ては一気に燃え上がる。人と物の別なく。村人達が上げた背筋も凍るような悲鳴はその心には殆ど届かなかった。分かっているのは唯一つ。もう戻れないと言う事。
「……」
それからどれくらい経ったのか、背後から、今までとは趣を異にした悲鳴が突き刺さってきた。死にゆく者のそれではない、生へと向かう者の声は、ひどく鮮やかに聞こえた。モノクロームの世界の上に広がった赤い水彩絵の具のように、水を吸い込んでは一瞬のうちに広がりゆく。
「いやあああああ! ――お父さん、お母さん……!!」
「なっ……!! 何だよ、これ……?! ――おい、そこのあんた、これは・・…!!」
混乱した言葉達は秩序を失って投げ出されるままになっていた。それでも少年の声が、こちらへと一直線に向かってきた。答えと理由とを求めて。
それに何の関心も持てないまま振り返る。業火の只中にいて、火傷一つ負っていないのは『水』の守護の為。全身を護る薄い水の壁。
燃えさかる火が揺らめいてその頬に明かりを落としていた。エメラルドを嵌め込んだような美しいが無機的な瞳と、流れるプラチナブロンドと。
一瞬、目が合う。だがそれだけだった。もう一度彼らに背を向けて、炎を見上げる。
「次は……」
低く透明な声がそう囁きを漏らした。その先は分からない。
不意に、一塵の風がまきおこる。『風』が、緩やかに彼の身体を包んで、緑の輝きを放ち、その姿を消し去った。後に残ったのは焼けるメグレスの村と、ヴァーン・ディー、そしてエセル・ウォーレンだけだった。