うつるんです
「ほぉ」
悠太は路上のブロックの隙間から顔を出している紫の花が目にとまり、思わず立ち止まっている。
彼は一緒にいる愛子に自分がどう思われようが気にならなくなっていた。
2人はこれから中年の男、だるま職人の店へ誰から頼まれもしないライブに行く所である。
愛子は綺麗な顔立ちをしていて、近づきがたい雰囲気ある女だ。
一緒に行動して間もないが、自分と同じく彼女も変わり者だということは分かった。
だから一時あった彼女への警戒心は、ほとんどなくなっていた。
彼女は少し上を向いて後ろに手を組んで、ふふふふーんと鼻歌をうたいながら悠太のすぐ後ろに立っている。
悠太は適当にノートのページを開くと、その花をスケッチし始めた。
「家の親父から聞いたんだけど、昔この街に山下清が立ち寄ったことあるらしいよ」
振り向いて、そう彼女に話しかけたが、今さっき後ろにいた愛子がいない。
おそらくこの辺の店に入ったはずだ。
タバコ屋?悠太はタバコ店に近づくと、レジの前にいる彼女を見つけた。
「写ルンです」を手に持ち、70こえるだろう女店主に二千数百円支払っていた。
「いやいやお姉ちゃんほんと綺麗な顔してるわ」
彼女は使い捨てカメラを買うと、すぐ店を出て行った。
「あの子は本当綺麗だわ」
店主は悠太に向かってそう言う。
「ほぉー」
彼は店主が座っている、たばこを囲んでいる四方の壁際に建つ柱の美しさが目にとまった。
丸彫刻刀で彫り、上からニスを塗った様なその美しい柱。
悠太のことが気になったのか愛子が再び店内に戻ってきた。
彼女はカメラをかまえると、その柱を撮りだした。
「いやー。この柱何ですか。いつからあるんですか。誰が作ったんですか」
愛子は夢中になって撮っている。
「そんなこと聞いてくるお客さん初めてだ。死んだ爺さんが知り合いの大工に安く作らせたんだわ。あなた達が気にとめなきゃ、こんな柱何とも無しに私は死んでいくのにな」
「ひとつ宿題を出していいですか。いいですかおばあさん。この白紙にあなたが心の中で描いた、この付近の地図を書いて欲しいんですよ。明日取りに来ますから。書いてもらった物を私の通う進学校の野球部の部長に必ず届けます。甲子園に行って欲しいなら熱い気持ちを込めて、あなたのメンタルマップを書いてください。東北地方に渡ってきた優勝旗を一度でも良いから見てみたいと思ったことありませんか?」
悠太はそう言って店を後にする。
「はいよ。いつでも遊び来な」
おばあさんの気弱な声が悠太の背中越しに聞こえてきた。
愛子は彼がさっき見入っていた紫色の花の写真をとっていた。
「今日会った人とかに俺不快な言葉言ってないかな。何か人に危害を加えるとか。そんな行動してないと思うけど。愛子さんが俺のこと見てくれてるから助かる」
彼は強迫神経症だから自分の行動に自信を持てない所がある。
何度手を洗っても、洗い足りない気がするとか。
「まあ、お互いオブラートに包まず言いたい放題お店の人とコミュニケーションしたからね。ちゃんと買い物もしたし、うちらはお客さん以外何者でもないでしょう。妄想しない方が良い。さっきのばあさんも悠太と話せて嬉しかったと思う。写真出来たら現像するから、それまでこの花の名前調べとくんだよ」
強迫性障害の悠太は彼女にそう言ってもらえて安心した。
愛子は続けて言う。
「ある程度自由な発言をしても日常何事も起こらない。悠太に必要な練習は、できるだけ深く考えないで話すことだよ。あとは服だと思うよ。高校生に限らないけど、みんな見た目やっぱり重視するからさ。店員に全身コーディネートしてもらって2つ3つセットで買って来ればいいんだよ。それから髪型。美容院で切ってもらって、ワックスの付け方まで教えてもらったら?後はさあ音楽だの絵だの写真だのに力入れて。オブラートに包んだり包まなかったりしながらどんどん発言する。適当に音出して即興で歌ったりしてさ。そっちの方が面白い。大事。逆に言えば、ファッションや髪形に「自分」なんて求めなくていいから、とりあえず今風にしておけばいいんだよ。さっきたばこ店で悠太良かったよ。何?メンタルマップって?高校野球?いいじゃん。その調子」
気付くと悠太が産まれた病院の近くまで歩いて来ていた。
これから見舞いに行くのだろうか。
白いドレスを着た20代ぐらいの女がフラワーショップの店員に花束をつくってもらっている。
彼女のこの「花」への思い入れはどんなだろうか。
さっき悠太達が路上の花を見た時の気持ちとどう違う?
小高い所にあるこの病院の庭の芝生は青々としていて、松任谷由実さんの曲が聴こえてくる様だ。
中学の頃、悠太は入院した男友達にエロ本やら雑誌を数冊買ってお見舞いに行ったのを思い出した。
友人はとても喜んでくれた。
エロ本や雑誌っていうチョイスかなり良かったな。
花を選んだあの人の気持ちを想像してみる。
「だるま屋の親父も待ってると思うから少し急ごう」
愛子がそう言った。
ちっとも俺たちのことは待ってないと思うけど悠太はうんと頷く。