4 生命倫理③
「――ね、やっぱり来て良かったわね」
城下町の活気ある賑わいをすっかり堪能して、嬉しそうにエセルそう呟いた。
「まあな」
「あ、見て、あの食器。おば様達にどうかしら?」
軽く返事をしたヴァーンの腕を引っ張り、エセルは食器の並ぶテントへと駆けて行った。ひょい、とその中の一つを手にして眉根を寄せながら真剣に吟味している。
「――こっちとこっち、どっちがいいと思う?」
やがてその中から二種類のカップを選び出し、エセルはそれを一つずつ両手に持ってヴァーンに尋ねた。
「んなのどっちでもいいよ。どうせお袋達はエセルから、ってとこで喜ぶんだから。娘が欲しいとか何とか言ってさあ」
ちょっと気のないその返事にエセルは苦笑しつつ、じゃあこっちを下さい、と、大き目の方を選んだ。
「ヴァーンは買わなくていいの?」
「食器なんていらねえよ」
「そうじゃなくって、お土産」
「あー、いいいい。面倒くせえもん」
「……。ま、私が買ったからいいか」
「そうそう。それで十分だって。……それよりそろそろ時間じゃねえ? 広場の噴水の前だっけ」
ひょい、と両手を頭の上で組んでヴァーンが言った。あ、とエセルが小さく声を上げる。
「そうね。じゃ、行きましょ」
言って二人はやや急ぎ足で広場の方に向かって行った。
「あ、やっぱりいるわ。――お母さん、お父さーん」
広場の噴水の前では生地屋が軒を連ねていた。その一角で、先程のエセルと良く似た仕草で布を一反一反真剣に吟味している夫婦がいた。不意に振ってわいた娘と思しき少女の呼び声に怪訝そうにしながらも顔を上げ、その直後、
「エセル……!」
とだけ言って二人とも絶句した。
「驚いた? ――本当は私も一回城下町に来てみたかったのよ。ほら、ヴァーンも一緒なの」
言ってエセルはにっこりと微笑む。度肝を抜かれたウォーレン夫妻は今日は、と挨拶をしたヴァーンに返答する事すら出来ないでいた。
「ほら、お母さん、お父さん。ヴァーンがこんにちはって」
その娘の一言でようやく我に返り、あ、今日は、と挨拶し返す。
「エセル、貴方何でこんなところまで……」
「さっきも言ったでしょ、お母さん、私も本当は城下町に来てみたかったのよ。でも仕事だから頼めなくって、自分で来ちゃった」
ちょっといたずらっぽく微笑み、エセルは、ね、とヴァーンの顔を見上げた。
「あ、ああ……。俺も城下町に行った事なかったんで、丁度いいかなと思って……」
「まあ……。大人しいと思っっていたらいきなり驚かせてくれるのね、エセルは。ねえあなた」
ウォーレン夫人は苦笑して、隣りの夫にそう同意を求めた。
「本当だな……。でも私達は明日帰るんだよ」
「そう……? でも私達は今日着いたばかりなのよ、もうちょっといても良いでしょ?」
「ヴァーンに迷惑じゃないのかしら……。どうせ貴方が無理言って連れ出したんでしょう」
「あ、いや、俺は別に……。ここまで来てこれだけで帰るってのもちょっと馬鹿馬鹿しいし」
どこか慌てた様子でヴァーンは首を横に振った。エセルがいいでしょ、と駄目押しをする。
「ああ分かったよ。お前には負けたよ。じゃあ、私達の宿に来るといい。このお祭り騒ぎじゃもう何処も空いていないだろう」
ふう、と溜め息をついてウォーレン氏が両手を挙げる。ありがとう、とエセルが極上の笑顔で答えた。
「全く、貴方はエセルに甘いんだから……」
後ろで母親がそう苦笑いしながら呟いた。それを見ていたヴァーンはちょっと目を細める。幸せな家族の風景。自分もエセルも一人っ子だから、多少は他の同年代の子達よりも甘やかされているのだろう。だからエセルはいつまでも純粋なままで。聡明で大人しい女性かと思いきや、時には思い切った行動に出ては子供っぽい笑顔で人の度肝を抜いてみせる。その辺りのギャップも彼女の魅力の一つと言えた。
「ねえ、ヴァーン、今日はお父さんがご馳走してくれるって」
一歩先を歩いていたエセルが不意に振り向いてそう呼んだ。午後の強い日差しを受けてプラチナブロンドが輝いていた。