お盆
かき氷の載ったお盆をダンと置く。
年老いた男性が、縁側に足を放り出す。
丈の短い、パジャマのようなズボン。
やけに細く、皮の垂れ下がった足がのぞいている。
「好きだろ。お前。練乳のやつ」
「練乳」の部分だけはゆっくりと言いにくそうに、しかし乱暴な口調で、老人がかき氷を指し示す。
かき氷はふたつある。
老人は自分のほうのかき氷を手に取る。
スプーンを握りしめて、突き刺す。
ひと匙、口へ。
よろよろと運ぶ。
億劫そうに噛みしめて、「はあっ」と大きなため息をつく。
遠くで救急車のサイレンが鳴っている。
ほかに音はない。
例年ならこの時期に聞こえているはずの、祭りに向かう人々の騒ぎ声。
花火の音。
虫の鳴き声も、そういえば、ほとんど聞こえない。
「はあっ」とまたため息をつく。
かけ声のような大きさと、勢いだ。
「こんなご時世だからな」
と唐突に言った。
それで満足したようで、かき氷を口に運ぶ。
「あいつらは来なかったな」
かき氷を食べながら、また唐突に言う。
「もうずいぶん、大きくなっただろうな」
少し優しい口調になる。
「高校生になるんだったか」
何かを思い出すように、途切れ途切れに言う。
それからまた、かき氷を食べ始めた。
なかなか減っていかない。
何度もスプーンを運ぶ。
「なんだ?」
老人がジロリとにらむ。
もうひとつのかき氷は減っていない。
スプーンが刺されたままだ。
「あいつらが来ないのはコロナのせいだ」
「コロナ」と、また言いにくそうに、怒鳴るように言う。
「俺のせいじゃない。今年は来るはずだった」
かき氷の器を、縁側に叩きつける。
スプーンが飛びはねる。
カランと、地面に落ちた。
申し訳程度の大きさで、虫が鳴き始める。
「もう寝る」
老人は言って、部屋の中へ向かう。
テーブルの上には食べ終えたカップ麺の容器が積まれている。
いくつかの洗濯物が吊るされ、多くは床に落ちている。
布団をめくり、老人がもぐりこむ。
縁側の窓は開いたままだ。
老人は目をつぶる。
かき氷に刺されたままだったスプーンが、カタッと音をたてる。
***
老人はテーブルに向かっている。
何をするというわけでもない。
正面にテレビが置かれているが、長い間電源は入れられていない。
画面はずっと暗いままだ。
ゆらゆらと体を揺らして、居眠りをしているようでもある。
部屋には扇風機があるが、こちらも動いていない。
窓は昨日から、開けたままだ。
溶けたかき氷の溜まった器も、そのままだ。
老人の揺れは大きくなる。
大きくなるほどに、いまにも止まりそうな、弱々しい動きになっていく。
「こんにちはー」
玄関で声がする。
「こんにちは。郵便です」
カラカラと、引き戸を開く音がする。
老人は反応しない。
揺れ続けている。
「あれ、いませんか? 郵便、置いときますね」
カラカラと、今度は閉まる音がする。
老人は反応しない。
揺れ続けている。
しばらくして、老人の頭が、コトンとテーブルの上に落ちた。
老人は動かない。
テレビの電源はついていない。
扇風機は止まったまま。
縁側の窓は開いたままだ。
***
老人の住んでいた家は、窓がすべて閉められている。
家全体が、わずかに色を失ったような印象だ。
庭の草は、突然勢いを増して、成長している。
一部は縁側を隠そうとしている。
お盆を過ぎればだんだんと過ごしやすくなってくる。
あんなに暑かったのが嘘のようだ。
冷たいとさえ感じられる風が、ときおり吹いている。