1 沈黙の音①
その花の名は椿。幾重にも重なった花びらの内に、恐ろしいほどの真実を抱いて。
その封印が解ける時、今までは見ることの出来なかった新たな顔が現れる。
椿の紋章を戴き者達よ、その姿を今この前に示せ。物言わずに潔く散る花。先に見ゆるは涙か笑みか……。
囁きは風となった。王宮の中で一番眺めの良い木の上――この国の王子であるリドゥ・エル・フォーディーンは優しく吹き付ける風に柔らかな金の髪を思うまま洗わせていた。緩やかに反射する陽光。澄みきった空には真白な鳥がその羽を広げている。
「――王子」
ふと、木の下から控え目な声がした。リドゥは下を見やって、それが自分の世話係であり大切な友達であるクリス・マクドゥールであることに気がついた。
「クリス」
「クリス、じゃありませんよ……」
クリスは少しあきれたように溜め息交じりに答えた。
「そんな所にいらっしゃったんですか? 随分探しましたよ、危ないですからすぐ降りて来て下さい。……もうすぐ剣術の稽古の時間ですよ」
「おいクリス、お前もここに来ないか? ここは王宮の中で一番眺めが良いんだ。今日は空がきれいだよ」
リドゥは半ばクリスの言葉を無視して悠然とそう誘った。
「ですから剣術の稽古の時間ですってば」
むっとした様子でクリスが繰り返す。リドゥは家庭教師なんて少しくらい待たせても構わないよ、と答えると、ほら、とクリスに手を差し伸べた。
「……仕方ありませんね」
その手のひらにつかまってクリスがしぶしぶ登ってくる。リドゥはぐっと力を込めてクリスを一気に引き上げると自分の腰掛けていた枝を指差した。
「ほら、ここ」
「はいはい分かりました」
何処か投げやりな調子でクリスが答える。リドゥと同じ金髪に同じ色の瞳。遠目なら見間違えるほどである。但しリドゥのそれが晴れ渡る空の色であったのに対し、彼の瞳はグレーがかった青であったが。
「ほら、きれいだろう?」
今、称賛したその空と同じ色の瞳を持つ少年がそう隣りの少年に尋ねた。物憂い雨の降りそうな空の瞳の少年は、相変わらず憮然としていたが、それでも指差す方を見て、小さく今度は感嘆の溜め息をついた。
「本当だ、綺麗ですね……」
「だろう? 僕はここが一番好きなんだ。だからお前にも絶対見せてやりたくて」
「有り難うございます、王子」
恐縮した様子でクリスが答えた。それを聞いてリドゥは微笑みを唇の端に滲ませた。
「別にそんなにかしこまらなくったっていいよ。僕たちはずっと一緒に育ったんだから」
「でも、やはりけじめと言うものは必要ですよ」
「……どうしてそうクリスはお堅いのかなあ。僕はそんなこと全然気にしないのに」
悪びれずにそう言った王子をクリスはちょっと目を細めて見つめてから、睫毛を伏せた。
「そういう訳にもいかないんですよ。……王子はもうすぐ二十歳におなりでしょう。もう大人なんですから、いつまでも子供みたいなことばかり言われていては駄目ですよ」
「でも僕はまだ十九だ。クリス、お前は今何歳だ」
「はあ、十九ですが……」
リドゥは我が意を得たり、とばかりに微笑んだ。
「じゃあまだ問題ないじゃないか。僕もお前もまだ子供なんだから」
「……」
と、その時メイドの声が聞こえてきた。
「王子様、クリス様、何処にいらっしゃるんですか? 剣術の先生がお見えになりました――」
「ほら、王子、もう行かなくては」
リドゥは小さく溜め息をつくと、仕方ないな、と独りごちた。そして枝からひょい、と軽やかに飛び降りる。
「お、お、お、王子!!」
「これ以上お待たせするわけには行かないからな、クリス、ほらお前も早く! 置いてくぞ!」
驚きのあまり叫んだクリスにリドゥはあっさりと叫び返すと、すぐさま走り出した。ぐんぐんと先に吸い込まれてゆくその背中を見つめて、クリスは本当にささやかに呟いた。
「リドゥ……」