90【これからのこと②】
お父様はじっと私の方を見つめている。
その視線から、私とお兄様のことを心配しているのだわかる。
私たちが傷付かないかとお父様が心配して会わせたくないと思う気持ちは理解できるけれど、私もお祖父様たちに一度くらいちゃんとお会いしたい。
そして、もし話をすることができるのなら侯爵家が何をしてきたのか知りたい。お祖父様たちが知っている、という前提ではあるけれど……。
「お父様が心配してくれているのはわかっています。……でも、私もルカお兄様も知るべきことです。もちろん、お祖父様たちも何も知らないかもしれないし、耳を塞ぎたくなるようなことを言われて追い返される可能性だってあるかもしれません」
「……お前たちが傷付くだけかもしれない」
「大丈夫ですよ、私もお兄様もけっこう図太いんです」
「だが……」
「それに――、」
ゆっくりと息を吐いた。
次の言葉を出すことに少しだけ躊躇ってしまう。
「それに――、お祖父様たちにお母様が悪く思われたままだなんて嫌なんです。私はお母様のことも、お兄様のことも、もちろんお父様のことだって大好きです……。大切な、家族なんです。だから、誰かに悪く言われるのは――」
「シア……」
「私はお父様とお母様の子どもとして生まれてこれて幸せなんだって、お祖父様たちにそう伝えたいです」
私の言葉にお父様は最初は悲しみの表情を見せたけれど、すぐに口元を緩めて微笑んだ。今まで見たことがない、愛のこもった、そんな笑みだった。
そんなお父様の表情に私も公爵様も驚いた。
公爵様に至っては口を開けたままポカンとしている。
「お、お父様……今、笑いました……?」
「……いや」
「でも、口角が上がっていましたよ?」
「お前の見間違いだ」
「えぇっ、そんな……」
少し照れくさそうにしているお父様を見て、自然と私の頬も緩む。「ふふっ」と小さく笑う私をどこか嬉しそうに見つめるお父様の瞳には温かさが感じられた。
「お父様、これからは私やルカお兄様の前でもそうやって笑ってほしいです。少なくとも、私はお父様が笑ってくれると嬉しい気持ちになるんです」
「……そうか」
「お兄様だって、お父様が笑っている姿を見れば温かい気持ちにな、る……なるよね……? それよりも驚いてしまう気も……いや、頭をぶつけたのかと心配する可能性も……」
お父様との会話から、いつの間にか自分との会話になってしまっている私を見て公爵様は面白そうに笑顔を浮かべていた。
「ははっ、シアちゃん、こいつとそっくりな息子がお互い笑顔で会話をしている姿なんて想像ができないよ。むしろ、仕事の話で顔をしかめている時の方が想像しやすいな」
「た、たしかに」
公爵様の言葉に納得してしまった私をどこか残念そうに見つめているお父様に気が付いた。
「す、すみませんっ、お父様……少し調子に乗ってしまいました。だって、こんな風に話せるなんて思っていなかったので……」
「いや、怒ってない。お前たちの方が気が合うようだと思っただけだ」
「あぁ、レオ。嫉妬したのか。俺とシアちゃんが楽しそうに話をするから」
「……公爵、お前は黙っていろ。シア、お前はこれからもそのままでいて欲しい。無理して大人になろうとするな」
「え?」
お父様が真剣な表情をしたまま私を見ている。
無理して大人になるな、だなんて急に何を言っているのかと不思議に思った。
「お前はまだ子どもなんだ。無理して取り繕う必要などない。今のように……子どもらしく笑っていればいい。お前のことを咎められるものなどいないのだから」
「子ども、らしく……?」
遡ってからの私は無理して大人ぶって、取り繕っているように周りからは見えていたのだろうか……。
そして、今の私は子どもらしい……?
たしかに、遡ってすぐの頃は話し方や雰囲気に十八歳の令嬢っぽさが出ていたのかもしれない。
でも、今の私はどうだろうか……?
あれ……もしかして徐々に子どもみたいな話し方、考え方になっていってる……?
精神年齢が身体年齢に引っ張られているのだろうか。
「またその表情、か。シア、何をそんなに難しく考える必要がある? もし何か困ったことがあるのであれば私に相談すればいい。一人で考えようとしないでくれ」
「お父様……」
「それならレオ、お前も八歳の女の子と十歳の男の子に対する父親としての態度をしないといけないな?」
そう公爵様に言われたお父様は少しだけ目元がピクリと動いた。多分、世間一般の父親像を想像してしまったんだと思う。それを自分に当てはめて、どれだけおかしな姿なのかと思ったに違いない。
それは私もだった。
子どもを相手にする世間一般の父親像をお父様に当てはめることができずに口から「ふふっ」と声が漏れ出てしまうほどだったから。
「……笑うんじゃない」
「お父様、さっき子どもらしくって言ったばかりですよ?」
「……っ、」
お父様は眉間に皺を寄せて苦い表情をしている。
「ふふ、あははっ」
私が口を大きく開けて笑っても怒る人は誰もいない。
むしろ、見守るように嬉しそうにしてくれる人がそばにいてくれる。
私の楽しそうな笑い声に、今までトワラさんのそばでごろごろと半分寝ながら寛いでいたクロが"きゃんっ!"と飛び起きて嬉しそうに私の膝の上に乗った。
「ん〜、クロ……本当にもふもふね……お父様も撫でてみますか?」
そう言いながらクロを抱き上げてみるも、お父様は首を横に振った。
「……シア、その子犬の表情を見てみろ」
「……え?」
クロを見てみても、いつもと変わらない可愛さだった。
目をパチパチとさせて、自分の可愛さをよくわかっている。
"くぅ〜ん……?"
クロは小さく欠伸をしながら私の膝の上で丸まって気持ちよさそうに眠る体勢へと落ち着いたようだ。
そんな気持ちよさそうなクロを見て、つい私も小さくだけれど「ふぁ」と欠伸が出てしまった。
「あっ、ごめんなさい」
お父様は「疲れたか?」と気にかけてくれる。
少し話は逸れてしまったけれど、クラウス領に行くという大切な話をしないといけないのに急に瞼が重くなってきた。
あらがうことが辛いほどの眠気に混乱してしまう。
「お父様、これからのことですけど……クラウス領にはいつ頃行くことができるのでしょうか?」
「あぁ、できれば早い方がいいだろう。まずはお前の中にある黒魔力を私が浄化して――」
お父様が話をしているのに、私は今にも意識を手放してしまいそうになる眠気を必死に耐えていた。
けれど、そんな私の様子にすぐにお父様が気が付いた。
「シア、どうしたんだ?」
「すみま……ふわぁぁ」
声を出したことで気が緩み、今度は大きく欠伸をしてしまった。人前でマナーの悪いことをしてしまい恥ずかしい気持ちで顔が熱くなる。
「急に……眠気が……」
【あぁ、心配しなくても大丈夫ですよ。急に魔力の循環が始まったことで体が本能的に休もうとしているのです。聖獣がうまくやっている証ですね】
そうトワラさんが説明をしてくれる。
「シアちゃんもまだ八歳だもんなぁ。うちの子も魔力を使って寝ちゃうことなんてよくあるぞ」
そう言って公爵様は楽しそうに笑っている。
「ルカのそのような姿は見たことがない」
「いや、だからな? お前の息子を普通として考えちゃだめなんだってば。まぁ、なんだ。小さな子どもには今日一日の出来事はとても疲れることだからな」
「シア、無理をするな。眠いのならこのまま寝るといい」
小さな子どもじゃないんだけどな、と考えていてもそろそろ本当に意識を手放しそうだ。まだ話せていないこともあるのに――。
「あの、お父様……」
「なんだ?」
「今日のことですけど、お兄様にはお父様から話をして欲しい、です」
なんとか眠気と闘いながらこれだけでもお父様に伝えなければと言葉に出した。私のこと以上に侯爵家に関する話を知ることになってしまった以上、お父様からルカお兄様には話をしてもらった方がいいからだ。
「いいのか……?」
「はい、お願いします……」
もうこれ以上は意識を保っていられないと、目の前が暗くなると同時に私の体が優しい温もりに包まれたような気がした。