望月槐
ターゲットは魔王
1.望月槐
柔らかな日光の下、膝までのスカートを横にヒラヒラさせて、頭のポニーをゆらゆらと、腕を振って意気揚々と歩く少女。
その少女の名前は望月槐。見た目だけは何の変哲もないただの女子高生だ。そう、見た目だけは……
「狙ってるなー」
槐は気配を察知していた。何の気配かは、今に分かるだろう。
「ふっ」
槐は身を後ろに捩った。するとぼこっと音を立てて隣の塀にひびが入る。
「ふぅー、危ない危ない……なーんて」
数百メートル先から鋭い殺気を放つ者がいる事に、槐は気づいていた。今のは狙撃行為。大方自分の暗殺を依頼されたのだろうと槐には見当がついていた。
槐は立ち止まって、狙撃元に目をやる。敵はどうも工事中の骨組みまでは出来ていそうな建物の屋上に身を潜めているようだ。
「めんどくさいけど、行くか」
槐は荷物を地面に置くと、すっと屈んで狙撃元の死角に入りながら走る。細やかに軽やかに、そこに足音はなくまるで川の流れのように空気に溶け込むような足取りで一息にぐんぐん工事現場との距離を詰める。
工事現場の入口が見えるところまで来ると、狙撃手が慌てて階段を駆け下りる様が窺えた。
「間抜けが」
数百メートルの距離を素早い足取りであっという間に詰めてしまった槐は、すっとスカートの右側を捲り、太ももに巻いたポーチに手を入れると、中から十五センチくらいの細長い針を取り出した。
槐はそれを必死に階段を駆け下りる狙撃手を狙って投擲する。
風に軌道が淀むことなく一瞬の内に狙撃手の太ももを突き刺さる。
「うぐっ!?」
狙撃手は慌ててライフル銃をその方向に構えるが、そこには誰もいない。
次は入口、ならば階段の下方。
しかし暗殺対象である少女の姿はどこにもなかった。
「ぐっ…………毒か……」
狙撃手は意識が朦朧とし始め先程までは下半身、今や全身に激しい痛みを感じる様になっており、階段の手すりに掴まって膝を段に置く。
「しからば自害を……」
「ほう」
狙撃手は頭上から少女と思われる声を聞きゾッとした。
「い、いつの間に……」
狙撃手は振り向いて自分よりも上の段に立っている少女、槐を見た。
槐の右手には、小さな巾着袋が握られていて、左手にはクナイが握られていた。
「貴様には……この解毒薬と引き換えに雇い主を吐いてもらおうと思ったのだが、どうも無理そうだ」
狙撃手は痛みに悶え、苦々しく槐の冷ややかな目を見上げる。
「なに、貴様も仕事でやったのだ。自害を試みたその覚悟を讃えて、一瞬で息の根を止めてやる。毒の苦しみはさぞ辛かろう」
と、左手のクナイを右脇腹にて構える。
狙撃手は目を瞑りその時を待った。
「おーい!! 槐ちゃーん!! おーい!!」
すると工事現場の外から見上げている女が何やら叫んでいる。
「お弁当!!忘れてるわよー!!」
「お母さん!! 今いい所なんだから後にして!!」
槐の母親の登場で狙撃手の気が少し緩んだ。槐も同じ様に気が緩んでしまったが、再び気を取り直してクナイを右脇腹に構える。
「槐!! 早くしないと学校に遅刻するわっ!! もう八時十五分よ!!」
「げっ!? もうそんな時間? でもちゃんと時間通りに出てきたし……」
と槐は右手の腕時計を見ると、朝家を出た七時五十分から針は全くと動いていなかった。
「時計……壊れてる……」
槐の顔は青ざめていく。
「早くしないと遅れるわよー!!!」
「うあああ!!! くっそぉ!!!」
槐は4階くらいの高さの階段から飛び降りた。
もちろん、普通の女子高生ならば大怪我、もしくは死んでいるだろう。
狙撃手もその行動に驚きを隠せないでいる。
しかし槐は、その驚異的な身体能力と軽い体と骨組みの建物を利用して水流の如く軽やかに地面に着地。
しかしそれでも怪我一つなくこなせる高さや動きではなかった。
「あいつ……化け物か……」
狙撃手は毒の苦しみすら忘れ茫然としたまま、母親の元に駆け寄る槐を遠目から眺めていた。
「うぐっ!!」
ふと毒の強い痛みに我に返らされる。
狙撃手はこれから苦しみながら死ぬのだろうと悟っり、段に頬をついた。
「これは?」
目の前に転がる小さな丸い粒。
石ではない。人為的に作られたものだと直ぐに理解した。
狙撃手は慌ててそれを拾って口へと運び飲み込んだ。
するとみるみる内に体の痛みが引いていく。
「これが、望月家代々伝わる秘薬か……裏は暗殺者で、表は薬売りってか……おっかねぇな」
痛みの引いた体でもう一度槐の方を見やる。
ちょうど出発したところの様だ。
人間離れした速さで道を走り抜けるその姿は、狙撃手にはチーターさながらの様に思えた。
「さて、そろそろ行くか」
狙撃手は立ち上がった。
「逃がすとお思いですか?」
「なっ!?」
背後に槐の母と思しき人物がちらりと見えたが、いつの間にか宙を待っていた。
「ここであなたを逃がせば望月家の恥。噂が広まってしまえば望月家の存続に関わる事態になります故」
槐の母親は、狙撃手の首の切り口から血が溢れ出す前に大量の白い布を被せる。みるみる内にそれは真っ赤に染まっていき、やがて下からは猿のように手すりを使って四階まで上がってきた二人の黒装束が体を抱えて飛び降りる。
「(お前らさ……階段を使えよ……階段を)」
狙撃手が最後に見たのは、先程まで弁当を持参したホンワカな表情を見せる女とはまるで別人。温度のない表情をした、殺し屋の目だった。
槐は卓越した素早い走りのお陰で遅刻する事は免れていた。
しかし普段の速さで走る自分を見られてはいけないがために、人の気配のあるなしで速度を分けていたので、ギリギリの到着となった。
八時二十九分。三十分のホームルームまでは間に合っていた。
「おはよーエンちゃん。今日ギリギリだね」
「おはよー美咲」
教室では最後尾で、真ん中辺りの席が槐の席だ。その前には、槐に挨拶をした槐の友達の美咲が座っている。
「エンちゃん、実はさ……」
美咲はノートを両手に抱えて胸を期待に膨らまさていた。
「あー宿題ね」
美咲の狙いを察して、席に座った槐は黒カバンの中からノートと筆箱を取り出した。
「で、どこが分からなかったの?」
美咲はノートを開いてある箇所を指定する。
「あーそこね」
槐もノートを開いて宿題のページを見る。そのノートを見せて、問題文の意味と照らし合わせて丁寧に美咲へ教えていった。
「おぉーなるほどなるほど……」
「で、ここがこうなるのよ」
「おお!!」
槐は高校二年生だが、今まで学年一位の座を揺るがした事がなかった。
それはどの先生も認める程で、テストの点風に至ってはほとんどが百点。
「はぁーあ……エンちゃんってすごいよね。テストは百点ばっかだし」
「ま、まあね」
美咲の褒め言葉に気を良くする槐。
「でも体育は全然だけどね」
「え? あ、あはは……」
むしろ体育でこそ槐は力の発揮どころのはずだった。
槐は望月家の次代跡継ぎと言われていた。
望月家は代々薬売りを生業としてきた。しかしそれは表の顔だ。裏では暗殺稼業を行っていた。
そのためか、望月の人間は幼子からの厳しい訓練を強制的に受けていた。
しかも槐は、二百年に一度と謳われた神童。その才は、五歳にして成人したての望月家の人間を遥かに凌駕する程だった。
そんな槐が厳しい訓練を受けていたのだ。体育で間違ってもその驚異的な身体能力を見せれば、それこそ大事。体育の教師もしっかりと見ているのだ。もちろん槐は皆に合わせる事は簡易なものだが、教師に見抜かれてはそこまで。目立つ事を危惧した望月家は、槐に体育への積極参加を認めなかった。勉学だけは幼い頃の槐のわがままによりギリギリ許してくれたといった処だ。
「そういえば、エンちゃんの喘息発作っていつからなの?」
「え? あー三歳……くらいかなー。もう少し走っただけでね……(っていう設定ね)」
槐は自分の力は見せつけるためのものではないと十分に教えられた。教えられたはずだった。だけども内心は、苦い思いをしていたのだった。
「でもエンちゃんの苗字、望月って薬売りの家系なんでしょ? 薬でも治せないのね」
「そうそう、症状は抑えられるんだけどね。運動したらどうも発作を起こしちゃうみたい(っていう設定ね)」
昼休みのチャイムが鳴る。
「エンちゃん、一緒に食べよ?」
「うん! そうだね」
槐は朝母親から受け取った弁当を青いバッグから取り出した。
高貴な紫色のふろしきで包まれたそれは、望月家の高貴さを示すものだろう。しかし槐はもっと可愛らしいふろしきが良かった。例えば、うさぎ柄のピンクなふろしきとか。それを思い浮かべると少し楽しい面持ちになる。
そして槐はふろしきを解いて、弁当箱の蓋を開けた。その隙間を見た瞬時の間に、蓋を閉じた。
「(や、やばい。朝めっちゃもうスピードで走ってきたから何かよう分からんお弁当になっとる)」
「ん? どうしたの?」
「んいやっ!? 何でもない……何でもないよ……何でもないけど……食欲がないから夕食にでもしようかなー」
怪訝そうに美咲は槐の顔を覗く。
「ふーん、そっかぁ」
「(走ってきたから弁当がぺしゃんこだなんて言えない! 絶対に言えない!!)」
「じゃあ一人で食べるよ」
そう言って美咲は自前の弁当箱の蓋を開けると、色とりどりの美味しそうな食材が敷き詰められていた。
それを美味しそうに口に運んでいくものだから、槐はとても羨ましく思いながら見ていた。
「(ふん、全然羨ましくない……いや、羨ましいけれども、断食なんてちっとも平気なんだから!訓練で慣れてるんだもの、平気よ!平気!)」
ぐぅ〜。
と不意に槐のお腹が鳴ってしまった。
「エンちゃん、やっぱりお腹減って」「減ってないよ!? え、減ってないよ全然? え?何だろう。お腹が痛いよ? 痛い。だから音がなったのかな? ちょっとお花でも摘みに行こうかな? あはは、あは」
と槐は席を後にした。
帰り道。
槐は友人の美咲と帰路を共にしていた。
友人といる時は、暗殺を目論む者からは狙われにくい。
そういう事もあって、途中までだが美咲と帰る事は多かった。
部活には二人とも所属はしていない。
槐は暗殺の仕事があったりするので、疎かにしてしまう事を分かっていながら部活には入るわけもない。表向きでは勉強をしたいというのが理由になっている。美咲はというと
「はぁーあ。このまま帰ってもまた家の手伝いかぁー」
「美咲大変だよね。八百屋さんなんでしょ?」
「まあねー。いっつもお父さんの元気に気圧されちゃって、もうほんとしんどい」
槐のイメージする八百屋というのは、まさに活気的。客の呼び込みを暑苦しい程に行う者のいる場だ。その気の良さに、道行く人も目を留められずにはいないだろう。
「私の家も薬売りだから、薬を作るの手伝わされちゃうなー(まぁ、ほんとうは殺しの依頼が来てるかもしれないから)」
家柄が関係して早帰りというのは両者とも同じだった。
美咲とは、高校に入ってから友達になった。
家までの道が途中まで同じである事と、帰宅部である事、席が一年生の時では隣り合わせであった事から接触が多く、いつの間にか気のいい友達になっていた。
きっかけは、宿題の見せ合いっこだ。
槐の方が圧倒的に出来ていて、初めは美咲に半ば尊敬の眼差しで見られる事が多かったが、今や気軽に話せる仲である。
「あ!? エンちゃんあれ!」
二人は大通りの歩道を並んで歩いていた。美咲の指差す方向に槐は目を向けると、道路のど真ん中に小さな猫が座り込んで毛繕いしていた。
「な、何道路のど真ん中で毛繕いしてんのあの猫!」
「エンちゃんまずいよあれ!!トラック来てるよ!!どーしよ、今からじゃ間に合わない!!」
人通りも多く、周りの人間の中にも気づいているものは何もしようとせず浮き足立って猫の方を見ていた。
私なら間に合うと言わんばかりに槐は今にも走り出しそうだ。
でももしここで力を出せば、美咲とはもう居られないだろう。
「私もう見てられない!」
美咲は走り出した。
槐は己を恥じた。命を奪う稼業をしていたせいか、命に対しての重みが薄くなっていた。その事を美咲の行動で瞬時に分からされてしまった。
美咲は自分の命を賭けて素知らぬ猫を助けに行った。いや、美咲には助けられると思ったのかもしれない。だが槐から見れば、美咲の速さでは猫を抱えると同時にトラックに轢かれてしまう事は考えずとも分かる。
槐は、意を決した。
美咲は猫の少し前まで来ていたが、その時既に槐は猫を抱いていた。美咲は何が何だか分からないまま槐に腕を引っ張られて歩道まで戻される。
「はあ、はあ……エン……ちゃん……エンちゃん……だよね?」
「そうだよ。私は……」
その時、槐は言葉を発せなくなっていた。
視界もいきなり真っ白になって、何が起きたか考える事も出来なかった。
しばらくして視界がまた映し出される。
泣きながら傍でエンちゃんと叫ぶ美咲がいる。
左脇にはトラックが停まっており、バンパーに血液が付着していた。地面に目を移すと、夥しい血の量。
「(そっか……トラックに轢かれちゃったのか……私とした事が……)」
見ると美咲の後ろには、作業服に作業帽を着用し、冷ややかな目で見下ろす男が立っている。
「(……ぁあ……そういうこと……か……)」
すっと自分の懐から助けた猫が出てきた。
自分の腕をペロペロと舐めると、悠然と足早にこの場から去っていく。
「(良かった……猫は無事ね……)」
命を奪う者は、命を狙われる覚悟でいろ。
暗殺の訓練をする最初に言い聞かされた言葉を、槐は思い出していた。
「(……仕方……ないよね……)」
ふと、目が覚めた。
そこはだだっ広い縦長の赤い絨毯の上。目の前には祭壇に続く様な段差があって、祭壇の代わりに台座があった。
その台座の前に立ち上がった初老が、盛大な衣装に身を包み、口を開け目を丸くして槐の方を見ていた。
見ればその両脇にも同じ様な態度を取る西洋の鎧や兜に身を包む兵士の様な男がいる。手には槍を持ち、完全にではないが、槐の方を向いていた。
手足が震えていたので、怯えからくる無意識下での行動だろう。
辺りを見回すと同じ様に兵士の様な男達がずらりと槐を取り囲んでいた。
しかし背後に違和感を抱いた。なぜなら、そこにはまたもや風変わりな衣装に身を包む女の姿があったからだ。お姫様、という訳でもなさそうだった。
よくよく今いる場を見てみれば、どこかの世界で見たような、ゲームの中で見たようなお城の中をイメージされる空間だ。
槐は首を傾げていた。
「ようこそお越しくださいました、天使様」
背後の女から聞こえたので槐は振り返る。
「あ、あの……ここは……私は死んだはずでは……」
「何を仰いますか。貴方様は今生きてここにいらっしゃいます」
「そ、そうですか」
夢でも見ているかと錯覚する程今の状況が全く読み込めていなかった。
それもそのはず。まず目の前にいる女の大きな瞳は緑色だ。カラコンでも入れているのだろうか。そしてロシア人の様に透き通った金色の長髪に白い肌。ここまでなら何とか理解出来る。だが次に耳だ。尖っている。ゲームで見た事はあるが、エルフという人間……いや、生物だろう。造り物にしては妙に現実感がある。
「あの、その耳……本物?」
「おや、エルフを見るのは初めてですか?」
「は、はい……ていうかエルフって実在したんですね……」
そんなはずはない。
愛想笑いをしたつもりが引き攣ってしまっているのも自分で分かる。
きっと自分は死んでいるのだ。その上で何かしらの夢想をしてしまっているのだと槐は思い、己の頬を摘んだ。
「うん……痛い……」
「天使様?」
どうも夢ではないらしいと槐は理解し早々に状況についていくため、深呼吸をした。
詰まるところは、ここは日本でない。日本どころか、地球でもないのだろう。ここは別世界。異世界転生ものの作品が日本で流行っていたが、まさかそれが事実であって、自分に起きてしまっている。
「あのー、天使様って」
待ってましたと言わんばかりにエルフの女は張った胸に手を当てる。
「はい!私は伝承にある召喚魔法を使用して天使様をお呼び致しました。実はこの世界にとある愚か者の行いで悪魔の召喚がなされてしまいました。そんな事を知る由もなく、世界各地に魔物という人を襲う凶悪な生物が徘徊するようになり、結界を張り遅れた街々は崩壊させられてしまいました。悪魔はいくらか召喚されましたが、それらを統括する悪魔の王、魔王が大元。更に魔王は、理性のない魔物を操る能力を有していて、更には凶悪な魔物を生み出す力を使い、世界の支配を目論んでいます」
聞けば聞くほど、まるでゲームの様な状況だった。槐は、割とゲームはする方だった。
仕事の入らない日は薬作りの手伝い、そう出ない時はゲームに熱中していた。
勉強などしても仕方がない。槐は既に教科書なしでも大学を卒業出来るくらいでいるからだ。
「かつて同じ様に、ある愚か者によって呼び出された悪魔の王の侵略を、召喚した天使様によって堰き止められそして天使様は悪魔を根絶やしになされたと記述があります。しかし悪魔は死なない。この世界で死んだとしても、元の世界に戻ってしまうだけとありました。そして今回召喚された悪魔の王の名も」
「ルシファーじゃ」
と背後にいる初老が続けた。
もしここがゲームの様なファンタジックな世界というのなら、台座の前で佇む初老は王様という立場だろうか。
「話は代わってワシが続けよう。下がれ」
「承知しました、陛下」
エルフの女は目をすっと閉じて頭を深く下げると後退する。兵士も持ち場に戻る様にして、横並びで両端に整列する。エルフの女は右端一番後列にいる兵士の隣に参列した。
「申し遅れました天使殿。ワシはこのエルテール王国第七代目の王、カシアス・ラ・エルテール。先ほどのエルフは、天使様を召喚したマテリアという者じゃ。して、天使様にエルテール王国の代表として王のワシからお願い申し上げる」
カシアス王は一歩足を踏み出した。
「この世界を救ってはいただけぬか?」
王の威厳をそのまま言葉に乗せて発せられたような重石が槐の心にのしかかる。
もしこれがゲームであれば、何という大作だろうか。
「(あれ、そもそもここってゲームの中なの? それとも転生したの?)」
槐はこの期に及んでそんな疑問を浮かべてしまう。結果的に槐の返答は遅くなり、王が不安がりながら再び口を開いた。
「天使殿……であるな?」
「へ?」
「天使殿、頭の上にある輝かしい円はどうなされた? 神々しい翼も窺えぬ」
天使にあるはずのものがないと言われて槐は困っていた。そもそも槐は天使ではない、ただの人間。槐は王の疑問の投げかけに対応し兼ねた。
気づけば周りもざわついており、天使召喚の儀式失敗の不安が各々に募る。
「エルフの娘。どうなのじゃ?」
「お、仰る通り、伝承によれば天の輪に大翼を身に宿しているはず……ですが!! 天使様も一度は魔王ルシファーとの戦いで力を失っておられるのかと!!」
エルフの女は何かに焦って王を説得する。
「ふむ……では問う。天使殿は……………天使殿か?」
王は、自分でも訳の分からない質問の仕方をしたと頭を悩ます。槐はもちろん天使の事など一切知らず、答えは決まっていた。
「たぶん私は……天使じゃないですよ? あなた達と同じ人間かと……」
エルフの女を一人除きつつ槐はそう言った。
「なるほど、そうか…………つまり儀式は失敗してしまったようじゃ」
台座に力なく座り込む王は、目を瞑り額を手で当いかにも頭痛がしている様であった。
「すみません、何か、せっかく呼んで戴いたのに……」
しばらく王が頭を押さえて黙っていると、いつの間にか兵士がエルフの女を拘束していた。
「陛下! このエルフの処遇如何様に致しましょうか?」
すると、片目だけ開いた王が吐き捨てる様に言った。
「ふん、エルフは召喚魔法を扱えると聞いておったのだがな……そうじゃな、贄を必要とする魔術に使えるやもしれん。牢屋に閉じ込めておけ」
「はっ!」
「そ、そんな! お願いです!! もう一度、もう一度チャンスを!!」
エルフは牢屋へと連れて行かれる 。もし自分が天使だと言いくるめば、エルフは解放されるのだろう。しかしその様な無責任な事を言えば、魔王というのはいったい誰が倒すのか。ともすれば、誰も魔王に抵抗出来ずに世界が滅びゆくだけだ。
そもそも召喚魔法が出来ないからと牢屋へ、贄へというのがあまりに横暴。槐は不快感を覚える。
「ちょっと待って!! あ、えっと……その……」
槐は言いかけて止まってしまった。
エルフの女を助けたいと思って衝動的になってしまったのだろうかと自分の言動を省みる。
もし自分が天使だと言えば、その責任を取るにあたって、槐は魔王を倒さなければならなくなるだろう。それは可能なのだろうか。
槐は幼子から対人専用の暗殺教育しか受けては来なかった。
それが魔王、その他悪魔に通用するのだろうか。
そしてここは異世界。聞けば魔法も存在する様。しかし、エルフが泣き喚きながら今にもこの場から連れ去られてしまう所を見ると、どうにも心が落ち着かない。しかし、世界を救えるという自信もない。
しん。
エルフが兵士に連れ去られて、辺りは静まり返る。
あまりにも誰も口を開かずに目を瞑って苦悶を浮かべているので切り出しづらくはあったが、槐から
「あの〜、私ってどうしたら良いんですかねぇ?」
すると、皆の視線が槐に集まる。
「そうじゃな、天使でないと言うなればあのエルフと同じ、魔術の贄に役立つかもしれん。兵士よ、そやつを牢屋に入れておけ」
「はっ!」
「ですよねー」
王のいる間の多勢の兵士は、槐の手にかかれば容易いだろう。しかし、ここは異世界。先程のエルフと王のやり取りを耳にする限り、魔法が存在している。いくら槐が暗殺技術や身体能力が優れているとしても、何も知らない現時点で多勢を相手にするのは危険だった。
エルフを連れ出すのに兵士はたった二人。
外には何者の気配がないと、研ぎ澄まされた感知能力が語っている。
王の間を後に、学校の教室をいくつも連ねて出来たかと思うほどに広い廊下へと出る。
「ん?消えた?あの者はどこだ!?」
「なっ!? 何っ!?」
「どうした!?」
二人の内一人が首から大量の血がぼこぼこと溢れ出ている。
血溜りに倒れる兵士にもう一人の兵士は必死に呼びかけた。
「お、おい! どうしたんだ!? 何がっ………」
そしてもう一人の兵士もばたりと倒れてしまった。
「さて、これからどーしよっかなー? とりあえずあのエルフさん助けて仲間にしよっか。で、色々とこの異世界について聞かなきゃ」
槐は連れ出される直前、自分の爪を引っ掻いて鋭く研いでいた。
鋭利な爪に、槐の素早い正確な動きが加われば、小さな刃物の様に早変わり。
兵士二人の首の動脈を容易く引き裂いていた。