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実話怪談「ポルターガイストの家」改稿版

作者: 森 彗子

 これは私が小学六年生の夏休みに起きた、恐怖体験です。


   ◇


「今日からここが、我が家だから」


 髪型を変え、少し痩せた母が、私達三人兄妹を連れ出した場所は、建て売りの一軒家でした。


 時代は昭和六十二年の十月。場所は、北海道の胆振いぶり地方にある苫小牧市とまこまいしのはずれ。当時は荒野の中にぽつぽつと家が建ち、新興住宅地として開発し始めの頃でした。

 火山灰土の土壌に月見草やハルジオンが群生する荒れ地に、黒いアスファルトの道路が敷かれてはいるものの、住宅地としてはまばらなため、スカスカした印象です。


 私達が案内された家は、南東の角地に立っていました。隣近所がないポツンと一軒家。半地下のガレージがあって、玄関まではコンクリート製の階段で八段ほど登ります。壁は白一色、屋根はこげ茶色。窓の位置がところどころ不思議な場所にあって、外目からでは中が全く想像できません。


「お、おじゃまします」


 用意されたスリッパは三人分しかなく、一番最初に足を踏み入れた私は兄と妹と母にスリッパを譲り、靴下のままあがることにしました。室内は新築特有の木の匂いがしています。


 格子状の透明なガラス張りの引き戸を開けると、短い廊下があります。左手のドアはすでに開いており、開放的なリビングが見えました。南向きの大きな嵌めごろしの窓からは外の景色が見渡せます。通常の一階より視点が高いので、それだけで眺めが良い部屋だなと思いました。眺めが良いとはいっても、遮蔽物のない荒地の向こう側に、国道を流れる大型コンテナの牽引トラック数台が、一定の速度で移動しているのが見える、そんな程度です。


 振り向くと、母は満足げな笑顔で子供達の反応を眺めていました。


 そもそも、この母とは半年ばかり別居してました。別居の理由は、父の浮気というお家騒動が発端です。夫の裏切りと、それに伴う心配事が祟って、母の心身はすっかり壊れてしまったというのです。


 育ての親である母方の祖母によれば「遠くの親戚の家で転地療養をするため、しばらく留守にする」のだと言います。学校から帰ったときに聞かされました。この時、最後に見た母の姿を想像をした私は、本当は死んでしまったんじゃないだろうかと深刻なほど心配したものです。


 この日の母の顔色はすこぶる健康的で、私は胸を撫でおろしました。


 母は生まれつき心臓が弱く、不眠症や統合失調症を患いながらも生活のために生命保険の外交員をしてお金を稼いでいました。父は出張の多い仕事をしており、家に居ることはあまりなく。思えば、幼い頃から滅多に家にいませんでした。居ても虫の居所が悪いのかムスッと座っているか、掃除のいき届かない場所を指で擦ってしかめっ面をするか、母や祖母と些細なことで喧嘩をするか、の日々でした。そんなわけで、ずっと私達子供の面倒を見てくれていたのが母方の祖母ただひとりです。


 その祖母は、新居の見学だというのに一緒に来ていません。祖母と母は実の親子ですがとても仲が悪いのです。私にとっては素晴らしい祖母でも、他のだれかにとっては違うということを、彼女達の関係から自然と学ばされました。


 天気は晴れ。綿菓子を千切ったような白い雲が、青空の中を泳ぐように流れていきます。


「ここからまた頑張ろうと思う」


 母の決意の言葉を聞いて、私もまた決意を新たに頷き合いました。


 良く見れば、母の左手薬指から指輪がなくなっていました。その意味を確かめる必要もないだろうと私は思い、胸の中でとてもホッとしていました。


 私達は、兄を先頭に家の探検を始めました。リビングの奥にキッチンがあって、そのさらに奥に脱衣所と風呂場がありました。風呂場には窓がなく、脱衣所と台所の小窓が並んでいます。外から見たときの謎が、これでひとつ解けました。


 十四畳ほどのリビングには両開きの納戸があり、扉を開けると階段下で天井が低いことがわかりました。身長155センチほどの私が十人ほど入れそうな広いスペースです。そこに兄と妹と三人で足を踏み入れたとき、壁に大きな筆文字で書かれたお札が貼られているのが目に飛び込んできました。


「お母さん、これなに?」


 妹が聞くと「それは厄除けよ。家内安全の御守り」と、母は答えました。


 兄は眉間に皺を寄せ、じっと見つめています。私もなんだか急に不安を覚えて、ゾクッとしました。


「二階も見に行ってごらん。自分たちの部屋を決めなくちゃね」


 促されて納戸を出ると、私達は玄関の前を通って、北側に位置している階段を上りました。この階段は最初の三段目から左へ九十度曲がっており、そこから先を真っすぐ南方向へ上がっていけば横一文字の廊下に突き当たります。左右にそれぞれふたつずつ、計四枚のドアがありました。


 私たちは南東側の角部屋から確認を始めました。絨毯敷きの六畳間。北側の壁には押し入れと、細長いクローゼットがありました。


「この部屋は双子姉妹で仲良く使いなさい」


 母にそう言われて頷きます。この部屋の真下には、リビングに隣接した六畳和室があると説明されました。リビングにいたときに全然気づいていませんでした。あとで見に行かなくちゃ、と思いました。


 兄は隣の部屋です。南西向きのリビングの大窓のすぐ真上です。同じく絨毯敷の六畳間でしたが、収納がありません。でも兄はまったく気にしていませんでした。


 次に、兄の部屋の向かいにある引き戸を開けてみました。三角屋根の屋根裏部屋みたいな、天井が斜めになっている板の間でした。母はここを自分の寝室にすると言いました。


 もうひとつ、私と兄の部屋の間の向かいにある引き戸。そこは三畳ほどの納戸になっています。ウォークインクローゼットと母が言うのですが、服を吊るすポールもないし、棚もありません。裸電球の照明をつけてもかなり暗い部屋です。ここには箪笥を置いて、季節ものの衣装ケースなんかをしまうのだと母が説明しました。


 階段を降りるとき、兄が「十三段だ。縁起が悪いな」と小さな声で言いました。


   ◇


 引っ越し当日。


 祖母の友人が所有する賃貸アパートから荷物を出すとき、軍手をはめ、白いタオルはちまきにした父が、なぜか私達の前に颯爽と現れました。


 忘れもしない一年前。「お前たちとはもう生きていけない。これでお別れだ」と、宣言して勝手にいなくなった人がどの面下げて戻って来たのだろう、などと考えていました。彼は特に釈明することもなく、私達の机やタンスを、用意したトラックの荷台に積み上げていきました。 他にも会社の後輩が二人ほど手伝いに来てくれています。


 父は気まずさなのか、私達と目を合わせようともしません。でも表情は軽やかで、罪悪感の欠片も感じさせていません。これは一体どういうことかと母の方を見ると、彼女はただ肩をすくめて酸っぱい表情を見せるだけでした。何も語るつもりはないんだな、と察しました。


 兄だけはとても嬉しそうです。両親の離婚について心の底から反対している唯一の存在だった兄にとっては、この風向きの変化は歓迎すべき出来事なのでしょう。私と妹は複雑な心境でした。母が転地療養しなくちゃいけないほどのことをした原因が戻って来たのですから。また母を追い詰めるようなことになったらと思うと、気が気ではありません。離婚したのならば、潔く姿を消してくれたら良いものを、と腹の底で怒りを煮えたぎらせていました。顔には出さないようにしていましたが。


 もう二度と、父を「お父さん」と呼びたいとも思いません。それほどまでに私は、母を苦しめる父を憎んでいたのです。この一年半に味わった寂しさや先の見えない混沌を簡単に忘れることはできない、とも思いました。なにせ幼い頃から、度々喧嘩をしてののしり合うふたりを真夜中に何度も目撃していました。母が限界を向かえ、自殺しなかったことが本当に不幸中の幸いでした。


 人手があるおかげであっさりと引っ越しは済みました。母が注文していた家具もすでに届いていたため、がらんとうの部屋があっという間にも生活感のある部屋へと変わっていました。


 夜になって人手を帰しても、父だけはなぜか居残っています。母はまだなにひとつ説明しようともせず、父がいることを当然のように受け入れている様子です。 母に裏切られたような気持ちになりました。


 大人の事情は、いつだって唐突です。「好きな人がいる。おまえ達とは生きていけない」という、身勝手な言い分を残して出ていった父。その日のうちに祖母のリヤカーで急遽引っ越しを余儀なくされ、そこに母の姿はない。


 数日に分けて荷物を取りに戻っていたある日、手首に包帯を巻いた母が父のベッドで寝ていることに気付きました。部屋には見知らぬ女性の服が吊るされています。知らない家の匂いがしています。もう我が家ではありません。母は涙を流して血のにじんだ左手首の包帯を摩っています。その目は、もうどこも見ていませんでした。


 今回もまた、唐突です。父が戻ってきた。あの女の人はどこ? もう終わったの? こんなに不安にさせておいて、謝ってもくれないの? あなた達にとって私達子供の存在って、大事じゃないんだね? 大事にされてない。子供が親を必要としているときにいつだって留守で、大人の事情ばかりを私達に押し付けるだけ押し付けている。あとはもうどうでもいいと思っている。いや、思っているならまだいい。きっと頭の片隅にもないのだ。私達はたぶん、空気よりも軽い。


 すべて置き去りにして、何事もなかったような顔をして居座っている父と、それを受け入れる母を観ていると、そう思わざるを得ませんでした。


   ◇


 いびつな家族が暮らし始めた家は、朝になると必ずカラスが屋根の上にとまり、カーカーと鳴き騒ぎます。不穏な予兆がこの時からすでにもう始まっていました。


 新生活はストレスフルです。スズメを丸のみしてしまいそうな大きいカラスが恐ろしくもあり、玄関を開けるたびに巨大な蜘蛛が巣を張っていることも恐ろしくて、ほうきで払い落としながら「ぜんぶあいつのせいだ!」と心の中で叫ぶ日々でした。

 真夜中はどこからともなく猫が集まってきて、うちの裏で集会をしてギャーギャー賑やかで、寝つきの悪い私にとっては最悪の環境でした。さらに学校まで片道徒歩一時間を超えているし、最寄りのスーパーも片道二十分。夏の間なら自転車に乗れますが、雪が降ると徒歩になります。憂鬱です。


 学校で最も遠い家の子として早起きをしなければならないのは、つらいものがありました。引っ越す前、自宅から学校までおよそ十分程度でしたから、その落差にも苛立っていました。


 母は元々保険の外交員をしていたので職場復帰を果たしましたが、早寝早起きはしません。基本、食事の支度は子供が行います。それまで世話をしてくれていた祖母は父とは顔を合わせたくないということで一緒に着いて来てはくれませんでした。必然的に、料理がわりとできる自分にその役目が回って来ました。


 祖母はというと、元住んでいた町内でアパートを借り、独り暮らしを始めていました。友達が多く、老人クラブでは芸達者で、祖母はわりと人気者だったようです。楽しく気楽に暮らしたいという希望は叶えられたようで、それはそれで喜ぶべきことではありましたから、私は努めて前向きな気持ちになって家事をこなしていました。


 父は自分の実家の経営する建設業でサラリーマンをしており、うちから通勤するようになっていました。実はそもそも両親の離婚は一度も成立していなかったことを知るのは、もっとずっと後のことです。


 そんな肝心なことをなにも話さないまま、一年が経った頃。


 六年生になった夏休みのことです。母が仕事の都合で道東の釧路市へ行くため、二泊三日も家を空けました。父のことは良く知りません。その日、それは起きました。


 大鍋に作っておいたカレー温めて三人で食べ終え、それぞれお風呂に入って寝支度が終わった頃のことです。ドスドスという足音が二階から聞こえてきました。


 今、一階のリビングに全員揃っています。 三人で顔を見合わせ、しばらく異変に耳を澄ませて、黙って様子を伺っていました。


 はじめは泥棒かと思いました。しかし、様子がおかしいのです。


 位置的に、兄の部屋から私達の部屋に向かって直線状に歩いています。しかも往復を繰り返しています。二つの部屋の間には壁があるので、わけがわかりません。 足音は止む気配がないほど続いています。


「見に行ってみる?」


 兄が言ました。兄といっても、私達と十一か月年上で学年はひとつ上です。


「怖い」


 妹が首を振って嫌がりました。


「助けを呼ぼう」


 祖母に助けを求めるため電話をかけても、祖母は出ません。当時は固定電話しかないので、親の居場所を知らないと、どこにかけて良いのやらという状況でした。 母に連絡を取るには母の仕事先に電話をして、伝言を伝えてもらうしかないのですが、もう夜の九時前です。会社に人はいません。


「ダメだ。おばあちゃん、寝ちゃったみたい」


 私達は怖がりながら仏壇の前に並び、ご先祖様にお祈りをしました。一時間もすれば音も気配も消えて、二階にあがっていくと特になにも問題は見つかりませんでした。それでも怖いので、一階のリビングにかけ布団を持ち寄って敷き詰め、毛布をかぶって三人並んで寝ました。


   ◇


 お盆が近付く週末、幼馴染の女の子がひとり遊びに来てくれました。うちに幽霊がいるかもしれないと言ったら、よだれを垂らして飛びついてきたのです。 彼女のお母さんは私の母と親友です。おばさんは我が家の複雑な事情を、たぶん子供の私達以上によく知っていると思われ、手土産を持ってやってきました。


 「おばけに会ってみたい」と、彼女は笑って言います。明るくて物怖じしない勇敢なキャラクターのMは、いるだけで私達兄妹の心を救ってくれました。できるものなら、母が不在の間ずっと泊って欲しいとさえ願っていました。


 四人でテレビゲームをしたり、アニメのビデオを見たり、外でキャッチボールをして遊びました。昼になって冷凍のハンバーグを焼いて、炊飯器の白いご飯と一緒に食べ、午後のおやつを買いにスーパーに買い出しに行って、戻ってきた時のことです。


 家に入って手を洗っていると二階から「ばたん」、と激しくドアが閉まる音が響きました。それから間も無く大音響で音楽が鳴り出しました。兄の部屋には父が持ち込んだ大きなレコードプレーヤーがあります。さらに当時流行っていた大きなラジカセがありました。たぶん、それが鳴っているのです。


「うわ!」


 Mは驚きながら階段の下まで行くと、不思議そうな顔をして二階を見上げています。私は照明を付けて、ふたりで二階へ上がっていきました。

 Mが先頭に立ち、ドアを開けました。「誰もいない」と言いながら、ラジカセまで近付き電源を切ってくれて、静かになったその瞬間。


 ドサドサっと、隣の部屋からものすごい物音が聞こえました。何か、本の山が崩れるような音です。


 自分の部屋のドアを開けてみました。なにも変わった様子はありません。「こういう音だけが聞こえることが多いんだよね」と、説明しました。Mは探偵のように、部屋の中を注意深く観察していましたが、異常は見つかりません。


 ドアを閉めてリビングに降りていくと、兄と妹が悲鳴をあげて階段下収納から飛び出してきました。Mと私を脅かしたかったらしく、こんなときにやめてよ、と私は怒りました。


 ふいに、Mが納戸の奥を指さして、「これ、なに?」と聞いてきました。


 あのお札です。しかも、いつの間にか三枚に増えています。


 「あ。増えた!」「増えてる!」「これなんだろうね?」「この家、やばいんじゃない?」


 私達は競うように感想を垂れ流しました。 急に事態が悪化しているような予感に囚われ、恐怖ゲージが急上昇を始めます。その時、「おばさんってさ、霊感強いんでしょ? うちの母さんがそう言ってたけど」と、M。


「……そうらしいけど、あの人なにも言わないから」


「そうそう。秘密主義っていうかさ、聞いても絶対教えてくれないよね」


「正直、聞きたくないこともあるよ。知らなくて済むなら、知らせてくれない方が良い」


 三人兄妹は、普段なかなか口にしない心境をはじめて吐露しました。 と、その時。


 ガタン!


 四人で再び飛び上がりました。


 音がしたほうを見ると、リビングの中央に置かれている長方形の大きなちゃぶ台がこちら側に移動しています。ちゃぶ台の上に乗っていたガラスコップが滑るように移動して、ひとつは床の上に転がり落ちたようです。


「え?!」


「テーブルが動いた?」


 バシャン!


 今度は、目の前でテーブルの上に残っていたコップがひとりでに滑り出して、床に落ちました。中に入っていた水が、私達の足下まで飛んできて靴下を濡らしました。


「はぁ!?」


 Mと私達兄妹は、戦慄しました。異様な展開に驚き過ぎて、動けません。


 そうしている間にも次々とテーブルの上のものが滑るようにして床に落ちていきます。同時に、天井からあのドスドスという足音が聞こえていました。ガチャっとドアが開く音と、バタンと閉まる音が、繰り返し鳴り響いています。あげくの果てには、半地下の車庫のシャッターが開いたり閉まったりする、ガラガラドーンという音まで聞こえている始末。


「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁああああああ!」


 私達は叫びながら家の外に飛び出しました。


 外の天気は快晴で、気温二十五度程度の乾いた風がそよいでいました。なんとも平和です。振り返って家を見上げると、うちの真上だけ黒い雲があっても不思議じゃないぐらい、なんだか不気味に見えてしょうがない、という気分でした。


「なに、いまの。なにいまの。なにいまの!!」


 Mは興奮して何度も尋ねてきたけれど、私達は茫然としてすぐには応えられません。


「ポルターガイスト!」


 彼女はそう叫ぶので、確かにあれがかの有名なポルターガイスト現象なのかと思ったけれど、まさかそんなことが自分の目の前で起きるなんて、とても信じられない。心臓がまだドキドキしています。落ち着くまで、なにも言葉を発せられませんでした。


 家に襲われた。そんな気持ちでした。今まではただ、遠くで音が鳴る程度の現象しかなかったのに。なぜ?


「この家は危険だから、うちに来る?」


 Mの魅力的な提案に、私達は三人とも頷いていました。とにかく、ここから離れたい。


「ちょっと待って。父さんに電話するから」


 Mのお父さんはトラックの運転手をしていて、会社に電話すると無線で連絡してくれるのです。無線があるとすぐ連絡がつくので、割とはやく応答があります。ということは、今から電話をかけるために、あの恐怖のリビングに行くしかない……。


 周辺には頼れる人がいないので、他にどうすることもできず、四人で手を繋いで犬のお巡りさんの歌をうたって自宅へ入っていきました。幽霊は犬が嫌い、という勝手な思い込みによる即席の魔除けです。効き目の程はわからないけれど、勇気は湧いたような気がしました。


 室内に入ると、ラップ音が鳴っていました。リビングでも、仏間でも、階段の下でも、トイレでも。 割り箸を割るようなパキンという乾いた音が、ひっきりなしに鳴っています。家鳴りにしては異常な頻度です。また衝撃が来る気がして、戦々恐々としました。


 Mは落ち着いた様子で電話をしていました。慣れた様子で向こう側にいる誰かと話をすると、父親からの折り返し電話を待ちはじめます。そうしている間も台所からなにか落ちる音が聞こえました。私は手の甲を噛んで、夢じゃないことを噛みしめます。


 ガラガラガラ、ガシャン。


 シャッターの音が何度も繰り返されています。考えてみたら、この現象は外でも起きているわけですが、うちの前はエル字の袋小路なので目撃者は期待出来ません。密室とさほど変わりはないのです。それに、買い出しから戻った時、確かに開けたままにしていたシャッターが、さっき外に出たときにはなぜか閉まってたような……。


「誰がやっているの?」


「見て来る」


「やめなよ。危ないよ」


 ジリリリリン、ジリリリリン、


 当時まだ使っていた黒電話のベルの音が鳴り、みんなで飛び上がりました。それにしても、なんて心臓に悪い音でしょうか。


 電話に出ると、彼女のお父さんの声が聞こえてきました。


 子供の話というものは往々にして要領を得ません。その内容がさらに突飛すぎると、大人は益々何が起きているのか信じられないようなのです。それでも、とにかく今夜はMの家に私達三人が泊っても良いという許しを得ることに成功しました。 おじさんの方から親に連絡してくれるというので、助かりました。


 私達は二階の納戸に置いてあった寝袋と一泊分の着替えを、犬のおまわりさんを歌いながらなんとかリュックサックに突っ込んで家を飛び出しました。しかし、なんということでしょう。シャッターの前に秋田犬のオス犬が一頭繋がれているのです。


 この犬は、父がある日突然、処分されそうになっている子犬を引き取って、我が家に迎えた賢いわんちゃんです。つい最近まで、父の実家の敷地内に柵で囲った犬小屋を立て、そこで飼っていましたが、この家に越してきてから間も無く、父が連れて来ました。


 犬の所定の位置は南西側の犬小屋と決まっているのに、どうやってここに来たというのでしょうか。しかも、鎖でしっかりと繋がれています。知らない他人に対しては割と警戒心が強い子なので、知らない人にはそう簡単に懐かない筈なのです。見知らぬ人が連れてきて繋いだと考えても、とても不自然です。


 誰が、どうやって?  なぜこんなことを?


「なんでこの子が、ここに……?」


 兄も妹も、首を傾げています。


「もう、そんなことどうでもいいから早く逃げよう!」


 私は叫びました。四人とも、もう余裕がなくなっています。


 私達は自分の自転車を、それぞれ半地下のガレージから引っ張っり出していきます。四番目に自転車を持ち出したMに、突然悲劇が襲いました。


 秋田犬が、急に凶暴な唸り声をあげてMの太ももに噛み付いたのです。


「ぎゃあ」「やめて!」「やばい!」


 私達は咄嗟に自転車を放り出し、駆け寄って犬の口に手を突っ込み、口を開けさせました。犬は吃驚した様子でクンクンと鼻で鳴き、耳を垂れ、頭を低くして伏せをしました。


 Mは噛まれたというのに割と冷静で、「だいじょうぶ」と強がりました。Mも犬を飼っているので、動物が大好きなのです。怖い思いをしたのに、うちの犬を気遣ってくれている。そう思ったら、もう言葉がでないぐらい胸がいっぱいになりました。


 兄が犬の首輪を掴んで元の南西側の犬小屋に連れて行き、妹と私がMを玄関の階段まで移動させました。


 牙が刺さった傷口から、血が噴き出しています。 寝袋の紐を引っ張り出して、それで止血しました。私はMの傷に消毒するために道具を取りに家に入りました。


「もうやめて! 怖がらせないで!」


 そう叫びながら、救急箱から消毒液と絆創膏を持ち出し、Mのところへ戻りました。液体の消毒液を傷口にぶっかけて、圧迫止血をしました。


 怪我人が出た以上、恐がっているだけではダメだ。私達は話し合い、父の会社に電話をかけることにしました。大嫌いで信じられないけれど、そんなこと言ってられません。Mを病院へ連れて行かねばならないのです。


 一番頼りたくない人に今は頼るしかない。そう決意をして、不満や怒りを投げうち、震える指でダイヤルを回しました。


 私の伝言を聞いた父が、すぐに飛んで帰ってきてくれました。そしてMを車に乗せ、全員で病院へと向かいました。寝袋の紐で脚の付け根を圧迫し止血しているおかげでしょうか。出血はそうでもなかったのは幸いです。 だけど、Mの傷は二針縫ったし、破傷風の注射も打ちました。我が家の犬は狂犬病の注射を定期的に打っているので、その心配はないと言われました。


 Mのお父さんにも連絡が回り、保険外交員の母たちも駆け付けて来ました。


 なにが起きたのかを説明するのに、すっかり骨が折れました。子供の語彙力の限界と、同じ話を何度しても通じないことに疲れを感じながらも、とにかく、あるがままに起きたことを時系列で説明し、なぜ皆で自転車に乗って出かけなければならなくなったかを訴えました。兄、私、妹、Mの四人の口から語られる不思議な話を、大人達は呆れたような顔をして、黙って聞いています。


 犬は可哀想だけど人に噛み付いた以上、保健所に連れていって始末する、という話になったのですが、Mとおじさんが「そこまでする必要はない」と言ってくれたこともあって、処分を免れました。代わりに大きな檻を作って、もう誰も襲えないようにすると父が決め、その後車三台分が停められる規模の折りを日曜大工で作りあげました。


 彼女の怪我は傷が小さいので、割と早く治りました。


 後日談ですが、母は「シャッターの音が何度もしていた」という部分が気になったので、祖母が私達双子が生まれたときに買ってくれた日本人形の仕業かもしれない、と思ったそうです。その人形を、地元のお寺に持って行って視て頂いたところ、悪さをしていたのはこれじゃないかと住職に言われたようです。


 その後、家ではあれほどの霊障は起きていません。でも、目の前に大きな病院が建ってから、頻繁に人魂や幽霊を目撃することが増えました。人魂というのは、髪の毛を丸めたような感じの物体で、もじゃもじゃしていて、人の頭部ぐらいのサイズがあり、家の前の道をクルクルと回転しながら、地上1.5メートルの高さを滑るように右往左往しています。目撃するのは主に午後四時から六時頃の間が多かったです。幽霊は殆どが半透明の人影で、ときどき視界の隅っ子で鮮明な人間と大差ない姿で現れますが、ほぼ無害なので気にしないことに決めていました。


 これは大人になって知ったことではありますが、ポルターガイスト現象というものは思春期の子供がいる家で起きるのだそうです。我が家には十二~十三歳の子供が三人いて、世間よりも早い思春期に突入していました。親子の間には見えない壁が常に立ちはだかり、一方的な都合を押し付けられて、私達は内心で苦しみながら平気な顔をして強がっていました。

 行き場を失った感情が積もり積もったとき、その思念に引き寄せられた霊が物体を動かすほど力を蓄える、などという仮説を立ててみたり。


 その家で過ごした時間は、七年ほど。自宅の前には総合病院が建ち、隣にはその事務所が建設されたので、母が直交渉をして高額で家を買い取ってもらってからは、良く知りません。今も病院の休憩所として当時の姿のままそこに在り続けていると聞いています。風の噂では、頻繁に霊の姿が目撃されていると言われているとかいないとか―――


 了


二年前に書いた短編実話怪談を改稿しました。色々と勉強したので、以前のものよりずっと読みやすくなっていると思いますが、いかがでしたでしょうか。

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