80【親からの愛情】
公爵様は私が口を開くのをただ静かに待っていた。
私の考えなしの行動に対して怒りを見せることもなく、その表情は予想とは違い穏やかなものだった。
「私が勝手なことをしてしまったので……」
「それで君の父親はここへ来たと?」
「はい、お父様が怒るのも当然です。公爵様とお父様に……ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」
「それは――、迷惑をかけたから怒っていると?」
「え? は、はい」
公爵家の魔獣であるトワラさんの力を勝手に借りてしまったこと。そこから考えられる、危険なことがあったかもしれない可能性。トワラさんや、契約者であるアイシラ様への影響もないとは言い切れない。
それになにより、公爵様にもお父様にも何も話さずに後のことなど考えずに勝手に行動してしまったこと。もし、公爵様もお父様もお仕事の途中でここへ来たのなら、そのせいでさらに他の人にまで迷惑をかけてしまったかもしれない。
考えたらきりがない……。
「公爵様、私――」
「待ったっ! ごめんね、俺の言い方が悪かったよ」
その声に顔を上げると、公爵様はなぜか申し訳なさそうな表情で私を見つめた。
「ごめんね、先に言っておくと君がトワラとなにかをしようとしていたことは知っていたんだよ。まぁ、それがなんだったのかはさすがにわからないんだけど」
「……え?」
そんな、知っていた……?
公爵様の言葉でこれまでの会話を思い出して恥ずかしさで顔が熱くなった。
お父様に至っては、驚きを通り越して――。
「ふざけるな、知っていただと!?」
大きな声を出し公爵様に掴みかかる勢いで手を伸ばそうとしたけれど、公爵様の魔獣によって遮られた。
公爵様の魔獣はトワラさんよりも一回り以上の大きさがあり、毛並みは濃い灰色をしていた。その姿からは威厳が感じられ落ち着いて見えた。
「ちょ、待て待て、そんな怒るなよ」
「怒るなだと? 知っていてお前はなぜ私に話さなかった」
そう問われた公爵様は眉間に皺を寄せ、目を細めながらお父様を見た。先ほどまでの穏やかな公爵様とは違って見え、少しだけこの場の温度が下がったような気がした。
「……ッ、」
お父様は舌打ちをした後、無言の公爵様から視線を逸らし私を見た。思わず体が震えてしまった。
「……ついて来なさい」
お父様は静かな声でそう言った。
先ほどの怒りようから、もっと厳しく叱責されるものだと思っていたので少し驚いた。
「お父様、」
お父様に話かけようとするも背中を向けられてしまった。
このまま帰るというの……?
まだ話したいことがあるのに。
「待って、くださいっ! お話ししたいことが――」
私に背中を見せ歩き出そうとするお父様に後ろから声を掛けるも、こちらへ振り向いてはくれなかった。
後を追うべきなのかもしれないが、話をしたい私はこの場から動けずにいた。
今を逃してはいけない、そんな気がしたから。
私がついて来ないことに気が付いたお父様は小さくため息をついた。話なんて聞く気がないように見え、私の気持ちなど関係なくここから連れて行こうとしているのだと思った。
けれど、私とお父様の間に割って入ったのは公爵様だった。
「いい加減にしろ、レオ」
「それはお前の方だ。お前に口を出される筋合いはない」
「本当に、それでいいのか?」
「何が言いたい」
公爵様は、少し悲しそうに目を伏せた。
「俺はさっき、なぜお前がここへ来たのかとこの子に聞いただろう?」
「それがなんだと言うんだ」
「それに対してこの子はなんて答えた? 自分勝手なことをしたから、迷惑をかけたから怒って当然だと、そう言っただろう」
「だからなんだ? それは事実だろう。子どもがよく考えもせずに軽はずみな行動をしたんだ。もし何かあれば――」
「レオ、俺が言いたいのはそんなことじゃない。この子がどうしてそう考えてしまったのかということだ」
「なんだと……?」
「たった八歳の子どもが、だ。わかるか?」
「は……?」
「なぜ父親であるお前に相談しなかった? 話さなかった?」
「それは――、人には言えないようなこを……」
「話せなかったのは内容のせいか? レオ、お前本当にわからないのか……?」
公爵様の話を聞きながらも、お父様は表情を変えることはなかった。公爵様が何を伝えたいのか理解できないのだろう。
それは二人の会話を黙って聞いている私にも言えることだった。公爵様はなぜお父様に諭すように話すのか。
公爵様は何かを諦めたような、失望したような表情でお父様を見た。けれど、そんな視線を向けられてもなお、お父様は訝しげに眉を寄せるだけだった。
「シアちゃん。あ、呼び捨てよりシアちゃんって呼びたいんだけどいいかな?」
「えっ、」
いきなり公爵様に名前を呼ばれて驚いてしまった。
「は、はい。大丈夫です」
「ありがとう。それでシアちゃん、今回のことで君のお父さんには心配をかけてしまったよね?」
「え?」
心配を、かけて?
この質問には、何か意図が含まれているのだと気が付いた。けれど、その意図が何なのかは想像が付かなかった。
「心配、ですか? お父様にも公爵様にも、心配ではなくご迷惑をかけてしまったと……」
私の返事に、公爵様は少しだけ悲しそうに視線を下に向けた。
「そうか、やはりな」
「……何が言いたいんだ」
「どうしてこの子から"心配をかけて"という言葉が出てこないのかな、と思ったんだ」
「迷惑をかけたからだろう」
「なぁ、レオ。子どもが親に心配をかけてしまったと考えるのは、親からちゃんと愛情を受けていると実感できるからこそ出てくる言葉だと……俺は思うんだ」
「…………」
「お前は、この子に普段からどう接していたんだ?」
「…………」
「ちゃんと言葉を交わしていたか?」
「…………」
「子どもの顔を見て、今日は楽しそうに笑っているな、とか何か不安なことがあるのかな、とか……考えたことはあるか?」
「…………」
「この子の様子が変わったと感じたことは? 俺でもわかったことだぞ」
「それは――」
そうしてそのままお父様も公爵様も黙ってしまった。
二人が私の話をしているのが居た堪れない。
子どもが親から愛情を受けているのを実感できているからこそ、出てくる言葉――。
たしかに、そう……なのかな。
お父様が私のことを心配してくれた、という考えは浮かばなかった。もしそう思えていたならお父様に"大丈夫だから心配しないで"という言葉が出ていたのかもしれない。
公爵様のその言葉は私の心に深く突き刺さった。
愛情ってなんだろう。
言葉で伝えるもの? 態度で示すもの?
まだ、お父様との心の距離が掴めていないのに。
お父様は人の感情というものがよくわかっていないのかもしれない。
愛する心がないとかではなく、その感情がなんなのか言葉にできない人だと思うから――。